フツウな日々―ぼくとあいつの夏休み―

神光寺かをり

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夏休みのすこし前

17.校長先生はエスパー?

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 校長室は、児童達が使う教室の半分ぐらいの広さだった。
 奥の窓際に教室の先生のスチール机を木で作ったような大きな机と、高い背もたれの付いた椅子がある。それが校長先生が普段座っている所だ。
 手前には一人がけの肘掛け椅子を二つ並べたものと、長椅子一つが向かい合わせにあって、その間にに、四角いガラステーブルがある。

 校長先生は龍を一人がけの肘掛け椅子の一つに座らせた。
 龍は大人用の椅子に座るのは初めてだった。
 大人用の椅子は龍には高すぎて、ちゃんと座ると脚が床に届かなくて、不安になる。
 お尻の下のクッションは柔らかすぎて、背もたれは逆にちょっと硬い。
 両側に肘掛けが付いているから、大きな椅子なのに少し窮屈に感じた。
 つまり、座り心地が悪い。
 座った人間の体全体をすっぽりと埋め込んで、身動きできなくする装置なんじゃないかと、龍は思った。

 校長先生の椅子の向こうのガラス窓が開いていた。網戸があるから、校庭が全部青っぽく見える。
 窓から乾いた砂埃の匂いが流れ込んでくる。

「風が強いねぇ」

 校長先生はのんびりとした声で言う。
 龍は何も答えなかった。下を向いたまま、できるだけ遠くのことを考えようとしていた。
 校舎の外、校庭の向こう、道路の先、川の反対側。
 そこまで考えて、龍の背筋は電気が流れたみたいにビリっとした。
 学校じゃないところの景色が頭の中に浮かんだ。

 石ころだらけの川原。薄茶色く濁った水が、轟々と音を立てて流れている川。木も草も皆、川から逃れようと体をねじ曲げて立っている。
 怖いとか、悲しいとか、辛いとか、そういうわかりやすい言葉では一言では表せない感情が、龍の頭の中に満ちた。
 赤でも白でも青でも緑でもない、暗くも明るくもない、綺麗ではないけど汚くはない色をした感情……それは雨の日のあの川原の、何もかも巻き込んでグルグル渦巻いている濁流の、茶色い水の色――。
 あふれた感情が、目と鼻と口からぼろぼろと流れ出た。

「うわぁああ」

 涙と鼻水とよだれが一度に吹き出して、ぐちゃぐちゃに混じって顔の上を流れる。
 泣きながら叫んでいるのか、叫びながら泣いているのか、龍自身にも判らなかった。口から出ているのが言葉なのか音なのかもさっぱり判らない。

 校長先生はだまっていた。テーブルを挟んで龍の向かい側の長椅子に座って、だまって待っていた。

 泣いて涙を腕や拭いて、鼻水をすすり上げ、よだれを袖口で拭った。だけどすぐにまた涙が出て、鼻水が垂れて、涎がこぼれる。
 目をこすって、鼻水をすすって、よだれを拭う。時々咳き込んで、時々嘔吐えずいた。

 その作業を何度繰り返したのかも、やっぱりさっぱり判らない。
 喉の奥になにかどろりとした異物ものがまとわりついて、それでいて口の中がからからに乾き、目と鼻の回りが赤く腫れ上がってひりひりと痛む事をに気付いた。
 校庭の地面が頭の上のお昼の太陽光を跳ね返して光っている。
 眩しくて目を閉じてた時、龍は自分が涙も鼻水もよだれも、そして声も、すっかり出なくなっていることに気付いた。

『もう泣けない』

 と判った途端、龍の心が急に静かになった。

 まだ頭の中では茶色い川が勢いよく流れてはいるのだけれど、水かさは減っていた。

 腫れ上がったまぶたを何回か瞬かせ、目尻の辺りをひりひりさせる残った涙をげんこつでごしごしと拭いて、鼻の中でずるずると大きな音を立てながら深呼吸をすると、龍は背筋をピンと伸ばした。
 向かいの長椅子で、校長先生が微笑んでいた。

「つまり、こういう事だね。
 君はYさん……いや、『トラ』という子と、Y川の岸で出逢った。
 お互い苗字も教えないうちに親友になって、君は『トラ』さんのことを先生や両親よりも信用するようになった。
 今まで学校では一切顔を見ていないから、多分違う学校の子だろうと思いこんでいた。
 それなのに、この学校の中で出くわしたから、とても驚いた。
 そして『トラ』さんは救急車で運ばれてしまったものだから、何がどうなっていて、自分はどうしたらいいのか、さっぱり判らなくなった……。
 だいたい、こういうことかな?」

 龍は目を見開いた。泣いたりこすったりしたせいで、相当腫れて痛いのだけれども、目尻が裂けるほど見開いた。

 自分と『トラ』だけの秘密の筈だった。……いや、秘密にしていたのは自分だけで、『トラ』にとっては秘密のことではなかったのかも知れない。
 だとしても、なぜこのことを校長先生が知っているのだろう?

「校長先生は超能力者エスパーですか?」

 龍は、テレビ番組で聞いたことのある『他人の考えていることが喋らなくてもわかってしまうヒーロー』のことを思い出して、言った。

 校長先生は少しビックリしたようだった。二回ほど瞬きをしたが、すぐに元の優しい笑顔に戻って、言った。

「私の力じゃないよ。君が私に教えてくれことなんだ。
 今、全部、君が私に話してくれたことさ。
 ただ君は泣きながらだったから、先生にはちょっと聞き取りづらかったし、話の順番もまっすぐじゃなかったかけれども」

 頭の中を流れていた濁流が消え失せた。

 後に残ったのは、澄んだ清流の中にぽつんと独り立っている、清々しいような寂しいような妙な気分だった。
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