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王宮から馬車で揺られること三十分。
我がアルトハイム公爵家の屋敷に到着した私は、出迎えた執事のセバスに扇を預けました。
「お帰りなさいませ、ダリア様。……して、パーティーはいかがでしたか?」
セバスの問いに、私は満面の笑みで答えました。
「最高でしたわ。ジュリアン様から、婚約破棄を言い渡されましたもの」
「……は?」
老練な執事が、生まれて初めて見たような間抜けな声を漏らしました。
私はそれを無視して、大股で父の執務室へと向かいます。
淑女の歩幅? そんなものは王宮の玄関に捨ててきましたわ。
「お父様、夜分に失礼いたしますわ!」
ノックもそこそこに扉を開けると、そこには書類の山に埋もれた父、アルトハイム公爵がいました。
父は眼鏡をずらし、驚いた顔で私を見ました。
「ダリアか。パーティーはどうした。……それに、その顔は何だ。妙に晴れやかだが」
「お聞きください、お父様! 先ほど、大衆の面前でジュリアン様に婚約破棄されましたの。それも、身に覚えのない悪行を山ほど並べ立てられて!」
父の顔が、一瞬で険しくなりました。
公爵としての威厳が部屋を満たし、温度が数度下がったような錯覚を覚えます。
「……何だと? あの馬鹿王子、ついにやりおったか。我が公爵家を敵に回すことが何を意味するか、理解していないのか」
「まあまあ、落ち着いてくださいませ。お父様が怒る必要はございません。むしろ、これはチャンスなのですわ」
私は父のデスクの前にドカリと座り、ドレスの裾を乱暴に払いました。
そのガサツな動きに、父はさらに目を丸くします。
「ダリア……? お前、言葉遣いや所作はどうした」
「もういいのですわ。お飾りの完璧な公爵令嬢は、先ほど死にました。これからは『素』のダリアとして生きていきます。……お父様、率直に申し上げます。私はあのナルシストで無能な王子と結婚して、一生あの方の尻拭いをするなんて真っ平ごめんです!」
「それは……まあ、私もあ奴の無能さには頭を抱えていたが。だが、公爵家の面目はどうする」
「面目など、パンに塗って食べてしまえばよろしいのです。いいですか、お父様。私はこれまで、ジュリアン様に代わって王宮の予算案を練り、外交文書の翻訳をこなし、さらにはあの方の浮気相手へのフォローまでして参りました。これらすべて、私の『善意』でやっていたことですわ」
私は指を一本ずつ立てて、父に現実を突きつけます。
「明日からどうなると思います? あの方が自分で書類を作れるはずがありません。メアリさんという、お花畑のような思考の方に実務ができるはずもありません。一週間もすれば、王宮の機能は停止しますわ」
父は言葉を失い、深く椅子に背を預けました。
私の有能さを一番知っているのは、他ならぬこの父です。
「つまり……お前は、泥舟から逃げ出したというわけか」
「左様でございます。沈むとわかっている船に、いつまでも乗っているほど私はお人好しではありませんの」
「ふむ……。しかし、婚約破棄された娘をこのまま家に置いておくわけにもいかん。社交界のハイエナどもが、お前を嘲笑いに来るだろう」
「ええ、ですから提案がございます。私を『国外追放』にしてくださいませ。名目は何でも構いません。悪役令嬢として責任を取らされた、という形にすれば世間も納得するでしょう」
私は身を乗り出し、一番の目的を告げました。
「その代わり、私の自由を認めていただきたいのです。どこへ行こうと、誰と会おうと、公爵家は一切干渉しない。そして、当面の活動資金として、私の持参金相当額を現金で頂戴したく存じます」
父はしばらく沈黙していました。
やがて、彼はフッと口角を上げました。
「……お前というやつは、本当に恐ろしい娘だ。婚約破棄すら自分の利益に繋げるとはな。よかろう。追放という形にするが、実体は『自由旅行』だ。行き先は決まっているのか?」
「北の辺境、クロムウェル領に行こうと思っておりますわ。あそこなら王都の喧騒も届きませんし、何より『氷の死神』と噂される辺境伯様がいらっしゃいますでしょう? 私のような悪役にはお似合いの場所だと思いませんか?」
私は茶目っ気たっぷりにウィンクしました。
実際は、単に王都から一番遠くて、空気が美味しそうだったから選んだだけなのですが。
「わかった。手配は私がしておこう。……ダリア、一つだけ聞かせてくれ。悲しくはないのか? 十年間も連れ添った男なのだぞ」
父の問いに、私は部屋の出口で足を止め、振り返りました。
「お父様。ゴミ箱に捨てた生ゴミが回収されたのを見て、悲しむ主婦がどこにいますか?」
父が爆笑する声を背中で聞きながら、私は自室へと戻りました。
「さあ、そうと決まれば荷造りですわ! あんな重たいドレスも、締め付けるコルセットも、すべて置いていきます! 必要なのは現金と、ペンと、折れない心だけですわね!」
私は鼻歌を歌いながら、クローゼットから一番動きやすい旅行着を引っ張り出しました。
淑女の仮面は、もう二度と被ることはないでしょう。
翌朝。
私は公爵家の紋章が入った馬車ではなく、一台の質素な馬車に乗り込みました。
門をくぐる際、見送りに来たセバスが、なぜか涙を拭いながら深々と頭を下げていました。
「ダリア様、どうぞご健勝で。……辺境の方々が、あなたの毒舌に耐えられることを祈っております」
「失礼ね。私はいつだって、愛に溢れた真実しか口にしませんわよ!」
私は窓から身を乗り出して手を振りました。
こうして、私は王都を去りました。
目指すは、雪深い北の地。
そこには、私の想像を絶する「無口すぎる死神」が待ち構えているとも知らずに。
