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王宮の奥深くに位置する、第一王子クロード・ド・マニフィークの私室。
重厚なマホガニーの扉が、控えめながらも確かな意志を持って叩かれました。
「お入りなさい」
クロードが顔を上げると、そこには彼の婚約者であるラブリー・ファン・デリシャスが立っていました。
彼女は公爵家という高貴な身分にふさわしい、完璧なカーテシーを披露します。
「クロード様。お忙しい中、お時間をいただき感謝いたしますわ」
「ラブリーか。君ならいつでも歓迎するよ。それで、今日は顔色が少し優れないようだが、何かあったのかい?」
クロードが椅子から立ち上がり、彼女をソファへと促します。
ラブリーはその優しさに触れるたび、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚に陥るのでした。
「……殿下。私は、ずっと考えておりましたの」
「何をだい?」
「殿下の幸せについてですわ!」
ラブリーは突然、両手を握りしめて立ち上がりました。
その瞳には、並々ならぬ決意の炎が宿っています。
「私の幸せ? 私は今でも十分に幸せだよ。君という美しく賢明な婚約者がいて、国も平和だ。これ以上の何を望むというんだい?」
「いいえ! 殿下は優しすぎます! 私は知っておりますのよ。私がどれほど殿下を愛しているか、そしてその愛が、時として殿下にとって重荷になっているのではないかと!」
ラブリーの言葉に、クロードは困惑したように眉を下げました。
確かに彼女の愛は、他者の追随を許さないほど情熱的です。
毎日の手紙、自作の愛のポエム、そして彼の髪色に合わせた特注のドレス……。
「重荷だなんて思ったことは一度もないよ。むしろ、君の真っ直ぐな気持ちには救われているくらいだ」
「殿下……! ああ、なんて慈悲深いお方。ですが、私は決めましたの。もし、もしも今後、殿下が私以外の誰かを心の底から愛してしまったなら……」
ラブリーは一度言葉を切り、悲劇のヒロインのように自らの肩を抱きました。
「その時は、私、潔く身を引く覚悟でございますわ!」
「……身を引く? 君が、かい?」
「はい。殿下が他に好きな人ができたと仰るなら、私はその恋を全力で応援いたします。殿下が真実の愛に目覚めた時、私が邪魔者になることだけは耐えられませんの。ですから、その時はどうぞ、私との婚約を破棄してくださいませ!」
「ラブリー……君は、私を自由にするために、自分を犠牲にするつもりなのか?」
クロードの瞳に、感動の色が混じりました。
彼はラブリーの極端な思考を「高潔な精神」と受け取ってしまったのです。
「犠牲などではありません。殿下の笑顔を見ることこそが、私の魂の救済なのです。殿下が新しい愛を見つけた暁には、私が『悪役』となって、殿下と新しい婚約者様との仲を取り持ってみせますわ!」
「悪役に……? そこまでしなくても良いのではないかな。それに、私に好きな人ができるなんて、今は想像もつかないよ」
「それは分かりませんわ。運命はいつだって残酷に、そして唐突に訪れるものです。ですから殿下、約束してください。もしそうなったら、遠慮なく私を捨てると。そして、私に協力させてください」
ラブリーは必死でした。
彼女は殿下を愛しすぎるあまり、「もし自分が殿下の人生のブレーキになっているなら」という恐怖に常に苛まれていたのです。
ならばいっそ、自分が完璧な舞台装置となって、殿下を至高の幸せへと導くべきではないか。
そう、これは彼女なりの、究極の「愛の形」でした。
「君の覚悟、確かに受け取ったよ。……実を言うと、最近、私の周りで熱心に話しかけてくる令嬢がいるんだ。ミリー・ローズという男爵令嬢なんだが」
「ミリー……様?(……来たわ! これよ、これこそが運命の歯車ですわ!)」
