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「……お嬢様。本日の『不審者』は、いつもの王子よりは少しだけ足音が静かでございます」
深夜の執務室。書類の山を片付けていた私の背後で、ボリスが静かに告げました。
「あら。ついに毒入りのパイでも届きましたの? それとも、城門に嫌がらせの落書きかしら」
「いえ、天井裏でございます」
ボリスが指差した先。
漆黒の衣装に身を包み、顔を布で覆った怪しげな影が、音もなく床に降り立ちました。
その手には、月明かりを反射して冷たく光る鋭利な短剣が握られています。
「……ダリア・フォン・アルトハイム。貴様の命、メアリ様の依頼により頂戴する」
影――暗殺者は、芝居がかった低い声で宣言しました。
私はペンを置くことすらなく、手元の帳簿に目を落としたまま問いかけました。
「メアリさんからのご依頼? ……困りましたわね。あの方、今はお金を持っていらっしゃらないはずですけれど。報酬はきちんと前払いで受け取られましたの?」
「なっ……? な、何を……」
「あなたのその装備。……一見すると高級そうに見えますが、染料の匂いからして王都の三等露店で売られている安物ですわね。それにその短剣、刃こぼれを研ぎ直した跡があります。……プロの暗殺者が使うにしては、あまりにも経済状況が苦しそうですわ」
私はようやく顔を上げ、暗殺者をじろじろと観察しました。
暗殺者は虚を突かれたように固まっています。
「うるさい! 報酬は彼女が大切にしていた『宝石入りのブローチ』だ! これを換金すれば一生遊んで暮らせると……」
「ああ、あのガラス玉を詰め込んだ金メッキのブローチのことかしら。……残念ながら、あれの鑑定価格は銅貨三枚にもなりませんわよ。あの方、偽物を本物だと思い込む特技をお持ちですの」
「………………は?」
暗殺者の肩がガックリと落ちました。
その時、部屋の扉が音もなく開き、凄まじい殺気を放つ巨影が滑り込んできました。
「………………だりあ。……だれだ、こいつ。……きって、いいか」
アルスター様です。
寝間着代わりの薄いシャツ一枚ですが、その手にはしっかりと愛剣が握られています。
あまりの威圧感に、暗殺者は短剣を落としそうになって震え始めました。
「待ってくださいませ、アルスター様。……この方、ある意味ではメアリさんの『被害者』ですのよ」
私は椅子から立ち上がり、腰を抜かしている暗殺者に歩み寄りました。
「あなた、お名前は?」
「……シ、シドウだ。闇に生きる者……」
「シドウさん。あなた、暗殺なんていう非効率な労働はやめなさい。……今の会話でわかりましたわ。あなたは計算に弱く、契約書の裏を読む能力も欠けている。……ですが、この城に天井裏から潜入できた隠密能力だけは評価して差し上げます」
「な、何を言って……」
「私の『事務見習い兼、隠密調査員』として雇って差し上げますわ。報酬はメアリさんの提示したゴミではなく、正当な金貨と、三食昼寝付きの福利厚生。……いかがかしら?」
「………………え?」
シドウという男は、暗殺に来たことを忘れたように口をポカンと開けました。
隣でアルスター様が「だりあ……こいつ、しんようできるのか?」という顔で私を見ています。
「アルスター様、大丈夫ですわ。……これほど簡単に騙される正直者なら、一度恩を売っておけば裏切る知恵もありませんもの。……さあ、シドウさん。まずはその安物の覆いを取りなさい。明日から、あなたの仕事は『領内の不正を暴くための書類整理』ですわよ」
「……は、はい! お願いします、お嬢様! ……実は、昨夜から何も食べていなくて……」
シドウは覆いを脱ぎ捨てると、意外にも整った、しかし情けないほど弱気な青年の顔を晒しました。
そして、その場に平伏して私の靴に額を擦り付けたのです。
「ボリス! この方に温かいスープと、余っている客間を案内してちょうだい。……あ、それと。メアリさんには『素敵な贈り物をありがとう。彼はとても役に立っていますわ』というお礼状を書いておいて」
「承知いたしました、お嬢様。……相変わらず、最高に性格が悪くていらっしゃる」
ボリスが嬉しそうに頷き、泣きじゃくる元暗殺者を連れていきました。
部屋に残されたのは、私と、呆然としているアルスター様。
「…………だりあ。……おまえ、やっぱり……すごい」
「あら、なんですの? また惚れ直しまして?」
「…………うむ。……こわいけど、すごくて……やっぱり、すきだ」
アルスター様は顔を真っ赤にして、私の手を包み込むように握りました。
死神が、拾ってきた暗殺者にすら嫉妬しているような、そんな可愛い目をして。
「ふふ、よく言えましたわ。……さて、明日からは新しい『部下』の教育も始まりますわよ。……覚悟なさいな、シドウさん。私のシゴキは、王子の無茶振りより一億倍厳しいですから!」
夜の辺境に、私の高笑いが響きました。
王都のメアリさん。刺客を送ってくださって感謝しますわ。
おかげで、領地の事務効率がさらに上がりそうですもの!
