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その日、静かな別荘の村に、似つかわしくない派手な音が響き渡った。
黄金の装飾が施された王家の馬車が、砂埃を上げながら別荘の門前に止まったのだ。
「おお、ここか! シャーミーが俺への愛を募らせ、涙で枕を濡らしているという嘆きの館は!」
馬車の扉が開くやいなや、リュカ王子がドラマチックなポーズで飛び出してきた。
その後ろから、お団子を頬張るマイカと、死んだような目をしたカイルが続く。
だが、彼らが目にしたのは「嘆きの館」などではなかった。
そこにあったのは、見事に整地され、等間隔に畝(うね)が作られた、極めて健康的かつ機能的な「ジャガイモ畑」だった。
「……何だ、この光景は。俺の記憶にある別荘は、もっとこう、不気味な茨に覆われていたはずだが」
「殿下、あそこを見てください。何か……動く物体がいます」
カイルが指差した先。
畑の中央で、尻をこちらに向けて猛然と土を掘り返している人影があった。
泥だらけの布を纏い、頭には手ぬぐいを巻き、手には無骨な鍬を握っている。
「……シャーミー? まさか、そんなはずは……」
リュカが震える声で呼びかけると、その人影がピタリと動きを止めた。
ゆっくりと振り返ったその顔は、鼻の頭に黒々と泥がつき、頬には返り血……ではなく赤土が付着している。
しかし、その瞳は王宮にいた頃よりも数倍、力強く輝いていた。
「……あら、リュカ殿下じゃない。こんな田舎に、なんのご用かしら? 今、ちょうど堆肥(たいひ)を混ぜる大事な局面なんだけど」
シャーミーは、高級な扇を振るうのと同じ手つきで、泥まみれの鍬を肩に担いだ。
「シャーミー! ああ、なんということだ! 俺を忘れるために、これほど過酷な労働に身を投じていたというのか! その泥は、拭いきれない君の涙の代わりなのだな!」
リュカが駆け寄り、シャーミーの泥だらけの手を握ろうとした。
シャーミーは流れるような動作で一歩下がり、それを回避する。
「汚れるわよ、殿下。そのシルクの手袋、お高いんでしょう? それより見てちょうだい、この土の香りを。殿下のつけている香水より、ずっと芳醇で生産的だわ」
「お姉様ー! お花とお団子を持ってきましたわ! あら、お姉様、随分と……ワイルドな趣味に目覚められたのですね?」
マイカが天真爛漫に笑いながら、泥だらけのシャーミーを物珍しそうに眺める。
シャーミーはふっと口角を上げた。
「趣味じゃないわ、マイカさん。これは『生きるための闘い』よ。あ、そこに立っていると邪魔だから、少しどいてくれる? 今からあそこの大きな石を、従業員の白ちゃんと運ぶんだから」
「……白ちゃん?」
カイルが眉をひそめて周囲を見渡すが、そこにはシャーミーと、少し離れた場所で怯えているレオ、そしてセバスしかいない。
しかし、シャーミーが空中を指差すと、そこにあった巨大な岩が、ふわりと宙に浮き上がった。
「ヒッ……!? い、今、石が浮いたぞ!?」
リュカが情けない声を上げて飛び退く。
「あら、白ちゃんたら張り切りすぎよ。驚かせちゃダメじゃない」
シャーミーは平然と「透明な何か」に話しかけている。
その光景は、どう見ても「悲劇のヒロイン」のそれではなく、「異世界の支配者」か何かのようだった。
「殿下、現実を見ろと言ったはずです。彼女は悲しんでいるどころか、新しい世界の王になろうとしていますよ」
カイルが呆れたように告げるが、リュカのポジティブ脳は止まらない。
「違う! これは……これは強がりだ! 幽霊と遊ぶほど心が壊れてしまっているのだ! シャーミー、もういい、もういいんだ! 俺が悪かった。君の愛の重さは十分に理解した。さあ、その汚い棒(鍬)を捨てて、俺の胸に飛び込んでくるがいい!」
リュカが両手を広げ、慈愛に満ちた(つもりの)笑みを浮かべる。
シャーミーは一瞬、真顔になった。
そして、ゆっくりと足元の泥水を掬い上げると……。
「……えい」
ペチャッ、という乾いた音が響いた。
