僕と校長先生、25のエピソード

舟津湊

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ep.22  チョコレートの六択

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“おいモドキ、わが家まで出頭せよ!”



LINEが入った。夏鈴からだ。

このメッセージ、どう解釈したらいいだろうか? 結果があまり好ましくないような気もするが。



入試が終わり、学校は再び通常モードに戻った。僕も通常モードで図書室通いをしている。

今日、玄関付近にある掲示板に入試の合格発表が貼りだされたが、放課後の時間でもありネットにも掲載されているので、在校生がチラリと見上げる程度で、結果を見に来ている受験生の姿はない。

校長先生に聞いてみたかったが、今日は珍しく姿が見当たらない。

夏鈴の受験番号を聞いていなかったので、合否が定かではないが、書かれている受験番号、その間で抜けている受験番号のいずれも彼女のもののように思えて気が気でない。受験生の親の心境はこんな感じなんだろうか。



僕は桜羽邸に急ぎ、ドキドキしながらドアのベルを鳴らした。



「はい、ただいま」

夏鈴の母がインターフォンに出て、すぐにガラッと開き戸が開いた。

開くや否や、私服姿の彼女が飛び出してきて、僕にガバッと抱きついた。

「ありがとう! ケンにいさま、合格です!」

「……そう、そうなのか!? だってLINEには『おいモドキ、わが家まで出……』

「ちょ、ちょちょい!」

彼女は母親をチラリと見る。

「まあ、いやですわ、普通ああいうメッセージだと、これはサプライズだなってお察しになるんではないでしょうか?」

「……まあ、わかった。とにかく合格おめでとう!」

「本当に、ケンにいさまのおかげです。もし教えていただけなかったら、どうなっていたかと思うと……」

そう言って、僕をギュッと抱きしめる。

「い、いやいや、すべて君のガンバリの結果だよ。ほんと入試直前の追い上げは凄かった。」



「榊原さん、本当にありがとうございます。このお礼はなんと申し上げたらよいか」

夏鈴の母親が深々と頭を下げる。

「いえいえ、そんな」

「主人は留守にしておりますが、くれぐれもよろしくお伝えくださいとことづかっております……本当に『身内か恋人のように』つきっきりで面倒を見ていただいて……」

「……いえいえそんな」



「ねえ、お母さま」

夏鈴が割って入る。

「この後、学校生活のこととか、わたしの部屋でケンにいさまにお伺いしたいの。いいでしょ?」

「ええ、もちろんよ。後でお茶を持っていくわね。それから、今夜お祝いをするので、ぜひお夕食を召し上がっていって」

「えーと、お構いなく……あーはい、ありがとうございます」

僕は、合否を聞きに来ただけのつもりだったが、引き止められてしまった。



靴を脱ぎ、夏鈴が差し出してくれたスリッパに履き替え、二階に上がる。

「うちのお母さまはね、あんたのこと、えらくお気に入りなんだ」

「え?」

「榊原さんがアタシの彼氏になってくれたら安心なのに……って」

「え!?」

夏鈴が階段を先に上がっているので彼女のスカートのお尻、いや背中しか見えず、どんな表情で言っているのかわからないけど、声はちょっと恥ずかしそうだ。



「でもな、お父さまの方は、あんたのこと今イチ敬遠しているようだな」

……それもそうだろう。理事長と初めてお会いした時、僕は姪の校長先生を肩車していたのだ。



夏鈴の部屋に入ると『まあ座れ』といつもの椅子を勧められる。彼女は自分専用のレカロシートに座り、僕と向き合う。



「いやいや……あんたには、おっきな借りができちまったな」

「借りだなんて思わなくていいよ。君が力を発揮できるように少し手伝っただけだし」

「随分とご謙遜だな……まあこれで『にいさまモドキ』呼びは返上してやる」

「いやさっきLINEで『おいモドキ』って……」

「まあそう固いことは言うな。これからは『ケンにい』と呼んでやる」

彼女はそう言いながら勉強机に向き直り、ピンクのリボンがついた綺麗な箱を取り、僕に差し出した。



「今日は何の日か知ってるだろう?」

「合格発表の日」

「おいそこでボケるなよ。今日は二月十四日だ……お礼といってはナンだが、受け取ってくれ」

「バ、バレンタインデー?」

「なんだよ、知らなかったのか? さては学校で全然もらえなかったんだろうな」

「一応、ウチの高校、チョコの持ち込みは自粛するようにと指導されているからね」

「なんだ、ずいぶんつまんねえ学校だな」



オフィシャルでは『自粛』ということになっているが、ほとんど黙認されており『スクールカースト外』の僕にも、義理チョコだか何チョコだかわからないけどクラスメイトから渡され、カバンの中に三個入っている。……それともう一つ、ボクが買っておいたものも。ここではそれは伏せておこう。

