婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

苺マカロン

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「――ストップ! ストップです!」

白銀砦の訓練場に、私の鋭い声が響き渡った。

朝の鍛錬を行っていた騎士たちが、一斉に動きを止める。

「エ、エーミール教官? 何か不備が?」

ガストン団長が、巨大な訓練用の木剣を持ったまま振り返った。

私は手元のストップウォッチ(魔道具)を止め、呆れ顔で彼らに歩み寄った。

「不備しかありません。団長、今の素振り、何回目ですか?」

「へへっ、千回っす! 気合と根性っす!」

「その『気合と根性』が、非効率の元凶です」

私はビシッと団長の腕を指差した。

「今の貴方の素振り、エネルギーの伝達ロスが大きすぎます。肘の角度が開いているせいで、インパクトの瞬間に力が三〇パーセント分散しています。つまり、千回振っても七百回分の効果しかありません。三百回分はただの『空気の撹拌(かくはん)』です」

「く、空気の……撹拌……?」

「無駄なカロリー消費です。食費の無駄ですね」

「ガーン!!」

ガストン団長がショックを受けて膝をついた。食費の無駄と言われるのが一番効くらしい。

私は懐から、特注で作らせた『巨大分度器』と『水平器』を取り出した。

「いいですか。剣速と破壊力は、精神論ではなく物理法則で決まります。重力、遠心力、そしてテコの原理。これらを最適化すれば、半分の労力で倍の威力を出せます」

「は、半分で倍……!?」

騎士たちの目の色が変わった。

「楽して強くなれるってことっすか!?」

「言い方は気に入りませんが、そういうことです」

私はガストン団長の横に立ち、分度器を当てがった。

「はい、構えて。肘の位置、あと三度下げて。足幅は肩幅の1・二倍。重心を前に」

「こ、こうっすか? なんか窮屈っすけど」

「その状態で、腰の回転だけで振ってください。腕力は使いません」

「ええ? 腕を使わなきゃ威力なんて……」

ガストン団長は半信半疑で、言われた通りのフォームで木剣を振った。

ブンッ!!

空気が爆ぜるような、凄まじい風切り音が鳴り響いた。

ドォォォン!!

