婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

苺マカロン

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王都の夜は、煌びやかな光に包まれていた。

王城の大広間。
建国記念祝賀パーティーの会場は、着飾った貴族たちの熱気で溢れかえっている。

その喧騒が、ふと止んだ。

入り口の衛兵が、腹の底から声を張り上げたからだ。

「――北の守護者、ギルバート・フォン・ライオット辺境伯閣下! ならびに、そのパートナー、エーミール・フォン・バレット嬢、ご入場!」

重厚な扉が開く。

私たちは、数百の視線を浴びながら、レッドカーペットの上を一歩踏み出した。

「……ほう」

隣を歩くギルバート様が、私の耳元で囁く。

「静かになったな。皆、君の美しさに言葉を失っているようだ」

「いいえ、閣下。これは『値踏み』の沈黙です」

私は冷静に囁き返した。

「『捨てられた悪役令嬢が、どんな惨めなツラで戻ってきたか』という好奇心。それを、このドレスという『最高級パッケージ』で裏切って差し上げたのです。……計算通りの反応(リアクション)ですわ」

私は扇子で口元を隠し、優雅に微笑んだ。

私の身を包んでいるのは、特注のミッドナイト・ブルーのドレス。

装飾は最小限だが、歩くたびにシルクが光を反射し、まるで夜空を纏っているかのように輝く。

胸元には、ギルバート様から贈られた『北極星の涙』。

その輝きは、会場中のどの夫人の宝石よりも強く、神秘的だった。

「……嘘だろう? あれがエーミールか?」

「以前より美しくなっていないか?」

「あのネックレス……まさか国宝級の魔石か!?」

周囲の囁き声が変わっていく。
嘲笑から、驚嘆へ。そして、羨望へ。

その空気の変化を肌で感じながら、私は内心でガッツポーズをした。

(よし! 第一印象(ファースト・インプレッション)は成功! これで商談に入りやすくなります!)

