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王都で最も高級なオープンカフェ。
テラス席には、春の柔らかな日差しが降り注ぎ、色とりどりの花が咲き誇っている。
「リュカ様、このラズベリーのタルト、とっても美味しいですわ!」
目の前で、新しい婚約者候補であるミエルが、天使のような微笑みを浮かべてフォークを動かしている。
小鳥のさえずりのような声、穏やかな空気、そして何より、自分を崇拝するような濁りのない瞳。
……これだ。
これこそが、私が求めていた理想の休日。
あの騒々しくて、常に自分が主役でないと気が済まないナタリー・ゴールドマンを追い出し、ようやく手に入れた平和。
それなのに。
「……。……。……」
「リュカ様? どうかなさいましたか? お口に合いませんでした?」
「……あ、いや。……静かだな、と思ってな」
「まあ、ここは王都で一番格式高いお店ですもの。騒がしい方なんていらっしゃいませんわ」
ミエルは無邪気に頷いた。
……そうだ。騒がしい人間など、ここにはいない。
だが、静かすぎるのだ。
いつもなら、このタイミングで「リュカ様! 私の美しさを讃えるポエムがまだ三行しか届いていませんわよ!」とか、「この紅茶、私の涙の味に比べたら白湯同然ですわ!」といった、理解不能な絶叫が響き渡っていたはずなのだ。
「……なあ、ミエル。君は、私といて……その、退屈ではないか?」
「退屈だなんて! リュカ様とこうして穏やかにお話しできるだけで、私は世界で一番幸せですわ!」
「……そうか。そうだよな。……普通はそうだよな」
リュカは、手元の冷めかけた紅茶を啜った。
美味しい。確かに美味しい。
だが、あの「塩を撒かれながら聞く罵声」や「床を転がりながら語られる地獄のナレーション」に比べると、あまりにパンチが足りない。
「(……ナタリーの奴、今頃どうしているんだ。また庭に穴でも掘っているのか?)」
ふと、隣のテーブルの令嬢たちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、聞いた? ナタリー様の『失恋パーティー』の招待状」
「ええ、届いたわ! 中身が凄いのよ。『私の遺書(パーティー次第)』って書いてあって……!」
「なんて耽美的! 流行の『絶望ルック』も、あの方が先駆者なんですってね」
リュカは思わず、持っていたフォークを落とした。
「失恋……パーティーだと!? 遺書!? あいつ、本当に死ぬつもりなのか!?」
「あら、リュカ様。ナタリー様のことでしたら、ご心配いりませんわ。あの方は今、セドリック様と一緒に楽しそうに……あ、いえ、苦しそうに準備をされているそうですわよ」
ミエルが、昨日街で聞いた噂を楽しそうに付け加える。
「セドリックと!? あの、仕事の鬼と言われるセドリックが、あんな『歩く騒音公害』と一緒にいるのか!?」
「ええ。なんでも、ナタリー様の絶望を管理できるのは自分だけだ、と仰っていたとか……。お二人で夜遅くまで、薄暗い図書室で怪しげなポエムを書いていらっしゃるとか」
「……。……。……」
リュカの胸の中に、説明のつかないモヤモヤとした感情が広がった。
それは、かつて自分の背後に隠れて震えていた……はずのナタリーが、自分の知らないところで勝手に「新しい悲劇(エンターテインメント)」を構築していることへの、奇妙な焦燥感だった。
「(……セドリックの奴、あんな女のどこがいいんだ。……いや、いいわけがない。同情だ、あれは単なる公務としての同情に違いない)」
だが、脳裏に浮かぶのは、自分に向かって「清めの塩」を全力で投げていた時の、ナタリーの生き生きとした(絶望した)瞳だ。
「ミエル。……すまないが、少し早めに切り上げてもいいか?」
「えっ? まだタルトが半分残っていますけれど……」
「急に、大切な用事を思い出した。……ああ、いや、別にナタリーのパーティーが気になっているわけではないぞ! 断じてな!」
「……。……リュカ様、誰もそんなこと聞いておりませんわ」
ミエルがポカンとしている間に、リュカは会計を済ませ、逃げるようにカフェを後にした。
馬車に乗り込み、一人になったリュカは、窓の外を眺めながら小さく毒づいた。
「……おのれ、ナタリー・ゴールドマン。婚約破棄されて立ち直れないくせに、なぜ私のいないところで面白そうなことをしているんだ。……私という『太陽』を失ったのなら、もっとこう、影のようにひっそりと枯れていればいいものを……!」
しかし、そう吐き捨てるリュカの心には、昨日ナタリーから届いた(セドリックに添削された)真っ黒な招待状が、今も大切に懐にしまわれている事実は、誰にも言えない秘密だった。
「……まあ、あんなパーティー、私が乗り込んで滅茶苦チャにしてやらないと、あいつも浮かばれないだろうからな。……あくまでの、元婚約者としての『慈悲』だぞ。慈悲……!」
リュカは自分に言い聞かせるように何度も頷き、御者に公爵邸……ではなく、パーティー用の新しい衣装を仕立てるよう命じた。
