侮辱されて、婚約破棄で煽りスキル発動!?

八雲

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「……嘘でしょう。一時間、本当に一歩も動かなかったのですか?」


一時間後。
私はティータイムを終え、確認のためにバルコニーから庭を見下ろしました。
そこには、先ほどと一ミリも変わらぬ姿勢で立ち尽くすアルスター公爵の姿がありました。


驚くべきことに、彼の肩には小鳥が二羽止まって羽を休めており、頭の上にはどこから飛んできたのか黄色い蝶がひらひらと舞っています。
その光景は、恐ろしい軍神というよりは、森の精霊か何かに見えなくもありません……いえ、やはりただの「不気味な美形彫刻」ですわね。


「一時間経過したぞ、ナナシー。……ふぅ。小鳥たちが私の肩で会議を始めてしまった時はどうしようかと思ったが、君との約束を守るためなら、猛禽類に突つかれても動かない自信があったよ」


「猛禽類に突つかれる前に、その溢れ出る殺気で鳥たちを気絶させなかったのは褒めて差し上げますわ。……それで? 約束通り、今日の不法侵入は不問にして差し上げます。さあ、今すぐその場から速やかに、光の速さで退場してくださいな」


「待ってくれ。私は一時間、君の言葉通りに『案山子』に徹したのだ。これほどの忍耐を見せた私に、何かご褒美があってもいいのではないか?」


「忍耐? 自発的に不法侵入した挙句の案山子ごっこを、世間では『自業自得』と呼びますのよ。ご褒美が欲しいなら、お城に戻って国王陛下に『今日は一日案山子をして遊んでいました』と報告して、お小言でも頂戴してきなさい」


私が冷たく言い放つと、アルスターはひらりと軽やかにバルコニーまで跳躍してきました。
……公爵家の二階、普通はそんな簡単に飛び上がれる高さではありませんわよ。


「……ナナシー。実は、街に新しい『激辛魔界クレープ』の店ができたと聞いた。君ならきっと、あの店の店主の慢心した鼻を折りながら、完食できるのではないかと思ってな」


「……激辛魔界クレープ? 何ですの、その不穏な名前は。……食べ物に対して失礼な命名をするお店には、客としてではなく『味覚の裁判官』として赴く必要がありますわね」


私は、思わず反応してしまいました。
そうなのです。私は、美味しいものを食べることも好きですが、それ以上に「こだわりの強すぎる店主」と論理的に戦うことが密かな愉しみなのです。


「……ふん。別にあなたとデートをしたいわけではありませんわよ。ただ、街の食文化の風紀が乱れているのを見過ごせないだけです。勘違いしないでくださいな」


「ああ、分かっている。『風紀の取り締まり』だな。同行を許可してくれて感謝する」


……というわけで。
私は再び変装(今回は眼鏡に加えてウィッグも装着しました)をし、アルスターと共に街へ繰り出すことになりました。
ただし、アルスターは隠しきれない軍神オーラを放っているため、周囲の通行人がモーゼの十戒のように割れていきます。


「……死神様。そんなにギロギロと周囲を威嚇しないでいただけます? 私が『死刑執行人に連行される罪人』に見えてしまいますわ」


「威嚇などしていない。君に近づこうとする害虫どもに、視線で引導を渡しているだけだ」


「それを威嚇と言うのです。……あ、あそこですわね。あの禍々しい看板のお店は」


たどり着いたクレープ店は、確かに不気味でした。
店主は「修行が足りない奴にこの辛さは分からん!」と客を怒鳴りつけています。
私は迷わず、カウンターに扇子を叩きつけました。


「店主。その『修行』とやら、具体的にどの程度の味覚の麻痺を指しているのかしら? 辛みは味覚ではなく痛覚。お客様に痛みを提供して悦に浸るなら、飲食店ではなく拷問部屋を開業することをお勧めしますわ」


「な、なんだとこの小娘……!」


「まずは一つ、いただきましょうか。……モグ。……ふむ。……店主。このソース、スパイスの配合が雑すぎて、唐辛子のエグみしか感じられませんわね。辛さで誤魔化していますが、ベースの生地が湿気た煎餅のような食感です。これを魔界と呼ぶのは、魔界の住民に対して失礼だとは思いませんこと?」


「…………くっ!」


店主が言葉を失う中、私は黙々とクレープを完食しました。
辛い。確かに痛いほど辛い。……ですが、この辛さを罵倒とともに飲み込む快感は、何物にも代えがたいものですわ。


「……素晴らしい食いっぷりだ、ナナシー。私の見込んだ通りの強靭な胃袋だ」


「うるさいですわ。……次は、あちらの『傲慢なパティシエが作る超高級タルト』を粉砕しに行きますわよ。ついて来なさい、荷物持ち(公爵)」


「御意、我が愛しき暴食の女王」


私は街中の「態度の悪い名店」を次々と巡り、その全てを論破しながら食い倒れていきました。
自由を手に入れた私の胃袋には、限界という文字は存在しないのです。
背後で幸せそうに財布の紐を緩める死神の存在など、この時の私にはただの背景の一部でしかありませんでした。
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