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「……絶望的ですわ。ここは図書室ではなく、ただの『インクを無駄に使った紙の廃棄場』ですわね」
私は王立図書室の重厚な扉を開けた瞬間、こみ上げてくる頭痛を抑えるためにこめかみを押さえました。
視界に広がるのは、整理という概念を忘却した書棚の数々。
床には年代不明の羊皮紙が散らかり、歴史的な名著の隣に昨年の「王宮晩餐会の残り物リスト」が並んでいるという惨状です。
「師匠、見てください! この棚、アルファベット順ではなく『背表紙の色がなんとなく似ている順』で並んでいますわ! 美学的な観点からも、検索性の観点からも万死に値します!」
私の隣で、腕まくりをしたクロエ様が憤慨しています。
彼女もすっかり「非効率」を悪と見なす、立派な私の信徒……いえ、弟子に育ちました。
「クロエ様、嘆く時間は資源の浪費です。まずは全在庫のインデックスを作成しますわよ。ジークフルト様、貴方はその筋肉を活かして、最上段にある『重くて埃を被っただけの無用な大著』を下ろしてください」
「……了解した。しかしベルベット様、ここにあるのは数万冊だぞ。三日はかかるのではないか?」
壁際に控えていたジークフルト様が、脚立に手をかけながら尋ねました。
「三日? ジークフルト様、私の処理能力を過小評価しないでいただきたい。今日の閉館時間までには、少なくとも第一セクターの構造改革を完了させます。……さあ、始めますわよ!」
私たちは、嵐のような勢いで作業を開始しました。
私は手に持った魔導書記デバイス(私の指示を自動で羊皮紙に記録する特注品)を操り、本のタイトル、著者、発行年、そして内容の重要度を瞬時に格付けしていきます。
作業開始から三時間。
図書室の一角が、ミリ単位の狂いもなく整然と並び直された頃。
私の指が、ある書棚の奥に隠されていた「不自然に新しい」一冊の帳簿に触れました。
「……あら? これは興味深いですわね」
「師匠、何か見つかりましたか?」
クロエ様が駆け寄ってきます。
私が手にしたのは、表紙には『王宮庭園の植物観察日記』と書かれた、一見すれば退屈極まりない冊子でした。
しかし、中を開いた瞬間に私の演算脳が火を噴きました。
「三月十四日。バラの開花状況、良好。……肥料代として金貨五百枚を計上。……は?」
「金貨五百枚!? 肥料にそんなにかかるわけありませんわ! 我が家の領地なら、その金額で村一つ分の農地を肥沃にできますわよ!」
クロエ様が身を乗り出して叫びます。
私はページをめくる速度を上げました。
「四月二日。雑草の除去。……人件費として金貨八百枚。……ふふ、面白いですわね。この『植物観察日記』、実は王宮の裏予算を洗浄するための『隠し帳簿』ですわ」
ジークフルト様が脚立から飛び降りました。
その顔は、騎士団長としての険しさを帯びています。
「何だと? 王宮の予算は財務大臣が厳格に管理しているはずだが……」
「その『厳格』の定義が、身内の懐を肥やすことであるならば正解ですわね。ジークフルト様、見てください。この筆跡、そしてこの無能極まりない計算ミス。……七足す八を二十二と計算するような人間、この王宮に心当たりはありませんか?」
「……財務大臣のドラクロワ伯爵だ。彼は数字にめっぽう弱いが、王家への忠誠心だけは高いと評判だったが……」
「忠誠心ではなく、単に『バレない程度に盗む知能がなかった』だけでしょう。ですが、この帳簿は致命的です。彼はこの図書室の混沌に紛れ込ませれば、永久に発見されないと踏んだのでしょうね」
私は帳簿を高く掲げ、勝利の笑みを浮かべました。
社交界で「氷の微笑」と恐れられたそれは、今や「バグを見つけたプログラマー」の喜びに満ちています。
「ジークフルト様。この図書室の整理、当初の予定を変更します。これは単なるお掃除ではなく、この国の『膿』を絞り出すための強制捜査ですわ」
「……ベルベット様、あまり深入りすると君の身が危ない。財務大臣は王太子の後ろ盾でもある」
「私の身が危ない? ……いいえ、ジークフルト様。危ないのは、私という『正論のマシンガン』を敵に回した彼らの方です」
私はクロエ様に向き直りました。
「クロエ様、緊急課題です。この帳簿の全ての数値を、過去三年の市場価格と照らし合わせ、不当な差額を『被害総額』として算出してください。一セントの狂いも許しませんわよ」
「はい! お任せください、師匠! 算数すらできない大人たちに、本物の教育を叩き込んで差し上げますわ!」
やる気に満ち溢れた弟子の返事に、私は満足げに頷きました。
「さて、ジークフルト様。貴方は私の『盾』になるとおっしゃいましたわね? ……なら、これから財務省へ乗り込む私のために、道を空けていただけますか?」
「……やれやれ。君を止めるのは、やはり不可能のようだな。分かった、近衛騎士団の全権をもって、君の安全を保証しよう」
「安全だけではなく、速やかな移動もお願いします。……十五分後に出発しますわよ」
図書室の埃っぽい空気の中に、冷徹な理性の風が吹き抜けました。
婚約破棄から始まった私の新生活は、今、国家規模の「大掃除」へとその歩みを進めたのです。
