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「師匠……」
ロタンより先に気を持ち直したジルが呟く。その声は泣いているのか、酷く震えていた。
アラキノは師の肩越しに、枕に向けて深いため息をつくと、もう動くことはないその人から身を離した。
名残惜しくて、皺だらけになった手をそっと握った。まだ温かく、柔らかい。けれど、アラキノの手を握り返してくれることはもうない。閉じた唇が「アラキノ」と名を呼んでくれることはもうない。
それを思うと、獣のように叫び出したいような激しい悲しみに襲われた。
「アラキノ……」
ジルが肩をさすってくれている。けれど、師の手に似た華奢な手に縋ろうとは思えなかった。
扉の方を振り返ると、ロタンが寄りかかり、信じられないという顔のまま動かないでいた。
いつからいたのかわからないが、この二人には真実を告げなければならない。酷い霧の中にいるように不明瞭な思考の中で、それだけは確かにわかることだった。
「……俺が、師匠についていた精霊の名を、呼んだ」
アラキノは硬い声でそう語った。喋っているという感覚が遠く、口が勝手に動いているようだった。
すぐに大股でやってきたロタンが、強く肩を握ってアラキノを強引に振り向かせる。ロタンは、陽だまりに咲く花を思わせる男だった。しかし、今の彼は、真冬の堅く積もった雪のように青白く、冷たかった。
「……どういうことだ」
「……そのままの意味だ」
いやに感情のない声に、同じだけ感情の乗らない声でアラキノは答える。言葉を推敲する余裕もなく、思いつくままに口から出していた。
精霊を惑わせたのは自分の色だ。
精霊に名を聞いたのは自分の意志だ。
精霊の名を呼んだのは自分の口だ。
いっそ、魔術師になどならなければ。
アラキノは、ここぞとばかりににじり寄ってくる悔恨の情に、目を強く瞑った。
「呼んだ……? 師匠の精霊の名を……?」
ざわり。ロタンの怒りの感情が、部屋の中の空気を揺らがせた。部屋のあちこちにいた精霊たちが、怯えて姿を消していく。
「まさかお前……師匠の精霊に名を付けたっていうのか?」
「それは……」
口ごもったアラキノをロタンは力ずくで揺さぶった。
「そうなんだな!?」
冷静でないロタンが勘違いをしていることは明白だ。それを正さないということは、嘘をつくことと同じだった。
今更そんな小さな間違いを正すことなどしなくていいと思った。正したところで結果は何も変わらない。自棄になっていた。
「お前のせいで、師匠は死んだ……?」
何も包み隠さないロタンの言葉がアラキノの鼓膜を突き抜け、脳に直接突き刺さる。
――そうだ。俺のせいで師匠は死んだ。その事実は何も変わらない。
この張り裂けそうなほどの罪悪感は、アラキノ自身が背負っていくのだと決めた。それが、自分が師と共に存在していたことの確かな証になるのだと思ったからだ。
けれど、深い後悔の念に満ちた銀の瞳は、持ち主が物言わずとも全てを物語ってしまった。
刹那、勘違いを確信に変えたロタンの眉が吊り上がる。
「さっきぶん殴った分じゃ、てめぇには効かなかったんだな……っ!」
握り砕くつもりなのかと思うほどに、肩にあるロタンの手に力がこもる。アラキノが小さく呻くと、ジルがロタンの手首を握った。
「落ち着きなさい、ロタン! さっきの師匠の言葉を聞いていたでしょう。何か、ふたりにしかわからないわけがある。そうでしょう、アラキノ」
どうか、そうであって。
そんな言葉が言外に聞こえるような悲壮な声で、ジルが助け船を出すが、その声は怒りに荒ぶるロタンの耳に届いても、心の中までは届かない。
静かな、しかし激しい怒りに狂ったロタンは煩わしいとばかりにジルの手を引きはがし、アラキノの胸倉を鷲掴みにして引き寄せた。
息がかかる程近くに、初めて見る表情をした兄弟子の顔がある。その表情は、師の前で暴れるのを――アラキノを害することを、ひたすら耐えている。そんな顔だった。
「……出てけ。これ以上、師匠の傍にいるな」
