悪役令嬢、婚約破棄される!隣国の「狂犬」公爵に溺愛されました

苺マカロン

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「ミオーナ・ヴェルデ! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!!」

王宮のきらびやかな大広間。

数千のキャンドルが揺らめくシャンデリアの下、第一王子ルシアンの高らかな宣言が響き渡った。

静寂。

オーケストラの優雅な演奏も、貴族たちのひそひそ話も、給仕がグラスを運ぶ音さえも、すべてが凍りついたように止まる。

誰もが息を呑み、渦中の人物である私、ミオーナ・ヴェルデ公爵令嬢の反応を窺っていた。

なにしろ私は「氷の悪役令嬢」として悪名高い女だ。

感情を表に出さず、常に冷徹な目で見下し、社交界では誰もが恐れて距離を置く存在。

そんな私が、国一番の高貴な場所で、衆人環視の中で恥をかかされたのだ。

さぞかし恐ろしい修羅場になるだろうと、野次馬根性たくましい貴族たちは期待と恐怖に震えていた。

しかし。

「――御意」

私は扇子をパチリと閉じて、即答した。

「……は?」

ルシアン王子の口が、あほ面全開でポカンと開く。

私は優雅なカーテシー(お辞儀)を披露し、顔を上げた。

その表情は、いつもの無表情。

けれど内心では、盆と正月と建国記念日が同時に来たようなサンバを踊り狂っていた。

(き、きたァァァァァァッ!! やっと来た! 待ちに待った不良債権の処理確定!!)

この瞬間を、私はどれほど待ち望んでいただろうか。

ルシアン王子。

顔だけは良いが、中身は驚くほど空っぽなナルシスト。

「僕の輝きが罪深い」だの「世界が僕を中心に回りたがっている」だの、聞いているだけで鼓膜が痒くなるような戯言を吐き続ける男だ。

そんな男との婚約は、私にとって苦行以外の何物でもなかった。

「……ぎょ、御意? それだけか?」

王子が戸惑ったように問いかける。

「はい。殿下がそう望まれるのであれば、一介の臣下である私に拒否権などございません。謹んでお受けいたします」

「ま、待て待て待て! おかしいだろう!?」

「何がでございましょう?」

「もっとこう、あるだろう!? 泣いて縋るとか、『嘘ですわ!』と叫ぶとか、『あの子のせいね!』と彼女を罵るとか!」

王子が指差した先には、私の後ろでおろおろとしている男爵令嬢、リリィ・ホワイトがいた。

ピンクブロンドの髪をふわふわと揺らし、小動物のように震えている。

一般的には、彼女が王子をたぶらかした「泥棒猫」という配役になるのだろう。

しかし、私は彼女に向かってニッコリと微笑んだ。

「リリィ様。この度は誠におめでとうございます」

「えっ……? あ、あの、ミオーナお姉さま……?」

「殿下のような素晴らしい(※皮肉)方を射止められるとは、さすがリリィ様ですわ。その溢れんばかりの慈愛の心で、殿下の介護……いえ、お世話を頑張ってくださいませ」

「は、はいっ! 私、お姉さまに応援していただけるなんて、夢みたいですぅ!」

リリィが感激して目を潤ませる。

彼女は決して悪い子ではない。

ただ、致命的に空気が読めず、そして致命的に男の趣味が悪いだけなのだ。

私が彼女を睨みつけなかったことに、周囲の貴族たちがざわめき始める。

「おい、あの悪役令嬢が笑ったぞ……?」

「しかも祝福している……? まさかショックで気が触れたのか?」

失礼な声が聞こえてくるが、無視だ。

今はそんなことよりも、重要な仕事がある。

私はドレスの隠しポケットから、あらかじめ用意していた羊皮紙の束を取り出した。

その厚さ、辞書一冊分。

「では殿下。婚約破棄の合意はなされたということで、事務手続きに移らせていただきます」

「じ、事務手続き……?」

「はい。こちら、請求書になります」

私は羊皮紙の束を、王子の胸元にバシッと押し付けた。

「せ、請求書ぉぉ!?」

王子の素っ頓狂な声が響く。

「はい。まずは婚約期間中に私が立て替えた、殿下の衣装代、遊興費、プレゼント代などの諸経費。これらはすべて『将来の王妃としての先行投資』という名目で我が家が負担しておりましたが、婚約破棄となれば話は別です。全額返済していただきます」

「なっ……!?」

「次に、精神的苦痛に対する慰謝料。殿下の数々の浮気、暴言、そしてこの公衆の面前での婚約破棄宣言による私の名誉毀損。これらを勘案し、相場の上限いっぱい+割増料金で算出しております」

私は懐から、さらに魔道具の小型計算機を取り出した。

パチパチパチパチッ!