王子の真っ白なシャツの胸元に、見事な泥の華が咲く。
「……あ」
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ。……殿下、聞こえなかったかしら? 私は今、忙しいの。愛だの恋だの、そんな生産性のない言葉に付き合っている暇はないのよ。帰って、ポエムの続きでも書いていれば?」
「シャーミー……君、今、俺に泥を……?」
「いいえ、これは『肥料の試供品』よ。王宮の皆さんに、田舎の香りを届けてあげて」
シャーミーは爽やかな笑顔で言い放つと、再び鍬を地面に突き立てた。
その背中には、一切の迷いも、未練も、そして悲しみも存在しなかった。
「殿下、お帰りはこちらです。これ以上ここにいると、次はお顔に堆肥が飛ぶかもしれませんよ。……お嬢様の『コントロール』は、昔から正確ですからね」
セバスが完璧なタイミングで、帰りの馬車の扉を開けた。
「……くっ、シャーミー! 今日は引こう! だが、俺は諦めないぞ! 君がその泥の下に隠した真心を、必ず暴いてみせるからな!」
リュカは泥を拭うことも忘れ、捨て台詞を残して馬車に逃げ込んだ。
マイカも「さようなら、泥だらけのお姉様!」と手を振りながら乗り込む。
最後に残ったカイルが、シャーミーの隣まで歩み寄った。
「……ひどい顔だな、シャーミー」
「最高でしょ? カイル、あのバカを連れてきてくれてありがとう。おかげで、自分がどれほど今の生活を愛しているか、再確認できたわ」
「そうか。……ならいい。だが、あの王子がこれだけで引き下がるとは思えない。また来るぞ」
「歓迎するわよ。次は、もっと本格的な『泥遊び』を準備しておくから」
シャーミーが不敵に笑うと、カイルは一瞬だけ口元を緩め、そのまま馬車へと戻っていった。
遠ざかる黄金の馬車を見送りながら、シャーミーは大きく伸びをする。
「さあ、邪魔者が消えたわ! レオ、白ちゃん、作業再開よ! 夕飯までに、あと三畝(みうね)終わらせるわよ!」
彼女の声は、どこまでも高く、澄み渡る空に響いていった。
黄金の装飾が施された王家の馬車が、砂埃を上げながら別荘の門前に止まったのだ。
「おお、ここか! シャーミーが俺への愛を募らせ、涙で枕を濡らしているという嘆きの館は!」
馬車の扉が開くやいなや、リュカ王子がドラマチックなポーズで飛び出してきた。
その後ろから、お団子を頬張るマイカと、死んだような目をしたカイルが続く。
だが、彼らが目にしたのは「嘆きの館」などではなかった。
そこにあったのは、見事に整地され、等間隔に畝(うね)が作られた、極めて健康的かつ機能的な「ジャガイモ畑」だった。
「……何だ、この光景は。俺の記憶にある別荘は、もっとこう、不気味な茨に覆われていたはずだが」
「殿下、あそこを見てください。何か……動く物体がいます」
カイルが指差した先。
畑の中央で、尻をこちらに向けて猛然と土を掘り返している人影があった。
泥だらけの布を纏い、頭には手ぬぐいを巻き、手には無骨な鍬を握っている。
「……シャーミー? まさか、そんなはずは……」
リュカが震える声で呼びかけると、その人影がピタリと動きを止めた。
ゆっくりと振り返ったその顔は、鼻の頭に黒々と泥がつき、頬には返り血……ではなく赤土が付着している。
しかし、その瞳は王宮にいた頃よりも数倍、力強く輝いていた。
「……あら、リュカ殿下じゃない。こんな田舎に、なんのご用かしら? 今、ちょうど堆肥(たいひ)を混ぜる大事な局面なんだけど」
シャーミーは、高級な扇を振るうのと同じ手つきで、泥まみれの鍬を肩に担いだ。
「シャーミー! ああ、なんということだ! 俺を忘れるために、これほど過酷な労働に身を投じていたというのか! その泥は、拭いきれない君の涙の代わりなのだな!」
リュカが駆け寄り、シャーミーの泥だらけの手を握ろうとした。
シャーミーは流れるような動作で一歩下がり、それを回避する。
