婚約破棄を待ってました!喜んで帰りますわ!

ハチワレ

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「……はぁ、はぁ。間に合った……!」

大聖堂の重厚な扉の前で、ルーアは息を整えた。

廊下を全力疾走したせいで少し乱れたドレスの裾を、風魔法で一瞬にして整える。

隣に立つクラウスも、何事もなかったかのように涼しい顔を作っているが、額には微かに汗が滲んでいた。

「行くぞ、ルーア。準備はいいか?」

「はい。心拍数、正常値に戻りました。表情筋、笑顔モードにセット完了」

「……君は本当に、どこまでも君だな」

クラウスが苦笑し、ルーアの手を取って自分の腕に回させた。

ゴーン、ゴーン……。

鐘の音が鳴り響く。それが合図だった。

ギギギ……と、巨大な扉がゆっくりと開かれる。

瞬間、眩いばかりの光と、割れんばかりの拍手が二人を包み込んだ。

「うわぁ……!」

ルーアは思わず目を細めた。

大聖堂の中は、色とりどりの花と、着飾った数百人の招待客で埋め尽くされていた。

ステンドグラスから降り注ぐ七色の光が、バージンロードを輝く道へと変えている。

「おめでとう!」

「公爵閣下、バンザイ!」

「ルーア様、綺麗だぞー!」

歓声の中を、二人はゆっくりと歩き出した。

パイプオルガンの荘厳な音色が響く。

本来なら、父親と歩くところだが、バーンスタイン公爵(父)は最前列で号泣しすぎて脱水症状を起こしかけていたため、最初から新郎新婦での入場となった。

「ううっ、ルーアぁぁ! 行かないでくれぇぇ!」

「あなた、お静かに! ルーアちゃんの晴れ姿が見えないでしょ!」

母親が父親の口にハンカチを詰め込んでいる。

その様子を見て、ルーアは小さく吹き出した。

「ふふ。お父様ったら」

「……愛されているな」

クラウスが優しく囁く。

「ええ。……でも、ハンカチの詰め方が強引すぎて、窒息しないか心配です」

「心配の方向がおかしいぞ」

二人は祭壇の前へと進んだ。

そこには、長い髭を蓄えた最高司祭が待っていた。

彼は二人を見ると、優しく微笑み、聖書を開いた。

「これより、クラウス・フォン・ドラグーンとルーア・バーンスタインの結婚式を執り行う」

司祭の言葉と共に、会場が静寂に包まれる。

「新郎、クラウス。汝、健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、これを愛し、これを敬い、死が二人を分かつまで、節操を守ることを誓うか?」

定型文だ。

しかし、クラウスは少し間を置いて、ルーアを真っ直ぐに見つめた。

そして、台本にはない言葉を紡いだ。

「……誓う。ただし、『死』すらも我々を分かつことはできない」

会場がどよめく。

「私は、たとえこの身が滅びようとも、魂が消えようとも、永遠にルーアだけを愛し続ける。彼女が望むなら世界を凍らせ、彼女が笑うなら世界に春を呼ぼう。……私の全ては、彼女のものだ」

重い。

愛が重すぎて、祭壇のロウソクの炎が一瞬揺らいだ気がした。

司祭も少し引いている。

「あ、アーメン。……では、新婦、ルーア」

今度はルーアの番だ。

「汝、健やかなる時も、病める時も……」

「司祭様。少し文言の変更をお願いしてもよろしいでしょうか?」

ルーアが手を挙げた。

「は?」

「その定型文、少し現状に即していない気がしまして」

ルーアは懐から(ドレスのどこに隠していたのか)、一枚のメモを取り出した。

「私の誓いは、こちらになります」

彼女はクラウスに向き直り、澄んだ声で宣言した。

「私、ルーアは誓います。健やかなる時も、病める時も。黒字の時も、赤字の時も。インフレの時も、デフレの時も」

クスクスと笑い声が漏れる。

「彼の資産を適切に管理し、無駄遣いを監視し、共に領地の繁栄に尽くすことを誓います。……たとえ彼が無一文になっても、私が稼いで養うことを約束します」

「……ぶっ!」

最前列にいたハンスが吹き出し、慌てて口を押さえた。

会場中が、温かい爆笑に包まれる。

こんなに即物的で、頼もしい誓いの言葉など、前代未聞だ。

しかし、クラウスだけは、誰よりも嬉しそうに目を細めていた。

「……ああ。最高の誓いだ」

「では、誓いのキスを」

司祭が苦笑いしながら促す。

クラウスがベールを上げる。

ルーアの顔が、間近に迫る。

「……昨日の夜もしましたけど、ノーカウントですよね?」

「当たり前だ。これは『公式』な一回目だ」

「じゃあ……お願いします」

二人の唇が重なる。

それは、形式的なものではなく、長く、深いキスだった。

ステンドグラスの光が二人を包み込み、まるで一枚の絵画のような美しさを見せる。

「キャーッ!」

「ヒューヒュー!」

「お熱いぞー!」

歓声と指笛、そして拍手の嵐。

長いキスの後、クラウスが唇を離すと、ルーアの顔は完熟トマトのように赤くなっていた。

「……な、長いです! タイムスケジュールが押してます!」

「うるさい。一生分取り戻すと言っただろう」

クラウスはニヤリと笑い、ルーアの手を引いて振り返った。

「皆様! 紹介しよう! 私の最愛の妻であり、最強のパートナー、ルーアだ!」

ワァァァァァッ!!

フラワーシャワーが降り注ぐ。

色とりどりの花びらが舞う中、二人はバージンロードを退場していく。

「おめでとう!」

「幸せになー!」

ルーアは花びらを浴びながら、ふと空中で一枚の花びらをキャッチした。

(……この花びら、一枚あたり銅貨一枚。清掃費用を含めると……)

「こら」

クラウスが小声で注意する。

「今、計算していただろう」

「……職業病です」

「今日くらいは、計算をやめて、ただ幸せに浸ったらどうだ?」

「無理です。だって……」

ルーアはクラウスを見上げ、悪戯っぽく微笑んだ。

「この幸せの総量が、私の計算機の桁数を超えてしまっているんですもの(エラー表示)」

「……っ!」

クラウスは一瞬目を見開き、そして破顔した。

「そうか。なら、そのエラーごと愛してやろう」

二人は大聖堂の扉を出た。

外には、青く澄み渡った空と、ドラグーン公爵領の美しい街並みが広がっていた。

そして、二人を祝福するために集まった、数え切れないほどの領民たちの笑顔があった。

「公爵様ー!」

「ルーア様ー!」

「ありがとうー!」

その光景を見て、ルーアの目から、自然と涙が溢れ出した。

計算では弾き出せない、温かい何か。

それが今、彼女の胸を満たしていた。

「……私、ここに来てよかったです」

「ああ。私も、君と出会えてよかった」

クラウスはルーアを横抱きに抱え上げた(お姫様抱っこ)。

「きゃっ!?」

「さあ、パレードだ! この幸せを、領民たちにもお裾分けしに行くぞ!」

「ちょ、恥ずかしいです! 下ろしてください!」

「却下する!」

幸せな騒ぎの中、馬車に乗り込む二人。

馬車の後ろには、空き缶ならぬ『使用済みインク瓶』がジャラジャラと結びつけられ、カランカランと軽快な音を立てていた(ハンスの仕業だ)。

こうして、ルーアとクラウスの結婚式は、最高のハッピーエンドで幕を閉じた。

……かに思えた。

だが、物語はまだ終わらない。

彼らには、これから続く「日常」という名の、長い長い冒険が待っているのだから。
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