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「ベルベット様、少しは肩の力を抜いたらどうだ。今日は財務省の件の祝杯を兼ねて、こうして街に出ているのだから」
隣を歩くジークフルト様が、苦笑しながら私に声をかけました。
今日の私は、公爵令嬢としての華美なドレスではなく、動きやすさを重視した上質な旅装に身を包んでいます。
対するジークフルト様も、甲冑を脱いで私服姿ですが、その鍛え上げられた肉体と威圧感のある顔立ちは隠しようもなく、周囲の平民たちが波が引くように道をあけていきます。
「ジークフルト様、言葉の定義を正しましょう。これは『祝杯』ではなく『実地調査』です。財務省の膿を出したことで浮いた予算を、どのセクターに再分配すべきか……それを判断するには、現場の物流と消費動向を肉眼で確認するのが最も合理的ですわ」
私は手に持った特注のバインダーに、市場の入り口に並ぶ屋台の配置を素早く書き込みました。
「……なるほど。では、君が今、私の腕を掴んでいるのも『護衛対象との距離を一定に保つための合理的措置』ということか?」
「当然です。この人混みで貴方とはぐれれば、私の安全性が十五パーセント低下し、再合流のための探索時間が無駄になります。……あ、ジークフルト様、あそこの魚屋と花屋の並びを見てください。最悪ですわ」
私は指を差して憤慨しました。
「……魚と、花か? 彩りは悪くないと思うが」
「彩りなど二の次です! 魚の生臭い匂いと花の芳香が干渉し合い、双方の購買意欲を著しく減退させています。計算上、この配置ミスだけで一日の売上が一割以上損失しているはずですわ。今すぐ店主に配置換えのコンサルティングを提案したくてウズウズします」
「頼むから今日は止めてくれ。……ほら、あそこに可愛い小物を売っている店がある。君への、その、財務省での協力への礼として、何か贈らせてほしい」
ジークフルト様に半ば強引に連れて行かれたのは、色とりどりのリボンや髪飾りが並ぶ店でした。
彼は真剣な顔で、私の髪の色に合う青い宝石のついたバレッタを指差しました。
「これはどうだ? 君の瞳の色によく似ている」
私はそのバレッタを手に取り、三秒間見つめてから、店主に向き直りました。
「店主。このバレッタに使われている金属の純度と、宝石のカットにかかった推定工数を教えていただけますか? ……見たところ、この価格設定は中央市場の相場より三割高い。観光客向けのボッタクリ価格、あるいは材料の調達ルートに不透明な中間マージンが発生していると推測しますが?」
店主が「ひっ……」と短く叫んで後ずさりました。
「ベ、ベルベット様。……そこは『嬉しいわ、ありがとう』で済ませる場面ではないのか?」
ジークフルト様が頭を押さえて溜息をつきます。
「ジークフルト様。貴方が支払う金貨も、元を辿れば国民の税、あるいは貴方の労働の結晶です。それを非合理な価格設定の商品に投じるのは、経済に対する冒涜ですわ。……店主、この商品の適正価格は銀貨八枚。もし貴方が物流の効率化を受け入れるなら、私は貴方の店の在庫管理表を無料で修正して差し上げてもよろしくてよ?」
「も、もういい! 銀貨八枚で売るから、その怖い顔で数字を並べるのは勘弁してくれ!」
店主が泣き出しそうな顔で商品を包み始めました。
私は満足げに頷き、差し出された包みをジークフルト様に渡しました。
「ほら、お支払いを。適正価格での取引こそが、健全な市場経済の礎ですわ」
「……。君にプレゼントをするには、まず経済学の博士号でも取ってこなければならないようだな」
ジークフルト様は苦笑しながら金を払い、包みを私に手渡しました。
私はそれを受け取り、ほんの一瞬だけ、胸の奥がわずかに熱くなるのを感じました。
これは……おそらく、急ぎ足で歩いたことによる心拍数の上昇、あるいは気温の変化による自律神経の乱れに違いありません。
「……ありがとうございます。このバレッタの重量は私の髪型に負担をかけない範囲内ですし、青の彩度も私の視覚的満足度を四パーセント向上させますわ。大切に……資源として活用します」
「『資源として』か。……まあ、君らしい礼の言葉だ」
ジークフルト様が優しく私の頭を撫でようとしましたが、私はそれを華麗に回避しました。
「ジークフルト様。公共の場での過度な身体接触は、周囲の視線という社会的コストを増大させます。……それよりも、あそこの路地裏を見てください。妙に体格の良い男たちが、商人から小袋を受け取っていますわ」
「……っ。ベルベット様、私の後ろへ」
ジークフルト様の雰囲気が一変しました。
騎士団長としての鋭い眼光が、路地裏の不穏な動きを捉えます。
「……市場の自警団、にしては装備が不適切ですわね。おそらくは地元の犯罪ギルドが、不当な『みかじめ料』を徴収しているのでしょう。……ジークフルト様、これは絶好の機会です」
「機会だと?」
「はい。この市場の物流を完全に掌握し、最大効率化するためには、こうした『寄生虫』を根絶やしにする必要があります。……行きましょう。正論と物理で、彼らの不健全なビジネスモデルを破綻させて差し上げますわ!」
「……祝杯をあげるはずが、結局こうなるのか。だが、嫌いではないぞ、そういう君は」
ジークフルト様が不敵に笑い、剣の柄に手をかけました。
私はバインダーを抱え直し、脳内で制圧作戦のフローチャートを作成し始めました。
婚約破棄されてから、初めての「デート」。
