マダム・アルディは微笑む

己がため

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残像の見せる夢

1、はじまり

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煉瓦造りの壁に、茶と黒の弾痕。空いた穴の周りに広がった、蜘蛛の巣に似たヒビ。明らかな闘争の跡が残るその壁に、背をつき荒い息を繰り返す女が一人。

「…してやられたわね」

女は『ニコ』と呼ばれる殺し屋であった。通称が付けられる程度の腕はあり、その確かな実力で数々の暗殺をこなしてきた。ニコ自身も自分に多少の腕と運があると自負していたし、それは彼女の周囲も認めることであった。
また、殺し屋という物騒な仕事で生計を立てるには、どうしたって死に臆病ではいられない。時には命を捨てる覚悟で挑まなければならない仕事もある。そういう面に置いて、ニコもまた例外ではない。命よりも仕事が重要であり、ましてや仕事中に命を投げ出すことに躊躇するなど、言語道断である。
しかし今現在、ニコは目の前の存在に、どうしようもなく恐怖し、死に怯えていた。

「……困ったわ」

腹からしとどに流れる赤に、ふっと笑みをこぼす。どこか余裕も伺えるその表情であったが、状況はそう生やさしいものではない。無理に強がってこぼした笑みでさえ、その顔に凍り付かせて息を殺す。ただ、少しだけでも死から遠い場所を望んで、体が延命を求めていた。

「相手が悪かったね、“サーシャ”」

びくり、とニコの肩が跳ねる。なぜ、という問いは喉に引っかかって出てこなかった。幼い頃から『ニコ』として生きてきた彼女にとって、聞き覚えのない名前。しかし、確かにそれは、ニコを捨てた両親以外知り得ないはずの本名だった。……ニコを殺し屋に育て上げた、一人の除いて。

「なぜ、名前を知っているか。気になるかい?」

優しい声色で語りかけてくる、目の前の化け物。ニコはにわかに震え出した。
何か、得体の知れないものを、いつの間にか相手取っていたに違いない。これは不測の事態だ。考えうる最悪のシナリオが目の前に現れてしまった。


「大丈夫さ。なぁんにも怖いことなんてない。僕は君の味方だよ」


ニコの頭の中が恐怖と嫌悪感でいっぱいになる。気持ちが悪い。自分の本名を言い当て、見透かしたような口調。まるで我が子を見守る母親のような猫撫で声が鼓膜を揺さぶる。“それ”の一挙一動に、全身の毛穴から汗が吹き出すような、錯覚。

「安らかにお眠り、サーシャ」



煉瓦に囲まれた部屋の中に、白薔薇が咲き誇った。
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