僕は夏鈴からありがたく綺麗な化粧箱を受け取る。



「……一応、手作りなんだ。夕べ、ハルねえさまと一緒に作ったんだ。『結果はともかく、きちんとお礼をしようね』って」

「そうなんだ、ありがとう。心していただくよ」

「あ、でも勘違いすんなよ。あんたは『彼氏未満』だかんな」

彼女は少し顔を赤くして照れ隠しに伸びをした。

「あー、これでしばらくは創作活動に励めそうだ」

「そうだな、よかったな」

「思う存分、エロいの書きまくるぞ!」

「……強制削除されない程度にしてくれ」

「あ、それからな、ネタバレになるけど、ハルねえさまも、一緒にチョコ作ってたから、モドキ、もといケンにいも期待して待っててくれ」

「いや、学校でチョコの持ち込みは自粛だから」

「ここは学校じゃないぞ」

校長先生もこのあと理事長宅にやってくるんだろうか。

「あ、でもな、ハルねえさまはチョコをいくつも作っていたからな。もし貰っても勘違いせずに『ワンノブゼム』だってわきまえとけよ」



と、そのとき。

バーンとドアが開いた。



「私のこと呼びまして?」



「ハルねえさま、お入りになるときはドアをノックしてくださるかしら?」

「あらカリンちゃん、今までそんなこと言わなかったのに、何かイケナイことでもしてたのかしらー?」

「まさかそんな……」



校長先生はズカズカと部屋の中に入ってきて、ミニテーブルにリボンのついた箱をポンポンポンポンポンポンと置いた。

異なる色のリボン、異なる色と柄のラッピング用紙で包まれた箱。それが全部で六個! 夏鈴は目を丸くしてそれを見ている。



「さあ、榊原君。これは私からのプレゼント。どれでも好きなの選んでね」

「え、選ぶんですか?」

「そう……自分がこれだっていうのを」



よくよく見ると、それぞれの箱のリボンに丸いプレートがついている。そこに書かれている文字は……



・Ludus

・Pragma

・Storge

・Agape

・Eros

・Mania



ははあ……これは、何とかの類型論とかいうやつだな。

「先生、ちょっと時間をください」

僕はスマホを取り出す。夏鈴もスマホを取り出し、ポチポチと検索している。



なになに? ……カナダの心理学者が唱えた恋愛の分類、ラブスタイル類型論か。



・ルダス:遊び心の愛

・プラグマ:(計算高い)実用的な愛

・ストルゲ:友情の愛

・アガペー:愛他的、自己犠牲の愛

・エロス:情熱的、エロティックな愛

・マニア:偏執狂的な愛



……校長先生の意図はなんなのだろうか?



「あの、それぞれ違うチョコが入ってるんですか?」

僕が質問すると先生は自慢気に応える。

「そうデス! それぞれのネーミングに合わせてカカオの種類やらクリームの配合やらトッピングやら、色々工夫を凝らしました!」

「……ちなみに『エロス』のチョコには何が使われています?」

「うふっ、それ聞きたい?」

「いや、いいです」

「さあ、どうぞ、セレクトたいーむ!」



先生は従妹のベッドに腰かけ、僕の選択を固唾を飲んで見守っている。

スマホから顔を上げた夏鈴も、興味津々で六つの箱を凝視している。



三分経過。



「これ、いただきます」

僕は手を伸ばし、『Storge』と描かれたプレートのついた箱を取った。



それを見て先生は目を伏せたが、少し間を置いて言葉もなく残りの五個の箱を回収した。







その後、夏鈴のお母さんから声がかかり、夕ご飯をごちそうになった。

僕がこの世に生を受けて見た中で、一番デカい鯛のお頭付きの塩焼きを中心に、豪華絢爛な食事が居間の大きな座卓に並んだ。

帰宅された理事長も一緒にテーブルを囲み、ビールから日本酒へとグイグイ進んで上機嫌だ。

僕の背中をバンバン叩き『どうだい君も』と勧めてきたが『あなたそれだけはお止めになって』と奥様が阻止した。

校長先生は、夏鈴のおしゃべりにつきあっていたが、めずらしく元気がなさそうに見えた。







「だいぶ遅くまでお邪魔してしまいました。そろそろ失礼させていただきます。今日はたくさんご馳走になり、ありがとうございました」



お茶を出してもらったタイミングで僕はこう切り出し、席を立った。

廊下に出た所で、夏鈴が後を追ってきた。



「おい、にいさまモドキ。」

「その呼び方、やめたんじゃ……」

「そんなこたぁ、どうでもいい……ハルねえさま、様子変だろ?」

「まあ、随分と静かだったかも」

「アンタがチョコの選択をミスったせいだ」

「はあ?」

「何とかしろ」

「……わかった。僕も先生とちょっと話したかったし」

「ねえさまを呼んでくる。うちのお父さまとお母さまは引き止めておく」

「……ありがとう」



夏鈴が校長先生を引っ張ってきてコートを渡した。



「ハルねえさま、ケンにいさま。わたしのために色々と尽くしてくださり、本当にありがとうございました。入学したらまたお世話になります……ケンにいさまは、ねえさまをしっかり送り届けてくださいな」