「汚れるわよ、殿下。そのシルクの手袋、お高いんでしょう? それより見てちょうだい、この土の香りを。殿下のつけている香水より、ずっと芳醇で生産的だわ」
「お姉様ー! お花とお団子を持ってきましたわ! あら、お姉様、随分と……ワイルドな趣味に目覚められたのですね?」
マイカが天真爛漫に笑いながら、泥だらけのシャーミーを物珍しそうに眺める。
シャーミーはふっと口角を上げた。
「趣味じゃないわ、マイカさん。これは『生きるための闘い』よ。あ、そこに立っていると邪魔だから、少しどいてくれる? 今からあそこの大きな石を、従業員の白ちゃんと運ぶんだから」
「……白ちゃん?」
カイルが眉をひそめて周囲を見渡すが、そこにはシャーミーと、少し離れた場所で怯えているレオ、そしてセバスしかいない。
しかし、シャーミーが空中を指差すと、そこにあった巨大な岩が、ふわりと宙に浮き上がった。
「ヒッ……!? い、今、石が浮いたぞ!?」
リュカが情けない声を上げて飛び退く。
「あら、白ちゃんたら張り切りすぎよ。驚かせちゃダメじゃない」
シャーミーは平然と「透明な何か」に話しかけている。
その光景は、どう見ても「悲劇のヒロイン」のそれではなく、「異世界の支配者」か何かのようだった。
「殿下、現実を見ろと言ったはずです。彼女は悲しんでいるどころか、新しい世界の王になろうとしていますよ」
カイルが呆れたように告げるが、リュカのポジティブ脳は止まらない。
「違う! これは……これは強がりだ! 幽霊と遊ぶほど心が壊れてしまっているのだ! シャーミー、もういい、もういいんだ! 俺が悪かった。君の愛の重さは十分に理解した。さあ、その汚い棒(鍬)を捨てて、俺の胸に飛び込んでくるがいい!」
リュカが両手を広げ、慈愛に満ちた(つもりの)笑みを浮かべる。
シャーミーは一瞬、真顔になった。
そして、ゆっくりと足元の泥水を掬い上げると……。
「……えい」
ペチャッ、という乾いた音が響いた。
王子の真っ白なシャツの胸元に、見事な泥の華が咲く。
「……あ」
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ。……殿下、聞こえなかったかしら? 私は今、忙しいの。愛だの恋だの、そんな生産性のない言葉に付き合っている暇はないのよ。帰って、ポエムの続きでも書いていれば?」
「シャーミー……君、今、俺に泥を……?」
「いいえ、これは『肥料の試供品』よ。王宮の皆さんに、田舎の香りを届けてあげて」
シャーミーは爽やかな笑顔で言い放つと、再び鍬を地面に突き立てた。
その背中には、一切の迷いも、未練も、そして悲しみも存在しなかった。
「殿下、お帰りはこちらです。これ以上ここにいると、次はお顔に堆肥が飛ぶかもしれませんよ。……お嬢様の『コントロール』は、昔から正確ですからね」
セバスが完璧なタイミングで、帰りの馬車の扉を開けた。
「……くっ、シャーミー! 今日は引こう! だが、俺は諦めないぞ! 君がその泥の下に隠した真心を、必ず暴いてみせるからな!」
リュカは泥を拭うことも忘れ、捨て台詞を残して馬車に逃げ込んだ。
マイカも「さようなら、泥だらけのお姉様!」と手を振りながら乗り込む。
最後に残ったカイルが、シャーミーの隣まで歩み寄った。
「……ひどい顔だな、シャーミー」
「最高でしょ? カイル、あのバカを連れてきてくれてありがとう。おかげで、自分がどれほど今の生活を愛しているか、再確認できたわ」
「そうか。……ならいい。だが、あの王子がこれだけで引き下がるとは思えない。また来るぞ」
「歓迎するわよ。次は、もっと本格的な『泥遊び』を準備しておくから」
シャーミーが不敵に笑うと、カイルは一瞬だけ口元を緩め、そのまま馬車へと戻っていった。
遠ざかる黄金の馬車を見送りながら、シャーミーは大きく伸びをする。
「さあ、邪魔者が消えたわ! レオ、白ちゃん、作業再開よ! 夕飯までに、あと三畝(みうね)終わらせるわよ!」
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