「婚約破棄? 承諾いたしますわ。要点を三行でまとめてくださる?」

ハチワレ

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「……あら、お珍しい。社交界の毒蛾こと、バロネス・メアリーではありませんか。私の執務室に、何の御用かしら?」


夜会の翌日。公爵邸の庭園に設けられたテラス席で、私は招かれざる客人を迎えていました。


メアリー男爵夫人は、扇子で口元を隠しながら、隣に座るクロエ様を哀れむような目で見つめています。


「おーほほほ! ベルベット様、相変わらずお顔が怖いですわね。……私がここへ来たのは、この可哀想なクロエさんを救い出すためですの。公爵令嬢の『奴隷』として、毎日数字ばかり扱わされていると聞きましてよ」


私はティーカップを置き、ゆっくりと瞬きをしました。


「『奴隷』? 言葉の定義が不適切ですわね。彼女は私の正当な弟子であり、将来の財務官候補として、市場価値を爆発的に高めている最中です。……無為に茶会で時間をドブに捨てている貴女方とは、積んでいる経験値が違いますわ」


「あら、怖い! そんな理屈ばかり並べて……。クロエさん、貴女もこんな氷のような女のそばにいては、婚期を逃しますわよ? 殿下も貴女のことを心配なさって……」


メアリー夫人がクロエ様の手に触れようとした、その時でした。


「……その汚い手を、どけてくださる?」


低く、冷徹な声。
それは私のものではなく、隣にいたクロエ様から発せられたものでした。


「え……、クロエさん?」


「私の師匠を、氷のような女と呼びましたわね? ……訂正してください。師匠は、この国の不合理を熱く焼き尽くす『正論の太陽』ですわ!」


クロエ様が立ち上がり、メアリー夫人を指差しました。
その姿には、かつての弱々しい男爵令嬢の面影はありません。


「メアリー夫人。貴女が今、私に触れようとしたことで、私の作業効率は一時的に三パーセント低下しました。……さらに、貴女がここへ来るために費やした馬車の維持費と、その無駄な香水の購入代金。……それらを現在の貴家の財政状況と照らし合わせると、あと三ヶ月で貴女のサロンは破産しますわね」


「な、何を……っ! 適当なことを!」


「適当ではありませんわ! 私は昨日、貴女の夫が裏で行っている『小麦の不正取引』の証拠を、師匠の指導のもとですべてデータ化しましたの! ……師匠を侮辱するということは、この国の知性を侮辱するということ。……お姉様を悪く言う人は、私が一人残らず論破して差し上げますわ!」


クロエ様は一気にまくし立てると、私の前に立ちふさがるようにして胸を張りました。


「さあ、お帰りください! 貴女の滞在時間は、すでに我が家の茶葉の減価償却費を上回る損失となっていますわ!」


メアリー夫人は、顔を引き攣らせて立ち上がりました。


「……お、覚えてなさい! あんな可愛げのない女についていくなんて、貴女も同類よ!」


捨て台詞と共に逃げ去る夫人を見送りながら、私は小さく息を吐きました。


「……クロエ様。今の論破、詰めが甘いですわよ」


「えっ!? し、師匠……。今の、ダメでしたか?」


クロエ様が不安げに私を振り返りました。


「破産の予測は三ヶ月ではなく、正確には二ヶ月と十日です。……あと、夫人の香水の成分から、彼女が禁止されている隣国の薬草を常用している可能性も指摘すべきでしたわね」


「……。師匠、やっぱり凄すぎますわ!」


クロエ様は瞳を輝かせ、私の隣に座り直しました。


「でも、私……。お姉様……じゃなくて、師匠を守りたかったんです。……あんな人たちに、師匠の素晴らしさを汚されたくなくて」


「……守る? ふん、非合理な動機ですわね。……ですが、貴女のプレゼンテーションに込められた『熱量』だけは、評価して差し上げましょう」


私は視線を逸らし、冷めた紅茶を一口啜りました。
……弟子に「お姉様」と呼ばれ、守られる。
そんな計算外の事態に、私の脳内の感情制御フィルタが、激しくアラートを鳴らしています。


「……お姉様。私、これからもずっと師匠の隣で、この国のバグを消し去っていきますわ!」


「……。勝手になさい。ただし、明日の計算テストで一問でも間違えたら、その『お姉様』という非公式な呼称は即座に禁止しますわよ」


「はい! 絶対に間違えませんわ!」


ひまわりのように笑う弟子を見ながら、私は思いました。
……友情や家族愛といった、数値化できない絆。
それは、私の完璧な数式を乱すノイズに過ぎないはずなのに。


(……。まあ、この程度の誤差(エラー)なら、許容範囲内……ということにしておきましょうか)


テラスに吹き抜ける風は、昨日よりも少しだけ、穏やかな心地よさを運んでくるのでした。
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