深夜の執務室。書類の山を片付けていた私の背後で、ボリスが静かに告げました。
「あら。ついに毒入りのパイでも届きましたの? それとも、城門に嫌がらせの落書きかしら」
「いえ、天井裏でございます」
ボリスが指差した先。
漆黒の衣装に身を包み、顔を布で覆った怪しげな影が、音もなく床に降り立ちました。
その手には、月明かりを反射して冷たく光る鋭利な短剣が握られています。
「……ダリア・フォン・アルトハイム。貴様の命、メアリ様の依頼により頂戴する」
影――暗殺者は、芝居がかった低い声で宣言しました。
私はペンを置くことすらなく、手元の帳簿に目を落としたまま問いかけました。
「メアリさんからのご依頼? ……困りましたわね。あの方、今はお金を持っていらっしゃらないはずですけれど。報酬はきちんと前払いで受け取られましたの?」
「なっ……? な、何を……」
「あなたのその装備。……一見すると高級そうに見えますが、染料の匂いからして王都の三等露店で売られている安物ですわね。それにその短剣、刃こぼれを研ぎ直した跡があります。……プロの暗殺者が使うにしては、あまりにも経済状況が苦しそうですわ」
私はようやく顔を上げ、暗殺者をじろじろと観察しました。
暗殺者は虚を突かれたように固まっています。
「うるさい! 報酬は彼女が大切にしていた『宝石入りのブローチ』だ! これを換金すれば一生遊んで暮らせると……」
「ああ、あのガラス玉を詰め込んだ金メッキのブローチのことかしら。……残念ながら、あれの鑑定価格は銅貨三枚にもなりませんわよ。あの方、偽物を本物だと思い込む特技をお持ちですの」
「………………は?」
暗殺者の肩がガックリと落ちました。
その時、部屋の扉が音もなく開き、凄まじい殺気を放つ巨影が滑り込んできました。
「………………だりあ。……だれだ、こいつ。……きって、いいか」
アルスター様です。
寝間着代わりの薄いシャツ一枚ですが、その手にはしっかりと愛剣が握られています。
あまりの威圧感に、暗殺者は短剣を落としそうになって震え始めました。
「待ってくださいませ、アルスター様。……この方、ある意味ではメアリさんの『被害者』ですのよ」
私は椅子から立ち上がり、腰を抜かしている暗殺者に歩み寄りました。
「あなた、お名前は?」
「……シ、シドウだ。闇に生きる者……」
「シドウさん。あなた、暗殺なんていう非効率な労働はやめなさい。……今の会話でわかりましたわ。あなたは計算に弱く、契約書の裏を読む能力も欠けている。……ですが、この城に天井裏から潜入できた隠密能力だけは評価して差し上げます」
「な、何を言って……」
「私の『事務見習い兼、隠密調査員』として雇って差し上げますわ。報酬はメアリさんの提示したゴミではなく、正当な金貨と、三食昼寝付きの福利厚生。……いかがかしら?」
「………………え?」
シドウという男は、暗殺に来たことを忘れたように口をポカンと開けました。
隣でアルスター様が「だりあ……こいつ、しんようできるのか?」という顔で私を見ています。
「アルスター様、大丈夫ですわ。……これほど簡単に騙される正直者なら、一度恩を売っておけば裏切る知恵もありませんもの。……さあ、シドウさん。まずはその安物の覆いを取りなさい。明日から、あなたの仕事は『領内の不正を暴くための書類整理』ですわよ」
「……は、はい! お願いします、お嬢様! ……実は、昨夜から何も食べていなくて……」
シドウは覆いを脱ぎ捨てると、意外にも整った、しかし情けないほど弱気な青年の顔を晒しました。
そして、その場に平伏して私の靴に額を擦り付けたのです。
「ボリス! この方に温かいスープと、余っている客間を案内してちょうだい。……あ、それと。メアリさんには『素敵な贈り物をありがとう。彼はとても役に立っていますわ』というお礼状を書いておいて」
「承知いたしました、お嬢様。……相変わらず、最高に性格が悪くていらっしゃる」
ボリスが嬉しそうに頷き、泣きじゃくる元暗殺者を連れていきました。
部屋に残されたのは、私と、呆然としているアルスター様。
「…………だりあ。……おまえ、やっぱり……すごい」
「あら、なんですの? また惚れ直しまして?」
「…………うむ。……こわいけど、すごくて……やっぱり、すきだ」
アルスター様は顔を真っ赤にして、私の手を包み込むように握りました。
死神が、拾ってきた暗殺者にすら嫉妬しているような、そんな可愛い目をして。
「ふふ、よく言えましたわ。……さて、明日からは新しい『部下』の教育も始まりますわよ。……覚悟なさいな、シドウさん。私のシゴキは、王子の無茶振りより一億倍厳しいですから!」
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