2 / 28
2
しおりを挟む
「……というわけで、公爵。お宅の令嬢をお送りした。……というか、お届けした」
公爵家の玄関ホール。
セドリック様が、私の腰を掴んで「荷物」のように床へ置いた。
私はそのまま、玄関の冷たいタイルに頬を摺り寄せる。
「お届け……? セドリック殿、それは一体どういう……。それよりナタリー、なぜそんな泥だらけで、死んだ魚のような目をしているんだ」
父であるゴールドマン公爵が、驚きのあまり手に持っていた書類を落とした。
「お父様……。お呼びなさい、お呼びなさい……。今すぐこの国で一番腕のいい『葬儀屋』を呼ぶのですわ……」
「葬儀屋!? おい、どこか怪我をしているのか!?」
「心の傷口が広すぎて、もはや全身が致命傷ですの。リュカ様に婚約破棄されましたわ。私はもう、ナタリーではなく『悲しみの化身』として生きていくことに決めましたの」
父様は絶句し、それからセドリック様に救いを求めるような視線を向けた。
「セドリック殿、これは……その、ショックで一時的に錯乱しているだけだろうか」
「私に聞かないでいただきたい。夜会の会場で三十分ほど床を転がっていたので、身体的な元気だけはあるはずだ。……では、私はこれで」
「待ってセドリック様! 私を置いていかないで! 私の最期を看取る役職を、あなたに任命しますわ!」
「辞退する。……公爵、失礼する」
セドリック様は、私の必死の呼びかけをマントの翻し一つで無視し、嵐のように去っていった。
なんて冷たいお方。
でもいいわ、その冷たさが今の私の凍てついた心には心地よいのです。
「ナタリー、とにかく部屋へ行きなさい。お前、ドレスがボロボロじゃないか」
「お父様、わかっておりませんわね。ボロボロなのはドレスではありません。私の存在そのものですわ」
私は這うようにして階段を上り始めた。
「これ、ナタリー! 二足歩行をやめるな!」
「今の私には、重力さえも耐え難い苦痛なのです……」
なんとか自室に辿り着いた私は、控えていた侍女のアンに鋭く指を突きつけた。
「アン! 今すぐ、この部屋にある『光を放つもの』をすべて排除しなさい!」
「はい? 光を放つもの、といいますと……ランプですか?」
「ランプ、鏡、宝石、そして私の明るい未来! すべてですわ!」
「……未来は物理的に排除できませんが、とりあえずカーテンを閉めればよろしいですか?」
「足りませんわ! この部屋の壁をすべて黒い布で覆いなさい! 窓は板で塞いで! 私は今日から、深海の底に住む盲目の魚として余生を過ごしますの!」
「お嬢様、落ち着いてください。とりあえずお着替えを――」
「着替えなら、漆黒のベールを用意なさい! あ、それから、食事はすべて黒いものにすること。イカスミ、黒豆、焦げたトースト……。彩りなんて、私の人生にはもう不要ですわ!」
私はベッドにダイブし、枕に顔を埋めて叫んだ。
「あああああああああ! 悲しい! 私、とっても悲しいですわ!!」
「……お嬢様、叫んでいる間は割と元気そうに見えますけど」
「うるさいですわ! これは魂の慟哭ですのよ! あ、お父様に伝えて。明日の朝、私が冷たくなっていたら、お墓には『愛に殺された女』と刻んでくださいって!」
「承知いたしました。一応、キッチンに温かいココアを頼んでおきますね」
「ココア……。ふん、砂糖は入れないで。私の涙で味付けしますから……」
アンが部屋を出ていくと、私はようやく静まった部屋で天井を見上げた。
窓の隙間から、月明かりが差し込んでいる。
……眩しい。
今の私には、月光さえも刃のように突き刺さる。
私は立ち上がり、クローゼットから黒いショールを引っ張り出すと、それを頭から被った。
「よし。これで完璧ですわ」
鏡に映った自分を見る。
顔は青白く、目は泣きすぎて腫れ、頭から黒い布を被った姿は、どこからどう見ても『悲劇のヒロイン』そのもの。
「ふふ……ふふふ。似合っていますわ、ナタリー。あなたは今、世界で一番不幸で、一番ドラマチックよ……」
悲しみに浸る自分に酔いしれていると、不意に、コンコンと窓を叩く音がした。
「……えっ? 二階ですわよ、ここ」
恐る恐る窓を開けると、そこには、隣の木を伝って登ってきたらしい人物がいた。
「……何をしているんだ、その格好は」
「セドリック様!? なぜ戻ってこられたのですか!? しかも窓から!」
「忘れ物だ。……お前の、これ。会場に落ちていたぞ」
セドリック様の手には、私がさっき床にぶちまけたはずの、鴨のローストが一切れ、紙に包まれて握られていた。
「……わざわざ、鴨を届けに?」
「お前があれほど未練だと言っていたからだ。食ってさっさと寝ろ、この面倒な女」
セドリック様は鴨を私に押し付けると、また無言で木を降りていった。
私は、手に残った鴨の温もりと、脂のいい香りに鼻をひくつかせた。
「……まだ、温かい。……じゅるり」
私は、漆黒のベールの下で、誰にも見られないように鴨を口に放り込んだ。
「……美味しい。……悲しいけど、美味しいですわ……。おのれ、リュカ王子……。こんなに美味しい鴨を味わう余裕さえ奪うなんて……!」
私は鴨を噛み締めながら、さらなる深い(?)絶望の淵へと沈んでいくのだった。
公爵家の玄関ホール。
セドリック様が、私の腰を掴んで「荷物」のように床へ置いた。
私はそのまま、玄関の冷たいタイルに頬を摺り寄せる。
「お届け……? セドリック殿、それは一体どういう……。それよりナタリー、なぜそんな泥だらけで、死んだ魚のような目をしているんだ」
父であるゴールドマン公爵が、驚きのあまり手に持っていた書類を落とした。
「お父様……。お呼びなさい、お呼びなさい……。今すぐこの国で一番腕のいい『葬儀屋』を呼ぶのですわ……」
「葬儀屋!? おい、どこか怪我をしているのか!?」
