僕と校長先生、25のエピソード

舟津湊

文字の大きさ
12 / 25

ep.12  あめゆじゅ とてちて

しおりを挟む
あんたは小さいときから雪が降る前に必ず熱を出すよね、母はそう言って僕の枕元にお昼用のウドンと風邪薬と水を置いて部屋を出、階段を降りていった。



そんなに小さい頃のことは覚えてないけど、確かに雪が積もって友達が外で大はしゃぎしている時は、たいてい僕は布団の中にいた。



別にアウトドア派ではないので、わざわざ寒い日に雪まみれになりたいとは思わなかったが、少しもったいない少年時代を過ごしたような気もする。



ウドンを食べて暖まり、薬を飲んだらまた眠くなった。

一眠りしてまだ熱が下がっていなかったら、母のコマンド通り、医者に行こう。







どのくらい寝たのかわからないが、小さなドアの開閉音と、誰かが僕のベッド脇に座る衣擦れの音が聞こえ、ぼんやりとだが目が覚めた。

母が熱を測りにきたのだろう。



「はい」

体温計が差し出された。

ありがとうと言って脇の下に挟む。

三十秒ほどしてか、それはピピピッと鳴った。

「どれ、見せてごらん」

この辺から僕は違和感を覚え始めた。



「三十七度四分か、まだ少し高いわね」

そう言って僕のおでこに手を当てた。



その声、その手のひらの感触は……



「こ、校長先生!?」

驚いてガバッと飛び起きる。



ベッドにひざまづいて僕の顔を覗き込む、制服姿の女性。



「あら、まだ起きちゃダメよ」

「……どうしてここに?」

「お見舞いに決まってるでしょ……他にも目的がない訳じゃないけど」

「……どうやってここに?」

「よくぞ聞いてくれました。話せば長くなりますが、」

「少し頭痛いので、できるだけかいつまんで話してください」



うちのドアのチャイムを鳴らしたら、母が出たので、クラスメイトの桜羽が配布物を届け方々様子を見にきたと告げた、そうだ。

これは斉藤さん宅に家庭訪問した時と同じ手口だ。



母は、せっかくだから上がってと居間に通してくれ、おいしい緑茶と和菓子をごちそうになった、そうだ。



「お義母様、私のこと完璧に同級生と信じて疑わなかったわよ。これでミッションワン、コンプリート!」

「それが目的の一つですか……あの、今さらっと『母』に『義』をつけませんでしたか?」

「まあ、よくわかったわね」

「……他にもミッションをお持ちで?」

「ウン。榊原君の情報収集。お義母様ったら、あんなことこんなこといっぱい話してくださったわ。五歳まで……」

「もういいです。……ミッション、もうないですよね?」

「そうそう、大事なの忘れてたわ。お義母様、私のことすごく気に入ってくださってね。わざわざ雪の中来てくださってありがとう、これからもよろしくねって! これで親御さん公認の仲ね」

