「婚約破棄? 承諾いたしますわ。要点を三行でまとめてくださる?」

ハチワレ

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「……控えなさい、クロエ・フォン・メイル。男爵令嬢という身分でありながら王太子をたぶらかし、あまつさえ国費を浪費させた罪、万死に値すると思わぬか!」


王宮の大広間。
玉座に座る国王陛下の御前で、保守派の重鎮であるゼノス侯爵が、雷鳴のような声を上げました。


跪くクロエ様の肩が、びくりと震えます。
周囲の貴族たちは、まるで汚いものを見るような目で彼女を見下していました。
どうやら、ライオネル殿下の相次ぐ不祥事の責任を、すべて彼女に押し付けて「解決」とするつもりのようです。


「……違いますわ。私はただ、殿下にお仕えして……」


「黙れ! 卑しい男爵令嬢の分際で、殿下の慈悲を逆手に取り、甘言をもって金を毟り取ったことは明白! これこそが、真の『悪女』の姿ではないか!」


侯爵の罵倒が響き渡ります。
私は列席する貴族の影から、ゆっくりと歩み出しました。
……私の演算脳が、かつてない高温を記録しています。
これは「怒り」という名の、極めて高出力なエネルギー変換です。


「……そこまでにしていただけますか、ゼノス侯爵。貴方の声帯から発せられる不協和音が、この広間の音響設計を著しく汚染していますわ」


会場の視線が一斉に私に突き刺さりました。
私はクロエ様の横に立ち、彼女の震える手を、冷たく、しかし力強く握りしめました。


「ベ、ベルベット様……?」


「……お黙りなさい、クロエ様。ここからは大人の『算数』の時間です。……さて、侯爵。貴方は今、彼女が国費を浪費させたとおっしゃいましたわね?」


「いかにも! あの黄金像の件も、すべてはこの女の虚栄心が生み出したものだ!」


「……ふふ、笑止千万。……侯爵、貴方は王宮の警備記録すら読んでいらっしゃらないのですね? あの像の建立を命じたのは殿下の親書。対してクロエ様は、その原料である金を『公共投資への転換』という形で国庫に戻す提案を私と共に行いました」


私は懐から、一冊の分厚いレポートを取り出しました。
それは、過去数ヶ月間の、ライオネル殿下とクロエ様の全接触ログ、および金銭の流れを完全にデータ化したものです。


「計算してみましょうか。殿下が彼女に贈った贈答品の総額。……しかし、その九割以上は、彼女の手によってすでに『換金・納税』、あるいは『慈善事業への寄付』という形で処理されています。……対して、貴方の息子さんが先月の夜会で浪費した酒代と、賭博で失った公金の補填。……どちらが『国家の害毒』か、数字で比較しますか?」


「な、ななな……何を馬鹿なことを!」


「馬鹿なのは貴方の脳細胞ですわ。……陛下、お聞きください」


私は玉座を仰ぎ見ました。
国王陛下は、私の発する異様な熱量に気圧されたように、わずかに身を引かれました。


「現在、この国を蝕んでいるのは、一人の男爵令嬢ではありません。……王子の無能を隠すために、弱者をスケープゴートにして思考停止を決め込む、ここにいる貴族たちの『怠慢』こそが、最大の赤字要因ですわ!」


広間は、文字通り凍りつきました。
私の言葉は、鋭利な氷の刃となって、並み居る貴族たちのプライドを切り刻んでいきます。


「彼女は、私の弟子です。……彼女は、殿下の無駄遣いを止め、市場の物流を学び、自らの知性でこの国を支えようと努力している。……その彼女を『悪女』と呼ぶのであれば、貴方たちは何なのですか? 国税を食いつぶし、責任を転嫁し、ただそこに座っているだけの『高級な粗大ゴミ』ですか?」


「ベ、ベルベット……! 王前だぞ! 慎め!」


「慎むべきは貴方たちの知性です! ……いいですか、よくお聞きなさい。……今この瞬間、クロエ様を罰するという非合理な決断を下すのであれば、私は本日をもってローゼライト公爵家の全リソースを王宮から引き揚げます。……明日からの王都の食糧自給率がどうなるか、その空っぽな頭でシミュレーションしてみることですわ!」


沈黙。
誰も、息をすることすら忘れたかのような静寂。
私が本気で怒れば、この国を経済的に窒息させることなど容易い……。
その現実を、彼らは今、初めて突きつけられたのです。


「……ベルベット、もうよい。下がれ」


国王陛下が、震える声で仰いました。
しかし、その瞳には恐怖ではなく、圧倒的な「正しさ」への敗北感が滲んでいました。


「……侯爵。……お前の主張には、客観的な証拠が不足しているようだ。……クロエ・フォン・メイルの罪は、問わないこととする」


「……賢明なご判断ですわ、陛下」


私は完璧な角度でカーテシーを行い、呆然とするクロエ様を抱きかかえるようにして立ち上がらせました。


「……帰りましょう、クロエ様。……ゴミの溜まった場所に長くいると、貴女の清廉な思考回路にノイズが混じりますから」


「……はい……っ。お姉様……ありがとうございます、お姉様……っ!」


涙を流す弟子の背中を支え、私は貴族たちの列を割って、堂々と大広間を後にしました。
背後でジークフルト様が、「……全く。君の正論は、時として剣よりも恐ろしいな」と、誇らしげに呟くのが聞こえました。


悪役令嬢による、王宮への全面戦争。
それは、一人の友を守るための、最高に非効率で、最高に人間臭い「怒りの暴発」だったのでした。
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