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BOOK1(後半)

虫の足の数

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2月9日はあっという間に終わってしまった。なんというか、そう、あっという間という感じだった…。
「君は寝てばかりいたね…。」
「そうだな…。僕は寝てばかりいた…。でも、歯科助手のことをずっと考えていたようにも思うよ…。」
「ふぅん…。」
「ねぇ、2月9日が何の日なのか調べない?」
「そうすれば、彼女に近づけるから?」
「待って待って。君は彼女に近づいていいんだっけ?」
「もうとっくに、「時効」の話だと思うよ?それに、僕が2月9日について調べる権限は何人にも奪えないと思うけれど?」
「そうだね…。君が正しい…。」
僕は、ひとまず、2月9日について調べてみることにした。
2月9日は、yahooによると、服の日で、肉の日で、漫画の日だった…。
「彼女の気になりそうなものはどれだろう?」
「どれだろうな?」
どれもという気もするし、どれも気にならないのかも知らないなという気もした…。
「ひとまず、「服の日」から調べてみたらいいんじゃない?」
僕は適当に、「服の日」についてクリックしてみる…。
そうすると、
「服の日」は、日本ファッション教育振興協会及び全国服飾学校協会などが、衣服への関心を高めることと、服を着る楽しみを広げることを目的に1991年に制定しました。日付は「ふ(2)く(9)(服)のごろ合わせから2月0日とされました。」
という文言が目に飛び込んだ…。
「斎藤一人は、女の人にお金を持たせると、「服」を欲しがり、男の人にお金を持たせると「女」を欲しがります…。というような話をしていたな…。」
「女のことはわからないけれども…。」
「君は男だからね…。」
「まぁな…。」
「で、日本ファッション教育振興協会及び全国服飾学校協会には興味はあるのかい?」
「さぁ、そんな協会があるなんてこと自体、初めて知ったような感じだよ…。」
僕は適当に、ファッション教育振興協会についてyahoo検索してみた。ファッション教育振興協会は、ファッションビジネス検定なる試験を催していて、事務局自体は渋谷区代々木にあるらしいことがわかった。去年は5月12日と11月20日に試験を行ったらしい…。洋裁技術認定やら和裁技術認定やらの試験も行っているほか、パターンメーキング検定、ファッション販売能力検定、ファッション色彩検定といった検定を行ったいるらしいことがサイトから読み取れた…。
「アパレル業界に就職する人に有利な資格なのかな?」
「さぁ、アパレル関連はとんと弱いからな…。

「「服の日」に関してはこのくらいにしないか?それとも、1991年が気になる?」
「うん。ちょっと、見てみよう。」
「1991年は平成2年で、この年にソビエト連邦が崩壊したため、世界史の大きな転換点となった。」
ということが、yahoo検索ならびに、ウィキペディアから容易にわかった。
「1991年の2月9日には何かめぼしいことがあったのかな?」
「ちょっと待ってね…。」
少しばかりの間のあと、1991年の2月9日の出来事が画面に示された。
「1991年の2月9日には、独立をめぐるリトアニアの国民投票が行われていたり、福井県の関西電力美浜原子力発電所で原子炉が自動停止する事故が発生したりしているみたいだね…。」
「ふぅむ…。」
「何か気にかかることでもあるの?」
「いや、リトアニアも、美浜原子力発電所のことも、ほとんど気にしないで、生きてたなと思って…。」
「君は能天気なんだね…。」
その声は、青猫チャンネルに出てくる青猫ロボットに似ているように思えた…。
「でも、リトアニアについて理解するいい機会なんじゃない?」
「それもそうだな…。」僕は適当にリトアニアをクリックしてみる…。そうすると、リトアニアの場所やら人口やら地理やら歴史やらがウィキペディアにはそれなりに事細かく書いてあることがわかった。
