冤罪断罪、お断り!婚約破棄の前に夜逃げを決め込む。

八雲

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「……はあ、はあ。ようやく国境だわ……」

目の前にそびえ立つ巨大な石造りの門。
ここを越えれば隣国。王子の魔の手――もとい、ポエムの嵐から逃れられる「聖域」だ。
私は懐に隠したお父様直伝の「銀の指輪」を握りしめた。
これさえあれば、検問を顔パスで抜けられるはず。

「エドさん……。あそこ、見てください。なんだか門の前が紫色の霧に包まれているような……」

ララさんがガクガクと膝を震わせながら指差す。
霧ではない。それは、門の前に不自然に仁王立ちする、ド派手な紫マントの男から放たれる「迷い」のオーラだった。

「――待ちわびたぞ、愛しの赤い小鳥。いや、今は泥だらけの茶色いスズメか?」

ヴィルフリード、もとい自称吟遊詩人ヴィル・シュタインが、ゆっくりとこちらを振り向いた。
月光に照らされたその顔には、相変わらず不格好な「つけ髭」が、今にも剥がれそうな角度で張り付いている。
彼はマントをバサァッ!と翻し、ポーズを決めた。

「どうしてここにいるのよ! あなた、さっき酒場でゼクスと揉めてたじゃない!」

「ふん。僕は君に関しては予知能力があると言っただろう? 君が隣国へ逃げ込もうとするのは火を見るより明らかだ。……さあ、イーズ。そろそろその小汚い男装をやめて、僕の胸に飛び込んでくるんだ。君のための謝罪ポエム、第十四巻『月夜の逃亡者と僕の涙』を用意してあるぞ」

「誰が飛び込むか! 一生そこに突っ立ってろ!」

私はララさんの手を引き、強行突破を試みた。
だが、ヴィルフリードは驚異的な身体能力で私の前に回り込む。
彼は私の肩をガシッと掴んだ。

「待て! 話を聞け! あの断罪は、ただの照れ隠しだったんだ! 君が僕を無視して筋トレばかりするから……!」

「離しなさいよ! 触るな変態! ポエム禁止! 筋トレは私の癒やしなのよ!」

私たちは国境の門前で、みっともない取っ組み合いを始めた。
ララさんは「わわわ、喧嘩はやめてくださいぃ!」と周囲をオロオロと走り回っている。
私がヴィルフリードの胸板を突き飛ばし、彼が私の腕を引いたその瞬間――。

「あっ……!」

私の頭を覆っていたハンチング帽が、夜風に煽られて虚空を舞った。
さらに、短く切った髪をまとめていたピンが弾け飛び、薬液で茶色く染まった「イーズ」の髪がバサリと広がった。

「……あ。バレた」

沈黙が流れる。
ヴィルフリードは、目の前の「少年エド」が、紛れもなく「婚約者イーズ」であることを確信し、その瞳に歓喜の光を宿した。

「……おお、イーズ! やはり君だったんだね! 髪を切っても、その気の強い眼差しは隠しきれな……」

「うるさい! 見るな!」

恥ずかしさと怒りが頂点に達した私は、目の前の忌々しい顔面に向かって全力の頭突きを食らわせた。
鈍い音が響き、二人して地面に転がり込む。

「……う、ぐぅ。イーズ、君の頭突きは……相変わらず、岩のように硬い……。だが、それも愛の重さ……」

「死ねばいいのに!」

私は立ち上がろうとして、自分の顔に妙な違和感を覚えた。
なんだか、鼻の下がムズムズする。
湿り気があって、やけに毛深い何かが張り付いているような……。

「……え。エ、エドさん……じゃなくて、イーズ様。……お、お鼻の下に……」

ララさんが、引き攣った笑いを浮かべて指を指す。
私は恐る恐る鼻の下に手をやった。
そこには、さっきまでヴィルフリードの顔面に付いていた、粘着力たっぷりの「特大つけ髭」が、私の顔に完璧な位置で移植されていた。

「……。…………嘘でしょ?」

「……あ、ああ! 僕の髭が! イーズ、君、意外と髭が似合うじゃないか。まるで凛々しい騎士団長のようだ!」

ヴィルフリードが、鼻の下を真っ赤にしながら呑気に賞賛を送ってくる。
私は、国境警備兵たちが「なんだあの髭面の美少女は……」と困惑の表情でこちらを見ていることに気づいた。

「…………返してやるわよ、こんな呪いの装備!」

私は顔面からつけ髭を剥ぎ取ると、それをヴィルフリードの口の中に力いっぱい押し込んだ。

「むぐっ!? も、もふっ……! ごふっ!」

「ララさん、今よ! 行きましょう!」

私は呆然とする警備兵たちを、お父様の「銀の指輪」で威圧し、無理やり門を開けさせた。
髭を食べて悶絶している王子を置き去りにして、私たちは隣国の領土へと駆け込んだ。

「……待てぇ……! イーズ……! 髭は……髭はイチゴ味だったんだ……!」

背後から聞こえてくる王子の叫び声は、もはや意味不明だった。
正体はバレた。
けれど、ここから先は隣国。
私は髭のない顔で、最高の自由を掴んでみせるわ!
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