1 / 3
前編
しおりを挟む
今日は朝から大忙し。いつもなら担当者にある程度任せるのに、商会長である夫が指揮を執って馬車に乗せる商品の最終確認を行っている。
それもそのはず、裕福なとある伯爵家からのご指名で、我がスーダン商会自慢の商品を直接お届けすることになったからだ。貴族の顧客は数あれど、今回の商談に成功すれば上客になるのは間違いない。普段より力も入るというものだ。
「シンディ、君は商会の方に残ってくれないか?」
「あら、どうして。今の季節、商会自体はそんなに忙しくないし、子供達もお義母様が見ていて下さるそうよ。この港町から伯爵領までは馬車で五日もかからないし、問題ないでしょ」
「でもな…」
「大丈夫よ、それに私の方があの家のことを知っているわ」
八つ年上の夫ルドルフが気まずそうにしているのも無理はない。何せ、指名してきた相手であるクランクイン伯爵は、私の元旦那が当主をしている貴族家だったのだから。
私の名前はシンディ。領地を持たないボルトン男爵家の次女として生まれ、王都で育った。王宮に文官として勤める父と淑女教育の家庭教師として働く母を持ち、家に居ない両親に代わって兄と姉にそこそこ可愛がられながら、男爵令嬢としてそれなりにしっかり育てられた。貴族の家とは言え、冷たい家庭というほどでもなかったし、仲の良い普通のいい家族だと思っている。
ただ順風満帆と言う訳ではなかった。ある日、姉が結婚する為に用意していた持参金を、当時男爵家で雇っていたメイドに盗まれたのだ。後日、そのメイドと共犯の男は捕まったが、盗まれたお金はほぼ使われており、貴金属も全部売り払われていた。犯人共は鉱山送りにされ、多少のお金は戻ってきたが全く足りない。婚約者との結婚が近かった姉は引き籠るほどショックを受けていた。それも当然だろう。持参金を持てない花嫁は当人同士が良くても相手の親族に冷遇されることが多いし、中には婚約破棄される場合だってある。姉の婚約者は姉を愛しているが、親族から婚約破棄を勧める話が早速出てきたようで困っているらしい。
そんな時に、私に婚約を飛び越して結婚の申し込みが舞い込んできた。相手はジョナサン・クランクイン伯爵。クランクイン伯爵家の次期当主で、ハチミツを溶かしたかのような黄金色の髪に空を吸い込んだかのような青い眼を持つ美青年。その美貌により高位貴族のご令嬢方から熱い眼差しを受けているというので有名な人物だった。
当然、私は怪しんだ。確かに婚約者はいないので婚約も結婚も可能なのは我が家で私だけではあるが、私の容姿は至って普通。癖のある栗毛も緑の眼もどこにでもあるような色だ。一目ぼれされるような容姿ではないし、社交はデビュタントと友人との付き合いで小さな夜会に数回出たぐらいだ。相手との接点がなさ過ぎた。両親も怪しんだ。引き籠ってた姉もしっかり者の兄だってものすごく怪しんだ。でも相手は古くからある裕福な伯爵家。怪しいからと言って断れるようなものじゃない。すぐにお見合いのような場が用意され―――私は合意の上で結婚したのである。
一つ、持参金は不要で結婚費用も伯爵家が持つ。
一つ、上とは別に伯爵家は男爵家に充分な謝礼を支払う。
一つ、伯爵家の妻としてふさわしくあるよう努める。
一つ、白い結婚とし三年後に離縁する。
一つ、愛人に関して一切口を挟まない。
以上が、お見合いの場で交わされた決まり事。そう私は契約結婚をしたのだ。お金で買われたようなものだが、三年間伯爵家で働くと考えれば破格の金額だったし、母から上位貴族のマナーなども教え込まれている。十六歳という若さもあって伯爵家でも上手くやれる自信があった。
愛人に関してはもうお好きにどうぞ、としか言えない。こちらとしては別に次期伯爵のジョナサンが好きで結婚する訳じゃないし。ジョナサン本人は白い結婚と愛人に関してが最も重要なことだったようだけれど。爵位を継いだ後に愛人との間に子供さえ出来れば離縁後に身分問わず結婚出来るので、私はそれまでの繋ぎであればよいのだ。
一時期社交界を賑わせた私達の電撃結婚は、お金が欲しい私と、平民である愛しい女性と結婚したいジョナサンの利害が一致した、それだけのことだった。
伯爵家の三年間は、私にとって正直とても楽しかった。苦労もあったが、立場が変われば人も物もこんなに変わるのかと驚かされ、いい経験になったと思う。ボルトン男爵家としても伯爵家からの礼金で姉は無事に結婚したし、兄もお嫁さんを迎えることが出来た。
