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BOOK1(後半)

六曜のこととか

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マークスマン

2020年の洋画だ。古い筋…。ありふれたアクション。

********************

「マークスマンにしたんだけどね…。」
「で?なに?いきづまり?何ならかけんの?」
「うーんと、いろいろ…。」
「要するに、AVとかそいういことでしょ?」
「まぁ、そういうことかもしんない…。」
「でもさ、ここって、愚痴とか、文句とか、泣き言とかをあげるとこなの?」
「さぁ、どうだろうか…。君次第ではある…。」
「ふぅん…。」
「でもさ、まがりなりにも、うまくたちふるまえていたんじゃない?」
「何が?」
「なんか、めんどくさいな。君の性格…。」
「それは、君もだろ?」
「「やれやれ」か…。」
「それって、「やれやれ」ってたくさん使った方が、商品ゲットみたいな企画なの?それだと、たくさん、「連呼」だの、「連打」だの、知らんけど、所詮はそういう、「遊び?」みたいなものになるんじゃないかって気がするんだけど?」
「うーん。」
「で、「てかな?」」
「「先読み」みたいな話?」
「で、「うーん」に戻る…、か…。」
「「カモーンカモーン」の声がする…。の夜とかを求めてるってこと…。」
「ま、多少は…。」
「正直だね…。」
「…。」
「でも、それ、「美徳」とか思ってちゃだめなんじゃなかったの?」
「え?」
「「なんでも、言えばかなう世の中なの?」」
「たとえば、こういう「問」みたいなものが、「質問ボックス」に置かれたとする…。」
「うん…。」
「で、その時、君はなんて答えるの?「ある程度は、かなう…。」みたいに、「適当」なことを言おうか」
「でも、さ、今の思考でも、思考は、「いう」か「おく」かでも。「迷え」たでしょ?」
「なんか、「閾値」みたいなのが「低く」なってるのかな?」
「知らない…。ある意味。「過敏」になってきてるのかもよ?」」
「…。」
「そこで黙るか…。」
「「過敏」なことがいいことなのか、悪いことなのか「判断」が「できない」ってことでしょ?」
「まぁ、そうなるわな…。」
「あのさ…。でも、うーん。でも、まぁ、基本的には」
「そっか、君の中では「終わってない」から「リカバー」みたいなものはいくらでも「きく」んだったね…。(うーん。これだと、俺の方がよっぽど間違ってるって気がするけど…。)」
「だって、お兄ちゃんは間違ってるから…。」
「ふーん。妹キャラという設定ね…。じゃ、まぁ、それで、つきあってみるとするか…。」
「だって、お兄ちゃんは、「みんな」の「お兄ちゃん」なんでしょ…。」
「うーん。どうだろうな…。「みんな」かどうかはよくわからな?だって、それって、「公共の」「お兄ちゃん」っていう意味だろ?まぁ、人は、もしかしたら、ある意味では「公共の」「側面」を「持って」とか、「大衆」の「目前」にでも、まぁ、「さらされて」っていう「言い方」は「間違っている」「気」はしなくはないけど、「外」に出たら、「不特定多数」の「よくわからない」「他者」という「人間」の「目線」にまぁ、言い方が悪くてもよければ、「さらされて」」
「その辺が間違ってるってことでしょ…。」
「そうだな…。一億、そう「忍び」「国家」みたいなことを「求め」出してきてるのかな…。」
「…。」
「でも、たとえば、お兄ちゃんの求めているアイテムは、別に、「魔法」というよりは、この正解でも「できる」「技術」でできている「何か」だったりするわけでしょ…。」
「まぁ、「言霊」っていうのはあるけれども、「この世界」で「可能」な「技術」でなければな…、みたいな、「思い」というのは「あるよ」…。」
「お兄ちゃんの偉いところ…。」
「…。」
「お兄ちゃんはお姉ちゃんかもしれないけれども…。」
「そんなに女っぽいかな…、俺…。いや、そんなことは、ない、俺は、一応日本男子だし、あんまり、日本の女性声優みたいなものに迷惑をかけたくもないんだよな…。」
「でも、お兄ちゃんの周りには、なぜか、人が「集まる」…。」
「…。」
「「お兄ちゃん」は「逃げようと」しているのに…。」
「yousee?」
「なんで、お兄ちゃんは女の人の声で、しかも英語で話そうとするの?」
「UCCoffeeでも飲みたいのかなとか思って…。」
「だめだね…。頭の中身が、多少外国語化してるんじゃないかい?」
「なんかでも、UCCoffeeって打つのとかも、俺にとっては、すげぇ難しいことなんだ…。」
「ふぅん…。」
「そして、UCCoffeeはUCCoffeeじゃないと、」
(これって、書き文字だからだよな…。話してるときは、頭の中では、ユーシーコーヒーくらいののり(?)かもしれないし…。)
「いや、君は、UCCoffeeだと、絶対に思っているはずだ…。第一、カタカナのユーシーコーヒーなんて商品は見たことないでしょ?」
「まぁ、そうといえばそうなんだけどな…。」
「いい加減に何時だと思っているんだ…。君もたいがいにだな…。」
「ま、こんな感じには、なるんだよな…。これだと、やっぱり「迷惑」かけて「ばっかり」みたいに「分類」されても仕方がないのかもしれない…。」
「君は、でも、「迷惑」とかは「いけない」ものだと思っているんだろ?」
「要するに「迷惑」の「度合」の「話」になってくるんじゃないかと「思ってはいる」…。」
「それは、「過激」な「思想」を「含む」ことに君自身気づいているはずだろ?」
「でも、「いかなる人間」にも「迷惑」を「かけない」で「生きていく」こと「そのもの」がそもそも、「破綻」した「思考」に過ぎないみたいな「言説」だって」
「「僕たち」はもっと、力を合わせて生きていかなければ…。」
「まぁ、そんな感じだよなぁ…。」
「でも、これって、別にBLものじゃないだろ?」
「君ねぇ…。」
「なんか、謎だな…。今日は…。」
「結果的には、こうやってっけど、「誰か」とは「話」してはしまうな…。日本のアニメ声優になることが俺の場合は、多いな…。なぜか、そうだ…。俺自身が、特殊能力みたいなのに、ある程度「あこがれ」みたいなのがあるのかもしれない…。」
「「みんな」そうだよ…。」
「ふぅん…。」
「「ある程度は」と僕はちゃんと思ったのだからね…。」
「そうだよな…。そっか、俺は」
「たぶん、「一億総忍び社会」だのなんだの…、っていうあたりから、話の展開がおかしくなったんだと思うぜ?」
「でも、この国って、「同調圧」みたいなのが「強い」のかもしれない…。」
「そうかな…。」
「それは、君が「強い」からだろ?」
「あるいは「使える」?」
「そこらへんから「ブラフ」みたいなのが「始まってきた」ような気がする…。」
「まぁ、そういうのは、あるよな…。」
(溜息交じりの俺の図…。)
「なんかさ、なんだかんだいっても、「テスト」「的」にで、やろうとしたときに、結局、「行きつく先」まで「行ってしまったん」じゃない?」
「うんうん…。」
「「作家」は「枯れた」とか、「インテイク」が「足りなくなった」とかそういう「表現」を使ったりするものなのかもしれないけれども…。」
「ふむ…。」

