婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

苺マカロン

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王都の社交界は、今、ある一つの話題で持ちきりだった。

王侯貴族が集うサロン、『白百合の園』。

そこでは、着飾った令嬢たちが、目の前に置かれたガラスの器に熱い視線を注いでいた。

「まあ! なんて美しいの!」

「見て、この透明度! 向こう側が透けて見えるわ!」

「そして、この真紅の果実……まるでルビーのようだわ!」

彼女たちが絶賛しているのは、宝石でもドレスでもない。

ただの『氷』と『イチゴ』だ。

しかし、それは計算し尽くされた演出(ブランディング)によって、至高の嗜好品へと昇華されていた。

『辺境伯領産・シルバー・クリスタル・アイス ~北の森の宝石(フローズン・ベリー)を添えて~』

「皆様、こちらの商品は一日限定五十食となっております」

カフェの給仕が恭しく告げると、令嬢たちの目の色が肉食獣のように変わった。

「わたくしに一つ頂戴!」

「いいえ、わたくしが先よ!」

「お父様の権力を使って買い占めますわ!」

「お値段は、一皿で銀貨五枚となります」

「「「安いですわ!!」」」

通常のかき氷の十倍近い価格だが、彼女たちの金銭感覚は麻痺していた。

「冷たくて、甘酸っぱくて……初恋の味がしますわ!」

「この氷、口の中でスッと溶けるの。雑味が一切ないわ!」

「これを食べていないなんて、社交界の恥ですわね」

空前の大ブーム。

その波は、瞬く間に王都中を席巻していった。

***

一方、王城。

クラーク王太子の執務室(という名のゴミ溜め予備軍)にも、その噂は届いていた。

「……なぁ、ミーナ」

クラークはげっそりと痩せた頬をさすりながら、ソファでふて腐れているミーナに声をかけた。

「なんだか、街で『すごいスイーツ』が流行ってるらしいんだ。食べたくないか?」

ミーナは新しいドレスが買えずに不機嫌だったが、スイーツと聞いてピクリと反応した。

「スイーツ? 美味しいんですか?」

「ああ。『北の宝石』って呼ばれてるらしい。これを食べれば、君の機嫌も直るかなと思って」

「……殿下がどうしてもって言うなら、食べてあげてもいいですけどぉ」

「よし、分かった! 買ってこよう!」

クラークは久しぶりに頼もしい笑顔を見せ、財布を持って街へと飛び出した。

しかし。

一時間後。彼は王室御用達のカフェの前で呆然と立ち尽くしていた。

「う、売り切れ……だと……?」

「申し訳ございません、殿下。開店と同時に完売いたしました」

店主が申し訳なさそうに、しかし内心では「来るのが遅いんだよ」という顔で頭を下げる。

「そ、そんな……。王太子の権限でなんとかならないか!?」

「無理でございます。先ほど、宰相閣下も並んでおられましたが、買えずに帰られました」

「宰相まで!?」

クラークは項垂れた。

ふと、店の入り口に貼られたポスターが目に入った。

『製造・販売元:ホワイト・フロンティア商会』

『代表代行:E・B』

「……E・B?」

どこかで聞いたようなイニシャルだ。

さらに、ポスターの隅には見覚えのあるキャッチコピーが書かれていた。

『その一口に、最高の費用対効果(コストパフォーマンス)を』

「……っ!!」

クラークの背筋に悪寒が走った。

この味気ない、夢のない、しかし説得力のある文言。

そして『北』というキーワード。

「まさか……エーミールか!? あの女が、これを売っているのか!?」

クラークは震える手で財布の中身を確認した。

残金、銀貨三枚。

流行りのスイーツ一皿すら買えない。

「くそっ……! なんでだ! なんであの女ばかり成功するんだ!」

彼は地団駄を踏んだが、誰も同情する者はいなかった。

***

そして、辺境伯領・白銀砦。

ここには、王都とは別の種類の『熱狂』が渦巻いていた。

「――発表します」

食堂に集められた騎士団員たちの前で、私は一枚の羊皮紙を高々と掲げた。

「第一回、王都への氷販売事業。その最終決算が出ました」