愛人の件だって何の問題も起こらなかった。何せ黒髪の美人であることは遠目から見かけて知っているけれど、ほぼ伯爵家の領地に居た私と、王都のセカンドハウスで暮らしている愛人さんとは、直接会うような機会がなかったのだ。契約結婚とは言え、愛する人がよその女と結婚しているのだ、文句の一つは言われると思っていたのだが…。伯
爵家の人達が会うことのないように気を遣っていたのかもしれない。
仮の夫であるジョナサン本人も特に気にならなかった。ジョナサンも王都で暮らしているようなもので、領地の経営管理の為に三か月に一度屋敷に来ていたぐらいだったからだ。『旦那元気で留守がいい』と言う近所のおばさま方のご意見はまさに正しい。
そんなこんなで私は経営管理の仕組みなどを学び、お金の流れなども学び、たまに呼ばれる王城での伯爵夫人のお勤めを果たしていれば、あっという間に時が過ぎ。愛人さんが妊娠した報告と期限の三年が訪れたのはほぼ同時だった。
それもそのはず、裕福なとある伯爵家からのご指名で、我がスーダン商会自慢の商品を直接お届けすることになったからだ。貴族の顧客は数あれど、今回の商談に成功すれば上客になるのは間違いない。普段より力も入るというものだ。
「シンディ、君は商会の方に残ってくれないか?」
「あら、どうして。今の季節、商会自体はそんなに忙しくないし、子供達もお義母様が見ていて下さるそうよ。この港町から伯爵領までは馬車で五日もかからないし、問題ないでしょ」
「でもな…」
「大丈夫よ、それに私の方があの家のことを知っているわ」
八つ年上の夫ルドルフが気まずそうにしているのも無理はない。何せ、指名してきた相手であるクランクイン伯爵は、私の元旦那が当主をしている貴族家だったのだから。
私の名前はシンディ。領地を持たないボルトン男爵家の次女として生まれ、王都で育った。王宮に文官として勤める父と淑女教育の家庭教師として働く母を持ち、家に居ない両親に代わって兄と姉にそこそこ可愛がられながら、男爵令嬢としてそれなりにしっかり育てられた。貴族の家とは言え、冷たい家庭というほどでもなかったし、仲の良い普通のいい家族だと思っている。
ただ順風満帆と言う訳ではなかった。ある日、姉が結婚する為に用意していた持参金を、当時男爵家で雇っていたメイドに盗まれたのだ。後日、そのメイドと共犯の男は捕まったが、盗まれたお金はほぼ使われており、貴金属も全部売り払われていた。犯人共は鉱山送りにされ、多少のお金は戻ってきたが全く足りない。婚約者との結婚が近かった姉は引き籠るほどショックを受けていた。それも当然だろう。持参金を持てない花嫁は当人同士が良くても相手の親族に冷遇されることが多いし、中には婚約破棄される場合だってある。姉の婚約者は姉を愛しているが、親族から婚約破棄を勧める話が早速出てきたようで困っているらしい。
そんな時に、私に婚約を飛び越して結婚の申し込みが舞い込んできた。相手はジョナサン・クランクイン伯爵。クランクイン伯爵家の次期当主で、ハチミツを溶かしたかのような黄金色の髪に空を吸い込んだかのような青い眼を持つ美青年。その美貌により高位貴族のご令嬢方から熱い眼差しを受けているというので有名な人物だった。
当然、私は怪しんだ。確かに婚約者はいないので婚約も結婚も可能なのは我が家で私だけではあるが、私の容姿は至って普通。癖のある栗毛も緑の眼もどこにでもあるような色だ。一目ぼれされるような容姿ではないし、社交はデビュタントと友人との付き合いで小さな夜会に数回出たぐらいだ。相手との接点がなさ過ぎた。両親も怪しんだ。引き籠ってた姉もしっかり者の兄だってものすごく怪しんだ。でも相手は古くからある裕福な伯爵家。怪しいからと言って断れるようなものじゃない。すぐにお見合いのような場が用意され―――私は合意の上で結婚したのである。
一つ、持参金は不要で結婚費用も伯爵家が持つ。
一つ、上とは別に伯爵家は男爵家に充分な謝礼を支払う。
一つ、伯爵家の妻としてふさわしくあるよう努める。
一つ、白い結婚とし三年後に離縁する。
一つ、愛人に関して一切口を挟まない。