それは、平和な散策などではなく、不合理を許さない悪役令嬢による、新たな戦いの幕開けとなったのでした。
隣を歩くジークフルト様が、苦笑しながら私に声をかけました。
今日の私は、公爵令嬢としての華美なドレスではなく、動きやすさを重視した上質な旅装に身を包んでいます。
対するジークフルト様も、甲冑を脱いで私服姿ですが、その鍛え上げられた肉体と威圧感のある顔立ちは隠しようもなく、周囲の平民たちが波が引くように道をあけていきます。
「ジークフルト様、言葉の定義を正しましょう。これは『祝杯』ではなく『実地調査』です。財務省の膿を出したことで浮いた予算を、どのセクターに再分配すべきか……それを判断するには、現場の物流と消費動向を肉眼で確認するのが最も合理的ですわ」
私は手に持った特注のバインダーに、市場の入り口に並ぶ屋台の配置を素早く書き込みました。
「……なるほど。では、君が今、私の腕を掴んでいるのも『護衛対象との距離を一定に保つための合理的措置』ということか?」
「当然です。この人混みで貴方とはぐれれば、私の安全性が十五パーセント低下し、再合流のための探索時間が無駄になります。……あ、ジークフルト様、あそこの魚屋と花屋の並びを見てください。最悪ですわ」
私は指を差して憤慨しました。
「……魚と、花か? 彩りは悪くないと思うが」
「彩りなど二の次です! 魚の生臭い匂いと花の芳香が干渉し合い、双方の購買意欲を著しく減退させています。計算上、この配置ミスだけで一日の売上が一割以上損失しているはずですわ。今すぐ店主に配置換えのコンサルティングを提案したくてウズウズします」
「頼むから今日は止めてくれ。……ほら、あそこに可愛い小物を売っている店がある。君への、その、財務省での協力への礼として、何か贈らせてほしい」
ジークフルト様に半ば強引に連れて行かれたのは、色とりどりのリボンや髪飾りが並ぶ店でした。
彼は真剣な顔で、私の髪の色に合う青い宝石のついたバレッタを指差しました。
「これはどうだ? 君の瞳の色によく似ている」
私はそのバレッタを手に取り、三秒間見つめてから、店主に向き直りました。
「店主。このバレッタに使われている金属の純度と、宝石のカットにかかった推定工数を教えていただけますか? ……見たところ、この価格設定は中央市場の相場より三割高い。観光客向けのボッタクリ価格、あるいは材料の調達ルートに不透明な中間マージンが発生していると推測しますが?」
店主が「ひっ……」と短く叫んで後ずさりました。
「ベ、ベルベット様。……そこは『嬉しいわ、ありがとう』で済ませる場面ではないのか?」
ジークフルト様が頭を押さえて溜息をつきます。
「ジークフルト様。貴方が支払う金貨も、元を辿れば国民の税、あるいは貴方の労働の結晶です。それを非合理な価格設定の商品に投じるのは、経済に対する冒涜ですわ。……店主、この商品の適正価格は銀貨八枚。もし貴方が物流の効率化を受け入れるなら、私は貴方の店の在庫管理表を無料で修正して差し上げてもよろしくてよ?」
「も、もういい! 銀貨八枚で売るから、その怖い顔で数字を並べるのは勘弁してくれ!」
店主が泣き出しそうな顔で商品を包み始めました。
私は満足げに頷き、差し出された包みをジークフルト様に渡しました。
「ほら、お支払いを。適正価格での取引こそが、健全な市場経済の礎ですわ」
「……。君にプレゼントをするには、まず経済学の博士号でも取ってこなければならないようだな」
ジークフルト様は苦笑しながら金を払い、包みを私に手渡しました。
私はそれを受け取り、ほんの一瞬だけ、胸の奥がわずかに熱くなるのを感じました。
これは……おそらく、急ぎ足で歩いたことによる心拍数の上昇、あるいは気温の変化による自律神経の乱れに違いありません。
「……ありがとうございます。このバレッタの重量は私の髪型に負担をかけない範囲内ですし、青の彩度も私の視覚的満足度を四パーセント向上させますわ。大切に……資源として活用します」
「『資源として』か。……まあ、君らしい礼の言葉だ」
ジークフルト様が優しく私の頭を撫でようとしましたが、私はそれを華麗に回避しました。
「ジークフルト様。公共の場での過度な身体接触は、周囲の視線という社会的コストを増大させます。……それよりも、あそこの路地裏を見てください。妙に体格の良い男たちが、商人から小袋を受け取っていますわ」
「……っ。ベルベット様、私の後ろへ」
ジークフルト様の雰囲気が一変しました。
騎士団長としての鋭い眼光が、路地裏の不穏な動きを捉えます。
「……市場の自警団、にしては装備が不適切ですわね。おそらくは地元の犯罪ギルドが、不当な『みかじめ料』を徴収しているのでしょう。……ジークフルト様、これは絶好の機会です」
「機会だと?」
「はい。この市場の物流を完全に掌握し、最大効率化するためには、こうした『寄生虫』を根絶やしにする必要があります。……行きましょう。正論と物理で、彼らの不健全なビジネスモデルを破綻させて差し上げますわ!」
「……祝杯をあげるはずが、結局こうなるのか。だが、嫌いではないぞ、そういう君は」
ジークフルト様が不敵に笑い、剣の柄に手をかけました。
私はバインダーを抱え直し、脳内で制圧作戦のフローチャートを作成し始めました。
婚約破棄されてから、初めての「デート」。
それは、平和な散策などではなく、不合理を許さない悪役令嬢による、新たな戦いの幕開けとなったのでした。
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