「……親が認めても、学校や都条例が認めてくれないと思うんですけど」

この人、ソトヅラを完璧に取り繕うのがうまいから、うちの母はコロッと騙されてしまったんだろう。



「……で、どうやって、この部屋に入ってきたんですか?」

風邪引きの息子の部屋に人を入れるのを母が許す訳がない。ましてやクラスメイト(疑)の女の子を。

「私は、玄関口まで見送ってもらって、おいとましたことになっています」

「忍び込んできたんですか!?」

「まあ人聞きの悪い、ちょっと忘れ物を取りに戻っただけよ」

そう言って先生は、僕の目の前でポーチをブラブラさせた。



「……なんか熱が出てきました」

「まあ大変! どれどれ」

そう言って先生はおでこを僕の額につけた。

「……あの、先生にお引き取りいただいたら熱は下がると思います」



「ほんとにもう、イケズなんだから!」

そう言うと、先生は姿を隠した。

嫌な予感がして上体を起こして様子をうかがうと、案の定先生は僕のベッドの下を物色していた。

「……あの、今時そんな古典的な場所にヤバいものを隠しませんよ。部屋の中には何もありません」

「あら、君は仙人様かしら」

「スマホがあれば……いや、なんでもありません」



先生は家宅捜索を諦め、部屋をぐるりと見回す。

「何て言うか、飾り気のない部屋ねえ。物も少ないし」

「ほっとてください。僕はこの方が落ち着くんで」



「そうそう、外は一面雪景色よ。ちょっと水っぽい雪だけど」

会話のつながりがよくわからないが、自分の部屋をいろいろ詮索されるよりはいい。

「知ってます。僕は大雪が降る前に熱を出すらしいので」

「あら、それは特異体質ね」

そう言って先生はカーテンを開ける。雪の反射のせいか、いつもより眩しく感じられる。その明るさに照らされている先生も眩しい。



「あめゆじゅとてちてけんじゃ」



先生がぽそりとつぶやいた。



「宮沢賢治ですか」

「まあ、よく知っているわね」

「授業で習いましたし、同じ『賢』がつくよしみで」

「あ、そうか! 君も『けんじゃ』か」



先生は一瞬驚いたが、すぐに何か一計を案じている時の表情に変わった。



「ねえ、あめゆじゅとてちて、けんじゃ?」

「無理です。熱があります。体がだるいです」

「うそ……冗談よ。変わりに私が行ってきてあげる。」

「いやいいです、必要ないです……それに、その詩って、妹のトシさんの今際のきわの時のお話でしょう? トシさんに悪いですし」



「まあいいから」

そう言い残して先生は、部屋をそっと出ていった。



と思ったら、ドアがノックされた。

「ねえ、賢也、クラスの子が届け物持ってきてくれたわよ」

そう言って、部屋に入り、クリアファイルに入れられた配布物を勉強机の上に置いた。

「桜羽さんってなかなか感じのいい子ねえ」

母が、ウチの学校の校長の名前を覚えていなかったことに感謝する。

「で、この間の外泊とあの子とは何も関係ないわよね?」

「は? 何のことでしょうか」

そんなやり取りをした後、母はドアを閉めて階下に降りていった。

ただし去り際、ベッドの脇に置かれた先生の学生カバンにちらりと視線を送ったような気もする。



五分くらい経ったが、校長先生は戻ってこない。まさかそのカバンを置いて帰ってしまったのだろうか。



カーテン越しに外を見ると。

先生はウチの隣の空き地にいた。

バサッバサッと空に向かって雪を放り投げていた。



ヤバイ、ミツカル。



「あめゆじゅ、とってきたよ」

奇跡的に神様は僕を救ってくれ、親にバレることなく先生は部屋に戻ってきた。



どこで入手したのか、手にはパンパンに膨らんだレジ袋をぶら下げていた。

中に入っているのは、雪だろう。



「それ、どうするんですか?」

「まあ見てて」

そう言うと先生は、お盆の上に載っていたドンブリやコップやらをどかし、そこに水気をたっぷり含んだ雪をバサッと乗せた。



「榊原君、君は寝てていいよ」

そう言って先生は雪の山をいじり始めた。



「♪ ゆきだるまつく……」

「先生、あとあと厄介になるので、ココでそれ歌わないでください!」

「あら、そういうもんなの?」



「できた」

ということで、お盆の上に完成したのは雪だるま。一緒に拾ってきた石コロや木の枝で、目やら口やら手やらがつけられている。口は半月型の石コロで、笑い顔になっている。



「どう? 雪が降るたんびに熱を出してたんじゃ、こういうのあまり見たことなかったでしょ」

「……そうですね。ありがとうございます」



「じゃあ、私帰るね。無理しないのよ」

「ありがとうございます」

そして。

「おまじない」

と言って僕の額に手を当てた。



十秒ほどそうした後、先生は忍者のようにそっと部屋を出ていき、玄関のドアの開閉音もまったく聞こえなかった。

ひょっとしたら、まだこの家の中に潜伏しているかも知れないとも思えた。



一人になったら急激に眠くなった。

『おまじない』が効いたのか熱も下がったようで、頭痛や悪寒も和らいだようだ。







目が覚めた時は、もう陽が落ちかけていて部屋の中は薄暗かった。

風邪薬のせいかボーッとしているが、具合は大分よくなった。



さっきまで、校長先生がいたんだ。

にわかに信じられない。

ひょっとしたら、全部夢だったのかも。

そう自分の記憶を疑いながら勉強机の上を見たら、それはあった。



溶け始めている雪だるま。



「もう、しょうがないなあ」

このまま全部溶けたら僕の机の上は水浸しだ。

お盆の周りをタオルでぐるりと囲った。



そいつは、三日月型の口が少し傾けて笑っているが、小さく黒い目から涙を流しているようにも見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

ほんとうに、そこらで勘弁してくださいっ ~盗聴器が出てきました……~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 盗聴器が出てきました……。 「そこらで勘弁してください」のその後のお話です。

負けヒロインに花束を!

遊馬友仁
キャラ文芸
クラス内で空気的存在を自負する立花宗重(たちばなむねしげ)は、行きつけの喫茶店で、クラス委員の上坂部葉月(かみさかべはづき)が、同じくクラス委員ので彼女の幼なじみでもある久々知大成(くくちたいせい)にフラれている場面を目撃する。 葉月の打ち明け話を聞いた宗重は、後日、彼女と大成、その交際相手である名和立夏(めいわりっか)とのカラオケに参加することになってしまう。 その場で、立夏の思惑を知ってしまった宗重は、葉月に彼女の想いを諦めるな、と助言して、大成との仲を取りもとうと行動しはじめるが・・・。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

【完結】好きって言ってないのに、なぜか学園中にバレてる件。

東野あさひ
恋愛
「好きって言ってないのに、なんでバレてるんだよ!?」 ──平凡な男子高校生・真嶋蒼汰の一言から、すべての誤解が始まった。 購買で「好きなパンは?」と聞かれ、「好きです!」と答えただけ。 それなのにStarChat(学園SNS)では“告白事件”として炎上、 いつの間にか“七瀬ひよりと両想い”扱いに!? 否定しても、弁解しても、誤解はどんどん拡散。 気づけば――“誤解”が、少しずつ“恋”に変わっていく。 ツンデレ男子×天然ヒロインが織りなす、SNS時代の爆笑すれ違いラブコメ! 最後は笑って、ちょっと泣ける。 #誤解が本当の恋になる瞬間、あなたもきっとトレンド入り。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...