「っ、ロタン! 大丈夫だアラキノ、ここにいなさい。こいつは今、取り乱しているだけだから……」
張りあうようにジルが口を挟む。その言い分が悪手であることが分かったのは、ロタンだけだった。
「俺がっ!」
怒声に部屋がびりびりと揺れ、そして静まり返る。
なくなった音の代わりに、ロタンの怒りの気配は濃くなっていく一方だ。
「……俺が、お前をぶっ殺す前に、出ていけ……っ!」
「ロタン!」
ジルが悲鳴じみた声を上げ、アラキノを庇うようにロタンとの間に身体をねじ込んだ。
「いい加減にしなさい、ロタン! 師匠が亡くなったことにアラキノは関係ない。でなければ、あの人があれほど穏やかでいられるはずがない! アラキノはここにいていい。師匠もきっと、そう望――」
「勝手にあの人の言葉を語るなっ!!」
ロタンは二人の間で壁になろうとしていたジルを力任せに押しのけた。もとより小柄な彼女が床に倒れる音がしたが、それを案ずる間もなく、アラキノも床に投げ飛ばされる。
アラキノを見る兄弟子の瞳は、毒々しいまでの憎悪に染まっていた。
「さっさと、出ていけ……人殺し」
吐き捨てられた即効性の毒は、アラキノの心を瞬く間に蝕んだ。
急に耳が遠くなった気がした。ジルが何か言っている。聞こえない。呼吸、鼓動、自分の音がうるさすぎて、何も聞こえない。
けれど一つだけはっきりとわかる。自分はもう、ここにいてはいけない。
アラキノは自分の外套をひっつかみ、師から譲られた杖――カンテラ付きの杖を持って部屋を飛び出した。階段を段をとばして駆け下り、玄関のドアノブを握る。
これを開いたらもう二度と戻れない。そのことに一瞬躊躇ったが、そうするほかに選択肢はなかった。
外はすっかり陽が沈み、暗くなっていた。いやに冷たい風が頬を撫でる。あの日と同じ満月が静かに逃げ道を照らしていた。
その日、一人の魔術師が死んだ。そして、新たな『ユーダレウス』が生まれたことによって、三人の魔術師たちは別離した。
一つの時代の終焉が始まったことに、気が付く者はいなかった。
ロタンより先に気を持ち直したジルが呟く。その声は泣いているのか、酷く震えていた。
アラキノは師の肩越しに、枕に向けて深いため息をつくと、もう動くことはないその人から身を離した。
名残惜しくて、皺だらけになった手をそっと握った。まだ温かく、柔らかい。けれど、アラキノの手を握り返してくれることはもうない。閉じた唇が「アラキノ」と名を呼んでくれることはもうない。
それを思うと、獣のように叫び出したいような激しい悲しみに襲われた。
「アラキノ……」
ジルが肩をさすってくれている。けれど、師の手に似た華奢な手に縋ろうとは思えなかった。
扉の方を振り返ると、ロタンが寄りかかり、信じられないという顔のまま動かないでいた。
いつからいたのかわからないが、この二人には真実を告げなければならない。酷い霧の中にいるように不明瞭な思考の中で、それだけは確かにわかることだった。
「……俺が、師匠についていた精霊の名を、呼んだ」
アラキノは硬い声でそう語った。喋っているという感覚が遠く、口が勝手に動いているようだった。
すぐに大股でやってきたロタンが、強く肩を握ってアラキノを強引に振り向かせる。ロタンは、陽だまりに咲く花を思わせる男だった。しかし、今の彼は、真冬の堅く積もった雪のように青白く、冷たかった。
「……どういうことだ」
「……そのままの意味だ」
いやに感情のない声に、同じだけ感情の乗らない声でアラキノは答える。言葉を推敲する余裕もなく、思いつくままに口から出していた。
精霊を惑わせたのは自分の色だ。
精霊に名を聞いたのは自分の意志だ。
精霊の名を呼んだのは自分の口だ。
いっそ、魔術師になどならなければ。
アラキノは、ここぞとばかりににじり寄ってくる悔恨の情に、目を強く瞑った。
「呼んだ……? 師匠の精霊の名を……?」
ざわり。ロタンの怒りの感情が、部屋の中の空気を揺らがせた。部屋のあちこちにいた精霊たちが、怯えて姿を消していく。
「まさかお前……師匠の精霊に名を付けたっていうのか?」