ライオネル殿下、そしてドラクロワ伯爵。
計算ができない貴方たちに、私が直々に『算数の時間』を作って差し上げましょう。
私は王立図書室の重厚な扉を開けた瞬間、こみ上げてくる頭痛を抑えるためにこめかみを押さえました。
視界に広がるのは、整理という概念を忘却した書棚の数々。
床には年代不明の羊皮紙が散らかり、歴史的な名著の隣に昨年の「王宮晩餐会の残り物リスト」が並んでいるという惨状です。
「師匠、見てください! この棚、アルファベット順ではなく『背表紙の色がなんとなく似ている順』で並んでいますわ! 美学的な観点からも、検索性の観点からも万死に値します!」
私の隣で、腕まくりをしたクロエ様が憤慨しています。
彼女もすっかり「非効率」を悪と見なす、立派な私の信徒……いえ、弟子に育ちました。
「クロエ様、嘆く時間は資源の浪費です。まずは全在庫のインデックスを作成しますわよ。ジークフルト様、貴方はその筋肉を活かして、最上段にある『重くて埃を被っただけの無用な大著』を下ろしてください」
「……了解した。しかしベルベット様、ここにあるのは数万冊だぞ。三日はかかるのではないか?」
壁際に控えていたジークフルト様が、脚立に手をかけながら尋ねました。
「三日? ジークフルト様、私の処理能力を過小評価しないでいただきたい。今日の閉館時間までには、少なくとも第一セクターの構造改革を完了させます。……さあ、始めますわよ!」
私たちは、嵐のような勢いで作業を開始しました。
私は手に持った魔導書記デバイス(私の指示を自動で羊皮紙に記録する特注品)を操り、本のタイトル、著者、発行年、そして内容の重要度を瞬時に格付けしていきます。
作業開始から三時間。
図書室の一角が、ミリ単位の狂いもなく整然と並び直された頃。
私の指が、ある書棚の奥に隠されていた「不自然に新しい」一冊の帳簿に触れました。
「……あら? これは興味深いですわね」
「師匠、何か見つかりましたか?」
クロエ様が駆け寄ってきます。
私が手にしたのは、表紙には『王宮庭園の植物観察日記』と書かれた、一見すれば退屈極まりない冊子でした。
しかし、中を開いた瞬間に私の演算脳が火を噴きました。
「三月十四日。バラの開花状況、良好。……肥料代として金貨五百枚を計上。……は?」
「金貨五百枚!? 肥料にそんなにかかるわけありませんわ! 我が家の領地なら、その金額で村一つ分の農地を肥沃にできますわよ!」
クロエ様が身を乗り出して叫びます。
私はページをめくる速度を上げました。
「四月二日。雑草の除去。……人件費として金貨八百枚。……ふふ、面白いですわね。この『植物観察日記』、実は王宮の裏予算を洗浄するための『隠し帳簿』ですわ」
ジークフルト様が脚立から飛び降りました。
その顔は、騎士団長としての険しさを帯びています。
「何だと? 王宮の予算は財務大臣が厳格に管理しているはずだが……」
「その『厳格』の定義が、身内の懐を肥やすことであるならば正解ですわね。ジークフルト様、見てください。この筆跡、そしてこの無能極まりない計算ミス。……七足す八を二十二と計算するような人間、この王宮に心当たりはありませんか?」
「……財務大臣のドラクロワ伯爵だ。彼は数字にめっぽう弱いが、王家への忠誠心だけは高いと評判だったが……」
「忠誠心ではなく、単に『バレない程度に盗む知能がなかった』だけでしょう。ですが、この帳簿は致命的です。彼はこの図書室の混沌に紛れ込ませれば、永久に発見されないと踏んだのでしょうね」
私は帳簿を高く掲げ、勝利の笑みを浮かべました。
社交界で「氷の微笑」と恐れられたそれは、今や「バグを見つけたプログラマー」の喜びに満ちています。
「ジークフルト様。この図書室の整理、当初の予定を変更します。これは単なるお掃除ではなく、この国の『膿』を絞り出すための強制捜査ですわ」
「……ベルベット様、あまり深入りすると君の身が危ない。財務大臣は王太子の後ろ盾でもある」
「私の身が危ない? ……いいえ、ジークフルト様。危ないのは、私という『正論のマシンガン』を敵に回した彼らの方です」
私はクロエ様に向き直りました。
「クロエ様、緊急課題です。この帳簿の全ての数値を、過去三年の市場価格と照らし合わせ、不当な差額を『被害総額』として算出してください。一セントの狂いも許しませんわよ」
「はい! お任せください、師匠! 算数すらできない大人たちに、本物の教育を叩き込んで差し上げますわ!」
やる気に満ち溢れた弟子の返事に、私は満足げに頷きました。
「さて、ジークフルト様。貴方は私の『盾』になるとおっしゃいましたわね? ……なら、これから財務省へ乗り込む私のために、道を空けていただけますか?」
「……やれやれ。君を止めるのは、やはり不可能のようだな。分かった、近衛騎士団の全権をもって、君の安全を保証しよう」
「安全だけではなく、速やかな移動もお願いします。……十五分後に出発しますわよ」
図書室の埃っぽい空気の中に、冷徹な理性の風が吹き抜けました。
婚約破棄から始まった私の新生活は、今、国家規模の「大掃除」へとその歩みを進めたのです。
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