以上が、お見合いの場で交わされた決まり事。そう私は契約結婚をしたのだ。お金で買われたようなものだが、三年間伯爵家で働くと考えれば破格の金額だったし、母から上位貴族のマナーなども教え込まれている。十六歳という若さもあって伯爵家でも上手くやれる自信があった。
愛人に関してはもうお好きにどうぞ、としか言えない。こちらとしては別に次期伯爵のジョナサンが好きで結婚する訳じゃないし。ジョナサン本人は白い結婚と愛人に関してが最も重要なことだったようだけれど。爵位を継いだ後に愛人との間に子供さえ出来れば離縁後に身分問わず結婚出来るので、私はそれまでの繋ぎであればよいのだ。
一時期社交界を賑わせた私達の電撃結婚は、お金が欲しい私と、平民である愛しい女性と結婚したいジョナサンの利害が一致した、それだけのことだった。
伯爵家の三年間は、私にとって正直とても楽しかった。苦労もあったが、立場が変われば人も物もこんなに変わるのかと驚かされ、いい経験になったと思う。ボルトン男爵家としても伯爵家からの礼金で姉は無事に結婚したし、兄もお嫁さんを迎えることが出来た。
愛人の件だって何の問題も起こらなかった。何せ黒髪の美人であることは遠目から見かけて知っているけれど、ほぼ伯爵家の領地に居た私と、王都のセカンドハウスで暮らしている愛人さんとは、直接会うような機会がなかったのだ。契約結婚とは言え、愛する人がよその女と結婚しているのだ、文句の一つは言われると思っていたのだが…。伯
爵家の人達が会うことのないように気を遣っていたのかもしれない。
仮の夫であるジョナサン本人も特に気にならなかった。ジョナサンも王都で暮らしているようなもので、領地の経営管理の為に三か月に一度屋敷に来ていたぐらいだったからだ。『旦那元気で留守がいい』と言う近所のおばさま方のご意見はまさに正しい。
そんなこんなで私は経営管理の仕組みなどを学び、お金の流れなども学び、たまに呼ばれる王城での伯爵夫人のお勤めを果たしていれば、あっという間に時が過ぎ。愛人さんが妊娠した報告と期限の三年が訪れたのはほぼ同時だった。
466
あなたにおすすめの小説
ある愚かな婚約破棄の結末
オレンジ方解石
恋愛
セドリック王子から婚約破棄を宣言されたアデライド。
王子の愚かさに頭を抱えるが、周囲は一斉に「アデライドが悪い」と王子の味方をして…………。
※一応ジャンルを『恋愛』に設定してありますが、甘さ控えめです。
婚約破棄?から大公様に見初められて~誤解だと今更いっても知りません!~
琴葉悠
恋愛
ストーリャ国の王子エピカ・ストーリャの婚約者ペルラ・ジェンマは彼が大嫌いだった。
自由が欲しい、妃教育はもううんざり、笑顔を取り繕うのも嫌!
しかし周囲が婚約破棄を許してくれない中、ペルラは、エピカが見知らぬ女性と一緒に夜会の別室に入るのを見かけた。
「婚約破棄」の文字が浮かび、別室に飛び込み、エピカをただせば言葉を濁す。
ペルラは思いの丈をぶちまけ、夜会から飛び出すとそこで運命の出会いをする──
真実の愛ならこれくらいできますわよね?
かぜかおる
ファンタジー
フレデリクなら最後は正しい判断をすると信じていたの
でもそれは裏切られてしまったわ・・・
夜会でフレデリク第一王子は男爵令嬢サラとの真実の愛を見つけたとそう言ってわたくしとの婚約解消を宣言したの。
ねえ、真実の愛で結ばれたお二人、覚悟があるというのなら、これくらいできますわよね?
断罪するならご一緒に
宇水涼麻
恋愛
卒業パーティーの席で、バーバラは王子から婚約破棄を言い渡された。
その理由と、それに伴う罰をじっくりと聞いてみたら、どうやらその罰に見合うものが他にいるようだ。
王家の下した罰なのだから、その方々に受けてもらわねばならない。
バーバラは、責任感を持って説明を始めた。
王子が婚約破棄なんてするから
しがついつか
恋愛
婚約破棄をした王子は、苛烈な元婚約者の公爵令嬢を断罪した。
これで想い人と結ばれると思ったところ、王子には新たな婚約者が決まってしまう。
王子は婚約破棄をするため、新しい婚約者と交渉することにした。
婚約破棄ですか....相手が悪かったですね?
神々廻
恋愛
婚約者から婚約破棄を言われてしまいました。私は婚約者の事が好きでは無かったので良いのですが.....
少し遊んで下さいませ♪相手が悪かったですね?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる