神色の魔法使い

門永直樹

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盲目の老婆 1

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薬研やげん……ですか?」

「あぁ、手に入れたいんだが、心当たりは無いかな?」


クレイグ達が此処、港町ドーラでドグ夫婦が用意してくれた海の家で暮らすようになって一月が経っていた。

相変わらずドグとアンは毎日クレイグとユリの棲む家に通ってくれて、家事から身の回りの世話まで焼いてくれるので二人ともすっかり甘えていた。


「アン、夜ご飯は何かのぅ?」

「はい、お嬢様。今夜は旦那様とお嬢様が昨日取って来てくださったファイヤーバードのお肉で何か作ろうと思いますから、楽しみにしていてくださいね」

「おぉ、それは楽しみだのぅ。ではそれまで食後の散歩でもしてくるかな」


ユリは口笛を吹きながら上機嫌で日差しの穏やかな外へと歩いていく。
昼食を終えたばかりで夕飯の事を考えてるユリを見て、すっかりアンに餌付けされたもんだと苦笑する。
アンが入れてくれた飲み物を口にしながらクレイグは訪ねた。


「そう、薬研やげんを使って薬草や野草の調合をしてみたいんだ。使い古した物でもかまわないんだが。アンなら何か知ってるんじゃないかと思ってね」


クレイグはこの所、野草や薬草の栽培に手を付けていた。
家の裏庭に小さな畑を耕し、野山に入ってめぼしい野草等を見つけると少し取って来ては畑に植え替えたりして育てていた。


クレイグは今年で五十歳になった。


野草を育てたり、ユリと山に獣や魔獣を狩りに行く。
海の音を聞きながら本を読んで、静かな波を眺めて過ごす。
もちろん身体が鈍らないよう、ユリと剣術や体術の訓練は欠かしていない。
驚くべき事に若い頃よりも身体はしなやかに動くような気さえする。

五十の歳を迎えて、こんなにも心穏やかな毎日が訪れるとは思っていなかった。
ユリ、そしてドグとアンにも感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。


「そうですねぇ。あ、そうだ。東の街道を少し行った所に村があるんですけど、何年か前までそこに薬師くすしの母娘が住んでるって聞いた事があります。でもここ最近は話を聞かないので今もやってるかどうかわからないですねぇ。薬研やげんって薬師の方が使う道具ですよね?」

「あぁ、そうなんだ。道具屋に聞いてみたんだがなかなか出回ってないらしくてね。そうか、その母娘なら古い薬研を譲ってくれるかもしれないな。行ってみるよ」

「はい、旦那様。お気をつけて」


東の村は港町から山に対って歩いて一時間程の所にある小さな村で、何軒かの家が集まっている人口の少ない村だ。
クレイグは外への扉を開けると、日陰になったポーチの長椅子で居眠りをするユリに声をかけた。


「少し東の村まで行ってくるよ」

「むにゃ、わかった。私も行こう」


ユリは短く返事をすると家の中に入っていく。短い散歩だったんだなとクレイグは感心してから、旅の装備を軽く整えると東の村へと歩みを進めた。








クレイグとユリが村に着いて、家の間の細い道を歩いていると、畑を耕す村人がいた。
薬師くすしの母娘の事を訪ねるとリマという老婆の住む場所を教えてくれたが、その言葉には少し陰がある気がした。
家を見つけると、コンコンとノックをしてから声をかける。


「突然申し訳ない。薬師のリマさんにお会いしたいのだが、おられませんか?」


クレイグが声をかけてしばらくすると「入りなさい」と中から細い声で返事が聞こえた。
扉を開けて中に入ると、狭い部屋の中に天井から薬草や茸、花や木の枝が沢山吊るしてある。乾燥するために干したのだろうが、少し年月が経ち過ぎている感じがした。
部屋は真っ暗であったため、目が慣れるまでは奥に老婆が座っているのが見えなかった。


「こんにちわ、リマさん。私は港町から来たクレイグといいます。こっちはユリ。リマさんが薬師をしていると聞いたんで相談なんだが、薬研が余っていないだろうか?もし譲れるような薬研が余っていれば譲って欲しい。謝礼はちゃんと払う。どうだろうか?」  


目が慣れて椅子に座った老婆の顔が徐々に見えてくる。それなりに深いしわが刻まれているが、それほど年老いてはいないようだった。肘置きに置いた袖から出た前腕が痩せている。
思わず見てしまうのは、目にしっかりと包帯が巻かれている事だ。


