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「……ナタリー。お前、さっきから一時間、ずっとその作業をしているのか?」
公爵邸の図書室。
山積みの黒い色紙と、銀色のインクを前にして、セドリック様が信じられないものを見るような声を上げた。
私は返事をする暇も惜しみ、極細のペン先で紙に『絶望の波紋』を描き込み続けた。
「……話しかけないでください、セドリック様。今、私の涙の結晶を一枚一枚、この招待状に封じ込めているところなんですの。……見て、この繊細な模様。これぞ、愛を失った女にしか描けない地獄の地図ですわ」
「……地獄の地図にしては、随分と幾何学的な美しさがあるな。……というか、これ、全部手書きなのか?」
「当然ですわ! 悲劇は大量生産できるものではありませんのよ! 招待客五十名分、すべて異なる絶望のメッセージを添えるんですの」
私は、眼精疲労で震える手で、五十一枚目のカードに『あなたは、私の葬列の何番目に並んでくださる?』としたためた。
「……五十枚。お前、その集中力を少しでも公爵家の帳簿整理に回せば、今頃ゴールドマン家は隣国を買い取れるほど潤っているぞ」
セドリック様は呆れたように言いながらも、私の隣の椅子に腰を下ろした。
彼は私が書いたカードを一枚取り上げ、じっと見つめる。
「……『私の心は、冷えたジャガイモの皮のように剥がれ落ちました』。……ナタリー、これは何だ」
「比喩ですわ! 冷たくて、惨めで、土臭い……。昨日の私の夕食をヒントにしましたのよ」
「……昨日の夕食は、最高級のヴィシソワーズだったはずだが。……おい、ペンを貸せ」
セドリック様は、私の手から奪うようにペンを取ると、空いているカードにさらさらと文字を書き始めた。
「ああっ! 何をするんですの! 私の聖なる絶望を汚さないで!」
「汚してはいない。……お前の文章は主観が強すぎて、読む側が胃もたれする。こう書くんだ。……『月光さえも刃となって、私の影を切り刻む夜。貴公を、この静かな崩壊の場へ招こう』」
「………………。……セドリック様。あなた、才能がありますわね」
私は思わず、書きかけのカードを覗き込んだ。
なんて、なんて厨……いえ、高尚で耽美な文章かしら!
「……事務作業の一環だ。報告書の冒頭に情緒的な一文を添えるのは、貴族社会でのマナーだからな。……ほら、次のカードだ。文章は私が考える。お前は、その……なんだ、波紋とやらを描け」
「セドリック様……。あなた、私の悲劇を監視するはずが、共作してくださるなんて……。もしや、私の不幸に感化されて、あなたも『悲しみの仲間』になりたくなりましたの?」
「違う。……お前が一人でやっていると、いつまで経っても終わらないからだ。私は早くこの仕事を片付けて、静かな執務室に戻りたいだけだ」
セドリック様はぶっきらぼうに言い放ったが、その手は止まらなかった。
冷徹な官僚であるはずの彼が、失恋令嬢のパーティーのために、熱心にポエムを量産している。
その光景こそが、今この部屋で一番の喜劇……いえ、悲劇かもしれませんわね。
「……。……ふふ。セドリック様の手、意外と温かいんですのね」
「……? ……筆圧が強すぎるんだ、お前は。もっと力を抜け。……ほら、このカードは終わった。次だ」
セドリック様は、私の視線を避けるように、次の色紙を私の前に突き出した。
それから数時間。
図書室には、ペンの走る音と、たまに漏れる私の溜息、そしてセドリック様の鋭いダメ出しだけが響いた。
「……できた。五十枚、すべて完遂しましたわ!」
私は達成感のあまり、机の上に突っ伏した。
もう、指の感覚がありませんわ。これも、愛を捧げた代償ですのね。
「……。……。……終わったな。……おい、ナタリー。寝るな、まだ片付けが残っているぞ」
セドリック様の声が、遠くで聞こえる。
私は朦朧とした意識の中で、彼の官服の袖を少しだけ掴んだ。
「……セドリック様。……ありがとうございます。……あなた、意外と、いい司会者になれそうですわよ……」
「……司会者の前に、お前の介護士にされそうな気分だよ」
セドリック様の、どこか困ったような、それでいて柔らかな溜息が頭上から降ってきた。
その時、不意に、彼の大きな手が私の頭に置かれたような気がしたけれど。
それはきっと、私が絶望しすぎて見た、一瞬の白昼夢に違いありませんわ。
「……寝たか。……全く、手のかかる悲劇のヒロインだ」
遠ざかる意識の最後で、私はセドリック様の微かな笑い声を聞いた気がした。
