絶滅の旅

古野ジョン

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第六話 名前

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「あっぢいなあ~~……」
「本当ですね、タツヤさ~ん……」
お前、100℃まで耐えられるんじゃなかったのかよ。
マサトたちと別れてからしばらく経ち、七月になった。
俺とゼロは盛岡市街のベースに移動し、越夏をしている。
マサトが言っていた通り今年は大熱波が襲来し、ここ盛岡でも55℃に迫る勢いだ。
越夏中は仕事はしない。
とても出歩けないし、それは他の人間たちも同じだからだ。
現にゼロの生体反応に引っ掛かることはほとんどないし、あったとしてもこちらが仕事をするまでもなく消えてしまう。


俺たちは廃ビルの地下をベースにしている。
ベースには食料も貯蔵してあるので、不必要に出歩かなくて済む。
地下だと他の人間たちに発見されにくいので、物資を盗まれたりする心配も少ない。
そもそも、地下の方が涼しいしな。
だがある日、珍しく大雨が降った。
最初は空の恵みだと二人して喜んでいた。が……
「タツヤさ~ん、今にも水が入ってきそうですよ~。」
「弱ったな……」
あまりの大雨で、今にも地下に水が流れ出しそうになっていた。
ビルの階段や通気口を塞いだのだが、あまり効果はなさそうだ。
「仕方ない、一旦上の階に移ろう。濡れるとまずい物資を運ぶから手伝ってくれ」
「はいッ!承知しました!」
そうして俺たちは荷物をまとめ、ビルの上の階に移ることにした。
ベースにあった風呂敷で荷物を包み、棒に吊り下げて運ぶ。
「わっしょい、わっしょい!」
ゼロ、かついでるのは神輿じゃないぞ。


階段で一階にあがろうとした直前、ゼロが突然止まった。
「ゼロ、どうした?」
「タツヤさん、生体反応です。距離二十メートル。ビルの入り口です」
「何?越夏中にしては変だな」
「確認しますか?」
「そうだな、そうしよう」
幸い入り口から階段が直接見えない構造だったので、俺たちは一旦二階まで上がって荷物を降ろし、再び一階に降りた。
気づかれないように入り口の方をうかがうと、若い男女と小さい子どもが雨宿りをしているようだった。
「ゼロ、仕事だ。雨が上がらないうちにやるぞ」
「はい!任せてください!」
そう言ってゼロはふふんと鼻を鳴らした。


越夏中は流石に俺も服装規定は守っておらず、半袖半ズボンで過ごしている。
だがそのおかげで今の俺は一般人そのものだ。
今回はそれを活かすことにする。
階段室を出て入り口の方に向かうと、男女と子どもこちらに気づいたようだった。
俺は気にせずそちらに進み、入り口のドアを開け――
「雨宿りなら、中に入って待ちませんか?」
そう言って、三人を招き入れた。
すると最初に子どもが返事をした。
「ほんとー?いいのー?」
次に返事をしたのは女だった。
「あっこら!すいません、この子が~」
「いいんですよ、どうぞ~」
俺がそう言うと、男が口を開き――
「すいません。ではお言葉に甘えさせていただきます」
と言った。
俺の仕事はもう終わりだな。


三人を連れて二階に上がると、既にゼロがお茶を入れてくれていた。
「皆さんいらっしゃいませ!お茶をどうぞ!」
ゼロも気を利かせて、一般人のように薄着に着替えていた。
「わぁ!お湯が緑だ!」
お茶を飲んだことがないのか、子どもが感動の声を上げていた。
「すごい、お茶なんて久しぶりに見ました……」
「僕もです。まさかもう一度お茶が飲めるなんて……」
そう言いながら、若い男女も味わうようにお茶を飲んでいた。
ベースには嗜好品の類も貯蔵してあったので、こういうときに役に立つ。
貴重なお茶を他人に使うのはもったいないが、仕事のためなら仕方がない。