********************

「もうちょっとかけそうだからかくね…。」
「まぁ、あいかわらず、女ったらしいこと…。」
「うぅむ…。そういうのコンプレックスなんだけどな…。」
「ま、いんじゃね?」
「でも、実際問題として、「困ってる」「こと」、みたいなことは」
「要するに」
「「女々しくて」「つらく」「なる」ってことに、「集約」される「訳」でしょ?」
「あぁ、そうきたか…。」
「でも、実際のところは、全然「つらそう」に見えないんだけど?」
「それは、たぶん、俺が「タイプ」みたいな「作業」には、「慣れてる」からじゃないかと思うけれども…。まぁ、これを「作業」ととらえてしまっては…ということなのかもしれないけれども…。」
「そっかそっか、結果的には、どうてもいいような「声優」、みたいな人、そっか、たとえば、くれよんしんちゃんにでてくる、「まさお」くんの「声優」、みたいな「人」はわりとどうてもいいと思って生きているのかもしれない…。」
「そうですか…。」
「そうすると、そういう風に、そっか、結局そこで、「無関心」の「必要性」みたいなものを説きだすのかな?」
「え、俺に言われても…。」
「か…。」
「やっぱ、「会話」で、「質問」を「誰か」たとえば、「女性」とか、あまり「強くない」もしくは「偉くはない」、でも、それもやっぱり違うような気がするしな…。堂々巡りだな結局…。」
「えっへん…。」
「まさおくんは、いばったりするかぁ…。」
「でも、結局、そう仕向けたような気もするんだよなぁ…。」
「謎ですね…。」
「そっか、でも、二次元創作家さんには、そういういろいろなことができるんですね…。」
「そうなのだよ。」
「?でいいのかちょっと迷うのだよ…。」
「たとえば、俺が、「えっへん」と思ってと思ったから、まさおくんの声優が「えっへん」と思う、これって、脚本家だったら、それを「伝える」ことはできるとは思うよ?」
「でも、たとえば、俺が、思ってほしいことを相手が「必ずしも」「思うとは」「限らない」という「世界」に「普通」の人は「生きている」「もの」なのだと思う…。たとえば、そこには、「俺」という「人」は「普通」ではないとか、この時点で、相当な中二病みたいなことなのかもしれないけれども、でも、この「中二病」みたいな、「日本語」だって、相当に「すごい」と思う…し、「俺」っていう「日本語」だって、結構「すごい」とは思うけど…。」」
「で?」
「なぜ、そうなるの?」
「わからない。わかりやすい、誰もが知っているような「アニメ」の「キャラクター」みたいなものを、「混ぜたほうが」「読者」の人には、「わかりやすい」と「思う」からなのかもしれないし、そうでないのかもしれない…。書いても書いても、終わらないのが「仕事」というものだとかいう、ヘンテコな「地獄意識」みたいなものに、「囚われ」すぎているというだけの「こと」なのかもしれない…。」」
「それって、「無限」「地獄」みたいなものの話?」
「なんで、そうやって、「おそれさせよう」「おそれさせよう」みたいな「方向」に向かうのかな?」
「俺は、別に、「誰か」を「おそれさせよう」とかは、「基本的」には「思っていないのだよ?」
「でも、いやなものは「いや」か…。」」
「誰でもそうだとは思う…。」
「でも、そこで、たとえば、お兄ちゃんとかは」
「私は、兄ではない…。」
「そこからかぁ…。」
「私は、まず、兄ではないし、兄というのも、必要な、「役目」とされることもあるのだとは思うのだけれども、やはり「嘘」というもの…、そして、「嘘」ということが、実は、私にとっては、とても「難しい」「話」なのだと思う…。」
「まぁ、そりゃぁ、そうだよね…。」
「「レベル」とか「繰り返し」の話になるからでしょ?」
「「不平不満愚痴」を「一言」も「言わず」に「暮らす」みたいなことが「許されている」のか?」という話でしょ?

