僕と校長先生、25のエピソード

舟津湊

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ep.9  スーパームーンに怯えるスーパーレディー

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午後九時。

予備校の講座が終わり、家に帰る途中にあるコンビニに寄る。



年がら年中予備校に通っているわけではない。

基本的に自力で勉強して、いまいち独学だと理解が難しかったり、視点が偏っている箇所だけ、『チケット制』のある予備校を補習用として利用している。



夜食用にランチパックを買う。夜食なのにランチパックを買うのは妙な気もするが、僕がネーミングしたわけではない。今夜はてりやきマヨチキンだ。

店を出る時、閉まりかけの自動ドアに突進する人影に遭遇した。

「危ない!」

咄嗟に僕は両手でドアが閉まらないように押さえる。



ゴチン!



僕のおでこに正面衝突したのは、何と……校長先生!?



「痛―い!」

そう叫んでひっくり返りそうになる先生を必死で抱き止めた。



「あらら、榊原キュン?」

顔を至近距離に近づけ、僕をまじまじと見ながら、名前を呼んだ。



「あの……キュンってなんですか?」

「何レモナイヨ、何レモ」



どうも様子がおかしい。

僕はそのままドア横の手すりまで先生を連れて行き座らせた。



「み、水うー!」

そう言ってフラフラと立ち上がろうとするので、それを制し再び手すりに座らせる。

「先生、僕が水を買ってくるのでそこで待っててください」

「イヤ!一緒に行く、ここはヤバイの」



僕にしがみついて離れないので、しかたなく左腕を抱えて一緒に店に入る。



「みなみあるぷすうー」

「わかりましたわかりました、今とりますから、冷蔵庫に顔をつけないでください!」

この人、普段からヤバイところはあるものの、だいたい身のこなしはシャンとしている。今夜は何か様子が変だ。



「先生、ひょっとして飲んでます、お酒?」

「のんれないよー、 ブイ!」

ごまかしてVサイン出してるけど、ちょっと酒臭いし、これはただの酔っ払いだ。

「いったい、どこで飲んできたんですか?」

「コ、コンビニ」

「あの……ここ、コンビニですけど?」

「ハシゴ」

「コンビニ、ハシゴしてきたんですか?」

「ザッツライト!」

「で、何飲んだんですか?」

「……オニコローシ!」

そう言って、先生は白地に赤で『鬼ころし』と書かれたブリックパックをぐわしっと差し出した。

「飲んだのはそれだけですか」

「オー、イエース!」

大人の人ってどれだけ酒を飲んだら酔っ払うのか知らないけど、もし校長先生の言うことが本当なら、この人無茶苦茶お酒弱いんじゃなかろうか?

