婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

八雲

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王都を出発して数日。

馬車は順調に北上を続け、景色は緑豊かな平原から、荒涼とした岩肌と針葉樹の森へと変わっていった。

気温が目に見えて下がっていく。

私は懐から温度計を取り出し、現在の数値を記録した。

「……現在気温、摂氏四度。王都との気温差は十五度ですわね」

「寒いか?」

向かいに座るギルバート様が気遣わしげに尋ねてくる。

「いいえ。発熱魔道具の出力テストには絶好の環境(コンディション)です」

私は膝上のブランケットに仕込んだ魔石を撫でた。ポカポカと快適だ。

「それに、この厳しい環境……素晴らしいですわ」

「素晴らしい?」

「ええ。これだけ寒冷であれば、食料の保存コストが大幅に削減できます。天然の冷凍庫(フリーザー)が使い放題ということですから」

「……なるほど。そんな発想をするのは、ここに来た令嬢の中で君が初めてだ」

ギルバート様は苦笑した。

やがて、馬車が大きく揺れ、速度を落とした。

「着いたぞ。あれが俺の拠点、白銀砦(シルバー・フォート)だ」

窓の外を見ると、雪を被った山々を背景に、巨大な石造りの要塞がそびえ立っていた。

優雅さの欠片もない、無骨で実用一辺倒な城壁。

あちこちに補修の跡があり、歴戦の傷跡を感じさせる。

「ふむ……」

「どうだ? 王都の煌びやかな城とは雲泥の差だろう。幻滅したか?」

「いいえ。城壁の修繕箇所を見るに、石材の調達コストが割高になっている気がします。近くの鉱山から直接仕入れれば、輸送費を二割はカットできそうですが」

「……到着早々、経費削減案か」

正門をくぐると、広場には屈強な騎士たちが整列していた。

全員が身長一八〇センチ超え。

丸太のような腕、岩のような筋肉。顔には古傷。

彼らが一斉に、ギルバート様に敬礼した。

「「「閣下! お帰りなさいませ!!」」」

ビリビリと空気が震えるような大音声。

馬車の窓ガラスが共振するレベルだ。

馬車を降りたギルバート様に続き、私もステップを降りる。

瞬間、騎士たちの視線が私に集中した。

「(……おい、見ろよ)」

「(うわぁ、すげぇ美人だ……)」

「(あんな細っこい姉ちゃん、ここの寒さで凍っちまうんじゃねぇか?)」

ヒソヒソ話のつもりだろうが、声がデカすぎて丸聞こえである。

ギルバート様が片手を挙げると、彼らはピタリと口を閉じた。

「紹介する。本日より私の補佐官として着任した、エーミール嬢だ。全員、彼女の指示には絶対服従とする」

「「「はっ!!」」」

騎士たちは威勢よく返事をしたが、その顔には明らかに「?」が浮かんでいた。

『補佐官? この令嬢が? お茶汲みの間違いでは?』

そんな心の声が、字幕で見えるようだ。

その中の一人、熊のような大男が進み出てきた。

騎士団長のガストンだ(事前に資料で顔と名前は記憶済み)。

「閣下! ガストンであります! あのぅ……歓迎はしますが、ここは戦場に近い場所です。このような可憐なお嬢様には、ちと酷ではないかと……」

「ガストン、君は彼女を『可憐なお嬢様』だと思っているのか?」

ギルバート様がニヤリと笑う。

「見かけに騙されるなよ。彼女は、あの王太子から慰謝料をふんだくり、王城の文官を青ざめさせた猛者だ」

「は、はぁ……?」

ガストン団長は困惑顔で私を見下ろした。

私はスカートをつまみ、優雅に、しかし事務的な笑みを浮かべて挨拶した。

「初めまして、ガストン団長。エーミールです。以後、お見知り置きを。……ところで」

私は彼の足元を指差した。

「団長、その靴」

「え? ああ、これですか? 昨日、訓練で破けちまって」

見れば、軍用ブーツのつま先がぱっくりと口を開けている。

「装備品の破損・交換申請は出されていますか?」

「申請? いやぁ、書類書くのが面倒で……ガムテープで補修すりゃいいかなと」

「却下です」

私は即答した。

「足元の不安定さは、戦闘時のパフォーマンス低下に直結します。万が一、それで怪我をなされば、治療費と休業補償でさらなるコストがかかります。今すぐ新品と交換を。在庫管理簿への記入は私が代行します」