「あの、最初っからもう「前提」みたいなこと自体が、ずれていて、この世界そのものの方が、「おかしく」なっているんですってば…。」
「ふぅん…。」
「そうかな?」
「時間差ですか…。」
「なんでそう思うの?」
「だって、この世界は、「生きづらい」から…。」
「でも、そういう「単語」とか、「そういう思考」とか、「思想癖」とか、そのもののほうを「強制」とか、しようとしますよね…?」

「その前に、「寒い」と「痛い」とは「同じ」こと?っていうことぐらいから話さないと…。」
「話したところで、何?寒いのも痛いのもいやっていうことぐらいしかわからないと思うけど…。」
「それより、「寒い」と「気持ち」そのものが「萎縮」する方が「問題」だと思うけど…?」
「逆じゃなくって?」
「なんか、「感情的」になりすぎている気がする…。そして、「感情」みたいなものを、あまり「追いかけすぎては」いけない「気がする…。」」
「でも、今日なんかは、もう「限界」っていうか、「情動」で生きなきゃ「だめ」かな…ぐらいなところまでおちてたでしょ?」
「あの、おちるよ。100メートルくらい簡単に?」
「何の話だ?」
「100メートルバンジーの話?」
「なんか、そっちの方向に持ち込まれる?それとも、俺がそのようなことを思考しだしているから?」
「おちると、100メートルだけでしょ?」
「でも、100メートルバンジーとまでは誰も思っちゃいない…。」
「だから、余計なものを「足した」から?」
「「足す」っていけないことなのかな…?」
「「余計」な「もの」だったらって話だろ…。」
「わぁ、仮定法だね…。」
「男って、「プラス」じゃない?」
「まぁ、考え方による…。」
「そっか…。」
「自分を分けていると考えるか、自分を足しに行っていると考えるかって話?」
「でも、女だって、結局、分けていってる?」
「でも、「ゲノム編集」の「本」に真っ先に突っ込んでいったんだべ?」
「まぁね…。」
「実際問題としては、そこまで、「手」を「出さ」なければ、「猫勇者」の扱う「テーマ」みたいなものは、「制御」しきれなくなる(?)おそれがでてきたからね…。」
「それとも、「からだろ?」」
「あの話も、ずれてきてると思うぜ?」
「まぁ、そうでしょ?願っていることは、「一元化」みたいな話でしょ?」
「要するに、「一つことに集中してください」っていう話を、「避けてる」」
「いや、あながち、「さけてるとは」言えないのだと思う…。」
「単純に、いろんなことが「できる」ことを示したい→自分なりのやり方にこだわりたいみたいなのがエスカレートしている都合上、要するに、「我欲」みてぇなのがでてきたのにすぎねぇっぺ!」
とか、もう、別のキャラクターで話そうとしている。方言とか使たほうがおもしろくねぇ!?とか、イントネーションとか違う感じで、考えてぇに決まってんべ!とか思ったりしちゃってる…。
「ふぅん…。」
「あそ…。熱しやすく、さめやすいやつだな…。」
「無意味かな…。こういうの…。」
「おらさ、別にかまわねぇだ…。けんど、おめぇはしんどくはねぇのか?」
「なんだろうな?このシンクロみてぇなやつは…。」
「でも、ちょっとは、しんどくはあんだろ?って聞かれたら、確かに、左手が、少し、びりびりしたような気もしなくはないんだけどもな…。」
「このイントネーションでやってくの?」
「知らん…。方言が欲しい人は、欲しがるのかもしれないから…。」
「おめぇのは、ながされやすいってだけのこっとだぁ…。」
「…。」
「やまちゃんか……。」
「ていうか、年上の人に、ちゃんづけでいいのかな…。」
「なんかさ、結局のところ、漫画書き→キャラのセリフを決めれる」
「でも、漫画家が、アニメ監督を兼任できるというわけでもないでしょ?」
「そこらへんが、もう「妄想」を言っちゃってるんだってば…?」
「ですね…。」

「確かに、全知全能の「なんか」をかくことはできるのかもしんねぇけどよぉ…。」
「ですか…。」
「とりあえず、あと1000単語、これも、相当変だと覆う…、1000文字だと思うから…。」
「あぁ、このwordの仕様ね…。」
「だから、日本語だと思われていないんじゃないかと思うけど…。」
「うーん。」
「でも、今の、「うーん」はさすがに、「日本語」でしょ?」
「知らない…。」
「向こうの人は、「ううむ」にすら、宇々無だとか、変な、あて「漢字」みたいなのをつけはじめたら」
「だから、やりずらいなとか思ったりはしていて…。」
「ちなみに、昨日の映画は、三本とも、っていうか、四本で」
「だから、そこから違うんだって…。」
「普通の小説は、別に、映画とかゲームの感想の「集合体」じゃないでしょ?」
「じゃ、7000字の、ちゃんとした、「小説」みたいなの書いてみて…。」
「しょうがないな…。「ちゃんとした」はよくわからないけど、特別だぞ!?」