「心の傷口が広すぎて、もはや全身が致命傷ですの。リュカ様に婚約破棄されましたわ。私はもう、ナタリーではなく『悲しみの化身』として生きていくことに決めましたの」
父様は絶句し、それからセドリック様に救いを求めるような視線を向けた。
「セドリック殿、これは……その、ショックで一時的に錯乱しているだけだろうか」
「私に聞かないでいただきたい。夜会の会場で三十分ほど床を転がっていたので、身体的な元気だけはあるはずだ。……では、私はこれで」
「待ってセドリック様! 私を置いていかないで! 私の最期を看取る役職を、あなたに任命しますわ!」
「辞退する。……公爵、失礼する」
セドリック様は、私の必死の呼びかけをマントの翻し一つで無視し、嵐のように去っていった。
なんて冷たいお方。
でもいいわ、その冷たさが今の私の凍てついた心には心地よいのです。
「ナタリー、とにかく部屋へ行きなさい。お前、ドレスがボロボロじゃないか」
「お父様、わかっておりませんわね。ボロボロなのはドレスではありません。私の存在そのものですわ」
私は這うようにして階段を上り始めた。
「これ、ナタリー! 二足歩行をやめるな!」
「今の私には、重力さえも耐え難い苦痛なのです……」
なんとか自室に辿り着いた私は、控えていた侍女のアンに鋭く指を突きつけた。
「アン! 今すぐ、この部屋にある『光を放つもの』をすべて排除しなさい!」
「はい? 光を放つもの、といいますと……ランプですか?」
「ランプ、鏡、宝石、そして私の明るい未来! すべてですわ!」
「……未来は物理的に排除できませんが、とりあえずカーテンを閉めればよろしいですか?」
「足りませんわ! この部屋の壁をすべて黒い布で覆いなさい! 窓は板で塞いで! 私は今日から、深海の底に住む盲目の魚として余生を過ごしますの!」
「お嬢様、落ち着いてください。とりあえずお着替えを――」
「着替えなら、漆黒のベールを用意なさい! あ、それから、食事はすべて黒いものにすること。イカスミ、黒豆、焦げたトースト……。彩りなんて、私の人生にはもう不要ですわ!」
私はベッドにダイブし、枕に顔を埋めて叫んだ。
「あああああああああ! 悲しい! 私、とっても悲しいですわ!!」
「……お嬢様、叫んでいる間は割と元気そうに見えますけど」
「うるさいですわ! これは魂の慟哭ですのよ! あ、お父様に伝えて。明日の朝、私が冷たくなっていたら、お墓には『愛に殺された女』と刻んでくださいって!」
「承知いたしました。一応、キッチンに温かいココアを頼んでおきますね」
「ココア……。ふん、砂糖は入れないで。私の涙で味付けしますから……」
アンが部屋を出ていくと、私はようやく静まった部屋で天井を見上げた。
窓の隙間から、月明かりが差し込んでいる。
……眩しい。
今の私には、月光さえも刃のように突き刺さる。
私は立ち上がり、クローゼットから黒いショールを引っ張り出すと、それを頭から被った。
「よし。これで完璧ですわ」
鏡に映った自分を見る。
顔は青白く、目は泣きすぎて腫れ、頭から黒い布を被った姿は、どこからどう見ても『悲劇のヒロイン』そのもの。
「ふふ……ふふふ。似合っていますわ、ナタリー。あなたは今、世界で一番不幸で、一番ドラマチックよ……」
悲しみに浸る自分に酔いしれていると、不意に、コンコンと窓を叩く音がした。
「……えっ? 二階ですわよ、ここ」
恐る恐る窓を開けると、そこには、隣の木を伝って登ってきたらしい人物がいた。
「……何をしているんだ、その格好は」
「セドリック様!? なぜ戻ってこられたのですか!? しかも窓から!」
「忘れ物だ。……お前の、これ。会場に落ちていたぞ」
セドリック様の手には、私がさっき床にぶちまけたはずの、鴨のローストが一切れ、紙に包まれて握られていた。
「……わざわざ、鴨を届けに?」
「お前があれほど未練だと言っていたからだ。食ってさっさと寝ろ、この面倒な女」
セドリック様は鴨を私に押し付けると、また無言で木を降りていった。
私は、手に残った鴨の温もりと、脂のいい香りに鼻をひくつかせた。
「……まだ、温かい。……じゅるり」
私は、漆黒のベールの下で、誰にも見られないように鴨を口に放り込んだ。
「……美味しい。……悲しいけど、美味しいですわ……。おのれ、リュカ王子……。こんなに美味しい鴨を味わう余裕さえ奪うなんて……!」
私は鴨を噛み締めながら、さらなる深い(?)絶望の淵へと沈んでいくのだった。
1
あなたにおすすめの小説
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました
よどら文鳥
恋愛
ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。
ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。
ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。
更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。
再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。
ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。
後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。
ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる