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「止まりなさい! ここは神聖なる王宮財務省だぞ! 公職を解かれた公爵令嬢が足を踏み入れて良い場所ではない!」
財務省の重厚な廊下に、衛兵たちの制止の声が響きます。
しかし、私は足を止めるどころか、さらに歩速を上げました。
「公職を解かれたからこそ、私は一納税者として、血税の行方を監視する権利を行使しているのです。……そこを退きなさい。私の歩みを一秒止めるごとに、この国の生産性が金貨十枚分失われていると考えなさい」
「な、何を……」
「どけと言っている。これは近衛騎士団長の命令だ」
背後に控えるジークフルト様が、低く威圧的な声を出すと、衛兵たちは蜘蛛の子を散らすように道をあけました。
物理的な圧力と論理的な圧力。
この挟み撃ちは、想像以上に「効率的」ですわね。
私たちは最奥にある大臣室の扉を、ノックもせず、物理的な勢い(ジークフルト様の蹴り)で開放しました。
「な、なんだ!? 暴漢か!?」
豪華なデスクにふんぞり返っていたのは、丸々と太った財務大臣、ドラクロワ伯爵でした。
彼は私を見るなり、下品な笑みを浮かべました。
「なんだ、ライオネル殿下に捨てられたベルベット嬢ではないか。図書室の掃除に飽きて、今度は金を無心しに来たのかね?」
「無心? いいえ、ドラクロワ伯爵。私は貴方が『うっかり』懐に入れてしまった公金を、速やかに返還していただくための手続きに来たのですわ」
私は脇に抱えていた『植物観察日記』を、彼のデスクに叩きつけました。
「……っ! そ、それは……」
「おや、ご自分の日記に見覚えがありませんか? 三月十四日の項目。バラの肥料代として金貨五百枚。……伯爵、その肥料には金粉でも混ざっていたのですか? それとも、肥料という名目で貴方の胃袋に高級ワインが流し込まれたのですか?」
「ふ、ふん! 最高級の肥料だ! 王宮の庭園を美しく保つためには必要な経費だ!」
「ほう。では、四月二日の『雑草除去費・金貨八百枚』はどう説明されるおつもりで? この国の平均的な平民の年収が金貨五枚であることを考えれば、貴方はたった一日で、村一つ分の人口を一年間養えるほどの労力を、雑草取りに費やしたことになりますわね」
私は一歩、彼に近づきました。
「その人数を庭に投入すれば、もはや雑草を抜くスペースすらなく、作業員同士が衝突して負傷者が出るレベルの過密状態です。これは物理学的に不可能ですわ」
「だ、黙れ! 帳簿の管理は私が完璧に行っている! 計算に間違いはない!」
「計算に、間違いはない……? ふふ、面白い冗談ですわね」
私は日記の最後の一行を指差しました。
「七足す八は、十五です。二十二ではありません。……伯爵、貴方は横領の隠蔽以前に、十の位への繰り上がりという概念を理解していらっしゃらないようですね」
「ぐ……っ!」
「算数もできない人間に、国家の財布を任せる。これこそがこの国における最大の『バグ』ですわ。クロエ様、例のものを」
後ろで控えていたクロエ様が、満面の笑みで大量の書類を取り出しました。
「はい、師匠! こちら、過去三年の不正出金リスト完全版ですわ! 被害総額は金貨三万枚! これをすべて伯爵の私有財産から没収すれば、我が家の借金……ではなく、国庫が潤いますわね!」
「き、貴様ら……! 衛兵! 衛兵を呼べ! この無礼な女たちを捕らえろ!」
ドラクロワ伯爵が叫びましたが、入ってきたのは彼に忠実な部下ではなく、剣を抜いた近衛騎士たちでした。
「残念だったな、ドラクロワ伯爵。……すでに王宮の門は私が封鎖した。貴殿の不正は、この帳簿とベルベット様の完璧な分析によって白日の下に晒されたのだ」
ジークフルト様が、伯爵の襟首を掴んで強引に立ち上がらせました。
「離せ! 私は大臣だぞ! ライオネル殿下が黙っていないぞ!」
「殿下なら今ごろ、自分の贈ったバラが入浴剤に化けたショックで寝込んでおいでですわ。……それとも、殿下も共犯であると白状されますか? そうすれば、国家反逆罪という名目で、より効率的に処刑リストへ名前を並べられますけれど」
私が冷たく微笑むと、伯爵は「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて白目を剥きました。
「ジークフルト様。この個体の処理はお任せします。……あ、それから。この部屋の家具、すべて売り払って国庫に戻してください。この派手な金メッキの椅子、座り心地が悪いうえに維持費がかかりそうですから」
「……承知した。ベルベット様、君は本当に容赦がないな」
「容赦とは、有能な人間に対してのみ行使されるべき配慮です。……さて、クロエ様。次のターゲットは、この不正を見逃していた監査部門ですわよ」
「はい! 師匠、どこまでもついていきますわ!」
私たちは、震え上がる財務省の職員たちを尻目に、堂々と大臣室を後にしました。
廊下を通る際、事務官の一人と目が合いましたが、彼は私の視線に耐えきれず、持っていた書類をバラバラと落としました。
「……拾いなさい。その三秒の遅れが、貴方の出世を三ヶ月遅らせると自覚しなさい」
「は、はいぃぃっ!」
私の言葉に、財務省全体が凍りついたような静寂に包まれました。
婚約破棄から数日。
私は、元婚約者が「冷酷」だと評したその性格をフル活用し、この国の腐りきったシステムを、根底から書き換えようとしていたのです。
(次は、この浮いた予算をどこに投資しましょうか……。北部の灌漑施設の効率化かしら?)
私の頭の中では、すでに新しい王国の設計図(スプレッドシート)が完成しつつありました。
財務省の重厚な廊下に、衛兵たちの制止の声が響きます。
しかし、私は足を止めるどころか、さらに歩速を上げました。
「公職を解かれたからこそ、私は一納税者として、血税の行方を監視する権利を行使しているのです。……そこを退きなさい。私の歩みを一秒止めるごとに、この国の生産性が金貨十枚分失われていると考えなさい」
「な、何を……」
「どけと言っている。これは近衛騎士団長の命令だ」
背後に控えるジークフルト様が、低く威圧的な声を出すと、衛兵たちは蜘蛛の子を散らすように道をあけました。
物理的な圧力と論理的な圧力。
この挟み撃ちは、想像以上に「効率的」ですわね。
私たちは最奥にある大臣室の扉を、ノックもせず、物理的な勢い(ジークフルト様の蹴り)で開放しました。
「な、なんだ!? 暴漢か!?」
豪華なデスクにふんぞり返っていたのは、丸々と太った財務大臣、ドラクロワ伯爵でした。
彼は私を見るなり、下品な笑みを浮かべました。
「なんだ、ライオネル殿下に捨てられたベルベット嬢ではないか。図書室の掃除に飽きて、今度は金を無心しに来たのかね?」
「無心? いいえ、ドラクロワ伯爵。私は貴方が『うっかり』懐に入れてしまった公金を、速やかに返還していただくための手続きに来たのですわ」
私は脇に抱えていた『植物観察日記』を、彼のデスクに叩きつけました。
「……っ! そ、それは……」
「おや、ご自分の日記に見覚えがありませんか? 三月十四日の項目。バラの肥料代として金貨五百枚。……伯爵、その肥料には金粉でも混ざっていたのですか? それとも、肥料という名目で貴方の胃袋に高級ワインが流し込まれたのですか?」
「ふ、ふん! 最高級の肥料だ! 王宮の庭園を美しく保つためには必要な経費だ!」
「ほう。では、四月二日の『雑草除去費・金貨八百枚』はどう説明されるおつもりで? この国の平均的な平民の年収が金貨五枚であることを考えれば、貴方はたった一日で、村一つ分の人口を一年間養えるほどの労力を、雑草取りに費やしたことになりますわね」
私は一歩、彼に近づきました。
「その人数を庭に投入すれば、もはや雑草を抜くスペースすらなく、作業員同士が衝突して負傷者が出るレベルの過密状態です。これは物理学的に不可能ですわ」
「だ、黙れ! 帳簿の管理は私が完璧に行っている! 計算に間違いはない!」
「計算に、間違いはない……? ふふ、面白い冗談ですわね」
私は日記の最後の一行を指差しました。
「七足す八は、十五です。二十二ではありません。……伯爵、貴方は横領の隠蔽以前に、十の位への繰り上がりという概念を理解していらっしゃらないようですね」
「ぐ……っ!」
「算数もできない人間に、国家の財布を任せる。これこそがこの国における最大の『バグ』ですわ。クロエ様、例のものを」
後ろで控えていたクロエ様が、満面の笑みで大量の書類を取り出しました。
「はい、師匠! こちら、過去三年の不正出金リスト完全版ですわ! 被害総額は金貨三万枚! これをすべて伯爵の私有財産から没収すれば、我が家の借金……ではなく、国庫が潤いますわね!」
「き、貴様ら……! 衛兵! 衛兵を呼べ! この無礼な女たちを捕らえろ!」
ドラクロワ伯爵が叫びましたが、入ってきたのは彼に忠実な部下ではなく、剣を抜いた近衛騎士たちでした。
「残念だったな、ドラクロワ伯爵。……すでに王宮の門は私が封鎖した。貴殿の不正は、この帳簿とベルベット様の完璧な分析によって白日の下に晒されたのだ」
ジークフルト様が、伯爵の襟首を掴んで強引に立ち上がらせました。
「離せ! 私は大臣だぞ! ライオネル殿下が黙っていないぞ!」
「殿下なら今ごろ、自分の贈ったバラが入浴剤に化けたショックで寝込んでおいでですわ。……それとも、殿下も共犯であると白状されますか? そうすれば、国家反逆罪という名目で、より効率的に処刑リストへ名前を並べられますけれど」
私が冷たく微笑むと、伯爵は「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて白目を剥きました。
「ジークフルト様。この個体の処理はお任せします。……あ、それから。この部屋の家具、すべて売り払って国庫に戻してください。この派手な金メッキの椅子、座り心地が悪いうえに維持費がかかりそうですから」
「……承知した。ベルベット様、君は本当に容赦がないな」
「容赦とは、有能な人間に対してのみ行使されるべき配慮です。……さて、クロエ様。次のターゲットは、この不正を見逃していた監査部門ですわよ」
「はい! 師匠、どこまでもついていきますわ!」
私たちは、震え上がる財務省の職員たちを尻目に、堂々と大臣室を後にしました。
廊下を通る際、事務官の一人と目が合いましたが、彼は私の視線に耐えきれず、持っていた書類をバラバラと落としました。
「……拾いなさい。その三秒の遅れが、貴方の出世を三ヶ月遅らせると自覚しなさい」
「は、はいぃぃっ!」
私の言葉に、財務省全体が凍りついたような静寂に包まれました。
婚約破棄から数日。
私は、元婚約者が「冷酷」だと評したその性格をフル活用し、この国の腐りきったシステムを、根底から書き換えようとしていたのです。
(次は、この浮いた予算をどこに投資しましょうか……。北部の灌漑施設の効率化かしら?)
私の頭の中では、すでに新しい王国の設計図(スプレッドシート)が完成しつつありました。
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