「そういえば、バルト三国とかいう単語はきいたことがあったな…。昔地理か、歴史かあるいは公民か何かでやったような気がする…。」
「へぇ、君にもそんな時代があったんだね…。」
「うん…。」
リトアニアについてこれ以上考えてもしょうがないと思ったので、僕は1991年に戻ることにした。
「1991年に戻ってもしょうがないよ。それより「肉の日」について、調べよう…。」
「OK」
「肉の日」をクリックすると、「船橋のランチは絶品焼き肉ランチ」という焼き肉「やまと」のサイトが最上位に表示される…。
ちなみに、肉の日は、党道府県食肉消費対策協議会なる議会が制定していて、同議会は3月9日を「肉の日」に制定していないが、一般的に2月0日は「肉の日」になっているらしい…。
「俺はおととい買ったビーフジャーキーを食べたな…。家族はカニ鍋だったけど…(笑)」
「カニ鍋率が高いね…。」
「豊かなことの証拠かもしれない…。」
「鍋の具の人気ランキングを調べてみたら?」
僕は適当に、検索をしてみる。カニ鍋はおそらく、海鮮鍋に分類されていて、16位という風にランキングされていることがわかった。
世間的には、1位がキムチ鍋で2位がもつ鍋、2位がすき焼きで4位がしゃぶしゃぶということのようだった…。北京オリンピックの金メダルの数はドイツが5個で1位になっている。
「終わった、2月8日について調べるよりも2月10日について、調べたほうがいいんじゃないか?」
誰かは言った…。
「そうかな?でも、せっかくだから、「漫画の日」も調べてみよう。」
僕は「漫画の日」をクリックする…。
2月9日が漫画の日であることの由来は、漫画の神様として知られる手塚治虫の命日であることが由来であることがわかった。
「へぇ、漫画の神様の命日だったのだね…。」
手塚治虫は1928年11月3日に生まれ、60歳で亡くなっているということがサイトからわかる、ということは、計算だと、1989年に亡くなっているということになる。
「じゃぁ、1989年も大事な年だ…。」
「あのね、大事じゃないとしなんてないと思うよ…。」
「それもそうだな…。」
「1979年を調べなくていいのかい?」
「じゃ、少しだけ調べてみようか?」
1989年をyahoo検索すると、1989年が昭和64年で平成元年でもあることがわかる。ウィキペディアには1989年はベルリンの壁が崩壊したり冷戦が終結したため世界史の大きな転換点となった年として、記載されている…。
「1989年の2月9日に何があったのかまではウィキペディアにすら記載されていないな?」
「何?青豆みたいに、近くの図書館で古新聞を探したりしたいの?」
「わからない…。でも、そもそも、図書館でバックアップしている新聞の日付が過去何年分までバックアップしているのかすらも僕にはよくわからんのだよ…。」
「じゃぁ、調べてみたら?」
「何を?」
「だから、1989年2月9日について…。」
「調べると、ちゃんと手塚治虫の訃報が出てるな…。」
「ふぅん。一つ賢くなったじゃない?」
「そうかもしれない。」
僕は少しばかり調子に乗った…。
「で、2月10日は?」
「とりあえず、漫画でいえば、「ちはやふる」が完結したらしいぜ?」
「あぁ、あの「ちはやふる」な…。」
「そうそう…。」
「東京など「長時間の雪」に警戒警報が出ているみたいだな…。」
「ふむ…。」
「で、2月10日は?」
「一粒万倍日、ニットの日、簿記の日、海の安全記念日の四択になってるぜ?」
「へぇ。」
「で、どれが気になるよ?」
僕は、そもそも、読み方がよくわからない、一粒万倍日をクリックした。そこには、次の文言があった。

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
