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或日

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071:夜明けの塔

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「――ようこそ、踏破者の皆様。ここは夜明けの塔一層案内窓口です。私がここに設置されてより1865年と273日16時間45分22秒、皆様が初めての来訪者となります」
 そう告げる人形の表情は笑顔を浮かべている人のようにも見えた。かたわらには目の形をにこりとさせた翼の生えた球体が浮かんでいる。
「‥‥ここは夜明けの塔というのか? 俺たちは上から来たんだが」
「そうですね、夜明けの塔と名付けられております。天上から下りてこられたのですね、でしたらステータスのギフト欄に踏破者の称号が記載されているかと思いますが」
「ステータス? いやここじゃ分からないだろ」
「‥‥なるほど、失礼いたしました。それでは皆様の記録を取らせていただくことは可能でしょうか。初踏破者の記録を残させていただきたいのです。それとあわせて皆様にご自身のステータスを確認していただければと」
「そういうこともできるのか? そうか。それであんたがここに来てから2000年近くたっているってことでいいのか?」
「そうなります。皆様、夜明けの塔についてはご存じでは」
「いや、初めて聞いた。俺たちはここをダンジョンだと思っていたからな」
「ダンジョン、迷宮ですか、なるほど理解いたしました。夜明けの塔をご存じないということであればもちろんこの世界のこともご存じではないでしょう。分かりました。では少々長くなりますがご説明いたします――」

 ――――――――――――

 およそ5000年前のことです。
 地上は災いであふれ、人々は絶滅の危機にひんしておりました。神はそれを憂い、神を深く深く信仰していた人々の願いを聞き入れると、一本の柱によって大地を世界の底へと沈めました。
 地の底深くへと沈められた大地を地上の災いから守るために宙が閉ざされ、世界を闇が包みました。そして神は柱を、災いが治まったときには地上へ向かうことができるようにと塔へと作り替えられました。
 さらに神は地上から逃れられた人々がこれからも災いから逃れ続けることができるように、いつか災いが終わった時には再び地上へ戻ることができるように、人々に安全な時間を与えるための祝福と永遠とを約束されました。
 人々は地の底での生活を始めましたが闇はいっこうに晴れません。このままではいけないと意を決した一人の王が塔を上り、朝をもたらしてほしいと神へ奏上しました。神がそれに応えられると塔の頂より陽が昇り、世界に朝がやってきました。
 人々は歓喜にあふれ、神への祈りを深くしました。”夜明け”の塔はかくしてこの世界に誕生したのです。

 しかし人には欲望があります。
 天上へ上れば神にようになれるのではないかと考えた一人の男が塔を上り、自らをこの世界の神とするように奏上しました。
 もちろん神はそれを許しませんでした。
 神はその者を月の海に沈め、そして自らを無意味にわずらわせることのないようにと塔の周囲を壁で囲み、人々に考えるための時間を与えるための獣を置かれました。
 人々はこれ以上神の怒りに触れることのないようにと願い、今と変わらない平穏な日々が続くように祈りました。
 災いが過ぎ去るまでこの地で永遠に生きられるようにと与えられた祝福を失わぬようにと祈ったのです。

 それから1000年ほど後のこと、永遠という時間に疲れ、祝福から逃れようと塔を上ろうとするものたちが現れました。彼らは王と同じように塔を上れば神に会えると考えたのです。獣がいないときを選んで塔へと入り、天上を目指そうとしました。ですがやはり神はそれを良しとはしなかったのです。祝福よ永遠にと願われた者は誰も塔の機能を使うことができないように変えられてしまい、彼らは歩いて天上を目指すことになったのです。
 さらに神は地の底より魔素をあふれさせました。魔素は塔を上って行き、魔素からは次々に獣が生まれていきました。そして塔の頂からあふれた魔素が世界へと広がっていったのです。世界は魔素に包まれ、あちらこちらで獣が生まれ、人々の脅威となりました。
 神は天上よりそれを眺めながら告げられました。祝福あれと、これからも変わらず永遠を生きよと。
 そうして人々はこの地で、それからも変わることのない祝福に満ちた生活を永遠に刻み続けることになったのです。