その背後から。

「ちょっとぉ! 私の紹介がないじゃない!」

ピンク色のフリフリドレス(型落ちのセール品)を着たミーナが、ドタドタとついてきた。

「私もいるのよ! 未来の王太子妃、ミーナ様よ!」

彼女が愛想を振りまくが、貴族たちの反応は冷ややかだった。

「あれ誰?」
「ああ、王太子殿下の新しい……」
「なんか、安っぽいな」
「品がないわね」

冷酷な評価。
王都の社交界は、見た目と振る舞いが全ての冷徹な格付け社会だ。

「な、なによみんなして! 私の可愛さが分からないの!?」

ミーナが頬を膨らませるが、誰も相手にしない。

そこへ。

人垣を割って、一人の男が歩み寄ってきた。

金髪に、王太子の正装。

しかし、その顔色は悪く、目の下にはクマがあり、かつての輝きは見る影もない。

「……エーミール」

クラーク王太子殿下だ。

彼は私の前で立ち止まり、頭から爪先までをジロジロと見た。

そして、歪んだ笑みを浮かべた。

「来たか。やはり、僕が忘れられなくて戻ってきたんだな?」

「ごきげんよう、殿下」

私は完璧なカーテシーで挨拶した。

「お招きいただき光栄です。本日は『辺境伯領の特産品』のプロモーションのために参りました」

「ふん、強がりを言うな。辺境の貧乏暮らしに耐えられず、泣きついてきたのだろう?」

クラーク殿下は、私の手を取ろうと手を伸ばしてきた。

「いいだろう。許してやる。僕も最近、仕事が忙しくてね。君のような便利な女が必要だと痛感していたところだ」

「……」

「側室にしてやると言っただろう? 感謝して、今すぐ僕の執務室に来い。書類が山積みなんだ」

あまりの身勝手さに、周囲の貴族たちすら引いている。

ギルバート様が前に出ようとしたが、私はそれを手で制した。

これは、私の戦いだ。

「殿下」

私は扇子をパチリと閉じた。

「一つ、確認させていただきます」

「なんだ? 愛の言葉か?」

「いいえ。……殿下、現在のお財布事情はいかがですか?」

「は?」

「聞き及んでおります。先日の氷騒動で、高値転売品に手を出して大損をしたとか。さらに、ミーナ様の浪費で王家の機密費にも穴を開けたそうですね?」

クラーク殿下の顔がピクリと引きつった。

「な、なぜそれを……」

「情報収集は商売の基本です。……さらに、財務省からの評価も『Dランク(要警戒)』に落ちているとか」

私は冷ややかな目で見下ろした。

「つまり、殿下は現在『不良債権』そのものです」

「ふ、不良……なんだと!?」

「資産価値ゼロ。将来性マイナス。信用スコア崩壊。……そんな物件に再投資する投資家が、どこにいると思われますか?」

会場がシーンと静まり返った。

王太子を「物件」呼ばわりし、公衆の面前で「価値ゼロ」と切り捨てた令嬢など、前代未聞だ。

「き、貴様……! 僕を侮辱するのか!」

「事実(ファクト)を申し上げただけです。側室? お断りです。泥舟に乗る趣味はありません」

私はきっぱりと言い放った。

「今の私には、辺境伯領という『優良企業』があります。ホワイトな労働環境、正当な評価、そして――」

私はチラリと横を見た。

「頼れるボス(・・・)がおりますので」

その視線を受け、ギルバート様がニヤリと笑った。

彼は一歩踏み出し、私の腰に手を回した。

「聞いたか、クラーク」

「お、叔父上……っ!」

「彼女は今、俺の大事な『共同経営者(パートナー)』だ。そして、俺の愛する女性だ」

ギルバート様の低い声が、広間に響き渡る。

「お前が手放した宝石は、俺が拾って磨き上げた。……今さら返せと言っても、手遅れだぞ」

「う、うぐぐ……っ!」

クラーク殿下は顔を真っ赤にして震え出した。

言い返したいが、言葉が出ない。
権力でも、財力でも、そして男としての魅力でも、目の前の叔父に完敗していることを悟ってしまったからだ。

そこへ、空気を読まないピンクの爆弾が突っ込んだ。

「殿下ぁ~!!」

ミーナがクラーク殿下に抱きついた。

「ひどいですよぉ! 私を置いてきぼりにして! ドレス代もくれないし!」

「ミ、ミーナ! 離れろ! 今それどころじゃ……」

「聞いてくださいよぉ! エーミールがいじめるんです! 雪かきさせたんです! 私の手をこんなに荒れさせて……!」

ミーナが荒れた手を見せるが、それは労働の証であり、ある意味で彼女が初めて「真っ当に生きた」証拠だった。

しかし、クラーク殿下にはそれが汚らしく見えたらしい。

「ええい、触るな! 僕の服が汚れるだろう!」

彼はミーナを突き飛ばした。

「きゃっ!?」

ドサリと床に倒れるミーナ。

「で、殿下……?」

「お前のせいだ! お前が『エーミールなんていらない』と唆したから! 僕の人生はめちゃくちゃだ!」

「ひどい……! 殿下が『君さえいればいい』って言ったんじゃないですかぁ!」

公衆の面前で始まる痴話喧嘩。

泥沼だ。
あまりにも醜い。

貴族たちは冷ややかな目で、かつての王太子とヒロインの没落を見つめていた。

「……行くぞ、エーミール」

ギルバート様が、私を促した。

「こんな茶番に付き合う時間は無駄だ」

「ええ。時間の浪費(コスト)でしたわね」

私たちは、醜態を晒す二人を背に、颯爽とその場を離れた。

「待て! エーミール! 待ってくれぇぇ!」

クラーク殿下の悲痛な叫びが聞こえたが、私は一度も振り返らなかった。

かつて私が全てを捧げた相手。
でも今は、ただの「過去の損金処理済みデータ」でしかない。

私は前を向いた。

広間の奥には、すでに私のドレスと、胸の『北極星の涙』に目をつけた大商人たちが、名刺を持って待ち構えていたからだ。

「さあ、閣下。ここからが本番です」

私は営業用の笑顔(スマイル)をセットした。

「今夜中に、氷の年間契約を十件、温泉リゾートの出資者を五人確保しますわよ!」

「……やれやれ。色気より金気(かなけ)か」

ギルバート様は苦笑しながらも、私の腰をしっかりと抱き寄せた。

「付き合うよ。君がこの会場の金を全て吸い尽くすまでな」

王都の夜会は、まだ始まったばかり。
悪役令嬢エーミールの「商戦」は、ここからさらに加熱していく。

だが、その影で。
会場の隅から、蛇のような目をした男――商業ギルドの長、ゼファー伯爵が、私たちを睨みつけていることに、私はまだ気づいていなかった。
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