真田源三郎の休日

神光寺かをり

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音痴

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 いささかも邪念があっては、人の心を動かす音色は出せません。
 殊更ことさら 、見事に舞い踊っておられる宗兵衛殿に私の心の揺れを感じ取られてはなりませんでした。
 そのようなことがあったなら、宗兵衛殿は途端に舞いをお止めになるに違いないと、私は確信しておりました。
 私は瞼を閉じました。薄闇の中に身を置いて、ひたすらに良い音を出すことだけを心がけました。

 曲は終盤に近付きました。
 獅子の「狂ヒくるい」と呼ばれる激しい舞は、やがて終わりを迎えます。
 私の能管、弟の鼓、宗兵衛殿の舞、そこに別の音が加わりました。

獅子しし団乱旋とらでん舞楽ぶがくみぎり……」
 (「獅子」や「団乱旋」などの舞の音楽が鳴り響くとき)

 この「石橋」という舞の最後を飾るうたいです。
 謡は、二つの声が重なり合っていました。
 一つは大層で、一つは大層上手な声です。
 下手な方は私のよく知った声でした。

 父です。

 真田昌幸は能楽が少々……というか、大変に苦手でした。
 若き頃、武田信玄公の元で証人、すなわち人質として暮らしていた父は、幸運にも様々な一流の師匠の元で武士がたしなむべきものを学ぶことができました。
 それはやはり証人暮らしをしていた私も同様なのではありますが……。
 奥近習衆という一見証人には勿体ない身分、逆を返せば、絶対に逃げ出せない立場に置かれた父は、書を読み、詩歌を詠み、棋道きどうを楽しみ、歌舞音曲に親しまされる少年期を過ごしました。
 それらを学ぶのは、わば武士の常識です。武芸に励むだけでは、真っ当な武士とは言えません。
 田舎の小豪族の小僧ではではなく、都ともつながりを持つ大身の家中の武士として、父は育てられました。
 ですから父にはうたい の知識があります。大概の楽曲はことが出来ました。

 歌詞をそらんじるほどの正しい知識を持つことと、実際にぎんじたときの節回しの出来不出来とは、まるで別の才能です。

 謡いの技術は、ある程度は修練で上達できましょう。
 ですが、生まれついて音の高低を整えて発声する能力ちから の無い者が、この世にはおります。
 我が父、真田昌幸も、悲しいかなでありました。

 父の外れ調子を聞いた私は、しかしこのとき、心の中で『一つ、勝ち』と叫んだものです。
 何分にも、無言を通していた父の口を開かせることが出来たのです。目論見の半分程は達成したと言えましょう。
 そうなると問題はもう一つの声の方です。


獅子団乱旋ししとらでん舞楽ぶがくみぎり牡丹ぼたん花房はなぶざ匂ひにおい満ち満ち、大筋力だいきんりきの、獅子頭ししがしら、打てやはやせや」
(こうして「獅子」や「団乱旋」などの舞楽の演じられるこの時は、牡丹の華の匂いが満ち満ちている。力強い獅子頭よ、打ちならし、囃し立てよ)


 幾分粗野そやなところはありましたが、決して野卑やひではありません。艶のある声、しかし年齢を感じるお声でした。
 私は片方のまぶただけを薄く開けました。


牡丹ぼたん芳々はうはう、牡丹芳々、黄金こうきんずゐ、あらはれて」
 (牡丹の芳い香りが漂い、雄蕊おしべ雌蕊めしべは黄金の様に見える)


 先ほどまで老顔を拗ねた小僧の様にゆがめていた老将の面から、子供じみた色が消えていました。


「花にたわむれ、枝にまろび、げにも上なき、獅子王の勢ひいきおいなびかぬ草木もなき時なれや」
 (こうして花に戯れ、枝に臥し転ぶ、獅子王のこの上ない勢いに、靡かない草木などないであろう)