 以来神はこの地より去り、塔へと立ち入る者も一人として現れてはおりません。
 変わることがないと申しました。
 ですが変わったものもあったのです。
 魔素をあふれさせたこの場所です。
 魔素がたまるとそこから獣が生まれました。獣は長い年月の中でこの世界に定着し、それぞれの営みを始めました。
 魔素をあふれさせたこの場所は最もそれが濃い場所でもありました。獣が長い年月の間にその有り様を変えていったように、この場所もその有り様を変えていったのです。
 魔素をあふれさせるだけではなく、いつか神が再び塔の頂に現れても良いように、塔の頂が再び宙の向こうへ続く道に変わっても良いように、誰かがこの場所を訪れても良いようにと、そう思い描き始めたのです。
 神が祝福よ永遠にと願った者は使えないようにと塔の形は変えられてしまっています。
 では祝福よ永遠にと願われていない者であれば良いのではないかと考えたのです。
 いつかそういう者が現れても良いようにと考えたのです。
 下から上を目指す者には危険性を諭して準備をするようにと告げるために。
 上から下を目指してやってきた者にはこの世界を知り、そしてこの世界の脅威に対処するための力を身につけてもらうために。
 少しずつ少しずつ塔の形を作り替えて、そうして待ち続けました。

 皆様はこの塔をどうやって、階段を、10階ですか。外からはご覧になられましたでしょうか。天上を支えるこの塔がどれほどの高さかお分かりになりますか? およそ600キロメートルとされております。
 600キロという距離がどれほどか、そうですね、分からないと思います。疲れることのない人が100キロを歩くのにおよそ20時間、ですから120時間ほど歩き続ける必要があります。120時間、これは5日間に相当します。5日間一切休むことなく、速度を緩めることなく歩き続けることができますか?
 この塔には上下に移動するための手段が3つございます。
 一つはエレベーター‥‥、皆様が昇降機と呼ばれた機械を使うこと。
 一つは皆様がお使いになられた10階層からなる迷宮を踏破すること。
 もう一つが600キロメートルの高さを円筒形をした空間の外周に沿ってらせんを描くようにひたすらに続く階段を上り続けることです。
 最後の一つは最初の王が使い、それ以降は場所そのものが魔素の影響が強すぎることもあって封印されているため現在は使用できません。封印を解除すれば使えるようにはなりますが、現在はその予定がありませんので。
 月の海に沈められた男はエレベーターを使用しました。神が人々の利便を考えて設置したものですが、それを使われたのですね。そのことがさらに神の怒りに触れたのでしょう。それ以降は祝福と永遠を持つ者がたとえこの場所にやって来たとしても操作ができないようになっております。
 皆様がお使いになられた迷宮。これがこの塔の考えた最も現実的で確実な方法でした。吹き上がる魔素の中を600キロの高さまで続くらせん階段を上ることは非現実的で、エレベーターはこの世界の人々が使えません。エレベーターの籠も途中の階層で止まったままでしたので、上からにせよ下からにせよ、使うことができないのです。
 神が用意した機能を塔自身で変えることはできませんでした。ですから考えたのです。どうすれば塔を上ることができるのか、下りることができるのか。塔の中で、迷宮と化している10階層の中で、人々を鍛えることにしたのです。
 いったい何を考えてとお思いでしょう。塔にそのような意思があるものかと。神がそのように仕組んだのではないかと。いいえ、神はこの世界を去ったのです。捨てられたと言い換えても良いでしょう。姿を隠してより後、一度としてこの世界に関わることはなかったのですから。
 塔は考えました。神の置いていった仕組みからどうやって外すか。どうやって人を上へ、下へと導くか。