雨は思ったよりも降り続いた。
ゼロは子どもと遊んでやっている。
俺の方は、若い男女から話を聞いていた。
「お二人はどういう関係なんですか?」
「夫婦です。僕がフジカツヤで、こいつはマイコと言います。」
「はい。私は妻のマイコです。」
「なるほど。ところで、この大雨なのにどうして出歩いていたんです?」
「……あの子の親を探していたんです。」
親?
そう思って詳しく聞くと、出歩いていた理由が分かった。
この夫婦は、普段は別の建物で生活しているらしい。
一か月ほど前、建物の前にその子が捨てられていたそうだ。
自分の生活でいっぱいいっぱいの親が捨てていったのだろう。
だがこのフジ夫妻にしたって急に子どもを育てられるわけがない。
そこでとりあえずは世話をしつつ、気温の低い日に出歩いて実の親を探している、というわけだった。
今日は雨のおかげで気温が低くなったので出かけたらしいが、思ったよりも大雨になったので雨宿りをしていたそうだ。


「それで、実の親は見つかりそうなんです?」
「なかなか見つからなくて……正直もう実の親御さんは亡くなっているのかもしれません」
「それで妻とも相談したのですが、もうあの子をうちの子にしてしまおうかと思っているんです」
たしかに亡くなっていたとしても何の不思議もない。
それに実の親が見つかったところで、わざわざ捨てた子をもう一度育てるとも思えんしな。
引き取って育てるというのが合理的な判断だろう。
するとカツヤがこちらに顔を向け、真剣な表情で――
「あなたにお願いがあるんです」
と伝えてきた。


「名前?」
「はい、あの子は自分の名前を知らないんです。夫と一緒になんとか思い出させようとしたんですが、出来ませんでした。」
「そこで、あなたに名前をつけてほしいのです。僕らは学校に行っておらず、文字を知らないのです」
そうか、そういうことだったのか。
「分かった。少し考えるから待っててくれないか」
「「はい!」」
なんだか息が揃った夫婦だ。


名前……名前ねえ。
正直人の名前なんて考えたことも無い。
それにこの夫婦は文字を知らないと来てる。
十五分くらい考えた末、俺は――
「ゲン、という名前はどうだ?」
と二人に問うた。
するとカツヤが、
「ゲン……というのはどういう文字を書くのですか?」
と聞いてきた。俺は、
「まあ、元気の元とか、源泉の源とか、いろいろ意味があるんだ。どうせ文字を知らないなら、いろいろ意味があった方がお得だろう?」
と返しておいた。我ながらよく言うもんだ。
「ゲン……簡単だけどなんだか言いやすくていい名前ですね!」
マイコの方も納得してくれたらしい。
「よし、じゃあゲンで決まりだな」
俺はそう言うとゲンの方を向いた。
「おい、お前は今日からゲンという名だ。分かったな?」
「うん!ぼくは今日からゲンなんだね!」
「ゲンくん、名前がついてよかったねえ~~」
ゼロはゲンの頭をひたすらに撫でていた。


外を見ると、ちょうど雨が弱くなっていた。
「では、僕たちはそろそろ自分の家に戻ります。」
「お二人とも、ありがとうございました。ゲンちゃん、帰りましょうね」
「うん!」
そう言って三人は帰って行った。


あばよ、ゲン


俺は三人に接触する前にゼロに指示を出していた。
二階に先に行っていること。
お茶を準備すること。
そしてそのお茶に、遅効性の薬剤を混ぜること。
お茶に混ぜることによって薬剤の味も分かりにくくなる。
お茶っ葉は惜しいが、こればかりは仕方がない。


完全に雨も上がったので、俺とゼロは二階にあげた荷物をまとめ、地下に戻る準備をしていた。
そこで俺はふと気になったことを聞いた。
「ゼロ、お前は何でゼロって名前なんだ?」
「ええ?タツヤさん、知らなかったんですかあ?」
「最初に会ったとき、お前からゼロと名乗ったから気にしていなかったんだ」
「え~?もっと私に興味持ってくださいよ~」
ゼロはぷりぷりとして不機嫌そうだった。
「まあまあ、そう怒らずにさ、教えてくれよ。お前に興味があるんだ。」
「仕方ないですねえ、特別ですよ~?」
ちょろいメイドだなあ。
ゼロは準備の手を止め、てくてくとこちらに近寄ってきた。
そして顔を近づけ、静かに俺に耳打ちした――


「ゼロっていうのは、私のシリアルナンバーですッ」

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