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「……ベルベット様。少し、手を止めて話を聞いてくれないか」
王宮特別補佐官の執務室。
夕闇が差し込む中、私は溜まりに溜まった「旧貴族たちの資産没収リスト」の照合作業に没頭していました。
「ジークフルト様。……私の視神経は今、数字の羅列を処理することで最適化されています。……会話という『割り込みタスク』を発生させるなら、それ相応の重要性がある案件なのでしょうね?」
私はペンを置かず、眼鏡をクイと押し上げました。
しかし、ジークフルト様はいつになく真剣な……いえ、悲壮感すら漂う表情で私のデスクの前に立ちました。
「……重要性は、これまでのどの公務よりも高い。……ベルベット・フォン・ローゼライト。……俺と、結婚してほしい」
パキッ。
私の手にしていた、最高級の羽ペンの軸が真っ二つに折れました。
「……。ジークフルト様。……今の発言をデータとして解析します。……貴方は、私という『劇薬』を、生涯にわたって自身のプライベート空間に配置したいとおっしゃるのですか?」
「……劇薬、か。……君らしい表現だな。だが、答えはイエスだ」
私は折れたペンをトレイに置き、椅子をゆっくりと回転させて彼に向き直りました。
脳内の演算回路が、急速に「結婚という契約に関する損益計算」を始めます。
「……ジークフルト様。正気とは思えませんわ。……私と結婚することによる貴方のデメリットを列挙しましょうか?……第一に、家計の全権は私が握ります。貴方の酒代や筋肉増強のためのプロテイン代は、すべて領収書制となり、一セント単位で厳しく監査されますわ」
「……。それはむしろ、健全な家計管理として歓迎しよう」
「第二に。……私は朝から晩まで正論しか吐きません。貴方が疲れて帰宅した際、甘い癒やしの言葉をかける代わりに、貴方のその日の行動の非効率性を徹底的に論破する毎日になります。……安らぎという名の『リソース』は、我が家には存在し得ませんわよ?」
「……。君に叱られるのは、俺にとってはある種の『活力を得るための刺激』だ」
「……貴方、やはり重度のマゾヒストではありませんか?……そして第三に。……私と結婚すれば、貴方の社会的評価は『あの恐ろしい毒舌女の飼い主』という特殊なカテゴリーに分類されます。……これほどの不利益を被ってまで、私と合併契約(けっこん)を結ぶメリットがどこにあるというのです?」
私は立ち上がり、彼の胸板を指差しました。
心拍数が上がっているのは、彼ではなく私の方。
それを悟られまいと、声に冷徹な響きを乗せます。
「メリット、メリット……と、君はいつもそればかりだな」
ジークフルト様が、ふっと柔らかく笑いました。
そして、私の指を大きな手で包み込みました。
「……ベルベット様。……俺が君を幸せにしたいという感情に、メリットなんて関係ない。……理屈でも、計算でもない。……ただ、君のいない未来の期待値が、俺の中では常に『ゼロ』なのだ」
「……。理屈ではない?……そんな、数学的にあり得ない動機で……」
「あり得ないことが起きるのが、人生という名の予測不能なカオスだろう?……君のその冷たい正論も、時折見せる不器用な優しさも、すべて独占したい。……メリットがないからこそ、俺のこの想いは純粋なのだと証明できる」
……脳内メモリが、パンクしました。
「メリットがないからこそ純粋」。
そんな矛盾した論理、私のシステムでは処理不可能です。
「……っ。……ジークフルト様。……貴方の発言は、整合性が欠如しており、著しく非合理的です。……ですが……」
私は視線を逸らし、赤くなった耳を隠すように顔を背けました。
「……貴方という『強固な防壁(筋肉)』を私の生涯の専属にするという案は……。……私の人生の安全保障(セキュリティ)を最大化するという意味において、唯一、検討の余地がありますわ」
「……それは、プロポーズを受け入れてくれるということか?」
「……検討、と言いましたわ!……ただ、まずは婚約契約書の草案を私が作成します。……第百二十八条まで及ぶ細かい規約をすべて読み、サインする根性が貴方にあるなら……。……考えて差し上げてもよろしいですわよ」
「……。ああ。一万条あろうと、すべて守ってみせよう」
ジークフルト様が、私の肩を抱き寄せました。
鉄のような強さと、驚くほどの温かさ。
私の演算回路は、ついに完全にシャットダウンしました。
「……。ジークフルト様。……体温が、高すぎます。……私の表面温度に悪影響を及ぼしていますわ……」
「……。それは『照れている』という現象の副産物ではないか?」
「……っ。……余計な分析は、禁止しますわ!」
窓の外では、王都に夜の灯りが灯り始めていました。
悪役令嬢と騎士団長。
計算尽くの人生に現れた、最高に理不尽で、最高に幸福な「バグ」。
私は、彼の胸の中で、明日から始まる「結婚生活の最適化プラン」を考えようとしましたが……。