 長らくお待ち申し上げておりました。
 皆様が上より来られたということは天上の災いは過ぎ去ったのでしょう。そしてまた人の世が始まったのでしょう。ようやく天上の世界とこの地底の世界とがふれあえるときが来たのでしょう。
 塔の用意した10階層をしっかりと踏破なされたということは、この世界でも十分に活躍できる実力をお持ちなのでしょう。それはとても喜ばしいことです。
 ようこそ、ようこそいらっしゃいました、夜明けの塔の一層へ。
 これ以上神の意に反することのないように、これ以上この世界の人々を傷つけることのないように、塔が幾年月をかけてようやく招き入れることのできた皆様は、まさにこの塔の待ち望んだ来訪者なのです。

 ――以上がこの塔の、夜明けの塔のあらましとなります。お付き合いいただきありがとうございました。皆様を心より歓迎いたします。

 ――――――――――――

「なるほどな、ダンジョンに意思があるように感じていたのはあながち間違いじゃなかったってことだ」
 潜り初めてすぐ、地下1階からそれは始まっていた。
 ラットたちはこちらをうかがうように動き、こちらを試すように戦いを挑んできた。
 一つ一つ試すように魔物を配置し、使える罠を配置し、それは時には失敗し、時には猛威を奮ってきた。自分たちも感覚をダンジョンにあわせて研ぎ澄まし、技を磨き、そしてダンジョンが用意した道具を使って乗り越えてきた。
 なるほど、と思う。10階層という適度な深さ、階をまたぐごとに少しずつ手応えを増していく難易度。魔素によって下から順に強い魔物から弱い魔物へと変わっていく。そのダンジョンを突破できるように自分たちは誘導されてきたのだ。そしてそうしたくなるように3階で6階でとメッセージをそのまま自分たちに伝えてきた。なるほど、と思う。
 だがまだ不思議なことがある。不自然なところは残っている。目の前の案内だという彼女に聞いてみたいことがいろいろとある。
「なあ、あんたはこのダンジョンに設置されたんだよな? それで来た誰かを案内しろと。で俺たちが来たから案内すると」
「はい。私はこの塔の案内係を仰せつかっております。記録が設置されたときからほとんど更新されていないためどの程度正確かは判然とはしませんが、それでもおおよそ間違ってはいないだろうと自負しております。なんなりとおたずねください。知っているものに関してはお教えいたします」
「その言い方だと、知らないものもあるんだよな」
「はい。知らない、分からない、答えられないものがございます。記録のないもの、あいまいなため答えとすることのできないもの、神の理に触れるため私が口にすることのできないものとなります」
「ああ、一番上にやっぱり神様があるんだね。それで設置されたときの記録がベースになっているからどうしても分からないことはあると」
「で俺たちがこうしてああだこうだ言っているのにもな、何て言うか、あるんだよ、俺たちにも祝福が。最初の質問がこれになっちまうのがいいのかどうか分からんが、祝福があってなぜ昇降機が使えたりとかするんだ?」
「解答としては”分からない”に該当するでしょう。上からの来訪者には適用されない仕組みなのか、それとも祝福と永遠の両方を所持しているものが対象なのか。実験を繰り返せばいつか解答が得られるときも来るかもしれません」
「なるほどだね。そういうふうに答えてもらえるんだ」
「ねえ、それよりも、聞かないと駄目じゃない」
「ん? 何をだ?」
「名前よ。彼女の名前、おまえとかあなたとか、目の前にして変でしょ」
「ああ、しまったな、そこまで気が回らなかった。確かに。で、聞いていただろうところをすまん、まずは名前を教えてもらえるか」
 目の前で少し不思議そうな表情を見せる人形、彼女が軽く首をかしげてから戻し、こちらを真っすぐに見ながら口を開く。
「――私も人と相対しての対応は初めてなものですから、申し訳ありません、自己紹介から始めるべきだったのでしょうか――私は夜明けの塔一層案内窓口での案内係を仰せつかっております、ルーナ・ノクターナス・イドゥス・セプテムブリスと申します。よろしくお願いいたします」
 そう言うと軽くお辞儀をしてみせた。
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