「先生、無理してお酒飲んでません?」

「オー、イエース!」

「なんでまたそんなことを!?」

「脳細胞をマヒさせるためれース」



僕は南アルプスの天然水のキャップを開け先生に渡した。

ジョバジョバと口のまわりに水をこぼすので僕がボトルを持ってあげた。

昔テレビで見た、マザー牧場の羊が哺乳瓶でミルクを飲んでいるシーンを思い出す。



ボトルの半分くらい飲み終わると、先生はふうっと一息ついた。

「榊原君、ごめんね。ありがとう……それからみっともないとこ見せちゃったね」

「いえ、それはいつものことですから」

「え! いつものことって?」

「いや、特に何でもありません」



先生は空を見上げ、急に何かを思い出したように立ち上がった。

「まずい! 帰らなきゃ」

「いったいどうしたんですか!?」



いきなり走り出したが、足元からポキッという音が聞こえ、先生はよろけた。僕は慌てて支える。

パンプスのヒールが折れたようだ。



それでも懸命に走り出そうとする先生。

「もう一体どうしたっていうんですか!?」

しょうがないので先生に背中を向けた。

「ひょっとして、おんぶしてくれるの?…でも恥ずかしいわ」

「こないだ、僕は先生を肩車しました」

「……そうだったわね、じゃあお言葉に甘えて」



先生と自分のバッグをタスキ掛けにし、先生を負ぶった。

肩車した時、僕は動揺して覚えていなかったが、その体は小さく軽かった。

先生の誘導のまま、道を右に左に曲がり、直進する。



「あの、少し急いでもらっていい?」

「ええっ ひょっとしてトイレですか?」

「ち、ちがうわよ……もうすぐお月様が」

「月?」

「今夜は、スーパームーン」

そうだ、確か朝の天気予報でそんなこと言ってたような。

「スーパームーンがどうしたんですか」

「ごめん、怖いの」

「?」



確か、満月の夜に狼男に変身するのとか、伯爵さまとかがいたはずだ。この先生なら変身してバンパイアになってもおかしくない。

今、僕の首元は無防備にもガラ空きだ。

「先生、できれば血は吸わないで欲しいんですけど」

「何の話?」

「いや、先生をオンブして送れなくなっちゃうんで」

「そうね……やめとくわ」

明らかに今夜はおかしい。普段なら、わかったと言いながらガブリと僕の首に噛みつきかねないのに。



「もうすぐ月が出ちゃう……お願い!急いで」



そろそろ体力の限界を感じ始めてきたが、切実な願いに気圧されてスピードを上げる。

「ここよ」

と指さしたのは、大きなマンション。

エントランスのドアをカードキーで開けてもらい、エレベーターに乗った。

ここでようやく先生は僕の背中からおりた……と思ったらその場にへたり込んでしまった。

「先生、大丈夫ですか!?」

「ごめん」

エレベーターは七階に止まった。先生を肩に担ぎ、通路を歩く。

三つ目のドアの表札に『桜羽』と書いてあった。



「先生、ここですね。着きましたよ」

肩にかけていた先生の腕をゆっくり解くと、再びドアを背にして座り込んでしまった。

そんなに具合が悪そうでもないので僕も先生の隣りに座って様子を見る。

「いったいどうしちゃったんですか?」

「ごめんね、榊原君」

そう言って、体育座りした膝に自分の顔をうずめる。



「大きな満月が出た日にちょっと嫌なことがあってね、それ以来だめなの……この日は」

普段なら校長先生の弱点を見つけたぞ、と喜ぶ場面だが、どうやら問題はかなり深刻らしい。



しばらく僕たちはそうやって座っていたが、夜の闇に月明かりの気配を感じて先生は震え始めた。

「どうぞ、部屋の中に入ってください」

「うん」

先生はゆっくりと立ち上がり、カードキーを探してドアをカチャリと開けた。

自動で玄関の照明が灯る。

先生が片方のヒールがないパンプスを脱ぎ始めた。

「じゃあ、僕はこれで失礼します。おやすみなさい」

不安そうに僕を見上げる校長先生の顔がドアの向こうに消えた。



エレベーターに向かって歩き始めると、ガチャリとドアが開く音が聞こえた。

「待って、榊原君!」

僕は立ち止まり、振り返る。

そこには怯えた表情の先生が微かに左右に揺れながら立っていた。

「ねえ、血を吸ったりしないから……お願い」

「?」



「Stay with me, please.」



「あの僕、英語苦手なんです」

「……ウソツキ。イケズ、イジワル」

「日本語でお願いします。」



「……お願い、一緒にいて欲しいの」



僕は降参して先生の家に入った。

そこは、一人暮らしの部屋にしては広すぎる。

聞くと、以前はご両親と一緒に暮らしていたそうだが、今は海外にいるとのこと。

開いていたカーテンを全部降ろし、月明かりを締め出した。

親とのLINEグループに、友達と勉強して泊めてもらうとメッセージを入れた。



コンビニで買ったランチパックは、二人で分けて食べた。

先生は自分の部屋に入り、僕はリビングを使わせてもらってカバンから勉強道具を取り出し少しだけ勉強した。

そして先生が渡してくれた毛布にくるまって、ソファーに寝っ転がった。

後書き
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