嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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嘘つきと嘘つき

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 ある日の夕方のこと。その男は、目の前の少年の後を追っていた。

 年の頃は十にも満たないだろう。旅の者だと言っていたが、ほとんど警戒心のない身なりの良い子供は、山の麓の田舎町ではそれなりに目立った。品の良い綺麗な顔をしていればなおさらだ。

 柑橘のジュースひと瓶と軽食を求めて店に来た少年は、緊張しているのか、それとも生来人見知りをする性格なのか、人形のように硬い表情でお遣いなのだと店主に告げた。

 自分が一人で行動していることを馬鹿正直に他人に教えたこと。平和ボケした町の、平和ボケした店のおかみに偉いと褒められ、飴玉のおまけを貰って戸惑いながらも礼を言うその顔。

 育ちの良さと、それ故の世間知らずが窺い知れた。

 金と引き換えに受け取った品物を大事そうに抱え、少年は山の裾に広がる森へ入っていく。

 旅の者らしく、舗装されていない道を歩くのには慣れているようだが、こんな人の目が減る森の中を子供が一人歩きするだなんて、昼間でも危ないことに変わりはない。

 ――そんなこともあの親は教えなかったんだろう。いや、そもそも、ありゃ親なんかじゃねえか。どうも、カタギの人間じゃねえ匂いがしたしな。

 男は「ひひっ」と喉奥で引き攣った笑い声をあげる。
 あちこち土地を流れて、子供を攫って売る。それが男の生業だった。仕方なく立ち寄った田舎町だったが、なかなか上玉の「商品」が手に入りそうだ。

 金持ちのせがれのお忍び遊びに付き合わされているのか、はたまた貴族の庶子を連れ歩かされているのか。男は「親子」に、そう見当をつけていた。

 ――顔の綺麗な子供ガキは良い。高く売れる。世間擦れしていないのもいい。そういうシュミの輩に高く吹っ掛けられる。

 男の卑しい笑い声は少年には聞こえなかったようで、荷物を大事そうに抱えて脇目もふらず足元の悪い道を歩いていく。

 もう日暮れが近い。これから子連れで山越えするには無理がある。おそらくこの先の山小屋が今晩の宿だろう。だから、その前に。
 男は足音を忍ばせ少年との距離を少し詰めた。

 その時、が不意に駆けだした。
 人が歩いてできた道ではなく、脇にある藪の方へと入っていく。獣道に虫か小動物でもいたのだろう。気を引かれた物事に目掛けて、本能のままに動く。その動きはまさしく子供のそれだった。

 ――これだから子供ガキは。仕事がしやすくなってありがてえ。

 男はほくそ笑み、少年の外套コートの端が消えた藪の方へとつま先を差し入れた。

「戻ったか」

 男の足がぴたりと止まる。

 この掠れた声は、狼の喋る声だ。それも、大狼だいろうだ。

 男はそっと藪の葉をどけてその先を見る。間違いなく、銀の毛皮の大狼がそこにいた。息をのんだ男は数歩、音を立てずに後ずさる。

 ――なんてこった。あの男、大狼が化けていやがった。道理でカタギの匂いがしねえわけだ。

 大狼は強い力を持つ生き物だ。人に化けることなど朝飯前だろう。

 きっとあの大狼は雌だ。女子供の二人旅だと不便をするから、人間の男の姿をしていたに違いない。男は背中の冷や汗を感じながら考える。
 大狼の中でも、我が子の独り立ちを見送った雌が、みなしごの面倒を見るという話はそう珍しくない。そして、そういう雌は養い子に危害を加えようとする者に対して、恐ろしく凶暴になることもまた、男は知っていた。

「ただいま戻りました」

 少年の、あまり感情の乗らない静かな声に、大狼が低い声で頷いた。

「ちゃんと買ってきたな。まあ上出来だ……あん? この飴玉はどうした」
「お店のおかみさんが。おつかいのおまけだって」
「おまけねぇ。良かったな。食うなら飯の後にしろよ」

