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「ナタリー・ゴールドマン! 貴様のような、嫉妬に狂ってミエルをいじめるような醜い女とは、今日この時をもって婚約を破棄させてもらう!」
王宮のきらびやかな大広間。
楽団の演奏が止まり、着飾った貴族たちの視線が一斉に突き刺さる。
その中心で、第一王子リュカは、隣に寄り添う男爵令嬢ミエルの肩を抱き寄せ、勝ち誇った顔で私を指差していた。
「……えっ?」
私は、手に持っていた高級な鴨のローストを、思わず床に落とした。
銀のお皿がカランと音を立てて転がる。
「……いま、なんておっしゃいましたの?」
「耳まで腐ったか! 婚約破棄だと言ったのだ! これからは、心優しきミエルこそが私の婚約者に相応しい!」
リュカ様の言葉に、周囲からヒソヒソという嘲笑が漏れる。
本来なら、ここで私は「覚えがございません!」と反論するか、あるいは「申し訳ございません」と泣き崩れるべきなのだろう。
しかし、私――ナタリーの脳内を占めていたのは、もっと別の、もっと重大な絶望だった。
「……終わった。私の、人生、終わりましたわ……」
「ふん、今さら後悔しても遅い! これまでの悪行を悔いて――」
「あああああああああああああああ!! もうダメですわ!! 私は死にました!! 今この瞬間、ナタリー・ゴールドマンという美しい物語は、無惨な打ち切りを迎えましたのよ!!」
突然、私が叫び声を上げてその場に突っ伏したため、リュカ様が「ひっ」と短い悲鳴を上げて飛び退いた。
私はドレスが汚れるのも構わず、大理石の床に這いつくばり、全力で地を叩く。
「なんてこと! なんてことですの! 婚約破棄! それはつまり、私がヒロインではないという残酷な告知! 脇役! 私はただの、舞台装置だったということですのね!?」
「な、何を言っているんだ。おい、立て、ナタリー」
「立てませんわ! 私の足は、今この瞬間に魂との契約を解除しましたの! リュカ様、ご覧なさい! この床の冷たさ! これが、愛を失った女にふさわしい、奈落の底の温度ですわああ!!」
私は、まるで悲劇の舞台の主役になりきったかのように、朗々と声を響かせながらゴロゴロと床を転がった。
「……おい、リュカ。あいつ、ショックで壊れたんじゃないのか?」
背後から、冷ややかな、しかしどこか呆れたような低い声が聞こえた。
宰相補佐官、セドリック・ノア・ヴァレンタイン。
この国の若手貴族の中でも、群を抜いて冷徹で、仕事の鬼として知られる男だ。
「し、知らないよセドリック! 急に叫び出したんだ! ミエル、離れていろ。ナタリーの狂気がうつるかもしれない」
「……王子、流石にそれはナタリー様が不憫です」
ミエル様が困ったように眉を下げているが、今の私の耳には届かない。
私は、仰向けにひっくり返った状態で、天井のシャンデリアを見つめながら虚ろな笑みを浮かべた。
「ふふ、ふふふ……。見える、見えますわ。迎えの馬車が……。地獄行きの、カボチャではない馬車が……。さあ、私を連れて行って。この世に未練なんて、あと一口食べたかった鴨のロースト以外にはありませんわ……」
「……ナタリー嬢、見苦しい。さっさと立って、家に帰りなさい」
セドリック様が私の頭元まで歩いてきて、見下ろすように言った。
「セドリック様……。あなたには、この悲しみがわかりませんのね。心臓が、まるで冷えたコンソメスープのように固まってしまった私の痛みが……」
「コンソメは温めれば溶けるだろう。いいから、衛兵を呼ぶ前に帰りなさい。公爵家の名誉がこれ以上、粉々になる前に」
「名誉? そんなもの、婚約破棄の衝撃で消し飛びましたわ! 今の私は、ただの『悲しみの肉塊』ですわ!」
「……だめだ、会話にならないな」
セドリック様は深いため息をつくと、私の腕を掴んで無理やり立たせようとした。
「いやああ! 触らないで! 今の私は猛毒を帯びていますの! 失恋の毒が、毛穴という毛穴から噴き出していますのよ!」
「毒ならとっくに、その口から吐き出しているだろう」
セドリック様は、嫌がる私を軽々と(物理的に)引きずりながら、会場の出口へと向かい始めた。
「放して! 私はここで、自分の葬儀の予約をするんですの! リュカ様、覚えておきなさい! 私の命日は、今日! あなたのその、お花が咲いたような頭のせいで、一輪の可憐な薔薇が散ったのですわよ!」
「……誰が薔薇だって?」
リュカ様が呆然と呟く声を背中で聞きながら、私は引きずられていく。
「セドリック様! 私の死体は、一番高いシャンパンで洗ってくださいまし! あと、棺桶は特注のシルク貼りで……!」
「死体は喋らないし、あなたは明日も元気に朝食を食べる。いいから黙れ」
こうして、私の「輝かしい悪役令嬢ライフ」は幕を閉じた。
そして同時に、世界で一番面倒くさい「立ち直れない女」としての生活が始まったのである。
私は決めた。
もう二度と、恋なんてしない。
明日からは、いかに自分が不幸であるかを世界に知らしめるためだけに、全エネルギーを注いでやるのだ。