我がアルトハイム公爵家の屋敷に到着した私は、出迎えた執事のセバスに扇を預けました。
「お帰りなさいませ、ダリア様。……して、パーティーはいかがでしたか?」
セバスの問いに、私は満面の笑みで答えました。
「最高でしたわ。ジュリアン様から、婚約破棄を言い渡されましたもの」
「……は?」
老練な執事が、生まれて初めて見たような間抜けな声を漏らしました。
私はそれを無視して、大股で父の執務室へと向かいます。
淑女の歩幅? そんなものは王宮の玄関に捨ててきましたわ。
「お父様、夜分に失礼いたしますわ!」
ノックもそこそこに扉を開けると、そこには書類の山に埋もれた父、アルトハイム公爵がいました。
父は眼鏡をずらし、驚いた顔で私を見ました。
「ダリアか。パーティーはどうした。……それに、その顔は何だ。妙に晴れやかだが」
「お聞きください、お父様! 先ほど、大衆の面前でジュリアン様に婚約破棄されましたの。それも、身に覚えのない悪行を山ほど並べ立てられて!」
父の顔が、一瞬で険しくなりました。
公爵としての威厳が部屋を満たし、温度が数度下がったような錯覚を覚えます。
「……何だと? あの馬鹿王子、ついにやりおったか。我が公爵家を敵に回すことが何を意味するか、理解していないのか」
「まあまあ、落ち着いてくださいませ。お父様が怒る必要はございません。むしろ、これはチャンスなのですわ」
私は父のデスクの前にドカリと座り、ドレスの裾を乱暴に払いました。
そのガサツな動きに、父はさらに目を丸くします。
「ダリア……? お前、言葉遣いや所作はどうした」
「もういいのですわ。お飾りの完璧な公爵令嬢は、先ほど死にました。これからは『素』のダリアとして生きていきます。……お父様、率直に申し上げます。私はあのナルシストで無能な王子と結婚して、一生あの方の尻拭いをするなんて真っ平ごめんです!」
「それは……まあ、私もあ奴の無能さには頭を抱えていたが。だが、公爵家の面目はどうする」
「面目など、パンに塗って食べてしまえばよろしいのです。いいですか、お父様。私はこれまで、ジュリアン様に代わって王宮の予算案を練り、外交文書の翻訳をこなし、さらにはあの方の浮気相手へのフォローまでして参りました。これらすべて、私の『善意』でやっていたことですわ」
私は指を一本ずつ立てて、父に現実を突きつけます。
「明日からどうなると思います? あの方が自分で書類を作れるはずがありません。メアリさんという、お花畑のような思考の方に実務ができるはずもありません。一週間もすれば、王宮の機能は停止しますわ」
父は言葉を失い、深く椅子に背を預けました。
私の有能さを一番知っているのは、他ならぬこの父です。
「つまり……お前は、泥舟から逃げ出したというわけか」
「左様でございます。沈むとわかっている船に、いつまでも乗っているほど私はお人好しではありませんの」
「ふむ……。しかし、婚約破棄された娘をこのまま家に置いておくわけにもいかん。社交界のハイエナどもが、お前を嘲笑いに来るだろう」
「ええ、ですから提案がございます。私を『国外追放』にしてくださいませ。名目は何でも構いません。悪役令嬢として責任を取らされた、という形にすれば世間も納得するでしょう」
私は身を乗り出し、一番の目的を告げました。
「その代わり、私の自由を認めていただきたいのです。どこへ行こうと、誰と会おうと、公爵家は一切干渉しない。そして、当面の活動資金として、私の持参金相当額を現金で頂戴したく存じます」
父はしばらく沈黙していました。
やがて、彼はフッと口角を上げました。
「……お前というやつは、本当に恐ろしい娘だ。婚約破棄すら自分の利益に繋げるとはな。よかろう。追放という形にするが、実体は『自由旅行』だ。行き先は決まっているのか?」
「北の辺境、クロムウェル領に行こうと思っておりますわ。あそこなら王都の喧騒も届きませんし、何より『氷の死神』と噂される辺境伯様がいらっしゃいますでしょう? 私のような悪役にはお似合いの場所だと思いませんか?」
私は茶目っ気たっぷりにウィンクしました。
実際は、単に王都から一番遠くて、空気が美味しそうだったから選んだだけなのですが。
「わかった。手配は私がしておこう。……ダリア、一つだけ聞かせてくれ。悲しくはないのか? 十年間も連れ添った男なのだぞ」
父の問いに、私は部屋の出口で足を止め、振り返りました。
「お父様。ゴミ箱に捨てた生ゴミが回収されたのを見て、悲しむ主婦がどこにいますか?」
父が爆笑する声を背中で聞きながら、私は自室へと戻りました。
「さあ、そうと決まれば荷造りですわ! あんな重たいドレスも、締め付けるコルセットも、すべて置いていきます! 必要なのは現金と、ペンと、折れない心だけですわね!」
私は鼻歌を歌いながら、クローゼットから一番動きやすい旅行着を引っ張り出しました。
淑女の仮面は、もう二度と被ることはないでしょう。
翌朝。
私は公爵家の紋章が入った馬車ではなく、一台の質素な馬車に乗り込みました。
門をくぐる際、見送りに来たセバスが、なぜか涙を拭いながら深々と頭を下げていました。
「ダリア様、どうぞご健勝で。……辺境の方々が、あなたの毒舌に耐えられることを祈っております」
「失礼ね。私はいつだって、愛に溢れた真実しか口にしませんわよ!」
私は窓から身を乗り出して手を振りました。
こうして、私は王都を去りました。
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そこには、私の想像を絶する「無口すぎる死神」が待ち構えているとも知らずに。
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