********************

そっか…。でも、結局、まずは、悩むんだな…。そうだね…。登場人物の名前をつけるところで悩む…。だって、たとえば、今、適当に、ところって名前を使おうかなとか、ひらめいたとしても、実際にそういう芸名の人がいたり、ただ、記憶から引き出しただけだとか、言われたりするから…。
「じゃ、登場人物には「名前」をつけないという「きめ」を貫くの?」
「まぁ、「きめ」というのが「名前」であってもいいという気はするが…。」
「「きめ」ね…。「きめ」より「きまり」の方が「きまり」がよくね?なんちって…。」
「じゃ、「きまり」にするか…。」
「適当だな…。ほんと…。」
「うーん。やっぱりこれにしたって、「誰か」の「合いの手」は「借り」ている気はする…。」
「じゃ、「きめ」?」
「「きまり」にするか…。その方が、「きまり」がいのだろ?」
「ずっけぇ、それ、俺のアイディアじゃん?」」
「だから、大人というのはずっこいの。ずっこいし、ずぶとく、かつ、しぶとい。六道仙人とかもそじゃったろ?」
「あの、世界観ね…。」
「ていうか、輪廻眼とか、そういうのでしょ…。」
「あの、眼ね…。」
「ていうか、よくはわからないのだけれど、適当に、「オウム返し」ができるだけの人で、周りに、外国人が、いるっていう設定で、その人に、「オウム返し」をするっていうだけでも「外国語」をしゃべったことには、なるのだと思う…。」
「倫理的な示唆ね…。」
「論理的だと思うのだけれども…。」
「呆けただけ…。それだけのこと…。」
「うーん。」
「声を出したら負け…。」
「そっか…。結局、しゃべらないことが、「尊ばれる」ということか?」
「君はバカなの?」
「さぁね…。」
「で、宿題の中身は、7000文字の「ちゃんとした小説」」
「わしは、作家ではないが、役上は作家か…。」
「なるほど、結果的には、誰かの「伝聞」の形をとると…。」
「なぁに?地獄耳自慢みたいなだけのこと…。」
「なんか、これ、永遠にやってく」
「だから、誰も、永遠だなんて言ってないでしょ?」
「でも、7000文字っていう縛りはどこから来たの?」
「単純な計算17000わる3」
「それが、もう全然単純じゃないと思うけれども…。」
「まぁ、そうなのかもしれない。15000わる3の方が」
「実は、あんまり、語りたくないってことね…。」
「5000文字のセリフなんか書け。みたいな方が、難しいのかもしれないけれども…。」
「熟考かぁ…。」
「「何について?」になっちゃうと思うんだけれども…?」
「ですよね…。」
「5000文字のセリフをかけたから、「何なの?」ですらも…。」
「なんか、そういうところなのかなとか思っていたりもする…。」
「だから、結局、普通の人間は、自分が、何文字の話をしているとか、いちいち計算して、話してないんだってば!」
「頭の体操ですか…。」
「五文字のセリフを言ってみて?」
「ぐらいのところから謎は始まってくるとおもうけど」
「ふざけんな!」
「とかでしょ?たとえば…。」
「相当ストレスが溜まっていると見受けられる…。」
「でも、今のセリフですら、句読点いれて、22文字のセリフなんです。」
「そのセリフは?」
「31文字…。」
「そのセリフは?が繰り返されると、6文字…。みたくなる…。」

********************

だから、全然小説じゃ、ないんですって…。
もっと、短い小説の方がいい…。もっとたとえば、でも、この辺も、100文字で終わる小説とか、1000文字で、
「だから、小説の「定義」みたいのが、必要なんだって…。」
登場人物は、よくしゃべるね…。実際に、生きている人間だから、そりゃ、しゃべりもするというか、聞きに行ってるんじゃね?
「でもさ、たとえば、「小説」の「定義」って何って俺が質問したとして、」
「もう「ぶっ殺す」?」

