婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

苺マカロン

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翌朝。

白銀砦の執務室は、劇的なビフォーアフターを遂げていた。

床が見える。

これは、この砦において歴史的な快挙であった。

かつてゴミと書類の山脈がそびえ立っていた場所には、整然と分類されたファイル棚が並び、磨き上げられた床板が朝日で輝いている。

空気も清浄だ。

私が一晩中、窓を開け放ち、風属性の魔石を使って換気しまくった成果である。

「……ふぅ。素晴らしい朝ですわね」

私は湯気の立つコーヒーを啜り、満足げに部屋を見渡した。

対照的に、部屋の隅には屍(しかばね)が転がっていた。

「……し、死ぬ……」

「……剣を振るよりキツイって、どういうことだ……」

「……紙で指を切った……痛い……お母ちゃん……」

騎士団長のガストンをはじめ、徹夜で分類作業を手伝わされた騎士たちだ。

彼らはボロ雑巾のように床に倒れ伏し、ピクピクと痙攣している。

そこへ、執務室の扉が開いた。

「おはよう。……ほう?」

入ってきたのは、爽やかな笑顔のギルバート様だ。

彼は一歩足を踏み入れ、目を丸くした。

「これは驚いた。俺の執務室が、王城のサロンのようだ」

「おはようございます、閣下。環境整備は業務の基本ですから」

「見事だ。……で、そこの死体遺棄現場はどうした?」

ギルバート様が、床の騎士たちを指差す。

「彼らには『整理整頓の基礎』を実地で学んでいただきました。少々、普段使わない筋肉――主に脳みそ――を酷使して疲労しているようですが」

「なるほど。おい、起きろお前たち。閣下の前だぞ」

ギルバート様が声をかけると、騎士たちは「うぐぅ」と唸りながら、ゾンビのように起き上がった。

「お、おはようございます……」

目の下に濃いクマを作ったガストン団長が、フラフラと敬礼する。

「ガストン、生気がないぞ」

「はっ……文字の読みすぎで、目がチカチカして……吐き気が……」

「情けない奴らだ。だが、よくやった。見ろ、この美しい部屋を」

ギルバート様が棚を指差すと、ガストン団長たちは涙目で頷いた。

「は、はい……俺たちの苦労の結晶……」

「これで終わりだと思ったか?」

私の冷徹な声が響いた瞬間、騎士たちがビクリと震えた。

「え?」

「環境は整いました。次は中身(ソフト)の改善です。さあ、席についてください。これより『第一回・騎士団のたのしい簿記教室』を開催します」

「ぼ、ボキ……?」

聞き慣れない単語に、騎士たちが首をかしげる。

私は黒板(壁に貼った巨大な紙)の前に立ち、チョークの代わりに木炭を握った。

「ボキとは、お金の流れを記録することです。昨夜の分類作業で判明しましたが、この騎士団の会計はずさん過ぎます。どんぶり勘定どころか、ザル勘定です」

私は一枚の羊皮紙をガストン団長に突きつけた。

「団長。これは先月の『武器購入費』の報告書ですが、計算が合っていません。剣を一本金貨五枚で、五十本購入した。合計はいくらですか?」

「えーっと……ご、五百枚?」

「違います。二百五十枚です。倍も違いますよ」

「ああっ!? す、すんません! 俺、指が十本しかないから、二十以上の数字は苦手で……!」

「言い訳無用。この計算ミスのせいで、予算の半分が行方不明になっています。横領を疑われても文句は言えませんよ?」

「お、横領なんてしてねぇっす! 神に誓って!」

ガストン団長が必死に首を振る。

「でしょうね。貴方たちの性格なら、横領する知恵も回らないでしょうから」

「そ、それ褒めてるんすか?」

「事実を述べているだけです。……いいですか、皆さん。戦場で剣を振るうだけが騎士の仕事ではありません。自分たちが使った経費を正しく報告し、次回の予算を獲得する。これも立派な『戦い』なのです」