ゴクリ。

騎士たちが固唾を飲んで見守る。

ガストン団長などは、祈るように手を組んでいる。

「売上高、金貨五百枚。経費を差し引いた純利益は……金貨三百五十枚です」

「「「うおおおおおお!!!」」」

食堂が揺れた。

歓喜の雄叫びが爆発する。

「すげぇ! 氷が金になったぞ!」

「俺たちが切った氷が、金貨三百五十枚!?」

「静粛に!」

私がパンと手を叩くと、一瞬で静まり返った。訓練の賜物だ。

「この利益は、事前の契約通り、皆さんに還元されます。……運び入れなさい!」

合図と共に、厨房の扉が開いた。

そこから運ばれてきたのは、山盛りの『肉』だった。

牛、豚、羊、鶏。ありとあらゆる肉が、焼かれ、煮込まれ、山のように積まれている。

「本日の夕食は、肉の食べ放題(バイキング)です。さらに、一人当たり金貨二枚の特別ボーナスを支給します」

その瞬間。

食堂から音が消えた。

あまりの衝撃に、騎士たちの脳処理が追いついていないのだ。

そして、次の瞬間。

「う、うぅぅ……」

ガストン団長が、両手で顔を覆って泣き崩れた。

「だ、団長!?」

「夢じゃねぇよな……? 俺の皿に、肉が乗ってる……しかも、ステーキだ……」

「現実です。さあ、食べてください。冷めると味が落ちます(資産価値が下がります)」

「エーミール様ぁぁぁ!!」

ガストン団長は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、私に向かって敬礼した。

「一生ついていきます! あんたは俺たちの女神だ! 肉の女神だ!!」

「肉の女神は不名誉な二つ名ですが、まあいいでしょう」

「いただきます!!」

「「「いただきます!!!」」」

そこからは、阿鼻叫喚の宴となった。

猛獣のように肉に食らいつく騎士たち。

「美味い! 美味すぎる!」

「これが歩合制の味か!」

「ボキやってよかった! 物理やってよかった!」

彼らは涙を流しながら、肉と共に「労働の喜び」を噛み締めていた。

その様子を、少し離れた席でギルバート様と眺める。

「……凄い光景だな。地獄の釜の蓋が開いたようだ」

「いいえ、これは『経済の循環』です」

私は冷静にスープを口に運んだ。

「彼らが稼ぎ、彼らが消費し、商人が潤う。この砦の経済圏が回り始めた証拠です」

「君には敵わないな」

ギルバート様は優しく笑い、自分の皿から一番上等なローストビーフを私の皿に移した。

「え?」

「君への配当だ。一番の功労者は君だろう」

「ですが、これは閣下の分で……」

「俺はいい。君が美味しそうに食べているのを見るのが、今の俺の『利益』だ」

キザなセリフだ。

計算機なら「意味不明なデータ」として弾くところだが、今の私の心臓は、それを「好意的な入力」として受理してしまったらしい。

胸の奥が、温かくなる。

「……では、ありがたく頂戴します。その代わり」

私は自分の皿の付け合わせのニンジンを、ギルバート様の皿に移した。

「野菜も食べてください。栄養バランスが崩れますから」

「うっ……俺はニンジンが苦手なんだが」

「却下です。健康管理も補佐官の仕事ですので」

「厳しいな、我が補佐官殿は」

ギルバート様は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それでも大人しくニンジンを口に運んだ。

その横顔を見ながら、私は思った。

この人のためなら、もう少し頑張ってもいいかもしれない。

王都の氷ブームは、あくまで第一歩。

私の頭の中には、次の事業計画(プロジェクト)――『温泉リゾート開発』と『魔獣素材のブランド化』の青写真が、既に描かれ始めていた。

「(……クラーク殿下。貴方が手放した『悪役令嬢』は、辺境でこんなにも楽しくやっていますわよ)」

私は肉を頬張りながら、遠い王都に向けて勝利の笑みを浮かべた。

だが、この時の私はまだ知らなかった。

王都の氷ブームがきっかけとなり、王家が――そしてあの国王陛下が、本格的に動き出そうとしていることを。
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