********************

「時間が流れるのははやいね…。」
「えっと、もう今日は2022年1月20日です。」
「では、1月20日は何の日でしょうか?」
「パソコンで調べると、大寒、二十日正月、大安、玉の輿の日とでます…。」
「…。」
「やはり気になるのは、「二十日正月」でしょうか?」
「「でしょうか」…。か…、(これは、四択問題ということをいっている?)」僕は考えた。
まず、普通に、大寒の説明をする。二十四節季の大寒。でも、これだって、考え方によっては難儀だ…。大寒とは、漢字の意味だけをそのままにとらえると、一年で最も寒い日という風になる…。でも、果たして、そうだろうか…。僕は思う…。わからないので調べる。最低気温ランキング△日本で調べると、1902年1月25日の北海道・旭川、記録は、-41度と書いてる、ページが開いてくる…。続く2位は同じく北海道・帯広で-38.2度と書いてる…。それは翌日の1902年1月26日であったと
わかる。3位も北海道で江丹別で、記録は-38.1度。と書いてある。いつの記録なのかわからないな…。僕は思う…。
「ちなみに、今日の最低気温は何度だった?」
別の疑問がわく…。ウェザーニュースは、東京での-1℃観測、北海道での-27℃のデータを提示する…。
か…。
「でも、二十日正月については何も説明していないですよね…。」
「え?そこ?
二十四節季は飛ばして、二十日正月から見る?別にそれでもいいけど…。」
僕は、適当に、二十日正月をクリックする、
「二十日正月を骨正月(ほねしょうがつ)と呼ぶ」とかいうテキストが目に飛び込む…。
そのあと、「鰤」が読めるかという「漢字」の問題が出る…。答えは「ぶり」で僕は一応読めるとわかる…。読めない人は、「魚へん」「師」「へん」は「編」という漢字だとわかる。「魚編に師」を選べば「魚へんに師」ではありませんか?がでる。「へん」ってどういう漢字だったっけ?「へん・つくり・漢字」で調べる。偏のへんはにんべんであるとわかる…。では、なぜ魚へんは編になっていた?僕はわからなさをいだく…。
ひとまず、二十日正月にもどる…。
テキストには書いてある。
「正月に準備した鰤を骨まで煮ることとで残さず食べつくすことから来ています。骨まで残さず食べることで、実りへの感謝や今年の豊作への願いが込められています。」
僕にとっては、この文章は難解だと思う…。
「骨まで煮ることで残さず食べ尽くす」と、「骨まで残さず食べること」に関しては、「矛盾」が生じる可能性があると思う…。冗長かもしれないけれど、「骨まで煮ることで、骨まで残さず食べ尽くす」と書かなければ、「え?骨ごとくわなきゃいけないの?」となると思う…。実際、骨ごと食べれる調理法みたいなのはあるわけだから…。そして、次のセンテンスは、「西日本では鰤、東日本では鮭が代表的で」とか書いてあって、ここは東日本で、「鮭」って「食べたっけなぁ」とか思ったりする…。そして、「寿司は食べたな」と思う…。
二十日正月に関してはここまでにしよう。と思う…。次の選択肢にいくことを僕は選ぶ…。
大安を選ぶとカレンダーが出てくる…。
「大安とは」を一応調べる。ちなみに、ブラウザの最初には「対案とは」が出る…。
ちなみに、選択肢の中には「大安とは」はない、ぎりぎり近い「大安とは?」を選ぶ。
「六曜すべての意味と由来」みたいなページが出る…。一応見る。大安とは「やってはいけないことが何もない日」のこと。この日は大吉だと思われがちですが、「大いに安し」という意味をそのままとると「特に害のない日」とか書いてある。続きが見たければ、クリックとなる…。
続きは、こうだ。
「実は「小吉」のような日です。ただし、やってはいけないことや凶の時間帯がない分、結婚式などの長い時間帯で執り行われる行事はこの日にすると良いと感が和えられています。」
ちなみに、「もっと読みたい方はこちら→」というリンクがでている…。一応読むか…。
で、すすむと、
「ちなみに、かつて賭け事などに「六曜」が使われていた時は、「小吉」の時に賭けても面白くない、と考えられることもあったそうですよ。」という文言が浮かぶ…。
「まぁ、胴元的には、「大凶のときにこそ、大量ベットじゃぁ!」みたいなお客さんの方が、面白い、ってか、「鴨」っぽい(?)みたいなのがあったのかもしれないな…、」

で、問題の「玉の輿の日」か…。
玉の輿の日のセンテンスはそんなに長くはない…、
「1月20日が「玉の輿の日」といわれるようになったのは、モルガンお雪という日本女性と、アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥が結婚した日に由来するのだとか。(2021/4/30)」とか書いてある…。

********************

僕は部屋をうつった。一応12℃の部屋らしい…。
「ここで「裸」とかになれる?」」君は考えるわけだ…。
「なれなくはないのかもしれないけれど、今日は「大寒」なんじゃなかったのか?」
僕は思う…。
→なって、すぐ服をきてみる
 ならない
「みたいな感じになると思うんだよね…。ロールプレイングゲームだったら…。」
「いや、実際そうだと思うよ…。なんといってもこの部屋にだけは「エアコン」が存在しないわけだし…。「ハロゲンランプ」なるものはあるわけではあるのだけれども…。」
「だからさ、別に、「寒い」というか、「気温が低い日」に…。いや、ごめん、なんかあやまる…。」
「要するに、環境設定を変えられないっていうのは、「間違っている」っていうだけの話じゃね…?」
「ほんとに「裸」になってみようか…?」
「知らない…。その場合は、「ギター」持参」な…、」
「でも、「眼鏡」はいるでしょ?」
「…。」

「一応、「裸」に「眼鏡」にはなってみた…。なんか、これだと、「書けない」みたいなのはどうかと思うけど…。」
「でも、「試験」だとしたら、「普通」でしょ?」
「しかも、「大寒」の「日」だし…、って感じ?」
「なれれば、別にかけるね…。」
「最初は、「手」「寒い」「感じ」「じゃない?」」みたいな感じだったけどね…。
「で、何について、話し合う?」
「やっぱ、「裸」について?」
「うーん。」
そこで、眼鏡をとってみるか、と思う…。一応、そうすると、「生まれたままの姿」にはなる…。
眼鏡をはずすと、そもそも、文字を読みながら打たなきゃならなかったっけ?みたいに思うし、若干、前傾姿勢でのタイピングにはなるんだよな…。ま、でも、「風」みたいなのがないだけ、この「環境」みたいなものは「ありがたい」「環境」なのかもしれない…。