「え、あ、はい……」

「それと、そちらの方。剣の柄が錆びています。メンテナンス頻度は? 研磨剤の予算は足りていますか?」

「えっ、俺っすか!?」

「あちらの方は、制服のボタンが一つ取れています。予備パーツの管理はどうなっていますの?」

私は騎士たちの周りを歩きながら、次々と指摘を飛ばした。

騎士たちはタジタジになりながら後ずさる。

「な、なんだこの姉ちゃん……」

「すげぇ目だ……俺たちの装備の不備を、一瞬で見抜いてやがる……」

ギルバート様が満足そうに頷いた。

「分かったか、野郎ども。彼女は俺よりも怖いぞ。覚悟しておけ」

「「「ひぃっ!?」」」

騎士たちが震え上がったところで、ギルバート様が私の肩を叩いた。

「挨拶はこれくらいにして、本題(メインディッシュ)に行こうか」

「本題、ですか?」

「ああ。君に見せたい場所がある。『執務室』だ」

その言葉を聞いた瞬間、ガストン団長をはじめ、騎士たちの顔色がサーッと青ざめた。

「か、閣下! あそこにお連れするのですか!?」

「まだ掃除が……いや、その、発掘作業が終わってなくて!」

「諦めろ。いつかはバレる」

ギルバート様は彼らの抵抗を無視し、私を砦の奥へと案内した。

重厚な扉の前に立つ。

「……覚悟はいいか?」

「どうぞ」

ギギギ、と重い音を立てて扉が開かれた。

その瞬間。

「…………」

私は言葉を失った。

そこは、部屋というよりは『ゴミ捨て場』だった。

床が見えない。

羊皮紙、報告書、請求書、チラシ、食べかけのパン、空の酒瓶、謎の部品、折れた剣……。

あらゆる物体が地層のように積み重なり、山脈を形成している。

机の上も同様だ。インク壺が倒れて書類を染め、その上で誰かが書きかけの手紙を放置している。

「こ、これは……」

「すまん。誰も整理できなくてな。必要な書類を探すときは、全員で山を掘り返している」

ギルバート様がバツが悪そうに頭をかいた。

後ろをついてきた騎士たちが、「あーあ……」と天を仰ぐ。

普通の令嬢なら、ここで悲鳴を上げて卒倒するか、回れ右をして逃げ出すだろう。

だが。

ドクン。

私の心臓が、大きく跳ねた。

(なんて……なんて……!)

私は震える手で、足元の書類を一枚拾い上げた。

それは、三年前の日付が入った『兵糧購入契約書』だった。

ざっと目を通す。

「……単価が高い。市場価格の二倍で契約していますわ」

別の一枚を拾う。『武器修理依頼書』。

「……納期が設定されていない。これでは鍛冶屋の言い値で後回しにされます」

さらに一枚。『宴会費請求書』。

「……使途不明金が多すぎます。これを経費で落とすなど言語道断」

私は顔を上げた。

その瞳は、かつてないほど爛々と輝いていたはずだ。

「宝の山(・・・・)ですわ」

「は?」

ギルバート様と騎士たちが呆気にとられる。

「この部屋には、無駄と、非効率と、損失(ロス)が詰まっています。つまり!」

私はスカートを翻し、ゴミ山……もとい、書類の山脈を指し示した。

「これらを整理し、契約を見直し、無駄を省けば――莫大な利益が生まれるということです! 改善の余地(のびしろ)しかありません!」

私の脳内で、金貨がチャリンチャリンと音を立てて増えていくシミュレーションが完了した。

アドレナリンが止まらない。

腕が鳴る。血が騒ぐ。

私はコートを脱ぎ捨て、腕まくりをした。

「ガストン団長!」

「は、はいっ!」

「今すぐ手の空いている者を五名、いえ十名呼んでください! まずは物理的な分類作業(ソーティング)から始めます! 紙、木材、金属、生ゴミに分けなさい!」

「りょ、了解でありまっす!」

「閣下は、この部屋の換気をお願いします! 空気が澱んでいては思考効率が落ちます!」

「お、おう……俺もか?」

「当然です! さあ、働きますわよ! 残業代は請求させていただきますからね!」

私は山のような書類の海へと、喜び勇んでダイブした。

こうして、辺境伯領における私の『大改革』は、到着後わずか一〇分で幕を開けたのである。

騎士たちは後にこう語ったという。

「あの時の補佐官殿は、魔獣よりも凶暴で、女神よりも輝いていた」と。
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