婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

八雲

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王宮の大広間は、むせ返るような香水の匂いと、無意味な社交辞令の会話で充満していた。

煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑している。

私は手元の懐中時計をそっと確認した。

時刻は二十一時十五分。

私の定時は、二十一時きっかりである。

「(……残業確定ですわね)」

私は小さく溜息をついた。

公爵令嬢である私、エーミール・フォン・バレットにとって、この夜会は単なる業務の一環だ。

王太子の婚約者として、彼の隣で微笑み、有象無象の貴族たちに愛想を振りまく。

これは労働である。

ならば対価が発生すべきだし、時間は厳守されるべきだ。

あと五分早く閉会宣言が出されていれば、私は今頃、愛馬の馬車の中で温かいハーブティーを飲んでいたはずなのに。

そんな生産性のない思考を巡らせていた、その時だった。

「エーミール! 貴様との婚約は、今この時を持って破棄する!」

音楽が止まった。

広間中の視線が、壇上の私たちに突き刺さる。

声を張り上げたのは、私の隣に立っていた男――クラーク王太子殿下だ。

金髪碧眼、見た目だけは童話の王子様そのものだが、その脳内はお花畑で構成されている。

彼は私の隣から離れ、壇の下にいた小柄な少女の肩を抱き寄せていた。

男爵令嬢のミーナだ。

ピンクブロンドの髪をふわふわと揺らし、怯えた子兎のように震えている。

「殿下……私のために、そんな……」

「安心しなさいミーナ。僕が君を守る。この悪女の手からな!」

クラーク殿下はビシッと私を指さした。

周囲の貴族たちがざわめき始める。

「おい、聞いたか? 婚約破棄だと?」

「あの『鉄の公爵令嬢』が?」

「ついに捨てられるのか」

好奇心と嘲笑の混じった囁き声。

普通なら、ここで泣き崩れるか、怒り狂うのが令嬢の反応だろう。

だが、私の頭の中を占めていたのは、全く別の計算式だった。

私は冷静に、再度懐中時計を確認した。

カチリ、と蓋を閉める。

そして、静まり返った大広間に響くよう、事務的な声を放った。

「――確認させていただきます、殿下」

「な、なんだ。命乞いなら聞かんぞ!」

「いえ。現在、時刻は二十一時十八分です」

「は?」

クラーク殿下が間抜けな声を上げた。

私は懐中時計を懐にしまい、手帳を取り出した。

「本日の夜会における私の公務は、二十一時をもって終了する予定でした。現在進行しているこの『婚約破棄劇』は、公務の一環としてカウントしてよろしいのでしょうか?」

「……はあ?」

「もし公務であるならば、規定の超過勤務手当を請求させていただきます。深夜割増がつきますので、通常の1・5倍レートになりますが」

会場が、シーンと静まり返った。

クラーク殿下の顔が赤く染まる。

「き、貴様……! この期に及んで金の話か!? 自分が置かれている立場が分かっているのか!」

「分かっております。婚約破棄、すなわち雇用契約の解除通告ですよね?」

「雇用けいや……っ!? 違う! 愛の話をしているんだ!」

殿下は叫ぶと、ミーナ嬢をさらに強く抱きしめた。

「僕は、ミーナと真実の愛を見つけたのだ! エーミール、貴様のように冷酷で、可愛げのない女とは違う。ミーナは優しく、純粋で、僕の心を癒してくれる!」

「左様でございますか」

私は手帳に『理由:真実の愛(詳細不明)』とメモを取る。

「おめでとうございます。では、後任はミーナ様ということでよろしいですね? 業務引き継ぎのスケジュールですが、明日の朝イチでよろしいでしょうか。書類が山のようにありますので」

「貴様、ふざけているのか!?」

「ふざけてなどおりません。殿下の執務の七割は私が代行しておりましたから、それをミーナ様が引き継ぐとなると、早急な研修が必要です。彼女、王立学園の成績は下から数えた方が早かったと記憶しておりますが、国家予算の計算はできますか?」

私が視線を向けると、ミーナ嬢はビクリと肩を震わせ、上目遣いで殿下を見上げた。

「殿下ぁ……エーミール様が、またいじめるぅ……」

「おのれエーミール! そうやってまた、ミーナを言葉で甚振るのか!」

「甚振る? 事実確認とスキルチェックをしただけですが」

「黙れ! 貴様の悪逆非道な行いは、すべて調べがついているんだぞ!」

クラーク殿下は、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、高らかに広げた。

どうやら、私の「罪状」が書かれているらしい。

「聞け! エーミールの罪を! その一、学園の階段からミーナを突き落とした!」

会場から悲鳴が上がる。

私は眉一つ動かさずに反論した。

「異議あり。その件ですが、現場の階段の角度とミーナ様の体重、そして私の腕力を物理演算した結果、私が突き飛ばしていれば彼女は全治三か月の重傷を負っていたはずです。しかし実際は、膝を擦りむいただけ。これは彼女が自ら躓いたと考えるのが物理的に自然です」