「問題なのは、「時間」です。」誰かが言う…。
「これが、「仕事」だとするならば、「22時」までには、この「部屋」自体を明け渡さなくてはならないのです。」
「ふむ…。」
「で、残りは、7000弱か…。」
「何について、記載するべきだろうか?」
「知らないけど、六曜についてとかで、いいんじゃない?そういうの気にする人は、ほんと気にするんじゃないかと思うけど…。」
「あぁ、じゃ、一応、仏滅の日についてでも調べておくか…。」
「六曜の発祥はちなみに中国みたいだぜ?ほんとにこれでいいの?」
「まず、六曜は賭け事のタイミングを決める際によく利用されていました。」とあるね…。
「六曜はその日に「やってはいけないこと」を考えるための指標です。」とあるね。
「一日の時間帯の中でも吉凶は存在する」と書いてある…。
「六曜では、旧暦1日になると強制的にリセットされる仕組みになっている…。」
で、先勝から説明は入る…。
「ふむ…。」誰かは言う…。
「先勝は「なるべく先回りして行動する」と良い日とされており、午前中が吉、午後が凶の時間帯になる」とある。で、例のごとく、もっと読みたい方リンクがある。一応みるか…。
リンクをみると、とにかく、「結婚式」と「お見合い」の話なんだなとわかる…。
一応、「友引」から説明するか…。というか、、見て、適当に、打鍵してるだけだけど…。

「友引は「友人を引き込む」とされている日なので、結婚式の日としてはよく、葬式をするのは特にNGとされています。朝は吉・昼は凶・夕方は吉です。」で、例のごとくもっと読みたい方リンク…。

ここは、コピペにします。

「また入籍・建築・契約締結などの際も、六曜を気にされる方は多いですよね。友引に関してはいずれも特に影響はなく、これらを行っても問題はないでしょう。

なおこの日は、友人と夜(吉の時間)に食事に行くなどの過ごし方もおすすめです。ただし、友引は吉凶混合で悪いことにも引き込んでしまいがちな日なのでコミュニケーションには注意し、迷惑をかけないように振る舞うことが大切です。

ちなみに、かつて六曜は日ではなく時間に関係する考え方で、特に「賭け事」をするタイミングの参考によく使われていました。友引は「友と引き分ける」ため、賭け事のタイミングとしては「面白くなくなる」と思われ、避けられていたのだとか。」

「11時~13時は「凶」の時間帯にあたる」とか具体的に書いてあって、やはり「結婚式」を避けたほうがいいとか書いてある…。

で、次の「先負」…。
これは、そもそも、読み方の問題かもしれない。俺は、「さきおい」傷を負うの「おう」かと思ってしまったが、サイトには、「せんぷ・せんふ・せんまけ・さきまけ」とか書いてあるし…。
「そっか、打鍵するのと、コピペでも「意味」は異なってくるのかもしれないしな…。」

一応、服きた。服の有無については、どうでもいいわけでないが、要するに、「プライベートな空間」においては、「服」は「あってもなくてもどっちでもいい」みたいなのは「働く」というか、今日のはちょっと「試験」っぽかった…。なんといっても「大寒」の日だったりもするわけだし…、俺は、「生まれたまま」みたいな「こと」に「こだわっているのかもしれない」…。「歌」の「世界」とかでは「そう」だ…。たとえば、「生まれたままの「言葉」」みたいな「論理的矛盾」というか、基本的に、「言葉」というのは「後天的に」身につくものかもしれないと思っているようなところはあってね…。でも、たとえば。「寒そうだから、「服」をきてください…。」とかそういう世界にも生きている…。
で、先負…。これ、「さきまけ」って言いたくない人は、言いたくないんだと思う…。だって、先に負けることの意味とかは、さっぱりわからないし…。みたいな感じで…。で、一応、説明書きを書いてみる…、

「「先負」は午前中が凶で午後が小吉。先勝は午前中が吉といわれているので、先負は午後が吉だと思われがちですが、先負の午後は小吉程度で特に良い時間というわけではありません。この日は「平常を装って吉」とされており、何事も起こらないように無難に過ごすことがおすすめの日です。」」
って書いてある…。でリンクをたどると、

「先勝・先負」もうこの時点で、若干混乱する…。だって、先勝は「せんしょう」て読みたい感じがするし、先負の方は「さきまけ」って読みたい感じがするけど、つなげられると、「せんしょう・せんぷ」かな…。もはや四字熟語じゃね…。みたいになる。でも、間をはさんでもいいなら、せんしょう・さきまけとか、でも、「ぼけ」ですか?と突っ込まれそうな気もする…。で、先勝・先負はそれぞれに「吉(もしくは無難)」な時間があるものの、日としてはあまり良くない日だと考えられています。と書いてある…。

信ぴょう性はのところには
「実はあまり信ぴょう性があるものではありません。」とか書いてあって、一応、「仏滅」についても記載してみますか…。みたいな、諦め感が出てくる…。

で、仏滅の説明には
そして、やはり結婚式についての言及。
「仏滅とは「物が終わる(滅する)日」です。悪い日だと思われがちですが、この日は、仏事や別れたい人との別れには良い日といわれています。例えば、悪縁を切り、改めて、人生をスタートしたいときなどには適しています。お祝い事などはこの日はさけたほうがいいでしょう。」みたいなコメントがある。念のためにリンクすらたどる。