 滝川彦右衛門一益様は、晴れやかで楽しげな、さながら好敵手を前にした猛将のそのものの、若々しい笑みを面に満たしておいででした。
 下手クソな父の謡と、お上手な一益様の謡とが、何故かぴたりと調子を合わせておりました。二つの声は、神仏の降臨を悦ぶ神々しい声となって響いていました。
 力強く、心地よい謡が、座に満ち満ち、中心で舞う逞しい獅子の全身を覆い尽くしました。


千秋万歳せんしゅうばんざい舞ひまい納め、千秋万歳と、舞ひ納め、獅子の座にこそ、直りけれ」
 (千度の秋、万の年月、何時までも栄えよと、舞を納めて、獅子は神仏の座の前に居住まいを正すのだ)


 謡が終わり、曲が終わり、舞が終わりました。
 辺りは再び、シュンシュンと湯の沸く音ばかりが聞こえる、無音の世界となりました。

 「石橋」の獅子の舞は、曲も所作も、総てがすこぶる激しい舞です。
 舞い踊る仕手は元より、曲を奏で、謡を謡う者も、それがどんな名人であったとて、最後には息が上がるものです。
 源二郎は口を大きく開け、小さな体を揺らし、喘ぐように息をしておりました。
 その姿が少々情けないもののように思えましたので、私は息づかいの聞き苦しい音をご一同に聞かせまいと努めることにしました。
 唇をきつくじました。そのために鼻で呼吸をする羽目になり、むしろ鼻息で激しい音をたててしまいました。
 私は己の顔が真っ赤に染まってゆくのを感じておりました。紅潮の原因と申しませば、気恥ずかしさ七分の息苦しさ三分、と言ったところでありましょうか。

 眼をそっと動かして、父と一益様の様子をうかがいますと、両人は流石に我々のような小童とは違って、苦しむ姿をさらすようなことはありませんでした。それでも、肩は大きく上下に波打ち、額にはうっすらと汗が滲んでおりました。
 そして座の中央、一番激しく動いていた前田宗兵衛殿はと言えば、確かに厚い胸板を大きく膨らませたり萎ませたりなさっておいででしたが、顔つきは涼しげで、汗一つかいておられません。

「全く、人の都合を考えもせずに……」

 宗兵衛殿は私の情けない顔を見てニタリと笑われました。

「勝手な振る舞いを、お許しください」

 私はようやくそれだけを口に出して、その場に倒れるようにして頭を下げました。

「お主の笛が儂に獅子を取り憑かせた。笛の音を聞いて、儂の手足のやつらめが勝手に動き出しおった。
 御蔭おかげであのとき儂自身が何をしようと思って立ち上がったのか、すっかり忘れてしもうた。
 面白いれ歌を思い付いたまでは覚えておるが、さてそれが如何様いかような歌だったか、どんな振り付けをするつもりだったか、どうにも思い出せぬわ。
 残念だ。実に勿体もったいない。あるいは後世に残る名曲であったかも知れぬのにな」

 床の上に額をすりつけた私の、後ろ頭の上に、からからとした笑い声が振ってきました。
 初めは宗兵衛殿の声だけでしたが、そのうちに笑いの声の輪がその座にいた人々の間で広がり、やがて部屋中に満ち、柱や床を揺らし、建物の外にまで溢れるほどの大きな笑声へとなりました。
 私は敷物の藺草いぐさの青い匂いを鼻先に感じながら、心の内で「勝った」と叫んでおりました。
 座が和んだ、人の心の棘が取れた。余所者よそものである当家に対する疑念の眼差しは無くなった――。

 私は私の家を守ったのだ。

 そう思っておりました。その時の顔と言ったら、きっと増長したになっていたことでしょう。
 残念ながら、その時の私は疲れ果て、起き上がる力を失っておりましたので、そのみにゆるんだ顔を他人様に見せることが出来ませんでした。
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