なぜか、幸せすぎて計算式が全く思い浮かばないのでした。
王宮特別補佐官の執務室。
夕闇が差し込む中、私は溜まりに溜まった「旧貴族たちの資産没収リスト」の照合作業に没頭していました。
「ジークフルト様。……私の視神経は今、数字の羅列を処理することで最適化されています。……会話という『割り込みタスク』を発生させるなら、それ相応の重要性がある案件なのでしょうね?」
私はペンを置かず、眼鏡をクイと押し上げました。
しかし、ジークフルト様はいつになく真剣な……いえ、悲壮感すら漂う表情で私のデスクの前に立ちました。
「……重要性は、これまでのどの公務よりも高い。……ベルベット・フォン・ローゼライト。……俺と、結婚してほしい」
パキッ。
私の手にしていた、最高級の羽ペンの軸が真っ二つに折れました。
「……。ジークフルト様。……今の発言をデータとして解析します。……貴方は、私という『劇薬』を、生涯にわたって自身のプライベート空間に配置したいとおっしゃるのですか?」
「……劇薬、か。……君らしい表現だな。だが、答えはイエスだ」
私は折れたペンをトレイに置き、椅子をゆっくりと回転させて彼に向き直りました。
脳内の演算回路が、急速に「結婚という契約に関する損益計算」を始めます。
「……ジークフルト様。正気とは思えませんわ。……私と結婚することによる貴方のデメリットを列挙しましょうか?……第一に、家計の全権は私が握ります。貴方の酒代や筋肉増強のためのプロテイン代は、すべて領収書制となり、一セント単位で厳しく監査されますわ」
「……。それはむしろ、健全な家計管理として歓迎しよう」
「第二に。……私は朝から晩まで正論しか吐きません。貴方が疲れて帰宅した際、甘い癒やしの言葉をかける代わりに、貴方のその日の行動の非効率性を徹底的に論破する毎日になります。……安らぎという名の『リソース』は、我が家には存在し得ませんわよ?」
「……。君に叱られるのは、俺にとってはある種の『活力を得るための刺激』だ」
「……貴方、やはり重度のマゾヒストではありませんか?……そして第三に。……私と結婚すれば、貴方の社会的評価は『あの恐ろしい毒舌女の飼い主』という特殊なカテゴリーに分類されます。……これほどの不利益を被ってまで、私と合併契約(けっこん)を結ぶメリットがどこにあるというのです?」
私は立ち上がり、彼の胸板を指差しました。
心拍数が上がっているのは、彼ではなく私の方。
それを悟られまいと、声に冷徹な響きを乗せます。
「メリット、メリット……と、君はいつもそればかりだな」
ジークフルト様が、ふっと柔らかく笑いました。
そして、私の指を大きな手で包み込みました。
「……ベルベット様。……俺が君を幸せにしたいという感情に、メリットなんて関係ない。……理屈でも、計算でもない。……ただ、君のいない未来の期待値が、俺の中では常に『ゼロ』なのだ」
「……。理屈ではない?……そんな、数学的にあり得ない動機で……」
「あり得ないことが起きるのが、人生という名の予測不能なカオスだろう?……君のその冷たい正論も、時折見せる不器用な優しさも、すべて独占したい。……メリットがないからこそ、俺のこの想いは純粋なのだと証明できる」
……脳内メモリが、パンクしました。
「メリットがないからこそ純粋」。
そんな矛盾した論理、私のシステムでは処理不可能です。
「……っ。……ジークフルト様。……貴方の発言は、整合性が欠如しており、著しく非合理的です。……ですが……」
私は視線を逸らし、赤くなった耳を隠すように顔を背けました。
「……貴方という『強固な防壁(筋肉)』を私の生涯の専属にするという案は……。……私の人生の安全保障(セキュリティ)を最大化するという意味において、唯一、検討の余地がありますわ」
「……それは、プロポーズを受け入れてくれるということか?」
「……検討、と言いましたわ!……ただ、まずは婚約契約書の草案を私が作成します。……第百二十八条まで及ぶ細かい規約をすべて読み、サインする根性が貴方にあるなら……。……考えて差し上げてもよろしいですわよ」
「……。ああ。一万条あろうと、すべて守ってみせよう」
ジークフルト様が、私の肩を抱き寄せました。
鉄のような強さと、驚くほどの温かさ。
私の演算回路は、ついに完全にシャットダウンしました。
「……。ジークフルト様。……体温が、高すぎます。……私の表面温度に悪影響を及ぼしていますわ……」
「……。それは『照れている』という現象の副産物ではないか?」
「……っ。……余計な分析は、禁止しますわ!」
窓の外では、王都に夜の灯りが灯り始めていました。
悪役令嬢と騎士団長。
計算尽くの人生に現れた、最高に理不尽で、最高に幸福な「バグ」。
私は、彼の胸の中で、明日から始まる「結婚生活の最適化プラン」を考えようとしましたが……。
なぜか、幸せすぎて計算式が全く思い浮かばないのでした。
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