 藪の向こうから聞こえる会話は、紛れもなく養い子と親のそれだ。

 逃げよう。あの少年にはまだ何もしていない。だが、何が大狼の怒りを買うかなんてわからない。

 男は来た道を音を立てぬようにゆっくりと振り返った。

「――で? 後ろのおっさんも、か?」

 血が凍ったような心地がした。

 少年が「え?」と聞き返す声がする。逃げなければならないというのに、男の足はその場に縫い留められたかのように動かない。

 ガサリ、ガサリ。大きな獣が歩を進める音が近づいてくる。

 近づいてくる。

 ガサリ。藪が分かれ、男の目の前に、月のような銀色の大狼が現れた。

「――よぉ、おっさん。うちのに何か用か」

「いや、その」

 足は動かないというのに、口はきけるらしい。

 否、口をきくことのみ、「許されている」のだと、男は悟った。

 男は生存欲求に追い立てられるままに、脳内で必死に言葉を構築していく。出来上がったのは、嘘を嘘で塗り固めた歪な言い訳だったが、なりふりを構っている場合ではなかった。

「その、なんだ、旅の人だって、聞いたからよ。まさか、大狼の母子ははこだとは……」
「母子ぉ? へえ、俺が雌に見えるか。そんなに別嬪に見えるか?」

 にぃ、と笑うように大狼の口角が上がるが、あれは決して笑っているわけではないということを、男は察していた。

 ――終わった。きっと大狼の尾を踏んだ。

 男がそう思ったその時、大人しく後ろに控えていた少年が、大狼の背中の毛を握って気を引くように引っ張った。

「師匠。この人、町で見ました。戻らなかったら、町のひとが探しに来るんじゃないですか」

 思わぬ助け舟に男は迷うことなく縋る。

「そうなんだよ! 俺が森に入って日暮れまでに戻らなきゃ、探しに来いと仲間に言ってある! もしかしたら、あの町の人間が総出で探しにくるかもしれねぇな」

 嘘だ。大嘘だ。男にも仲間はいたが、ヘマをして消えた男を助けに来る程親切な奴らではない。町の人間だって、昨日今日やって来た男がいなくなったからといって、気が付きもしないだろう。

しかしそれを知っているのは男だけだ。

 自らの毛を引く養い子を振り返っていた大狼は、不承不承ながらも牙を仕舞った。

「……何の用だ。聞いてやる」

 ――やった。あと少し。あと少しできっと逃げおおせる。

 男は必死で思考と舌を回す。

「旅の人って聞いたからよ、熱さましの薬草の見分け方を知らねえかと思ってな。娘が急に熱を出しちまって」

 上手い言い訳だと男は心の中で自画自賛する。
 熱さましの薬草は、効き目があるものとないものがそっくりな見た目をしており、素人には見分けるのが難しい。町に薬草の目利きのできる薬師はいたが、他所の町へと薬草の仕入れに行って、ここ数日不在にしていることを男は知っていた。

 熱が出てもすぐに薬屋にかかれない旅人ならば、薬草の見分け方を知っているかもしれないと考えて頼るのは、別段怪しいことではなかった。

「熱さましは根元がより赤いのを選ぶと良い。この獣道の先に群生しているぞ。一本くらいは効くのも生えてるだろう」

 大狼が鼻先で森の奥の方を示す。ぽかんと呆けている男を、毛皮と同じ色の瞳が訝し気に睨む。

「どうした。行かねえのか」
「い、いや、恩に着る!」

 男は大狼に示された方へと駆けだした。大狼の後ろに守られていた子供が、特に感情のない、人形のような顔で男を見送った。

 ――助かった。助かった!さすが俺だ。上手く騙した。なんだよ、大狼なんざ大したこたねえじゃねえか。ビビらせやがって。あんな間抜け、夜中にでも上手く隙をつきゃ、あの澄まし顔の小僧も捕まえられるんじゃねえか?

 命の危機を切り抜け、過剰に気が大きくなった男はそんなことを考えながら獣道を奥へと進んで行った。
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