打ち込まれた木剣が、訓練用の丸太を真っ二つに粉砕し、さらに地面を抉った。

「へ……?」

ガストン団長が、自分の手を見つめて固まっている。

「な、なんだ今の!? 軽く振っただけなのに、腕が痺れてねぇ!?」

「当然です。衝撃が全て対象物に伝わった証拠です」

私はパチンと指を鳴らした。

「これが『物理(フィジクス)』です。理解しましたか?」

「す、すげぇぇぇ!! 物理すげぇぇぇ!!」

「エーミール教官! 俺のフォームも見てください!」

「俺もっす! 分度器を! 俺に分度器を当ててくれぇぇ!」

騎士たちがゾンビのように群がってくる。

そこへ、視察から戻ったギルバート様が通りかかった。

「……何の騒ぎだ? 新手の宗教か?」

「物理教の布教活動です、閣下」

「また妙なことを……。だが、騎士たちの振りが変わったな。鋭さが増している」

さすが『氷の辺境伯』、一目で見抜いたようだ。

「ええ。彼らは素直なので、吸収が早いです。……さて、皆さんが物理の素晴らしさを理解したところで」

私は手を叩いて注目を集めた。

「次のカリキュラムに移ります。実地訓練(OJT)です」

「おっしゃあ! 次は何を斬ればいいんすか! 岩っすか! ドラゴンっすか!」

「いいえ。――氷です」

***

場所を移して、『鏡の湖』。

そこには、騎士団総出で氷を切り出す異様な光景が広がっていた。

「腰を入れる角度は四十五度! テコの原理を意識しろ!」

「アイアイサー!」

ガストン団長が、巨大な鋸(ノコギリ)で分厚い氷を切り出していく。

以前なら力任せに引いていただろうが、今は体重移動を使って効率的に切断している。

「切り出した氷ブロックは、摩擦係数を減らすためにソリに乗せて運搬! ベクトルを合わせろ!」

「ラジャ!」

数人がかりで、巨大な氷の塊を滑らせていく。

その連携も見事なものだ。

私は湖畔に設置した簡易テントで、出荷リストを作成していた。

「……順調ですね」

切り出された氷は、おがくずを敷き詰めた木箱に丁寧に梱包されていく。

その隙間には、森で採集した『氷イチゴ』も詰め込まれている。

天然の冷蔵庫の中で、イチゴは鮮度を保ったまま王都へ運ばれる仕組みだ。

「これなら、王都までの輸送中に溶ける量は五パーセント未満。イチゴの廃棄率もゼロに近い。完璧なコールドチェーン(低温物流網)の完成です」

「本当に驚いたな」

隣で温かいスープを飲んでいたギルバート様が、感嘆の息を漏らした。

「厄介者だった氷と雪が、まさか商品になるとは。しかも、騎士たちの訓練も兼ねているとはな」

「一石二鳥こそ、経営の基本ですわ」

私は電卓を弾きながら答えた。

「この氷切り出し作業は、足腰の鍛錬と、チームワークの向上に最適です。しかも、彼らには『歩合制』を導入しました」

「歩合制?」

「ええ。切り出した氷の量に応じて、夕食の肉のランクが上がります」

「……なるほど。どうりで、目の色が違うわけだ」

ギルバート様が苦笑して湖を見る。

そこには、「肉! 肉!」と掛け声を上げながら、人間離れした速度で作業する騎士たちの姿があった。

「あいつら、魔王軍と戦う時より必死じゃないか?」

「食欲は生存本能ですから」

その時、一人の伝令兵が走ってきた。

「エーミール様! 第一便の積載、完了しました! いつでも出発できます!」

「よし。予定より三十分早巻きですね。優秀です」

私は立ち上がり、輸送隊の責任者である若い騎士の元へ向かった。

「いいですか、アラン。王都に着いたら、まずは王家御用達の『ロイヤル・カフェ』に納品なさい。彼らは新しいもの好きですから、高値で食いつきます」

「はっ!」

「その際、この『限定プレミアム・ステッカー』を箱に貼るのを忘れずに。『辺境伯領産・純度99%の奇跡』というキャッチコピーも添えて」

「りょ、了解です! 詐欺っぽくないですか?」

「事実(ファクト)に基づいたブランディングです。嘘は言っていません」

私はアランの肩を叩いた。

「この初回の売り上げが、君たちのボーナスになります。期待していますよ」

「はいいぃぃ! 命に代えても届けます!!」

ボーナスという言葉に、アランの背後に炎が見えた。

こうして、氷とイチゴを満載した馬車隊が、王都へ向けて出発していった。

見送る私の脳内では、すでに皮算用が始まっていた。

「……ふふふ。王都の貴族たちは、今頃『目新しいスイーツがない』と退屈している頃でしょう。そこへ、この真冬の贅沢品を投下すれば……」

「相変わらず、悪い顔をしているな」

ギルバート様が、私の頬をつついてきた。

「痛いです、閣下。これは『商売人の顔』と言ってください」

「はいはい。……だが、礼を言うぞ」

彼は真剣な眼差しで私を見た。

「君が来てから、この領地は明るくなった。騎士たちも、領民たちもだ」

「……利益が出れば、心に余裕が生まれますから」

「それだけじゃない。君が皆に『自信』を持たせてくれたからだ」

ギルバート様は、私の手をそっと取った。

「俺もだ。……君がいると、毎日が楽しい」

その手は大きくて、温かくて。

そして、その言葉は、どんな褒め言葉よりも私の胸に響いた。

「……計算外の事象です」

「ん?」

「いえ、なんでもありません。……私も、楽しいです。少しだけ」

私は照れ隠しに、視線を逸らした。

王都にいた頃の私は、常に時間に追われ、他人の評価を気にしていた。

でも今は、自分の能力をフルに発揮し、それがダイレクトに成果に繋がる。

そして、それを認めてくれるパートナーがいる。

(……悪くない職場環境(ホワイト企業)ですわね)

私は小さく微笑んだ。

***

しかし。

私たちが順調に成功への階段を登っている一方で。

王都では、着々と『破滅』へのカウントダウンが進んでいた。

王城、王太子の執務室。

「なんでだ! なんで計算が合わないんだ!」

クラーク王太子は、髪を振り乱して叫んでいた。

彼の目の前には、真っ赤なインクで修正だらけになった決算書。

「殿下、また財務省から突き返されました! 『計算ミスが多すぎる』『使途不明金がある』と!」

「うるさい! 僕は何度も確認したんだ! 1たす1は2だろう!?」

「今回の計算は複式簿記です! 1たす1レベルの話ではありません!」

「知るかそんなもの! エーミールはどうやってたんだ!」

クラークは椅子を蹴り飛ばした。

「ミーナ! ミーナはどこだ! 癒してくれ!」

「ミーナ様なら、先ほど『ドレスを買うお金がないなら、実家に帰らせていただきます』と言って出て行かれましたが」

「な、なんだとぉぉ!?」

クラークは膝から崩れ落ちた。

愛も、金も、信用も。

全てが指の隙間から零れ落ちていく。

「エーミール……戻ってきてくれ……!」

その悲痛な叫びは、遠い北の空には届かない。

そして数日後。

王都の社交界を揺るがす『ある商品』の登場が、クラーク殿下をさらに追い詰めることになるのだが――それはまだ、少し先の話である。
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