薬研やげんかね。あるにはある」


リマはこちらの気配を探すように少し顔を上げた。


「失礼。婆さんは目が見えないのか?」


後ろで腕を組んで黙っていたユリが話しかける。


「おや、もうひとりは若い娘さんだったんだね。可愛らしい声だねぇ」


リマはそう言うとにっこりと微笑んだ。


「そうさね。私はもう目が見えないのさ。だけど何も不便は無いよ。家の勝手はわかってるし、食べる事も贅沢しなければ困りはしない」

「そうか。余計な事を聞いて悪かったな」

「心配してくれたのかい?ありがとうね」


リマは両手を組むと小さく祈るような仕草を見せた。


「あんたら、革の擦れる音がするが冒険者かい?もしも冒険者なら老い先短い年寄りの頼みを少し聞いちゃくれないかい?」


クレイグとユリは顔を合わせる。


「頼みとは?」


リマは深いため息をつくと静かに語りだした。


「まぁそこいらの椅子に腰掛けて聞いてくだされ。頼みというのはね」


リマの頼みというのは、居なくなった自分の娘を探して欲しいというものだった。


「もう一年になるかねぇ。あの娘、スザヌがいなくなってから……。沼の神様に会いに行ってくると言ったままそれっきりさ。生活は貧しくて苦しいがあの娘はそんな事が嫌になった訳じゃないと思うんだ。どうして居なくなったのかを知りたいんだよ」


リマが感情を極力抑えながら話している事がクレイグ達に伝わってくる。


「一つ聞きたいんだが、その沼の神様というのは?」

「あぁ。沼の神様はこの村から北の山に入った裾野にまつってある石碑でね。私ら村の者は産まれた時から大切に崇めているのさ。あの娘が居なくなる少し前に、あの娘が病気になっちまってね。港の治療師に頼んでみたり、私もあらゆる薬も試したんだが治らなくてね。だから私は沼の神様にお願いしたんだよ。どうかこの老人の全てを差し上げますからスザヌを治して下さいってね。そしたら沼の神様ははっきりした声でこうおっしゃったんだよ」


リマが震える手で眼を覆う包帯をゆっくり外した。
はらはらと解けた包帯の下から現れた顔には眼球が無くなって、その眼窩はまるで生きた骸骨のようにくぼんで黒ずんでいた。


「お前の目玉をよこせってね」


クレイグとユリはお互い目を合わせるとこくりと頷き合った。リマは興奮した様子で話を続ける。


「こんな物でスザヌの病気が治るなら安いもんだとあたしは思ったよ。どうぞ差し上げますって。そして、気が付いたら村の衆にこの家に運ばれてたのさ」

「なるほど。それで娘のスザヌさんは?」

「驚いた事にあの娘の病気は日増しに良くなっていったんだよ。あたしの眼の傷口を看病してくれたのも娘さ。娘には随分怒られたがね。だけどあたしはこれで良かったと思ったんだ」

「眼球を欲しがる神様か。昔から願いの代わりに眼球を?」

「いや。神様がお話したのも初めてさ。しばらくしてあの娘がこう言ったんだ。沼の神様にあたしの眼を返してもらうって。だから私は反対したんだ。これは交換だったんだって。それっきりさ。娘は出ていっちまったんだ」


リマは下を向くと大きくうなだれる。
ユリは立ち上がるとリマの両肩に手を置いてから、膝の上に降ろした包帯を取って優しくリマの目にあてがう。


「包帯を巻きなおそう。さぁ、婆さん少し顔を上げて」


リマは見えてはいない落ち込んだ眼窩をユリの方に向けると笑顔を作った。


「ありがとうね。あんたにこうして包帯を巻いてもらうと、まるであの娘が帰ってきたようだよ」

「そうかい?これくらいみやすい御用だよ」

「ありがとう……ありがとう……」


二人の話を聞きながらクレイグは小さくつぶやいた。


「【ブルーディテクティブ】」


クレイグは青の探求の魔法で目を輝かせながら部屋を見回している。そしておもむろに立ち上がると入り口のドアに数歩歩き、リマに背中を向けてこう言った。


「娘さんを探してみるよ、リマさん。どんな形になるかわからないが。見つけたらまた必ず戻って来る」






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