ラブリーの脳内では、すでに「殿下と可憐な男爵令嬢の身分差を越えた恋」という物語が爆走を始めていました。
「彼女は非常に明るくて、私に対しても物怖じせずに意見を言ってくれる。君とはまた違う魅力がある人だ」
「まあ! なんて素晴らしい。殿下、その方ですわ! その方こそが、殿下に新しい風を吹き込む運命の女性に違いありません!」
「まだ会ったばかりだよ? ラブリー、君は本当にそれでいいのかい?」
「もちろんですわ! 私、今日から特訓いたします。殿下が彼女と結ばれるための、最高に憎たらしくて、でも最後には拍手で送られるような『悪役令嬢』になるための特訓を!」
「……よく分からないが、君がそこまで言うのなら。私も、君の愛に応えるために、真剣に自分の気持ちと向き合ってみるよ」
クロードはラブリーの手を取り、その甲に優しくキスを落としました。
彼の誠実な瞳には、「ラブリーが望むなら、彼女を自由にするための計画に乗ろう」という、これまたズレた決意が宿っていました。
「ありがとうございます、殿下! ああ、私、幸せですわ! 殿下の幸せのために、この命を懸けて婚約破棄されてみせます!」
こうして、公爵令嬢ラブリーによる、前代未聞の「セルフ婚約破棄計画」が幕を開けたのです。
悪役は誰もいない。
ただ、愛が重すぎる婚約者と、その愛を全力で受け止める王子がいるだけの、おかしな物語が動き始めました。
「まずは、ミリー様と接触しなくてはなりませんわね。……ふふふ、嫌われ役の練習、鏡の前で頑張らなくては!」
部屋を飛び出していくラブリーの背中を見送りながら、クロードは静かに呟きました。
「ラブリー……君ほど私を想ってくれる女性はいない。君の願いを叶えるためなら、私は喜んで君を『突き放す役』を演じようじゃないか」
王宮の廊下に、ラブリーのやる気に満ちた足音が響き渡ります。
彼女の計画では、ここから始まるのは涙の物語。
しかし、周囲から見れば、それはどうしようもないほど滑稽で、愛おしいドタバタ劇の始まりに過ぎないのでした。
重厚なマホガニーの扉が、控えめながらも確かな意志を持って叩かれました。
「お入りなさい」
クロードが顔を上げると、そこには彼の婚約者であるラブリー・ファン・デリシャスが立っていました。
彼女は公爵家という高貴な身分にふさわしい、完璧なカーテシーを披露します。
「クロード様。お忙しい中、お時間をいただき感謝いたしますわ」
「ラブリーか。君ならいつでも歓迎するよ。それで、今日は顔色が少し優れないようだが、何かあったのかい?」
クロードが椅子から立ち上がり、彼女をソファへと促します。
ラブリーはその優しさに触れるたび、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚に陥るのでした。
「……殿下。私は、ずっと考えておりましたの」
「何をだい?」
「殿下の幸せについてですわ!」
ラブリーは突然、両手を握りしめて立ち上がりました。
その瞳には、並々ならぬ決意の炎が宿っています。
「私の幸せ? 私は今でも十分に幸せだよ。君という美しく賢明な婚約者がいて、国も平和だ。これ以上の何を望むというんだい?」
「いいえ! 殿下は優しすぎます! 私は知っておりますのよ。私がどれほど殿下を愛しているか、そしてその愛が、時として殿下にとって重荷になっているのではないかと!」
ラブリーの言葉に、クロードは困惑したように眉を下げました。
確かに彼女の愛は、他者の追随を許さないほど情熱的です。
毎日の手紙、自作の愛のポエム、そして彼の髪色に合わせた特注のドレス……。
「重荷だなんて思ったことは一度もないよ。むしろ、君の真っ直ぐな気持ちには救われているくらいだ」
「殿下……! ああ、なんて慈悲深いお方。ですが、私は決めましたの。もし、もしも今後、殿下が私以外の誰かを心の底から愛してしまったなら……」