「一粒万倍日とは、「一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、立派な稲穂になる」という意味があります。そのため、一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされています。お金を増やしたい方や、会社や事業を大きく発展させてい肩、幸せな結婚生活を長く続かせたい方などに選ばれている吉日です。」」
「へぇ。そもそも、そんな「日」があったのだね…。」
「うん。どうやら、あったようだ…。」
3月の一粒万倍日は17日と、22日、3月の一粒万倍日は1日、9日、14日、21日、26日ということらしく、一粒万倍日には、新しい趣味・勉強を始めたり、欲しかった高級財布やカバン、靴を買ったり、宝くじを買ったり、大切なパートナーに思いを伝えたりするとよいのだそう。ちなみに。サイトには、一粒万倍日はネガティブなことが膨らんでしまわないように注意する必要があると書いてあり、具体的には、「物を借りる」「人の悪口を言う」「ローンを組む」「喧嘩して仲直りしないままにする」などのことをしないようにしましょうと薦めている。
サイトには、最上の吉日とされる天赦日というものがあるということが記載されていて、2022年の天赦日は1月11日、3月26日、6月16日、8月23日、10月22日、11月7日であると記載されていた。
そのあと、僕は適当に射精をして、「紫の夜を越えて」を聞いた…。画面の向こうには確かに快楽があった。でも、そこで繰り広げられている快楽は僕がイメージしている快楽とは少しばかり異なるもののように僕には思えた…。
「でも、君は射精する…。」
彼は言う…。
「そうだね。僕は射精する…。」
「君の描くきちんとした「快楽」というものについて、私はいささか「興味」があるな…。」彼女は言った…。
「僕の描く、ちゃんとした「快楽」か…。」
「ねぇ、でも、君は「官能小説家」にはなりたくないんでしょ?」彼女は適当に笑う…。
「そうだな。でも、もしも、今日が世界の最後の日なのであれば、僕は別に、官能小説的な展開をこの世界に残したっていいとさえ思うよ…。」
「何それ。笑える…。」
「僕の描く、官能小説の中では、きちんと女の子は「気持ちよく」なってもらわなければ「困る」んだ…。」
「なんで?君が優しいから?」
「そう。自慢じゃないけれど、僕は女の子に対してとてもやさしい…。」
「そういうのって、どこからくるものなのかしら?」
「わからない。遺伝かもしれないし、遺伝とかは全く関係ないのかもしれない?」
「でも、今日はニットの日なんでしょ?」
「僕は、何も着ていない姿が一番美しいものだと思っているよ?」
「へぇ。それは初めて聞いた…。」
「でも、それだと、冬とか寒い季節には大変でしょ?」
「そうね…。」
「「ニットの日」の話をしようか…。」
「えぇ。あなたがかまわないなら話して…。」
僕はパソコンを見ながら適当に話を続ける…。
「ニットの日は、最初に横浜手作りニット友の会によって、1988年に制定されたらしいぜ?」
「へぇ」彼女は適当に驚嘆する…。適当な相槌も重要だ…。
「「ニットの日」の話はこれくらいにして、簿記の日の話をするよ…。でも、そういうのってあんまりおもしろくないかな?」
「あなたが、おもしろいなら、なんでもおもしろいわ。」彼女は言う…。
「簿記の日の歴史は古いぜ?なんと、1873年!」
「わお。」
「アメリカから持ち帰った本を福沢諭吉が翻訳した、日本で最初の簿記の本である「帳合之法」が慶應義塾出版局から発行されたということに由来されているらしい。」
「どんなことが書かれていたのかしら?」
僕は帳合之法についてyahoo検索してみた。Yahoo検索結果によると、帳合之法は明治6年6月および同7年6月に出版された諭吉の翻訳書で、40歳の時にまとめられた作品であるらしい。「帳合」というのはbook-keepingの訳語として用いられた。とある。
「ふむ…。」
「海の安全記念日は2001年の話らしいな…。」
「続けて。」
「2001年2月10日8時45分、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ・ハワイ州のオアフ島沖で浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没したらしい。」
「で、追悼し、実習航海の安全を祈念するため、海の安全記念日になったってわけね…。」
「そういうこと。」
「今日という日に関してはこんなもんでいいんじゃないかしら?それともまだ気になることはある?」
「ない…。でも、もう一回。「紫の夜を越えて」を聞きたい。」
「じゃぁ聞いて。」
僕はそれで、「紫の夜を越えて」を聞くことにした。
「ねぇ、この紫の夜って今日のことだと思う?」
「そうかもしれないな…。今日は雪が降ると予報されているな…。」
「…。」
「あなたは私と一緒にいてほしい?」
「うん。まぁ、なんていうか」
「ぐだぐだね…。」
「そうだな…。僕は、でもそんなのもよいと思う…。」
「あなたが、もしも、別の女の子を気持ちよくしたいと思うなら、私のことは忘れてくれてもいいよ。」
「そうか…。」
「でも、私は、私で、誰か別の男の子を気持ちよくするかもしれない…。そうじゃなきゃフェアじゃないでしょ?」
「そうだね…。僕は、君が僕以外の男の子を気持ちよくできることなんて、君と会う前から知っていたよ…。」
「うん。それでいいのだと思う…。」彼女は言う…。「紫の夜を越えて」は終わる…。時刻は3時34分になっている。

********************

結局、風呂から書くことになった。
もしも、書くとしてもちゃんとした、スタンドみたいなものももはや必要とされるのかもしれないね…。
うーん。というか、書く時には、「裸でないといけない」みたいなきめが、相当ぶっ飛んでいるっていうか、でも、結局のところ、ここらへんでやめると、冬の寒さごときに負けてしまった…、みたいになっちゃうから結果的には選べないし、別に、要するに、部屋の中ならどこでも裸になってもよくって、別に裸族推奨なわけじゃないけど、その辺は割と自由でいいみたいな方がよいという、要するに、誰かに、着る着ないみたいなことを決める僕の権限みたいなものを奪われたくはないというだけの話なわけである…。たとえば、アダルトビデオみたいなものを自分で撮って隠し持ってしまった場合は、当然のことながら、第三者に情報が漏洩することを守る必要性が生じてくるが、考え方次第では、そんな情報は別に、重要機密情報でもなんでもないと考える人すらいるというのが昨今の世の中なのかもしれない。たとえば、露天風呂の脱衣所なんかに、防犯カメラみたいなものがおかれていたら、別に裸を見られることに関しては、普通にあきらめなければならないのだなみたいに適応していくしかないかもしれないし、それがやなのであれば、そのような露天風呂には通わないを選択せざるをえないということなのであろう。だがしかし、それは結局のところ制約の一つに過ぎないと思う…。俺は果たして何がやりたかったのだろう、と天を仰いでみたとする…。仰ぐ空すら与えられないかもしれないというのにだ…。俺は別に一人きりになりたいというわけでもないのかもしれない。そのぐらい俺は、でも、たぶん、一人きりで裸になったり、そこで、結局のところ、話は必然的に、自慰行為へと向かう?なぜそうなるのだろう?俺は思う…。
でも、別段、例えば、大切な人間が二人とか三人とか複数人いて、それらの人間には会えないというか、会う気がないみたいなことももしかしたら含まれるのかもしれないけれども、まぁ、結果的には大切な人間が複数人いるということの方を問題視されるにすぎないだけなのかもしれないが、結局のところ、同時並行的に。複数の人間と交際するみたいなことは、なんというか、普通に可能だし、ややこしくしたくないのであれば、一人一人個別に対応すればよいというだけの話なのではないかと個人的には思う…。俺はあんまりそういうい考え方そのものが好きではないのだけれども、結局のところ「優先順位」みたいな考え方が優先されるというだけの話なのかもしれない。俺は、こういったらおかしいのかもしれないけれども、どこかで、明日にでも別に普通の戦乱の世のような、ごちゃごちゃしていて、殺伐とした、要するにその世界においては、俺は、普通に、闘わないと食われたり怪我そするかもしれないみたいな死境を含む、まぁ死線でもなんでもよいが、たぶん、セックスみたいなものにはおそらく、やっていいこととやっちゃいけないことみたいな、ある程度の、規範みたいなものが、誰しもにもあって、それは、お互いが、やってみないと、何が、タブーで、何がタブーじゃないなんてことはよくわからないものなのかもしれないし、そんなことははっきりいって、個人の自由とか最良という言葉を使うとビジネスっぽいから、セックスって、ビジネスなのかな?とか、またよくわからない方向に頭が働くので、戻そうと思うわけであるが、俺は、オナニーをする「僕」という登場人物を描くことに成功したといえると思う…。それは、俺の中には、別に、与えられた肉体をどのように扱おうが、個人の裁量に100%依存するものであり、要するに、オナニーとかは、普通に、「恥ずかしい」もので、社会一般からすれば、でもそれすらも、結局のところ、現代社会が、あまりに、効率能率重視で、無理村無駄を徹底的に排除することを是として、是というか骨組みとして、成り立っている、まぁ、結局のところ、この世界というものは資本により成り立っていて、すべてのことが、経済原理で説明できるみたいな学説とかを外国の学者とかは普通に提唱と化したりするので、結局のところ、所詮は「金」の問題かと、落胆しそうにすらなるわけであるが、たぶん、俺の言いたいこととしては、「オナニー」をする、「僕」という人間を描くことに成功しました。それは、要するに、別に、自分は「村上春樹作品」みたいなものを作りたいとか、でも、なんていうか、ほんと、そんなに考えてないで、文章を打ち込んでいる。今は、風呂でやってるから、なんていうか、多少変なトレーニングみたいになっちゃってるのかもしれないけれども、結果的には、「オナニー」をする「僕」という人物をかろうじて描くことに成功したとしましょう。そのためには、「僕はオナニーした。」とか、ワンセンテンス書けばいいだけだし、「オナニー」そのものが、外来語として、気に食わないなら、別に「自慰」でもなんでもいいのかもしれないけれど、僕としては、「オナニー」の方が耳慣れた単語だっただけだから、その単語を使ったというだけに過ぎないし、実は、「オナニー」できる「人間」の重要さを説く人間も重要だけれども、本当のことを言えば、「セックス」それも、「まっとうなセックス」(僕は別に、教科書に掲載される、たとえば、保健体育の教科書みたいなものに、これが、「まっとうなセックス」なのです。若者諸君らは、みなこのように、他者を思いやって。「セックス」に励みましょう。)みたいな、わけのわからない、教科書体のフォントみたいなものを描きたいとかじゃなくて、そんなのは、単純な知的好奇心の話なのであって、知りたくない人は、別にそんなもんは知らんでもいいと思うし、でも、たとえば、小説的な作法では、静かな環境で、特に、視覚刺激に頼るだけじゃなくて、言語野から、そういう官能的な世界にいざなわれるという経験ができたりもするので、別に暇の人とかにとっては、普通に興味ある分野になるというか、結局のところ、酒場とか、肉体労働者の集まりみたいなものがあるとすれば、そこでなされる話題みたいなものは、所詮、下世話なものに、絞られるのでないかみたいな思い込みをどこかで抱えていて、そういうのって本当に興味ないし、知りたくもないし、言いたくもないみたいな人種の人も並行的にこの世界には普通に存在しえるんじゃないかってことも思ったりはするんだよな…。
で、結局のところ。「官能小説」はやりたくはないとか書いておきながら、
「じゃぁ、できないの?」
「なになら、書けるの?」