私の「立ち直れない生活」に、いつの間にか「誰かの気配」が混ざり始めていることに、私はまだ、本当の意味では気づいていなかったのである。
公爵邸の図書室。
山積みの黒い色紙と、銀色のインクを前にして、セドリック様が信じられないものを見るような声を上げた。
私は返事をする暇も惜しみ、極細のペン先で紙に『絶望の波紋』を描き込み続けた。
「……話しかけないでください、セドリック様。今、私の涙の結晶を一枚一枚、この招待状に封じ込めているところなんですの。……見て、この繊細な模様。これぞ、愛を失った女にしか描けない地獄の地図ですわ」
「……地獄の地図にしては、随分と幾何学的な美しさがあるな。……というか、これ、全部手書きなのか?」
「当然ですわ! 悲劇は大量生産できるものではありませんのよ! 招待客五十名分、すべて異なる絶望のメッセージを添えるんですの」
私は、眼精疲労で震える手で、五十一枚目のカードに『あなたは、私の葬列の何番目に並んでくださる?』としたためた。
「……五十枚。お前、その集中力を少しでも公爵家の帳簿整理に回せば、今頃ゴールドマン家は隣国を買い取れるほど潤っているぞ」
セドリック様は呆れたように言いながらも、私の隣の椅子に腰を下ろした。
彼は私が書いたカードを一枚取り上げ、じっと見つめる。
「……『私の心は、冷えたジャガイモの皮のように剥がれ落ちました』。……ナタリー、これは何だ」
「比喩ですわ! 冷たくて、惨めで、土臭い……。昨日の私の夕食をヒントにしましたのよ」
「……昨日の夕食は、最高級のヴィシソワーズだったはずだが。……おい、ペンを貸せ」
セドリック様は、私の手から奪うようにペンを取ると、空いているカードにさらさらと文字を書き始めた。
「ああっ! 何をするんですの! 私の聖なる絶望を汚さないで!」
「汚してはいない。……お前の文章は主観が強すぎて、読む側が胃もたれする。こう書くんだ。……『月光さえも刃となって、私の影を切り刻む夜。貴公を、この静かな崩壊の場へ招こう』」
「………………。……セドリック様。あなた、才能がありますわね」
私は思わず、書きかけのカードを覗き込んだ。
なんて、なんて厨……いえ、高尚で耽美な文章かしら!
「……事務作業の一環だ。報告書の冒頭に情緒的な一文を添えるのは、貴族社会でのマナーだからな。……ほら、次のカードだ。文章は私が考える。お前は、その……なんだ、波紋とやらを描け」
「セドリック様……。あなた、私の悲劇を監視するはずが、共作してくださるなんて……。もしや、私の不幸に感化されて、あなたも『悲しみの仲間』になりたくなりましたの?」
「違う。……お前が一人でやっていると、いつまで経っても終わらないからだ。私は早くこの仕事を片付けて、静かな執務室に戻りたいだけだ」
セドリック様はぶっきらぼうに言い放ったが、その手は止まらなかった。
冷徹な官僚であるはずの彼が、失恋令嬢のパーティーのために、熱心にポエムを量産している。
その光景こそが、今この部屋で一番の喜劇……いえ、悲劇かもしれませんわね。
「……。……ふふ。セドリック様の手、意外と温かいんですのね」
「……? ……筆圧が強すぎるんだ、お前は。もっと力を抜け。……ほら、このカードは終わった。次だ」
セドリック様は、私の視線を避けるように、次の色紙を私の前に突き出した。
それから数時間。
図書室には、ペンの走る音と、たまに漏れる私の溜息、そしてセドリック様の鋭いダメ出しだけが響いた。
「……できた。五十枚、すべて完遂しましたわ!」
私は達成感のあまり、机の上に突っ伏した。
もう、指の感覚がありませんわ。これも、愛を捧げた代償ですのね。
「……。……。……終わったな。……おい、ナタリー。寝るな、まだ片付けが残っているぞ」
セドリック様の声が、遠くで聞こえる。
私は朦朧とした意識の中で、彼の官服の袖を少しだけ掴んだ。
「……セドリック様。……ありがとうございます。……あなた、意外と、いい司会者になれそうですわよ……」
「……司会者の前に、お前の介護士にされそうな気分だよ」
セドリック様の、どこか困ったような、それでいて柔らかな溜息が頭上から降ってきた。
その時、不意に、彼の大きな手が私の頭に置かれたような気がしたけれど。
それはきっと、私が絶望しすぎて見た、一瞬の白昼夢に違いありませんわ。
「……寝たか。……全く、手のかかる悲劇のヒロインだ」
遠ざかる意識の最後で、私はセドリック様の微かな笑い声を聞いた気がした。
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