真田源三郎の休日

神光寺かをり

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宗兵衛殿

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「不思議な人だ」

 というのが、第一印象でした。
 初め、その不思議さはご主君である織田信長公の影響なのであろうと考えました。ところが、どうもそうではないようです。
 なにしろ、

「それは違う」

 とご当人が仰るのです。それもカラカラと笑いながら。

「そりゃぁ『薫陶くんとう』を受けはしたがね。何しろウチの上様は強烈な方だ。……御主おぬしは一度きりのお目見えだが、その一度であっても、十遍もぶん殴られたくらいの衝動を喰らっただろう?」

 宗兵衛そうべえ殿は碁盤ごばんにらみ付けたままおっしゃいました。
 その口振りときたら、どうにも織田様の御家中の内でも一、二を争う大大名様に連なるお血筋の……厳密に申せば、その「大大名」に今一歩の所でなり損ねた……そんなお方とは思えないものでしたので、私はどのような顔をしてどのように答えればよいのか判断に困り果て、碁盤に目を落としておいでの宗兵衛殿の顔をのぞきき込んだものです。
 その私の顔が、相当におかしなモノであったのでありましょう。宗兵衛殿は太い眉を八の字にして、逆に私の顔をじっとご覧になりました。

「源三郎。御主、わしを変わり者のように言うが、御主こそ相当な変人だぞ。大体、普通の若造は年上目上の人間に『あなたは不思議な人ですね』なぞと言いやせんぞ」

「普通の大人であれば、私のような小童こわっぱに『あなたは不思議な人ですね』と言われれば、碁盤をひっくり返してお怒りになりそうなものですけれども」

 私は思ったままに申し上げました。
 といっても、子供らしい無邪気さのために素直に心根を口に出したのではありません。
 いくら私が愚か者であったとて、父より年上で、――ということは、後々知ったことで、その時にはもっとずっとお若いのだろうと思っていたのですが――上役たる方に、そのような軽口を言えば、私自身どころか私の家そのものに良くない影響を及ぼすであろうことは察しが付きます。
 私はこの方を試したのです。
 田舎者の若輩者の無礼な言葉を、この方はどう切り返すのだろうか、それが知りたかったのです。

 その頃の我が家といえば、大変に微妙な立場に立たされた、危険な状態でした。
 武田四郎勝頼公が武運潰えて御自害なさり、当家が祖父・真田さなだ幸隆ゆきたかの代から仕えていた武田家は滅亡してしまいました。
 ろくを失った侍ほど寄る辺ないものはありません。ちりぢりとなった家中の者達は、各々保身を図らねばならぬのです。
 昨日の敵は今日の友とばかりに、ある者は北条を頼り、ある者は徳川に頼みしました。そして我が真田家のように織田にすがった者もあったのです。
 ただ、昨日の敵は、どう足掻いたところでやはり今日も敵なのです。庇護を受けられたとしても、それが表面だけのものであることも、充分に考えられました。

 現に、勝頼公を御自害に追い込んだ、信長公から見ればある種「殊勲者」であるはずの、小山田おやまだ信茂のぶしげ武田たけだ信堯のぶたか などは、むしろ信長公の不興をかって、磔にされるという無惨な――いえ、武田の遺臣から見れば当然の最期を遂げました。

 我々も、危うい立場にいます。
 信長公のことですから、我が父が以前から北条氏直殿にも文を送っていたなど、疾うにお見通しでありましょう。
 まさしく、刃の上を歩いているようなものです。何の拍子に奈落へ落ちるか、あるいは刃に身を裂かれるか知れたものではありません。
 慎まねばならないことは、重々承知でした。
 それでもそのことをどうしても試さずにはいられなかったのです。それほどにこの方は不思議な方だったのです。
 宗兵衛殿は、恐らく私の真意を測ろうとなさったのでしょう。私の目玉をじっと、鋭い眼差しでご覧になりました。
 私は脇の辺りからねっとりとした汗が出るのを感じましたが、それを表に出さぬようにと努めました。
 私は宗兵衛殿の目玉を見つめ返しながら、考えました。

『宗兵衛殿が、私を莫迦《ばか》な若造と思ってくだされば楽なのだが』

 しかし、私は同時に「そんなことはないだろうな」とも思っていました。そんなつまらない人であるはずがないと。
 ガシャガシャという音がしました。
 音は、宗兵衛殿の手元から発しています。
 やがて、パチリという、澄んだ音がしました。
 宗兵衛殿は私の目を見たまま碁笥ごす をまさぐり、黒い石を一つ摘んで、碁盤の上に正確に置かれたのです。

「ほれ、儂の一目勝ちだぞ」

 前田宗兵衛利卓としたか 殿は童子のように明るい顔で仰いました。
 私はてっきり宗兵衛殿が何か私の考えつかないような言葉で私を叱るか、あるいは私の知らない含蓄のある言葉で私をさとそうとなさるに違いないとばかり思っておりましたので、少々驚きました。
 驚きのあまり、目に塵の入ったような瞬きをして、欠伸をするように口を開けておりました。
 その呆けた、阿呆のような私の顔を見て、宗兵衛殿はなんとも嬉しそうに、楽しそうにお笑いになりました。