ラブリーは一度言葉を切り、悲劇のヒロインのように自らの肩を抱きました。
「その時は、私、潔く身を引く覚悟でございますわ!」
「……身を引く? 君が、かい?」
「はい。殿下が他に好きな人ができたと仰るなら、私はその恋を全力で応援いたします。殿下が真実の愛に目覚めた時、私が邪魔者になることだけは耐えられませんの。ですから、その時はどうぞ、私との婚約を破棄してくださいませ!」
「ラブリー……君は、私を自由にするために、自分を犠牲にするつもりなのか?」
クロードの瞳に、感動の色が混じりました。
彼はラブリーの極端な思考を「高潔な精神」と受け取ってしまったのです。
「犠牲などではありません。殿下の笑顔を見ることこそが、私の魂の救済なのです。殿下が新しい愛を見つけた暁には、私が『悪役』となって、殿下と新しい婚約者様との仲を取り持ってみせますわ!」
「悪役に……? そこまでしなくても良いのではないかな。それに、私に好きな人ができるなんて、今は想像もつかないよ」
「それは分かりませんわ。運命はいつだって残酷に、そして唐突に訪れるものです。ですから殿下、約束してください。もしそうなったら、遠慮なく私を捨てると。そして、私に協力させてください」
ラブリーは必死でした。
彼女は殿下を愛しすぎるあまり、「もし自分が殿下の人生のブレーキになっているなら」という恐怖に常に苛まれていたのです。
ならばいっそ、自分が完璧な舞台装置となって、殿下を至高の幸せへと導くべきではないか。
そう、これは彼女なりの、究極の「愛の形」でした。
「君の覚悟、確かに受け取ったよ。……実を言うと、最近、私の周りで熱心に話しかけてくる令嬢がいるんだ。ミリー・ローズという男爵令嬢なんだが」
「ミリー……様?(……来たわ! これよ、これこそが運命の歯車ですわ!)」
ラブリーの脳内では、すでに「殿下と可憐な男爵令嬢の身分差を越えた恋」という物語が爆走を始めていました。
「彼女は非常に明るくて、私に対しても物怖じせずに意見を言ってくれる。君とはまた違う魅力がある人だ」
「まあ! なんて素晴らしい。殿下、その方ですわ! その方こそが、殿下に新しい風を吹き込む運命の女性に違いありません!」
「まだ会ったばかりだよ? ラブリー、君は本当にそれでいいのかい?」
「もちろんですわ! 私、今日から特訓いたします。殿下が彼女と結ばれるための、最高に憎たらしくて、でも最後には拍手で送られるような『悪役令嬢』になるための特訓を!」
「……よく分からないが、君がそこまで言うのなら。私も、君の愛に応えるために、真剣に自分の気持ちと向き合ってみるよ」
クロードはラブリーの手を取り、その甲に優しくキスを落としました。
彼の誠実な瞳には、「ラブリーが望むなら、彼女を自由にするための計画に乗ろう」という、これまたズレた決意が宿っていました。
「ありがとうございます、殿下! ああ、私、幸せですわ! 殿下の幸せのために、この命を懸けて婚約破棄されてみせます!」
こうして、公爵令嬢ラブリーによる、前代未聞の「セルフ婚約破棄計画」が幕を開けたのです。
悪役は誰もいない。
ただ、愛が重すぎる婚約者と、その愛を全力で受け止める王子がいるだけの、おかしな物語が動き始めました。
「まずは、ミリー様と接触しなくてはなりませんわね。……ふふふ、嫌われ役の練習、鏡の前で頑張らなくては!」
部屋を飛び出していくラブリーの背中を見送りながら、クロードは静かに呟きました。
「ラブリー……君ほど私を想ってくれる女性はいない。君の願いを叶えるためなら、私は喜んで君を『突き放す役』を演じようじゃないか」
王宮の廊下に、ラブリーのやる気に満ちた足音が響き渡ります。
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