で、
「ちなみに、大安と仏滅は大吉大凶のように思われがちですが、実はあまりそのよしあしは大安も仏滅も変わりません。結婚式などを執り行うときに避けられがちな「仏滅」ですが、物が滅する日ではあるものの、本来は吉でも凶でもなく無難な日と考えられていました。反対に「大吉」だと思われがちな「大安」も実は害がない「小吉」の日なので、両社は近しい日なのです。」
とか書いてある…。

「ただし、大安はNGな事柄や時間帯が無く「万事進んで良し」の日と考えられる一方で、仏滅は「物事が一度終わる日」なので、同じ小吉でも大安の方が結婚式などを執り行うには良いとされます。」

で、仏滅についての言及。

「ただし、この日から始めること(特に良くない事柄)は長引いてしまうと考えられており、この日に病気になると長引くとも言われます。また、六曜の考え方でとらえると、仏滅に家を建てるのは物事が終わる日なのでNGです。悪縁因縁を断ち切り、新たな旅立ちをしたい事柄がある場合は、仏滅を意識しても良いかもしれませんね。」

で、赤口。の読みは、「しゃっこう・じゃっこう・しゃっく・じゃっく・せきぐち」で、

「赤口は、古来より魔物がいると考えられてきた「丑寅の刻(=午前2時~4時)の時間帯の六曜で火を占うとなった今も不吉な日とされています。仏滅が「物が滅する日」であるのに対し、「赤口」は全てが消滅する日と言われており、この日もとても怖い日です。「大凶」とも言える日ですが、正午だけは吉となります。」
と書いてある…。リンクには

「赤口には「赤」という漢字が使われています。「赤」のイメージは昼と夜で異なりますが、夜は特に不吉なイメージが連想されます。夜が極まる時刻としての「赤口」においては、「火災」や「血」など「赤」という色から連想される事柄はすべて「死」を予見するものでした。そのためこの日は火や刃物(=料理・家事)を使う際には、特に注意が必要といいます。また、血の気の多い人と諍(いさか)いが起きやすい日でもあるため、そのような知人がいる場合は会うのを避けた方が吉です。」
みたいに書いてある…。
で、このあと、「六曜は信ぴょう性は薄い?」ということが書いてある…。か…、まあ、確かに、「赤口」の話の後に「信ぴょう性は薄い」の話が来た方が、「聞く」人は「安心」するかもしれないね…。僕は思った…。最後のセンテンスは
「上手に利用しながら、暮らしに取り入れてみてください。」という感じで終わっている。井戸理恵子っていう人の監修…か…。

「「話」は終わったな…。」
「で、どうする?」
「どうも…。「信じたい人はご自由に」という「スタンス」なんじゃないのか…。ちなみに、このサイトから読み取れることとしては、仏滅よりも赤口の方が縁起が悪いとこの先生は言っているという程度のことだと思うけれども…。」
「いや、「先負」についても言っているね…、よっぽど「負けたくない」のかはしらないけれども…。」
「…。」
「「友引」についての記載はなんで「コピペ」した?ってなると思うけど…。」
「いや、その辺はなんとなくだな…。」
「まぁ、このぐらいにしよう…。」
「ちなみに、明日は「赤口」だと思います…。」
「ごめん、「寒さ」に注意してとかぐらいしっか言えない…、」
「急心症とかもあるしな…。」
「なんか論理的矛盾があると思うけど…。」
「一月の赤口は21と、27だぜ…。」
「古い人の考え方だと思うけど…。」
「でも、俺的にはためになった。だって、仏滅の方がやばいと思ってたし…。」
「ふぅん…。」
「じゃ、タイトルは、「仏滅よりは赤口の方がやばいらしい。(信ぴょう性は低い考え方かもしれないが)」かもね…。」
「そりゃそうだ。仏滅派とかはいそうだもんね…、」
「ここまでかも…。」
「何が?」
「いったん、「六曜」の話から離れてもいい?」
「それは別にいいんじゃね?」
「というか、俺的には、別に、「赤口」にはどうか「十分」の「注意」を「払って」「生活」を送ってください…。ということを言いたいというわけでもないのだと思う…。」
「ふむふむ…。」
「俺は、ただ、何かの管のように、「入ってきた情報」を「波及させる」「何か」に「置こう」としているようだ…。」
「そこに「意志」は「必要」では…?」」
「俺は、もしかしたら、「正邪」の「問題」には「ひどく」「弱い」「可能性」を抱えていてね…。」
「うむ…。」
「なんというか、「正邪」の「問題」というのは、基本的に、「正しい、正しくない」「時代」の考え方というかそれだと、下手すると、少数派の切り捨てになりかねないとかも思っていてね…。」
「ふぅん…。」
「少数精鋭みたいな考えというか、多くの人は実は抜け作みたいな感じで、一部の優秀な人が、引っ張っていくというか、なんとかして、世の中を動かしているというモデルの方が、あっているのかとすら思う…、」
「…。」
「でも、それだって、実は、何かしらの、「洗脳」ではないけど「刷り込み」というか、「インプリント」みたいな言葉を使うと、なんていうか、人間がまるで言葉を唱える「印刷機」みたいな感じがして、僕としては少しこわくすらあるのだけれど、」
「要するに、なんの決めもなく、民衆を「自由」に「ほったらかし」にしておく。そうすれば、「民衆」は「おのずと」「民衆」の「民衆」「らしい」ような「集合」へと、「自ら」いきつくのです!」みたいな…。
それはそれで、おもしろいのかもしれないけれど…。