平穏すぎる毎日に耐えかねた「お花畑の王子」は、自ら再び「絶望の爆風」の中へ飛び込もうとしていたのである。
テラス席には、春の柔らかな日差しが降り注ぎ、色とりどりの花が咲き誇っている。
「リュカ様、このラズベリーのタルト、とっても美味しいですわ!」
目の前で、新しい婚約者候補であるミエルが、天使のような微笑みを浮かべてフォークを動かしている。
小鳥のさえずりのような声、穏やかな空気、そして何より、自分を崇拝するような濁りのない瞳。
……これだ。
これこそが、私が求めていた理想の休日。
あの騒々しくて、常に自分が主役でないと気が済まないナタリー・ゴールドマンを追い出し、ようやく手に入れた平和。
それなのに。
「……。……。……」
「リュカ様? どうかなさいましたか? お口に合いませんでした?」
「……あ、いや。……静かだな、と思ってな」
「まあ、ここは王都で一番格式高いお店ですもの。騒がしい方なんていらっしゃいませんわ」
ミエルは無邪気に頷いた。
……そうだ。騒がしい人間など、ここにはいない。
だが、静かすぎるのだ。
いつもなら、このタイミングで「リュカ様! 私の美しさを讃えるポエムがまだ三行しか届いていませんわよ!」とか、「この紅茶、私の涙の味に比べたら白湯同然ですわ!」といった、理解不能な絶叫が響き渡っていたはずなのだ。
「……なあ、ミエル。君は、私といて……その、退屈ではないか?」
「退屈だなんて! リュカ様とこうして穏やかにお話しできるだけで、私は世界で一番幸せですわ!」
「……そうか。そうだよな。……普通はそうだよな」
リュカは、手元の冷めかけた紅茶を啜った。
美味しい。確かに美味しい。
だが、あの「塩を撒かれながら聞く罵声」や「床を転がりながら語られる地獄のナレーション」に比べると、あまりにパンチが足りない。
「(……ナタリーの奴、今頃どうしているんだ。また庭に穴でも掘っているのか?)」
ふと、隣のテーブルの令嬢たちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、聞いた? ナタリー様の『失恋パーティー』の招待状」
「ええ、届いたわ! 中身が凄いのよ。『私の遺書(パーティー次第)』って書いてあって……!」
「なんて耽美的! 流行の『絶望ルック』も、あの方が先駆者なんですってね」
リュカは思わず、持っていたフォークを落とした。
「失恋……パーティーだと!? 遺書!? あいつ、本当に死ぬつもりなのか!?」
「あら、リュカ様。ナタリー様のことでしたら、ご心配いりませんわ。あの方は今、セドリック様と一緒に楽しそうに……あ、いえ、苦しそうに準備をされているそうですわよ」
ミエルが、昨日街で聞いた噂を楽しそうに付け加える。
「セドリックと!? あの、仕事の鬼と言われるセドリックが、あんな『歩く騒音公害』と一緒にいるのか!?」
「ええ。なんでも、ナタリー様の絶望を管理できるのは自分だけだ、と仰っていたとか……。お二人で夜遅くまで、薄暗い図書室で怪しげなポエムを書いていらっしゃるとか」
「……。……。……」
リュカの胸の中に、説明のつかないモヤモヤとした感情が広がった。
それは、かつて自分の背後に隠れて震えていた……はずのナタリーが、自分の知らないところで勝手に「新しい悲劇(エンターテインメント)」を構築していることへの、奇妙な焦燥感だった。
「(……セドリックの奴、あんな女のどこがいいんだ。……いや、いいわけがない。同情だ、あれは単なる公務としての同情に違いない)」
だが、脳裏に浮かぶのは、自分に向かって「清めの塩」を全力で投げていた時の、ナタリーの生き生きとした(絶望した)瞳だ。
「ミエル。……すまないが、少し早めに切り上げてもいいか?」
「えっ? まだタルトが半分残っていますけれど……」
「急に、大切な用事を思い出した。……ああ、いや、別にナタリーのパーティーが気になっているわけではないぞ! 断じてな!」
「……。……リュカ様、誰もそんなこと聞いておりませんわ」
ミエルがポカンとしている間に、リュカは会計を済ませ、逃げるようにカフェを後にした。
馬車に乗り込み、一人になったリュカは、窓の外を眺めながら小さく毒づいた。
「……おのれ、ナタリー・ゴールドマン。婚約破棄されて立ち直れないくせに、なぜ私のいないところで面白そうなことをしているんだ。……私という『太陽』を失ったのなら、もっとこう、影のようにひっそりと枯れていればいいものを……!」
しかし、そう吐き捨てるリュカの心には、昨日ナタリーから届いた(セドリックに添削された)真っ黒な招待状が、今も大切に懐にしまわれている事実は、誰にも言えない秘密だった。
「……まあ、あんなパーティー、私が乗り込んで滅茶苦チャにしてやらないと、あいつも浮かばれないだろうからな。……あくまでの、元婚約者としての『慈悲』だぞ。慈悲……!」
リュカは自分に言い聞かせるように何度も頷き、御者に公爵邸……ではなく、パーティー用の新しい衣装を仕立てるよう命じた。
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