……まずは、家の自室を真っ黒に塗り替えるところから始めよう。
私はセドリック様の腕の中で、固い決意を込めて、ぐったりと目を閉じた。
王宮のきらびやかな大広間。
楽団の演奏が止まり、着飾った貴族たちの視線が一斉に突き刺さる。
その中心で、第一王子リュカは、隣に寄り添う男爵令嬢ミエルの肩を抱き寄せ、勝ち誇った顔で私を指差していた。
「……えっ?」
私は、手に持っていた高級な鴨のローストを、思わず床に落とした。
銀のお皿がカランと音を立てて転がる。
「……いま、なんておっしゃいましたの?」
「耳まで腐ったか! 婚約破棄だと言ったのだ! これからは、心優しきミエルこそが私の婚約者に相応しい!」
リュカ様の言葉に、周囲からヒソヒソという嘲笑が漏れる。
本来なら、ここで私は「覚えがございません!」と反論するか、あるいは「申し訳ございません」と泣き崩れるべきなのだろう。
しかし、私――ナタリーの脳内を占めていたのは、もっと別の、もっと重大な絶望だった。
「……終わった。私の、人生、終わりましたわ……」
「ふん、今さら後悔しても遅い! これまでの悪行を悔いて――」
「あああああああああああああああ!! もうダメですわ!! 私は死にました!! 今この瞬間、ナタリー・ゴールドマンという美しい物語は、無惨な打ち切りを迎えましたのよ!!」
突然、私が叫び声を上げてその場に突っ伏したため、リュカ様が「ひっ」と短い悲鳴を上げて飛び退いた。
私はドレスが汚れるのも構わず、大理石の床に這いつくばり、全力で地を叩く。
「なんてこと! なんてことですの! 婚約破棄! それはつまり、私がヒロインではないという残酷な告知! 脇役! 私はただの、舞台装置だったということですのね!?」
「な、何を言っているんだ。おい、立て、ナタリー」
「立てませんわ! 私の足は、今この瞬間に魂との契約を解除しましたの! リュカ様、ご覧なさい! この床の冷たさ! これが、愛を失った女にふさわしい、奈落の底の温度ですわああ!!」
私は、まるで悲劇の舞台の主役になりきったかのように、朗々と声を響かせながらゴロゴロと床を転がった。
「……おい、リュカ。あいつ、ショックで壊れたんじゃないのか?」
背後から、冷ややかな、しかしどこか呆れたような低い声が聞こえた。
宰相補佐官、セドリック・ノア・ヴァレンタイン。
この国の若手貴族の中でも、群を抜いて冷徹で、仕事の鬼として知られる男だ。
「し、知らないよセドリック! 急に叫び出したんだ! ミエル、離れていろ。ナタリーの狂気がうつるかもしれない」
「……王子、流石にそれはナタリー様が不憫です」
ミエル様が困ったように眉を下げているが、今の私の耳には届かない。
私は、仰向けにひっくり返った状態で、天井のシャンデリアを見つめながら虚ろな笑みを浮かべた。
「ふふ、ふふふ……。見える、見えますわ。迎えの馬車が……。地獄行きの、カボチャではない馬車が……。さあ、私を連れて行って。この世に未練なんて、あと一口食べたかった鴨のロースト以外にはありませんわ……」
「……ナタリー嬢、見苦しい。さっさと立って、家に帰りなさい」
セドリック様が私の頭元まで歩いてきて、見下ろすように言った。
「セドリック様……。あなたには、この悲しみがわかりませんのね。心臓が、まるで冷えたコンソメスープのように固まってしまった私の痛みが……」
「コンソメは温めれば溶けるだろう。いいから、衛兵を呼ぶ前に帰りなさい。公爵家の名誉がこれ以上、粉々になる前に」
「名誉? そんなもの、婚約破棄の衝撃で消し飛びましたわ! 今の私は、ただの『悲しみの肉塊』ですわ!」
「……だめだ、会話にならないな」
セドリック様は深いため息をつくと、私の腕を掴んで無理やり立たせようとした。
「いやああ! 触らないで! 今の私は猛毒を帯びていますの! 失恋の毒が、毛穴という毛穴から噴き出していますのよ!」
「毒ならとっくに、その口から吐き出しているだろう」
セドリック様は、嫌がる私を軽々と(物理的に)引きずりながら、会場の出口へと向かい始めた。
「放して! 私はここで、自分の葬儀の予約をするんですの! リュカ様、覚えておきなさい! 私の命日は、今日! あなたのその、お花が咲いたような頭のせいで、一輪の可憐な薔薇が散ったのですわよ!」
「……誰が薔薇だって?」
リュカ様が呆然と呟く声を背中で聞きながら、私は引きずられていく。
「セドリック様! 私の死体は、一番高いシャンパンで洗ってくださいまし! あと、棺桶は特注のシルク貼りで……!」
「死体は喋らないし、あなたは明日も元気に朝食を食べる。いいから黙れ」
こうして、私の「輝かしい悪役令嬢ライフ」は幕を閉じた。
そして同時に、世界で一番面倒くさい「立ち直れない女」としての生活が始まったのである。
私は決めた。
もう二度と、恋なんてしない。
明日からは、いかに自分が不幸であるかを世界に知らしめるためだけに、全エネルギーを注いでやるのだ。
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