私は木炭で、黒板に大きく『1+1=2』と書いた。

「まずは算数の基礎から叩き込みます。逃げようとしたら、給料を減額しますからね」

「ひぃぃぃ!!」

騎士たちの悲鳴が上がった。

そこからは、地獄の特訓が始まった。

「姿勢が悪い! 背筋を伸ばして!」

「ペンの持ち方が違います! 剣のように握りしめない! 折れますよ!」

「バキッ!」

「ああっ! また折った! 一本銅貨五枚です、給料から天引きします!」

「うわぁぁん! 許してぇぇ!」

屈強な大男たちが、机に向かって脂汗を流し、小さなペンと格闘する姿は、ある意味で壮観だった。

ギルバート様は、その様子をソファに座って優雅に眺めている。

「くくっ……あのガストンが、ペン一本に苦戦して泣き言を言うとはな。魔獣相手なら笑って斬りかかる男なんだが」

「筋肉だけでは国は守れても、組織は守れませんわ」

私はガストン団長の手元を覗き込んだ。

羊皮紙には、ミミズが這ったような文字と、謎の記号が並んでいる。

「……団長。これは数字の『3』ですか? それとも潰れたカエルですか?」

「さ、三のつもりであります……」

「書き直し。百回書いて体に覚え込ませてください」

「百回ぃぃ!?」

ガストン団長が絶望の声を上げた、その時だった。

一人の若い騎士がおずおずと手を挙げた。

「あ、あのぅ……エーミール様」

「なんです、アラン」

「ここの計算なんですけど……なんか、変なんです」

彼が差し出したのは、数年前の『食料備蓄倉庫』の管理簿だった。

私はそれを受け取り、ざっと目を通した。

「……ふむ。入荷量と消費量の計算が合わないですね。帳簿上では、毎年冬になると小麦粉が二割ほど自然消滅しています」

「えっ、消滅!?」

「粉だけに、風に吹かれて飛んだのか?」

ガストン団長が的外れなことを言う。

私は溜息をつき、魔導計算機を取り出した。

タタタンッ!

「いいえ。これは単純な計算ミスではありません。……ここを見てください。入荷のサインと、搬出のサイン。筆跡が違います。そして、この時期だけ『廃棄損』として処理されている量がおかしい」

私は過去のデータと照らし合わせ、一つの結論を導き出した。

「誰かが、横流ししていますね」

「なっ……!?」

執務室の空気が凍りついた。

騎士たちの顔つきが変わる。先ほどまでの情けない顔ではない。戦士の顔だ。

「横流しだと!? 俺たちの飯をか!?」

ガストン団長が立ち上がり、拳を握りしめた。

「許せねぇ……! 冬場の食料が足りなくて、皆で木の根っこを齧った年もあったのに!」

「犯人は誰だ!? ぶっ飛ばしてやる!」

殺気立つ騎士たちを、私は手で制した。

「落ち着きなさい。暴力で解決するのは野蛮です」

「で、ですが!」

「暴力よりも、もっと効果的な方法があります」

私はニヤリと笑い、計算機を弾いた。

「横流しした犯人は、当時の倉庫番だった商人と癒着していた元文官でしょう。記録は残っています。……計算しました。過去五年分の横流し被害額と、それに対する遅延損害金、さらに慰謝料を上乗せして請求すれば――」

私は黒板に、とんでもない桁の数字を書いた。

「金貨、三千枚になります」

「「「さ、三千枚!?」」」

騎士たちが絶句した。

それは、砦の年間予算に匹敵する金額だった。

「これを回収できれば、皆さんのボロボロの装備を一新し、毎晩の食事に肉をつけることが可能です」

「に、肉ぅぅ!?」

ガストン団長の目から、滝のような涙が溢れ出した。

彼はドサリと私の前に跪いた。

「エ、エーミール様ぁぁ! あんた、女神だ! 俺たち、今まで数字なんて飾りだと思ってました! でも、数字ってすげぇんだな!」

「そうです。数字は嘘をつきませんし、裏切りません」

「勉強します! 俺、ボキやります! 足し算も引き算も覚えます! だから、肉を……肉を食わせてください!」

「「「エーミール様! 俺たちもやります!!」」」

騎士たちが次々と跪き、私に忠誠(と食欲)を誓う。

まるで宗教画のような光景だ。

私は満足げに頷いた。

「よろしい。モチベーション(動機)が不純ですが、やる気があるのは結構なことです。では、授業を再開します。まずは一桁の足し算から。間違えたら昼食抜きですわよ」

「「「イエッサー!!」」」

先ほどまでの死にそうな声とは打って変わり、野太い雄叫びが響き渡った。

ギルバート様は、その様子を見て腹を抱えて笑っている。

「ははは! まさかガストンたちを、餌一つでここまで手懐けるとはな! 猛獣使いの才能もあるんじゃないか?」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」

私はチョークを構え直し、生徒たちに向き直った。

こうして、辺境伯領の騎士団は、剣の代わりにペンを握り、最強の『インテリ筋肉集団』へと進化を始めたのである。

なお、後日。

私の計算通りに犯人の元文官を追い詰め、身包み剥いで金貨三千枚を回収した際、ガストン団長が感動のあまり私を胴上げしようとして、天井に頭をぶつけたのはまた別の話だ。
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