「源三郎、儂は人の思うとおりに動くのが嫌いなのだ。人は『不思議』と言うが、これは生まれ付いての性分だよ」

 お顔の作りといえば、彫りの深い荒削りで豪快な武辺者そのものな宗兵衛殿ですのに、その笑顔ときたら、すこし気恥ずかそうな、乙女さながに柔らかなものでした。
 御蔭で私は、

『だから人が「白の四目勝ち」と思っていれば、それに逆らうのですね』

 と、言い返す気も失って、碁盤の上から白石ばかり拾い上げ、碁笥にしまうより他になかったのです。
 振られ男が狼狽を隠すかのように、もそもそと、です。
 しばらくして、黒い石ばかり残った盤面を、宗兵衛殿の大きな掌がざっぱりと撫でました。
 一度に取り除かれた石共は、コワコワと籠もった音を立てながら、一息に碁笥の中へ落ちてゆきました。
 碁笥の蓋がコパンと閉まったのと殆ど同時に、宗兵衛殿のお顔から笑みが消えました。

「ウチの伯父貴おじき の……滝川一益が、御主の父親を大層気に入ったようだ」

 宗兵衛殿は「」のところに力を入れて仰いました。

 滝川一益様も不思議な方ではあります。
 一益様は織田様配下の中で一二を争う勇将であられました。当家が元仕えていた武田家を追い詰め、勝頼公を御自害に追い込んだのは、一益様の率いる一軍でした。
 すなわち、我が家にとっては「主の仇」である方です。
 もっと古い話をすれば、父の二人の兄、私には叔父に当たる真田信綱のぶつな昌輝まさてるとが命を失った長篠設楽原ながしのしたらがはらの戦いでも、一益様は先陣を切って戦われたといいます。
 すなわち、この頃は武藤むとう喜兵衛きへえと名乗っていた我が父・真田喜兵衛昌幸とすれば、一益様は兄の敵であると言えなくもないのです。
 もっとも父は、あの戦においては滝川様のお働きよりも、また伯父達の部隊と直接対峙しておいでだった……つまり伯父達の命を奪った当人の仙石秀久殿のお働きよりも、遠く離れた場所に布陣しておいでだった徳川家康様のそれを「重要視」しているようですが。

 それはともかくも。
 仇に等しい滝川左近将監さこんのしょうかん一益様であるのに、父、そして私も、どうにもこの方を恨む気持ちが湧いてきません。
 諏訪で信長公に目通りさせていただいた後のことです。父が一益様の与力とされ、信濃衆をとりまとめる役目を承りましたので、父と私、そして私の弟の源二郎も、上役となる一益様に挨拶をせねばなりませんでした。
 このとき拝見した一益様のお顔は、皺は深いとはいうものの頬などはつやつやと赤く、髪はまだ黒々としておいでで、齢六十に近いとはとても思えませんでした。
 一益様は父の前名が「喜兵衛」であると知っておいでで、

「武田の『重臣』でありながら、のうのうと生き残り、こうして我らの前にいる。御主のような珍妙不思議な強か者が『木《き》』であるものか。『鉄《かね》』だ『鉄兵衛《かねへえ》』だ」

 と仰って大いに笑い、以後父のことを『鉄兵衛』とお呼びになったのです。
 その後、一益様には関東の地が与えられましたので、我らも当然付き従って関東に戻ることになりました。
 かくて、一益様は武田の本拠地である厩橋《うまやばし》城にお入りにったのです。
 そして我ら親子と申しませば、元の居城である信州の砥石《といし》に移ることを強く望んでおったのです。
 我ら親子は、すぐにでも砥石に戻り、さらにそこから親子兄弟一門を各々それぞれを東信濃と甲州に散らして、危うく失いかけていた領土をとりまとめるつもりでした。
 許可は、簡単にはおりませんでした。
 当然です。
 新しく配下になったばかりの、元々は厄介な敵であった者共を、そう易々と遠く目の届かない所へ放つようなことは出来るはずがありません。
 それでも私たちは、何時でも出立できるよう、密かに旅装などを整えておったのです。
 そんな折、突然に一益様から「茶会をするから、厩橋へ来い」とのお招きが来ました。
 私は一益様のご真意が図りかねました。いぶか しんでおりますと、父が、

「山家《やまが》の田舎侍の不調法を肴に旨い酒でも飲む御算段やも知れぬな」

 大層な大声で言いました。私は慌てて

「まさかにそのようなことは」

 辺りを見回しました。同じ部屋におりました弟の源二郎などは、障子襖の隙から外を窺う素振りまでして見せたものです。
 我々は「滝川様のお城」の中にいるのですから、殊更に言動に気を遣う必要があったのです。
 しかし父は恐らく、むしろ滝川のご家中の誰ぞがこの声を聴いてくれればよい、と考えていたのでしょう。

「まあ、あちら様のご期待に沿った振る舞いをする気など、更々ないがな」

 と言った父の頬の上に浮かんだ笑みは、戦を前に策略を考え回している時のそれとよく似ておりました。
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