僕が知る最高の夫婦

貴美

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僕が知る最高の夫婦

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 僕は最近まで都会の病院に勤めていたが、今回の結婚を期に嫁の実家があるこの村で診療所を開くことにした。最初は田舎で戸惑ったけど慣れると空気は美味しいし、何より人と人の距離感が近く気持ちがいい。誰もが気さくに話し掛けてくれる環境は都会では味わえなかった快感だ。

 今日も診療所の仕事を終え家に帰る道中、農家を営む河野富子さんに出会った。いくら夏で日も長いとはいえ働き過ぎではないか。富子さん自身あまり若いとはいえない歳もあって過労を心配してしまう。以前診療所を紹介したが笑顔でやんわり断られてしまった。まだ自分は健康だから大丈夫だと。それ以上は強く勧めることも出来ず今に至る。しかし旦那は心配ではないのだろうか? 以前富子さんに訊いたら旦那は出稼ぎに出ていて何年も帰ってきていないという。まったく、と思う。仕事も大事だが嫁さんのこともかえりみて欲しいものだ。その日も野菜の収穫に精を出す富子さんと挨拶を交わし自宅に戻った。

 今夜も美味しい嫁の飯を食べ、風呂に入り、嫁と語らう。そんな幸せでいつもと変わらない日常……の筈だった。

 これから話す物語は、この村に来て初めて日常が一変した出来事である。


 深夜に突然鳴り響く電話の音に飛び起きた僕はいぶかしみながら受話器を取った。なんせ時計の針は三時を回っていたのだ。

「もしもし?」
『…………』
「? もしもし? どちら様ですか?」
『…………家内を、富子を、助けてくれ……』
「富子? もしかして河野富子さんのことですか? あなたは富子さんの旦那さんですか?」
『…………』

 何かおかしい。本当に旦那本人か? 後で富子さん本人に確かめてみようかと思って名前だけでも聞き出そうとした。

「富子さんの家には今から向かいますからご安心下さい。それで失礼ですがあなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」

 するとしばらく間を置いて一言、




『…………信二しんじ




 そう聞こえた。

「信二さんですか。信二さん今富子さんの状況は? 信二さん? ……あれ? 切れてしまった……」

 受話器からはもう声はしなかった。

 元々嫁をかえりみない旦那だ。電話をくれただけでもマシか。そう思って白衣を羽織り、応急処置が可能な医療器具を持って家を出た。もちろん嫁にも伝え済みだ。

 富子さんの自宅には着いたものの、玄関には鍵が掛かっていた。夜中にインターホンを鳴らすのも躊躇とまどい、「すみません、電話を貰ってきました宮沢です」と声を掛けた。今まで話す機会が無かったが、ちなみに僕の名前は宮沢智也ともやだ。どうでもいいですかそうですか。

 名前を名乗ると内側から玄関の鍵が開けられる音がした。僕はすかさず戸を開け「おじゃまします」と中へ踏み込む。やはり何かがおかしい。鍵を開けた筈のご主人の姿がどこを見渡せど見当たらない。まぁ今はとにかく富子さんだ。深夜に電話をしてくるぐらいだ。きっと一刻も争う事態なのだろう。案の定、台所で倒れている富子さんを発見した。意識のない様子に一瞬ヒヤリとしたが医者のプライドを駆使して冷静に努めた。体を触ると異常に熱い。僕は富子さんを寝室に横たえた後、冷蔵庫の中から拝借した氷を幾つかに分けて布にくるむと、富子さんの体を要点的に冷やしていった。熱中症だったのだ。きっとこれまでの過労も積み重なってのことだろう。
 熱中症を舐めていたらいけない。下手すると命を落とす可能性も高い。まさに富子さんは危機一髪の状態だった。後少しでも到着に遅れていたら間に合わなかったかもしれない。
 しばらくそうして冷やしていると、意識の戻った富子さんがうっすらとまぶたを持ち上げて僕を見た。ああ驚いてる驚いてる。

「……宮沢……さん?」
「はい。すみません勝手にあがらせて貰いました。あなたは熱中症で意識不明の状態だったんです。まだ油断は出来ませんからもう少し安静にしてて下さい」
「なんでここに……? 玄関には鍵も……」
「ああ、ご主人から電話を貰ったんですよ。今は帰って来られてるんですね」

 そこで富子さんは目を大きく見開いた後、震える声でたずねてきた。

「主人が?」
「はい。信二さんですよね?」
「…………信二……さん……」

 次の瞬間、富子さんは大粒の涙を次々に流し始めた。僕は焦った。いや確かに今一緒にいないのは薄情なのかもしれないですけど電話はくれたんです。鍵も開けてくれたんです。僕は少しでも泣き止んで欲しくて慌てて言い募った。僕のプライドだなんて女性の涙の前では無に等しいらしい。

「っ……ち、ちが、違うんです」
「え?」
「ひっ、はっ、っ……主人は……信二さんは……っ」







 ――五年前に亡くなってるんです……!







 どのくらい固まっていただろう。とりあえず富子さんが泣き止むまでの間ただの置物と化していたらしい。

 耳を疑った。え? 亡くなって?  え?

「あの……」

  声がかすれる。無性に喉が渇いた。いやだって、

「ご主人は…その、もう?」

  コクリと頷く富子さんに、僕は両手で顔を覆って天を仰いだ。

  驚くのは後だ。それよりも僕にはやらなければならないことがあった。

「……すみません、ご主人の仏壇はありますか?」
「え? はいそこに……」

 富子さんが寝室の奥を指で指すと僕は脱出で向かい、仏壇に向かって大きく頭を下げた。そして、



「薄情だなんて思ってすみません!! いや実際に言っちゃったんですがとにかくすみませんでした!!」



 ハァハァと肩で息をする。富子さんが背中で呆気に取られてるのが何となくわかった。

「あなたは全然薄情なんかじゃなかった。あなたのおかげで奥さんを助けることが出来ました。本当にありがとうございます」

 再び深々と頭を下げて目を瞑る。何を怖がることがある? 霊と話した? だから? あれは紛れもなく富子さんを愛する旦那さんだった。死してもなお。尊敬することはあっても怖がることは欠片もない。

 それから富子さんの元に戻ると、笑顔で、

「素晴らしい旦那さまですね」

 と言った。すると富子さんは再び涙を目に浮かべて「ありがとうございます」と答えた。

 詳しく話を聞くと、富子さんの主人は五年前にがんで亡くなっていたらしい。それから彼女は悲しみを振り払うように働くようになったということだ。主人が亡くなった事実も認めたくなくて、この村に来たばかりの僕には出稼ぎに行っていると嘘をついたらしい。そうすると本当に主人がどこかで生きてくれてる気になったという。すっかり信じてしまった。おまけに薄情者呼ばわりしてしまった。正直に話すと富子さんは「嘘をついたのはわたしですから」と苦笑して許してくれた。

「とにかくもう無理はしたらいけませんよ。富子さんのことを見守ってるご主人さんにまた心配かけちゃいますから」

 富子さんのことが大好きだったんですね。いえ今もですか。

 そう付け加えると富子さんの頬にパッと朱が走った。僕は嫁曰く天然らしい。なぜだ?

 この一件から富子さんは過度な労働を控えるようになった。そして嫁も交えて夕飯を囲むことも多くなった。もちろん場所は富子さんの家、仏壇の前だ。僕は生涯信二さんを尊敬するだろう。死してなお、愛する人を護った彼を――。

    
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