「婚約破棄? 承諾いたしますわ。要点を三行でまとめてくださる?」

ハチワレ

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「……非効率ですわ。なぜ、たかが数時間の情報交換のために、呼吸を阻害するコルセットと、歩行速度を低下させるヒールを装着しなければならないのです?」


王宮の大広間。
きらびやかなシャンデリアの下、私はグラス片手に壁の花……いえ、壁の装飾品と化しながら、隣のジークフルト様に愚痴をこぼしていました。


今夜は、隣国との通商条約締結を祝う夜会。
本来なら書類仕事に没頭したい時間帯ですが、主要な貴族や商人が集まるこの場は、今後の「最適化」のための重要なデータ収集の場でもあります。


「まあ、そう言うなベルベット様。君のドレス姿は、会場のどの花よりも美しい。……それだけで、この夜会の開催意義はあるというものだ」


今日のジークフルト様は、いつもの騎士団の制服ではなく、仕立ての良い濃紺の礼服に身を包んでいます。
その鍛え上げられた肉体が服の上からでも分かり、周囲の令嬢たちが熱っぽい視線を送っているのが視界の隅に入ります。
……実に、非生産的な熱量ですわね。


「ジークフルト様。お世辞は結構です。それよりも、あそこの商工会長の動きを見てください。……どうやら、南部の港湾利権について、何やらキナ臭い談合をしているようですわ」


「……君は、本当にブレないな。せっかくのエスコートも形無しだ」


ジークフルト様が苦笑したその時。


「見つけたぞ、ベルベット! こんな場所で、男を侍らせて何をしている!」


フロアの空気を一瞬で凍りつかせる、耳障りな大声が響き渡りました。
……この声紋パターン、解析するまでもありません。


「……ライオネル殿下。夜会のBGMにしては、少々ボリュームが大きすぎましてよ。周囲の会話が中断され、情報伝達の効率が低下していますわ」


振り返ると、そこには顔を真っ赤にし、酒気帯びのライオネル殿下が立っていました。
彼の手には、なぜか半分空になったワインボトルが握られています。


「うるさい! 貴様、私という婚約者がいながら、近衛騎士団長だけでなく、隣国の王子にまで色目を使っているそうではないか! この尻軽女め!」


会場がざわめき、好奇の視線が私たちに集中します。


私はゆっくりと扇子を閉じ、ジークフルト様に「手出し無用」と目で合図を送りました。
……これは、私の「仕事」です。


「殿下。まず事実関係の誤認を訂正させていただきます。第一に、貴方とはすでに婚約破棄が成立しており、法的には赤の他人です。『私という婚約者がいながら』という前提自体が破綻しています」


私は一歩前に出ました。


「第二に、私は彼らに『色目』など使っておりません。私が彼らと行っているのは、国の物流、防衛、そして外交に関する建設的な議論、すなわち『業務』です。……貴方がクロエ様と行っていた、中身のない『お遊戯』と一緒になさらないでいただけますか?」


「な、なんだと……っ! お遊戯だと!? あれは真実の愛の……!」


「第三に。……公衆の面前で、元婚約者を『尻軽』などと罵るその品性。……王族としての資質を疑わざるを得ませんわね。貴方のその発言により、王家のブランド価値は今、この瞬間にも下落を続けています」


私は周囲の貴族たちを見回しました。
彼らの目は、もはや好奇心ではなく、殿下への軽蔑と、私への……奇妙な畏敬の念に変わりつつあります。


「そ、そうやって! いつもいつも理屈ばかり並べ立てて! 貴様には、人間の心というものがないのか!」


ライオネル殿下が、悔し紛れにワインボトルを振り上げました。


「心? ……ありますわよ。だからこそ、貴方のような非効率な存在が、この国のリソースを食い潰している現状に、心を痛めているのではありませんか」


私が冷たく言い放った、その時です。
殿下の手から、ワインボトルが滑り落ちました。


ガシャン!


赤い液体が床に広がり、殿下の白いズボンを無惨に染め上げます。
……あまりにも、無様な光景でした。


「あ……、あぁ……」


「……清掃係の方。こちらの床の清掃と、殿下の衣装のクリーニング手配をお願いします。……請求書は、王宮の『雑費』ではなく、殿下の個人資産から引き落とすように。……ああ、そうでした。殿下の資産は現在、凍結中でしたわね。では、クロエ様」


私は、人垣の後ろで必死にメモを取っていた弟子を呼び寄せました。


「はい、師匠!」


「このクリーニング代、およびワインの弁償代を、例の『黄金像建立未遂事件』の負債に上乗せしておいてください。……利息はトイチで結構ですわ」


「かしこまりました! 殿下、借金がまた増えましたわね! おめでとうございます!」


クロエ様の明るすぎる声が、殿下の心にとどめを刺したようです。
ライオネル殿下は、顔面蒼白になり、よろよろと後ずさりしました。


「お、覚えていろ……! ベルベット、いつか必ず、貴様に吠え面をかかせてやるからな……!」


捨て台詞とともに逃げ去る殿下の背中は、かつてないほど小さく見えました。


静まり返る会場。
その中で、ジークフルト様が、そっと私の肩に手を置きました。


「……見事だ、ベルベット様。……だが、少しは私にも頼ってくれても良かったのだぞ?」


「頼る? ……ジークフルト様。貴方の筋肉は、もっと有意義な対象――例えば魔物討伐や、災害時の瓦礫撤去などに使われるべきです。……あのような『動く騒音』の排除に使うのは、リソースの無駄遣いですわ」


私がすまして答えると、ジークフルト様は、肩を震わせて笑い出しました。


「……くく、ははは! 君は、本当に……。……最高だ」


彼は、周囲の視線など意に介さず、私の手を取り、その甲に恭しく口づけを落としました。


「……! なっ……、ジークフルト様! 公衆の面前での非合理な接触は……!」


「これも『業務』の一環だ。……私のパートナーを侮辱した者への、牽制という意味でのな」


ジークフルト様の瞳が、熱く、私を射抜きます。
……心拍数の上昇。体温の上昇。
これは、コルセットがきつすぎるせいだ。
そう、自分に言い聞かせながら、私は赤くなる頬を扇子で隠しました。


夜会は、何事もなかったかのように再開されました。
しかし、私を見る周囲の目は、明らかに変わっていました。
それは「冷酷な悪女」を見る目ではなく、国の未来を憂う「賢女」を見る目。


(……まあ、どちらでも構いませんわ。私の目的は、この国の最適化だけですから)


私は再びグラスを手に取り、商工会長の動向に視線を戻しました。
……ただ、隣に立つ騎士団長の体温が、いつもより少しだけ心地よく感じられたのは、計算外の事実でした。
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