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「ベルベット! ベルベット・フォン・ローゼライト! 会いに来たぞ、出てこい!」
公爵邸の重厚な正門前で、またしても聞き慣れた、そして聞きたくない周波数の声が響き渡りました。
私は執務室の窓から階下を見下ろしました。
そこには、王家の紋章が入った馬車を横付けし、ボロボロのポエム集を握りしめたライオネル殿下が立っています。
「……お嬢様。また殿下でございますね。いかがいたしましょう? 門番たちはすでに、彼の声を『背景ノイズ』として処理する訓練を終えておりますが」
侍女のアンが、無表情に報告してきます。
「ノイズキャンセリングは重要ですが、物理的な障害物は排除しなければなりませんわ。……クロエ様。例の『受付システム』の稼働テストを行いましょうか」
「はい、師匠! 待ってましたわ! 私の作成した『面会優先度判定アルゴリズム』、ようやく実戦投入ですわね!」
クロエ様はワクワクした表情で、特注の受付カウンター(キャスター付き)を押し出し、門の前へと向かいました。
私もその後ろを、優雅かつ爆速で追います。
「ベルベット! ああ、やっと顔を見せてくれたか。……気づいたんだ。僕にはやはり、君のような厳しい指摘をしてくれる女性が必要なのだと! あの像の件は悪かった。さあ、復縁してあげるから、僕の元へ……」
「止まりなさい、殿下。その位置から一歩でも踏み込めば、不法侵入による法的措置と、私の視界を汚したことによる精神的苦等への慰謝料が発生しますわ」
私は冷たく言い放ち、クロエ様に目配せしました。
「はい、殿下! まずはこれに記入してくださいまし!『面会希望理由書(兼)資産状況申告書』ですわ!」
クロエ様が突き出したのは、厚さ三センチはある分厚い書類の束でした。
「な、なんだこれは……。僕は王子だぞ? ベルベットに会うのに、なぜ資産状況まで書かねばならないのだ!」
「当然ですわ。現在の貴方は、国家予算を私物化しようとした挙句、ジークフルト様によって全財産を凍結された『実質的な自己破産者』です。そんな信用力ゼロの個体と面会することは、私のキャリアにとって重大なリスクとなりますの」
私は扇子を広げ、計算尺のように目盛りを確認します。
「さらに申し上げれば、本日の私のスケジュールは分刻みで埋まっております。……クロエ様、現在の空き枠は?」
「三ヶ月後の火曜日、午前三時十五分から五分間だけ、トイレ休憩を返上すれば確保可能ですわ!」
「……だそうですわ。殿下、予約票はお持ちですか?」
ライオネル殿下は呆然と口を開け、手にしたポエム集を地面に落としました。
「よ、予約票……? そんなもの、あるわけないだろう!」
「では、お引き取りを。……あ、もしどうしても今すぐ話したいとおっしゃるなら、緊急割り込み手数料として金貨五百枚を申し受けますが? あ、失礼。今の殿下には、パン一つ買う小銭も残っていないのでしたわね」
「ぐっ……! ベルベット、君はいつからそんなに、金、金、金と言うようになったんだ! 僕たちが愛し合っていたあの頃の、清楚な君はどこへ行ったんだ!」
「『清楚』とは、知識がなく反論もしない都合の良い女を指す言葉ではありませんわよ、殿下。……それに、あの頃の私が清楚に見えたのは、単に貴方のあまりの知性の低さに、言葉を失ってフリーズしていただけですわ」
私は一歩前に出ました。
「今の私は、貴方の『お花畑』を耕し、現実という名の除草剤を撒く義務すら感じておりません。……クロエ様、次のご予約の方は?」
「はい! 先日の市場でファンクラブを結成された、魚屋の組合長様ですわ!『物流の最適化についてもっと罵ってほしい』とのご要望です!」
「……素晴らしい。建設的な対話が期待できそうですわね。殿下、道を開けてください。生産性のない人間を相手にするほど、私の人生は低燃費ではありませんの」
「ま、待て! ベルベット、行かないでくれ! 僕は……僕はどうすればいいんだ!」
泣き叫ぶ殿下を無視して、私は踵を返しました。
門が閉まる寸前、クロエ様が「あ、殿下! 予約のキャンセル料は一割いただきますから、後で王宮の清掃バイトでもして稼いでくださいましねー!」と明るく追い打ちをかけるのが聞こえました。
屋敷の中に入ると、柱の陰で一部始終を見ていたジークフルト様が、壁に手をついて笑い転げていました。
「……ひっ、ふぅ……あははは! ベルベット様、予約票とは恐れ入った。……あんなに絶望した王子の顔は、建国以来初めてだろうな」
「ジークフルト様。笑っている暇があるなら、魚屋の組合長を通してください。……それと、貴方の次の面会予約も確認しましたが、議題が『ベルベット様の好きな菓子について』となっていましたわね。……却下です。そんな非効率な話題に割く時間は一秒もありません」
「……。厳格すぎるな。では、『ベルベット様の糖分摂取効率を最大化するための、最高級ショコラの贈呈式』に変更したらどうだ?」
私は少しだけ足を止め、彼の顔をまじまじと見つめました。
「……。議題の書き換えが適切です。……十五分だけ認めましょう。ただし、ショコラのカカオ含有量に関するレポートを添えること」
「承知した。……君の攻略難易度は、やはり史上最高だな」
ジークフルト様が満足げに頷き、私の後を歩き出しました。
婚約破棄から数日。
私の周りからは「無駄」が消え、代わりにあるのは整然とした数字と、少しだけ騒がしくて心地よいパートナーたち。
(復縁? ……ふん、そんな低利回りの投資、二度と御免被りますわ)