「それは……」
口ごもったアラキノをロタンは力ずくで揺さぶった。
「そうなんだな!?」
冷静でないロタンが勘違いをしていることは明白だ。それを正さないということは、嘘をつくことと同じだった。
今更そんな小さな間違いを正すことなどしなくていいと思った。正したところで結果は何も変わらない。自棄になっていた。
「お前のせいで、師匠は死んだ……?」
何も包み隠さないロタンの言葉がアラキノの鼓膜を突き抜け、脳に直接突き刺さる。
――そうだ。俺のせいで師匠は死んだ。その事実は何も変わらない。
この張り裂けそうなほどの罪悪感は、アラキノ自身が背負っていくのだと決めた。それが、自分が師と共に存在していたことの確かな証になるのだと思ったからだ。
けれど、深い後悔の念に満ちた銀の瞳は、持ち主が物言わずとも全てを物語ってしまった。
刹那、勘違いを確信に変えたロタンの眉が吊り上がる。
「さっきぶん殴った分じゃ、てめぇには効かなかったんだな……っ!」
握り砕くつもりなのかと思うほどに、肩にあるロタンの手に力がこもる。アラキノが小さく呻くと、ジルがロタンの手首を握った。
「落ち着きなさい、ロタン! さっきの師匠の言葉を聞いていたでしょう。何か、ふたりにしかわからないわけがある。そうでしょう、アラキノ」
どうか、そうであって。
そんな言葉が言外に聞こえるような悲壮な声で、ジルが助け船を出すが、その声は怒りに荒ぶるロタンの耳に届いても、心の中までは届かない。
静かな、しかし激しい怒りに狂ったロタンは煩わしいとばかりにジルの手を引きはがし、アラキノの胸倉を鷲掴みにして引き寄せた。
息がかかる程近くに、初めて見る表情をした兄弟子の顔がある。その表情は、師の前で暴れるのを――アラキノを害することを、ひたすら耐えている。そんな顔だった。
「……出てけ。これ以上、師匠の傍にいるな」
「っ、ロタン! 大丈夫だアラキノ、ここにいなさい。こいつは今、取り乱しているだけだから……」
張りあうようにジルが口を挟む。その言い分が悪手であることが分かったのは、ロタンだけだった。
「俺がっ!」
怒声に部屋がびりびりと揺れ、そして静まり返る。
なくなった音の代わりに、ロタンの怒りの気配は濃くなっていく一方だ。
「……俺が、お前をぶっ殺す前に、出ていけ……っ!」
「ロタン!」
ジルが悲鳴じみた声を上げ、アラキノを庇うようにロタンとの間に身体をねじ込んだ。
「いい加減にしなさい、ロタン! 師匠が亡くなったことにアラキノは関係ない。でなければ、あの人があれほど穏やかでいられるはずがない! アラキノはここにいていい。師匠もきっと、そう望――」
「勝手にあの人の言葉を語るなっ!!」
ロタンは二人の間で壁になろうとしていたジルを力任せに押しのけた。もとより小柄な彼女が床に倒れる音がしたが、それを案ずる間もなく、アラキノも床に投げ飛ばされる。
アラキノを見る兄弟子の瞳は、毒々しいまでの憎悪に染まっていた。
「さっさと、出ていけ……人殺し」
吐き捨てられた即効性の毒は、アラキノの心を瞬く間に蝕んだ。
急に耳が遠くなった気がした。ジルが何か言っている。聞こえない。呼吸、鼓動、自分の音がうるさすぎて、何も聞こえない。
けれど一つだけはっきりとわかる。自分はもう、ここにいてはいけない。
アラキノは自分の外套をひっつかみ、師から譲られた杖――カンテラ付きの杖を持って部屋を飛び出した。階段を段をとばして駆け下り、玄関のドアノブを握る。
これを開いたらもう二度と戻れない。そのことに一瞬躊躇ったが、そうするほかに選択肢はなかった。
外はすっかり陽が沈み、暗くなっていた。いやに冷たい風が頬を撫でる。あの日と同じ満月が静かに逃げ道を照らしていた。
その日、一人の魔術師が死んだ。そして、新たな『ユーダレウス』が生まれたことによって、三人の魔術師たちは別離した。
一つの時代の終焉が始まったことに、気が付く者はいなかった。
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