夏鈴が律儀に挨拶し、僕らを送り出す。こういうところはしっかり躾しつけされている。



僕と校長先生は桜羽邸の玄関を出て石ダタミを歩く。

二月の空はピンと澄みわたっていて冷たい空気が頬を刺す。

今夜は三日月だ。



「あの、先生」

「なに?」



「これから神社に行きませんか?」

「え?」

「お礼参りに。入試合格の」

「そうね……じゃあ、カリンちゃんも連れてく?」

「いや、もう夜遅いので、僕たちが代理で」

「そうね。行こうか」



理事長のお宅からほど近い丘にある階段を上がり、神社を目指す。

校長先生は肩車しようとか、いつものような冗談を言わずに僕に黙々とついてくる。



参道にはポツンポツンと申し訳程度の照明しかなく、暗闇の中を時折吹く風が木々を揺らす音が聞こえるくらいで、ひっそりと静まりかえっている。初詣のときの賑わいがうそのようだ。



境内に入る。

もちろん社務所は閉まっている。手水舎で手と口を清め、二人で拝殿に並ぶ。

めいめい、お辞儀をし、お賽銭を入れ、鈴を鳴らし、夏鈴の合格に感謝とお礼の念を込め、お辞儀と拍手をした。



境内の敷地内に街を見下ろせる広場があり、石造りのベンチが三台ほど設置されている。

その一つに僕は座る。隣に校長先生が並ぶ。



「ムチャクチャ寒いね」「街の灯りが綺麗ですね」



二人同時に違う言葉が出て、思わず顔を見合わせて笑う。



「あの、先生」

「?」

「まだ持ってますか……さっきのチョコレート」

「うん?」

「よかったらそれ、全部ください」

「え、もらってくれるの!?」

「はい……先生が作ってくれたチョコ、誰にも渡したくありませんから」

「……誰も渡す人いないから、全部自分で食べようと思ってたんだけど」

「あの……従兄の隆行さんには?」

「ああ、さっき叔父さんちに飾ってあるタカにいの写真にお供えしてきた」

そう言いながら、五個の箱が入ったラッピング袋を僕に渡してくれた。

「……それなら、代わりといっては何ですが、これ差し上げます」

僕はカバンから、紙の手提げに入ったチョコを先生に手渡す。

「え、君から?」

「はい、さすがに手作りじゃないですけど」

「でも、バレンタインって女子から男子に渡すんじゃ……」

「あれ、先生ご存知ないんですか? 最近は友チョコだけじゃなくって『逆チョコ』というのもあるんですけど」

「……そうなんだ。じゃあ、ありがたくいただきます。」



僕は眼前に広がる街の灯をぼんやり見つめる。

「先生、僕……まだわかんないんです」

「?」

「どのチョコを選べばいいのか、選びたいのか」

「そうよね」



「先生はどうなんですか?」

「え!?」



「僕への気持ちが……その……ルダスなのか、プラグマなのか、ストルゲなのか、アガペーなのか、エロスなのか、マニアなのか……何となくわかるような、わからないような」



先生は僕に顔を向け、小さく微笑んだ。



「正直私もわからない。わかっても言葉にできない。言葉にしちゃいけないの」



「あの……随分言葉にしてるような気もしますが?」

「もうイケズ、意地悪……」



そう言って先生は僕の肩にもたれかかった。



「にゃー」



僕たちの足元を白黒のブチの猫がゆっくりと通り過ぎていった。グラウンドで落ち葉に埋もれていた時に、僕を跨いでいったヤツに似ていなくもない。



先生は立ち上がり、ネコの頭を撫でようとしたが、スルスルと逃げられ、そのまま拝殿の方に追いかけていく。



「こんだけ人気ひとけがないと、お賽銭泥棒、大活躍ね」

「過ちだけは犯さないでください。賽銭箱の頭上に監視カメラがあるのを確認済みです」

「まあ、目ざといわね!」



僕はしょうがなく立ち上がり、先生と猫の後を追った。
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