「へ理屈を言うな! その二! ミーナの教科書を破り捨てた!」

「異議あり。私の筆跡鑑定スキルによれば、その教科書に書かれていた落書きはミーナ様本人の筆跡と九割合致しました。自作自演の可能性が高いと報告書を提出済みです」

「うぐっ……! そ、その三! 夜会でミーナのドレスにワインをかけた!」

「異議あり。その日、私は殿下の代わりに隣国の使節団と貿易関税の交渉をしており、会場には一秒もおりませんでした。アリバイは財務大臣が証明してくれます」

淡々と事実を述べると、クラーク殿下の言葉が詰まっていく。

周囲の貴族たちも、最初は面白がっていたが、次第にざわつきの種類が変わってきた。

「……あれ、もしかしてエーミール様、やってないんじゃ?」

「というか、殿下の言いがかりが酷くないか?」

「あの公爵令嬢が、そんなどの得にもならない嫌がらせをするとは思えないしな……」

空気が変わり始めたことに焦ったのか、ミーナ嬢が涙目で叫んだ。

「で、でも! エーミール様は私のこと、いつも冷たい目で見てました! 『邪魔だ』って顔してました!」

「それは否定しません」

私は即答した。

「えっ……」

「貴女が殿下にベタベタと張り付き、執務室にまで入り浸ってお茶会を開くせいで、決裁書類の処理が遅延していましたから。業務妨害として排除したいと考えたことは、一度や二度ではありません。統計によれば、貴女が来る日は殿下の処理能力が四十パーセント低下します」

「ひどい……! 殿下ぁ!」

「エーミール! 貴様、どこまでミーナを愚弄すれば気が済むんだ!」

クラーク殿下は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

これ以上は時間の無駄だ。

私は手元の時計を見た。二十一時二十五分。

残業代が嵩んでいく。国民の税金の無駄遣いだ。

私は手帳を閉じ、パタンと音を立てた。

「……分かりました。これ以上の議論は非生産的です」

私は殿下を真っ直ぐに見据えた。

「殿下のおっしゃる通り、私と殿下の価値観は水と油。経営方針の違いは明白です。よって、婚約破棄の申し出、謹んでお受けいたします」

あっさりと認めた私に、殿下の方が拍子抜けした顔をした。

「え……う、受けるのか? 泣いて縋らないのか?」

「はい。むしろ、こちらから願い下げたいくらいでしたので。このお話、渡りに船です」

「なっ……!?」

「つきましては、契約解除に伴う諸手続きに入らせていただきます」

私は虚空から(実際には亜空間収納の魔道具から)分厚い書類の束を取り出した。

「な、なんだそれは」

「慰謝料および、過去十年にわたる私の王太子妃教育費、ならびに公務代行報酬の請求書です」

ドサリ、と重たい音がして、書類の束が床に置かれた。

「慰謝料は精神的苦痛よりも、キャリアの損失補填として計算しております。また、私が代行した公務の時給は、高度専門職として算出。さらに、本日の不当な断罪劇による名誉毀損の賠償金も上乗せさせていただきます」

私は羽ペンを取り出し、サラサラと署名をした。

そして、呆然とするクラーク殿下に書類を突きつける。

「さあ、殿下。ここにサインを。国庫から出すと横領になりますので、殿下の個人資産からお支払いくださいね」

「は……?」

「お支払いが確認でき次第、私は王都を去り、二度と殿下の視界には入りません。お得な取引でしょう?」

ニッコリと、私は営業用の完璧な笑みを浮かべた。

殿下は口をパクパクと開閉させている。ミーナ嬢もポカンとしている。

会場中が、私のあまりの切り替えの早さと、守銭奴ぶりに言葉を失っていた。

その時だった。

「ぶっ……! くくく、あーはっはっは!!」

静寂を破り、豪快な笑い声が響き渡った。

驚いて振り返ると、壁際に立っていた大柄な男が、腹を抱えて笑っている。

黒髪に、鋭い眼光。全身から武人の覇気を漂わせるその男は――。

「ギ、ギルバート叔父上!?」

クラーク殿下が引きつった声を上げた。

そこにいたのは、王弟であり、北の国境を守る『氷の辺境伯』こと、ギルバート・フォン・ライオットその人だった。

「いやあ、傑作だ! まさか断罪の場で、請求書を叩きつける令嬢がいるとはな!」

ギルバート辺境伯は涙を拭いながら、大股でこちらへ歩み寄ってきた。

そして、私の目の前で立ち止まり、面白くて仕方がないという顔で私を覗き込んだ。

「エーミール嬢、だったか。噂以上の合理主義者だな」

「恐縮です、辺境伯閣下。時は金なりですので」

私がカーテシーをして答えると、彼はさらに楽しそうに口角を上げた。

「気に入った。その請求書、クラークが払えないなら私が肩代わりしてやろうか?」

「え?」

「ただし条件がある。俺の領地へ来い。お前のような計算高い女が、俺はずっと欲しかったんだ」

予想外の展開に、私の思考回路が一瞬停止する。

これは……ヘッドハンティング?

辺境伯領といえば、過酷な環境だが資源は豊富。経営再建の余地は大いにあるブルーオーシャンだ。

私は瞬時に損益分岐点を計算し、そして不敵に微笑んだ。

「――条件次第では、前向きに検討させていただきますわ」

こうして、私の華麗なる婚約破棄と、新たな就職活動(?)は幕を開けたのである。
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