私の足取りは、どの貴婦人のステップよりも軽く、そして無駄のない直線を描いて進んでいきました。
公爵邸の重厚な正門前で、またしても聞き慣れた、そして聞きたくない周波数の声が響き渡りました。
私は執務室の窓から階下を見下ろしました。
そこには、王家の紋章が入った馬車を横付けし、ボロボロのポエム集を握りしめたライオネル殿下が立っています。
「……お嬢様。また殿下でございますね。いかがいたしましょう? 門番たちはすでに、彼の声を『背景ノイズ』として処理する訓練を終えておりますが」
侍女のアンが、無表情に報告してきます。
「ノイズキャンセリングは重要ですが、物理的な障害物は排除しなければなりませんわ。……クロエ様。例の『受付システム』の稼働テストを行いましょうか」
「はい、師匠! 待ってましたわ! 私の作成した『面会優先度判定アルゴリズム』、ようやく実戦投入ですわね!」
クロエ様はワクワクした表情で、特注の受付カウンター(キャスター付き)を押し出し、門の前へと向かいました。
私もその後ろを、優雅かつ爆速で追います。
「ベルベット! ああ、やっと顔を見せてくれたか。……気づいたんだ。僕にはやはり、君のような厳しい指摘をしてくれる女性が必要なのだと! あの像の件は悪かった。さあ、復縁してあげるから、僕の元へ……」
「止まりなさい、殿下。その位置から一歩でも踏み込めば、不法侵入による法的措置と、私の視界を汚したことによる精神的苦等への慰謝料が発生しますわ」
私は冷たく言い放ち、クロエ様に目配せしました。
「はい、殿下! まずはこれに記入してくださいまし!『面会希望理由書(兼)資産状況申告書』ですわ!」
クロエ様が突き出したのは、厚さ三センチはある分厚い書類の束でした。
「な、なんだこれは……。僕は王子だぞ? ベルベットに会うのに、なぜ資産状況まで書かねばならないのだ!」
「当然ですわ。現在の貴方は、国家予算を私物化しようとした挙句、ジークフルト様によって全財産を凍結された『実質的な自己破産者』です。そんな信用力ゼロの個体と面会することは、私のキャリアにとって重大なリスクとなりますの」
私は扇子を広げ、計算尺のように目盛りを確認します。
「さらに申し上げれば、本日の私のスケジュールは分刻みで埋まっております。……クロエ様、現在の空き枠は?」
「三ヶ月後の火曜日、午前三時十五分から五分間だけ、トイレ休憩を返上すれば確保可能ですわ!」
「……だそうですわ。殿下、予約票はお持ちですか?」
ライオネル殿下は呆然と口を開け、手にしたポエム集を地面に落としました。
「よ、予約票……? そんなもの、あるわけないだろう!」
「では、お引き取りを。……あ、もしどうしても今すぐ話したいとおっしゃるなら、緊急割り込み手数料として金貨五百枚を申し受けますが? あ、失礼。今の殿下には、パン一つ買う小銭も残っていないのでしたわね」
「ぐっ……! ベルベット、君はいつからそんなに、金、金、金と言うようになったんだ! 僕たちが愛し合っていたあの頃の、清楚な君はどこへ行ったんだ!」
「『清楚』とは、知識がなく反論もしない都合の良い女を指す言葉ではありませんわよ、殿下。……それに、あの頃の私が清楚に見えたのは、単に貴方のあまりの知性の低さに、言葉を失ってフリーズしていただけですわ」
私は一歩前に出ました。
「今の私は、貴方の『お花畑』を耕し、現実という名の除草剤を撒く義務すら感じておりません。……クロエ様、次のご予約の方は?」
「はい! 先日の市場でファンクラブを結成された、魚屋の組合長様ですわ!『物流の最適化についてもっと罵ってほしい』とのご要望です!」
「……素晴らしい。建設的な対話が期待できそうですわね。殿下、道を開けてください。生産性のない人間を相手にするほど、私の人生は低燃費ではありませんの」
「ま、待て! ベルベット、行かないでくれ! 僕は……僕はどうすればいいんだ!」
泣き叫ぶ殿下を無視して、私は踵を返しました。
門が閉まる寸前、クロエ様が「あ、殿下! 予約のキャンセル料は一割いただきますから、後で王宮の清掃バイトでもして稼いでくださいましねー!」と明るく追い打ちをかけるのが聞こえました。
屋敷の中に入ると、柱の陰で一部始終を見ていたジークフルト様が、壁に手をついて笑い転げていました。
「……ひっ、ふぅ……あははは! ベルベット様、予約票とは恐れ入った。……あんなに絶望した王子の顔は、建国以来初めてだろうな」
「ジークフルト様。笑っている暇があるなら、魚屋の組合長を通してください。……それと、貴方の次の面会予約も確認しましたが、議題が『ベルベット様の好きな菓子について』となっていましたわね。……却下です。そんな非効率な話題に割く時間は一秒もありません」
「……。厳格すぎるな。では、『ベルベット様の糖分摂取効率を最大化するための、最高級ショコラの贈呈式』に変更したらどうだ?」
私は少しだけ足を止め、彼の顔をまじまじと見つめました。
「……。議題の書き換えが適切です。……十五分だけ認めましょう。ただし、ショコラのカカオ含有量に関するレポートを添えること」
「承知した。……君の攻略難易度は、やはり史上最高だな」
ジークフルト様が満足げに頷き、私の後を歩き出しました。
婚約破棄から数日。
私の周りからは「無駄」が消え、代わりにあるのは整然とした数字と、少しだけ騒がしくて心地よいパートナーたち。
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