目にも止まらぬ早業でキーを叩く音が、静まり返った広間に響く。

「えー、さらに、私がこの婚約のために費やした『時間』という資源の損失分。私はこの三年間、殿下の尻拭いのために公爵家の領地経営に関する業務時間を削ってまいりました。その逸失利益も加算させていただきます」

「ちょ、ちょっと待て! 金の話ばかりしやがって! 君には愛というものがないのか!?」

王子が顔を真っ赤にして叫ぶ。

私は計算機を叩く手を止め、冷ややかな視線を王子に向けた。

「愛? ございませんよ、そんなもの」

「なっ……」

「愛でドレスは買えません。愛で領民は養えません。そして何より、愛では殿下の作った借金は返せないのでございます」

きっぱりと言い放つ。

「さて、合計金額が出ました」

私は計算機の画面を王子に見せつけた。

そこに表示された数字を見て、王子の目が飛び出る。

「い、一、十、百、千、万……!? な、なんだこの桁はぁぁぁ!?」

「国家予算の数パーセントに相当しますが、公爵家への不敬と損害を考えれば妥当な金額かと。お支払いは一括のみ。分割は金利トイチ(十日で一割)で承りますが、いかがなさいますか?」

「は、払えるわけないだろう!! 僕は王子だぞ!? 王族に向かって金よこせとは何事だ!」

「おや、払えませんか? ……困りましたねぇ」

私はわざとらしくため息をついた。

「払えないのであれば、この請求書は陛下に直接回させていただきますが」

「ひっ……! ち、父上には言うな! 殺される!」

「でしたら、今ここで支払いの誓約書にサインを。担保として、殿下が隠し持っている離宮の権利書をいただいてもよろしいですが?」

「き、貴様ぁ……! どこまでがめついんだ! 悪魔か貴様は!」

「悪魔? いいえ、ただの被害者ですわ」

私はにっこりと微笑む。

周囲の貴族たちは、もはやドン引きを通り越して呆然としていた。

可憐に泣き崩れる悲劇のヒロインなど、どこにもいない。

そこにいるのは、冷徹な仮面をかなぐり捨て、金の亡者と化した一人のたくましい女だった。

「さあ、サインを。インクが乾かないうちに」

私がペンを差し出した、その時だ。

「――面白い」

低く、腹の底に響くような野太い声が割り込んだ。

広間の空気が、一瞬で変わる。

ピリリとした緊張感。

肌を刺すような殺気。

入り口の方から、漆黒の軍服に身を包んだ大男が、悠然と歩いてくるのが見えた。

猛獣のような金色の瞳。

顔に走る古傷。

そして、見る者すべてを威圧する圧倒的な覇気。

隣国バルバロスの公爵、ラシード・バルバロス。

通称『狂犬』。

戦場では千の敵を屠り、一度食らいついた獲物は決して離さないと言われる、生ける伝説。

そんな危険人物が、なぜか私の目の前で足を止めた。

彼は私を見下ろし、口の端を獰猛に吊り上げる。

「その借金、俺が肩代わりしてやろう」

「……はい?」

さすがの私も、思考が一瞬停止した。

「聞こえなかったか? その馬鹿王子の借金、俺が全額払ってやると言ったんだ」

「え、えっと……?」

私はパチパチと瞬きをする。

見ず知らずの他人が、しかも他国の要人が、これほどの巨額を肩代わりする?

何のメリットがあって?

私の脳内計算機が「警戒せよ」とアラートを鳴らすと同時に、「だが金は金だ」という結論も弾き出す。

「……条件は、なんでしょうか?」

私は慎重に問いかけた。

タダより高いものはない。

もしや、身体目当てか? それとも国家機密か?

ラシード公爵は、私の警戒心を見透かしたように鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。

「話が早くて助かる。条件は一つだ」

彼は私の手を取り、強引に引き寄せる。

ごつごつとした大きく熱い手が、私の腰を抱いた。

至近距離で見上げる彼の顔は、噂通り凶悪で、けれど不思議と目が離せない引力があった。

「俺の国に来い。そして俺の『妻』になれ」

「……は?」

「俺の屋敷の管理、および俺の飼い主……いや、パートナーとしての契約だ。報酬は言い値で払う。福利厚生も完備だ。どうだ、悪い話じゃなかろう?」

プロポーズの言葉にしては、あまりにも即物的で、色気がなく、そして何よりも――。

(……魅力的すぎる)

私の瞳が、金貨のように輝いた(気がした)。

「給与交渉は可能ですか?」

「ああ、望むところだ」

「残業代は?」

「きっちり払う」

「賞与は?」

「年二回、業績に応じて弾んでやる」

「……乗った!!」

私は王子の手からペンをもぎ取り、ラシード公爵が差し出した新たな羊皮紙(どうやら即席の婚姻届兼雇用契約書らしい)に、サラサラとサインをした。

「交渉成立ですわ、旦那様(仮)!」

「ククク……契約成立だな、奥様」

呆気にとられる王子とリリィ、そして会場中の貴族たちを置き去りにして。

こうして私、ミオーナ・ヴェルデは、婚約破棄からわずか数分で、隣国の狂犬公爵に「買われる」ことになったのである。
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