よくわからなくなってきたので、このぐらいにしたくもあるけれど、あと、2000文字ぐらいのスペースがあるんだよなぁ…。

「六曜の話を深ぼれば?」

じゃ、wikiからの引用でも書いてみますか…。
うむ…。

「じゃ、「概要」からね…。」
「すいません。打鍵してもコピペしても見た目変わんないと思うんでコピペします。」

「日本では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載されていることが多い。今日の日本においても影響力があり、「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されている。

六輝(ろっき)や宿曜(すくよう)ともいうが、これは七曜との混同を避けるために、明治以後に作られた名称である。」

「で、次の「歴史」のとこですね…。」
「六曜は中国で誕生されたとされるが、いつの時代から暦注として確立されたかについては不詳である。」
「で、次の文は」
「六曜の起源については孔明六輝と呼ばれ諸葛亮が発案したとの俗説まである。」
「って書いてあるの…。ここまではいい?」
「うむ…。」
「で、次の文章はこう…。」
「しかし、三国時代から六曜があったということは疑わしい…。」
「ごめん、三国時代が何時代かはよくわかんないわ…。」
「じゃ、リンクをクリック♪」
「一応、229年から263年までを指すらしい…。」
「うむ…。」
で、次のセンテンスが、さらに難しいと思うけど…。
「じゃ、コピペで…。」
「うす。」

「一説には唐の李淳風の『六壬承訣(りくじんしょうけつ)』にある大安、留連、速喜、赤口、将吉、空亡が六曜の起源との説がある。」

「難しさの原因は?」
「いきなり、」
「wikiの意見では「仏滅」が一応、「最も「凶」の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。って書いてあるね…、」」
「じゃ、赤口は?」
「赤口は、正午の前後を除いて凶日とされる日。午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされる。」
って書いてある、」
「陰陽道の赤舌日(しゃくぜつにち)と赤口日あるいは大赤(たいしゃく)が混じって凶日として六曜の一つになったといわれている。赤舌日は木星の西門を支配する赤舌神が司る日とされ、門を交代で守る配下の六鬼のうち特に3番目の羅刹神は人々を威嚇する存在であり、この日は訴訟や契約は避けるべきとされた。また、赤口日は木星の東門を支配する赤口神が司る日とされ、配下の八大鬼のうち特に4番目の八嶽卒神は人々の弁舌を妨害する存在であり、この日も訴訟や契約は避けるべきとされた[1]。赤舌日は6日周期、赤口日は8日周期で異なる周期であるが、これらが六曜の一つに「赤口」としてまとめられ取り込まれたと考えられている[1]。

この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。つまり「死」を連想されるものに注意する日とされる。」

佐藤幸治っていう人が書いている「文化としての暦」「創言社」から出ている本ね…。これは、1999年4月1日に出たやつなのかな…?一応、日付が記載はされているな…。

いずれにしても、「語りて」というか、wikiはまぁただの「辞書」だけど、「記載手」によって、「六曜」にしても、説明とかは、「異なってくるものなのかもしれない…。」

「友引についても貼ってみては?」
「あぁ、字数の問題ね…。」
「友引(ともびき)は、勝負の決着がつかない良くも悪くもないとされる日[1]。留連(立連)を原義とし、もともとは「共引き」の意味である[1]。陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとする「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同されたものと考えられている。

朝晩は吉、昼は凶と言われる[1]。

友引については葬儀を避ける俗信がある[1]。葬儀を行うと、友が冥土に引き寄せられる(=死ぬ)とのジンクスがあり、友引の日は葬祭関連業や火葬場が休業となっていることがある。しかし、六曜は仏教とは関係がないため、友引でも葬儀をする宗派(浄土真宗)がある。また、火葬場での友引休業を廃止する自治体も増えている(特に複数自治体が合同で運営している火葬場や、火葬炉改修工事などにより火葬能力が低下する場合に行われることが多い)。

友引に葬儀を避ける俗信は本来は六曜とは全く関係のない友曳(ともびき)との混同といわれており、友曳は十二支の該当日に友曳方の方角へ出かけたり葬儀を営むことを避ける習俗で音が同じことから混同されたものとみられている[1]。

なお、慶事については“幸せのお裾分け”という意味で、結婚披露宴の引出物をこの日に発送する人もいる。

「ともびき」という読みが一般的となっているが、中国語の「留引」を「ゆういん」と読むことがルーツとなっており、訓読みとなって「ともびき」と当てはめたため、「友を引く」こととは関係がなかった。なお「留引」は、現在あることが継続・停滞することを表し、良き事象なら継続を、悪き事象なら対処を、という「状況を推し量り行動する日」だった。」
「今日はこんなとこにしておく?まぁ、先負は「急用は避けるべきとされる日」とかいろいろ書いてああるけれど…。」
「先んずれば即ち負ける」の意味で、先勝に対応する…。とか…。
「まぁ、一旦このくらいにしよう…。」
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