「婚約破棄? 承諾いたしますわ。要点を三行でまとめてくださる?」

ハチワレ

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「……ベルベット、君に言われた通り、我が国の財務局から最新の関税統計を取り寄せてきたよ。これを持ってくれば、また君の『罵倒』という名の熱烈な歓迎が受けられると思ってね」


翌日。アラリック殿下は、昨日よりもさらに自信に満ちた笑みを浮かべて現れました。


手渡された資料を、私は指先でパラパラとめくります。
……一分。
いえ、三十秒で十分でした。


「アラリック殿下。……貴方の国の『関税設定』を担当している方は、おそらく重度の睡眠不足か、あるいは数字という概念が存在しない異世界の住人ですわね」


「……ははは! いきなり手厳しいな。どこがそんなに酷いのかね?」


「すべてです。まず、貴方の国が輸出している岩塩。……なぜ、輸出先である我が国に対してのみ、十五パーセントもの『特別通行税』を課しているのですか?」


私は資料の一行をペン先で叩きました。


「これは我が国の報復関税を招き、結果として貴方の国の岩塩は、市場での競争力を失っています。……その損失額、年間で金貨二千枚。貴方の国の一年分の道路補修費に相当しますわ」


「それは……我が国の国内産業を保護するための措置だと聞いているが」


「保護? いいえ、これは『自食(カニバリズム)』です。……国内の生産者に無理な高値を強要し、結局売れ残った岩塩を国が買い取って廃棄する。……このプロセスのどこに『保護』が存在しますの? 存在するのは、倉庫の維持費という名の『ゴミの管理コスト』だけですわ」


私の隣で、クロエ様が「ひぃっ」と声を漏らしながらメモを取っています。
対面に座るアラリック殿下は、額に一筋の汗を流しました。


「……なるほど。だが、これには政治的な事情もあって……」


「政治とは、限られたリソースを最適に分配するための手段であって、無能を正当化するための言い訳ではありません。……アラリック殿下。貴方が私を求婚対象として、あるいは『面白い女』として見ている間にも、貴方の国の富は、この穴だらけの関税表から砂のように零れ落ちているのです」


私は立ち上がり、窓の外――はるか隣国の方向を見据えました。


「私は不合理が嫌いです。……貴方の国がこの『おバカな関税』を撤廃し、我が国と完全な自由貿易協定を締結するなら、私は貴方の国の物流インフラを三割高速化するプランを提示して差し上げてもよろしくてよ」


「……自由貿易協定だと? それは我が国の大臣たちが黙っていないぞ」


「黙らせるのが、王子の仕事でしょう? ……それとも貴方は、実務能力のない大臣たちの顔色を伺いながら、私の機嫌を取りに来たのですか? ……そんな低スペックな男性、私の人生には一秒も必要ありませんわ」


私が冷たく言い放つと、部屋の隅で控えていたジークフルト様が、低く、しかし力強い声で笑いました。


「……くく、言ったな。アラリック殿下、彼女を口説くには『甘い言葉』ではなく『圧倒的な実績』が必要だということだ。……君には荷が重すぎるのではないか?」


「……ジークフルト閣下。……君はいつも、そうやって彼女の『正論』の陰で楽しんでいるのかい?」


アラリック殿下は、悔しそうに拳を握りしめました。
しかし、その瞳には諦めではなく、より強い執着の炎が宿っています。


「ベルベット……。君の言う通りだ。私は、君の知性を甘く見ていたようだ。……分かった。私は一度帰国し、あの腐った大臣どもの頭をこの関税表で叩き割って、改革を断行してこよう」


「物理的に叩き割る必要はありませんわ。……単に、この改善プランを導入した場合の『予想利益』を見せつければ、強欲な彼らは勝手に動き出します。……人間、最後は欲と数字で動くものですから」


私は、自作の「ソルデリア王国・経済再生シミュレーション」の抄録を殿下に手渡しました。


「これは……。……恐ろしい女だ。私の国の内情を、私以上に把握している」


「把握していなければ、交渉(デート)のテーブルには着きませんわ。……さあ、時間は有限です。早急に成果を出しなさい」


アラリック殿下は、その書類を宝物のように抱え、嵐のように立ち去りました。
求婚という当初の目的を半分忘れ、一人の「実業家」としての目覚めを強いられた男の背中でした。


静かになった執務室。
ジークフルト様が、ゆっくりと私のデスクに歩み寄りました。


「……ベルベット様。隣国の王子を、まるでお使いの少年のように追い払ってしまったな」


「追い払ったのではありません。……『教育』を施したのです。……無能な隣国が崩壊して難民が押し寄せるのは、我が国にとってもコスト増になりますからね。……事前対策(リスクヘッジ)ですわ」


「……。君という女性は、本当に……。……それで、私の『保留』の件については、今の殿下の働きを見てから決める、ということか?」


ジークフルト様が、少しだけ不安そうに、しかし挑むような瞳で私を見つめました。


「……。ジークフルト様。貴方はすでに、私の『盾』として機能しており、私の作業効率を一定以上に保つための必要不可欠なリソースです。……その価値は、まだ見ぬ殿下の実績よりも、現状では高く評価されていますわ」


「……! それは、つまり……」


「……それ以上、私の心拍数を上げるような発言は控えてください。……ショコラは? 持ってきたのでしょう?」


私は視線を逸らし、震える手を隠すようにバインダーを抱え直しました。
ジークフルト様は、満足そうに微笑み、懐から最高級のショコラの箱を取り出しました。


「ああ。カカオ八十パーセント。君の脳が、最も効率よく回転するための『燃料』だ」


「……。及第点ですわ」


私は一粒のショコラを口に含みました。
苦味の奥に広がる熱。
それは、どんな関税交渉よりも難解で、そして予測不能な「愛」という名の変数が、私の日常をじわじわと書き換えていく音のようでした。


「師匠……。今のやり取り、糖度が高すぎて私の帳簿が溶けそうですわ……」


クロエ様の呟きを、私は聞こえない振りをして、次の計算に没頭したのでした。
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