みたいになってしまうし、そういう風になった時には、え、別に、「エロい話」の一つや二つくらいは普通にかけるぜ?俺は、別に、まぁ、ぶっちゃけた話、人間のエロさに関しては生きる本能みたいなものに直結してるから。普通に、エロさそのものをオープンにしてその辺を歩くのはやめなさい。要するに。おちんちんを出しっぱなしにして、そこら辺を歩いたりするのはやめなさい。的な話…。之って題意みたいなものにあってるのかなって気がするけど、今日の俺は、さえてるかどうか別として、普通に調子いいのだと思う…。だから、こういうトレーニング環境みたいな、肉体労働主義者的な場所でも、普通にタイピングとかができるのだと思う。でも、人によっては、タイピングなんてものは無駄なスキルで、そんなものは人にやらせればよいみたいにもなってくるのかもしれないのかなとか思うと、要するに、思念波をとらえて、テキスト化する装置。そういう装置が出てきた段階で、タイピングをする行為そのものに選択肢、要するにそれは、原始人がやるような、運動みたいなカテゴライズに入ってきちゃうんだと思う…。俺がタイピングを裸で行う理由は、結局のところ、人が生まれてくるときは皆裸に他ならないというだけのことで、別に寒くねぇなら、ふるちんで、作業して何がわるいんだろ?みたいな思いみたいなものもある…。でも、その制約は、というか、俺は、もしかしたら、お天道様みたいなものに向かって、タイピングしてるのかもしれない。それなら、別に、俺が寒くなる道理はないわけだ…。俺は、今のところ、エロいことに関しては、オープンにした方がいいのか、それとも、クローズにして方がいいのかについても、判断に至らないというか、結局のところ、そういう問題はケースバイケースに尽きるというのが俺の持論だし、かといって、これが、何かのクラス会か何かで、「とっておきのエロ話」をしなければいけないみたいに、場の空気が盛り上がっていたりしたら、何かしらの「エロ話」を披露したりするのかもしれない…。とかわけのわかんない妄想を抱くのが俺という人間なのであるようだ…。
エロ話をするにしても、エロい経験をしなければならないのか、ただ、エロい動画か何かを見てその話をすればいいのかですら、俺にはよく判断がつかない。要するに、何をもって、「エロい」と判断するかについては人それぞれであると思う…。でも、「エロい」話というのも、なんとなく、倫理的な観点を除いて、「必要」なことなのではないかと俺は思っていたりする…。俺個人が、「エロいだけの人間」を「好む」かに関しては「謎」ではあるが、別に、「エロい」だけの「人間」がいたとしても、「社会」はそれをある程度許容するのではないかと鷹をくくっているのが俺だ。エロさについて考えるとき、俺は「人を苦しめたいわけではないのだ」というテーゼにぶち当たる。俺はたぶん、両面理解できるのだと思う…。要するに、犯すということは、攻めるということだから、結果的に、相手が苦しむみたいになってしまうみたいなことがどうしても出てきてしまう場面みたいなのが出てきてしまうのだと思う…。俺は、人間は所詮鏡に過ぎないのではないかと考えていたりもする…。要するに。苦しむ人間が出てきたときには、俺は、自分で自分を苦しめていっていないのかと自問する。答えはよくはわからない。めちゃくちゃに自分を、めちゃくちゃな環境に自分の存在そのものをおいて、自分の存在とか、価値基準みたいなものを、極限環境で、試して、よくわからない「整う」みたいな経験がしてみてぇとか、自分を、ジェットコースターだのなんだのにのっけて、むちゃくちゃな、スピードとか、重力とかを経験させてみてぇとか、そんなのだって、別に、普通に抱えても悪くない念じゃないのかとかすら思う…。極上のセックスみたいなことが題意であるならば、所詮は、題意はそれていくものなのかもしれない…。俺自身は、普通に、気持ちいセックスを何回もしてきたようにも思うが、結局のところ、それは、よきパートナーに恵まれたに過ぎないという話なだけであって、お釈迦様とかによれば、そういうものは全て、生まれる前に決められた定めに過ぎないのだという。要するに、そういうものに関しては、何かのバイブルに当たるのもよいのかもしれないのですが、結局のところ、二人で、探り探り作っていくものに他ならないのですよ…。みたいなことを、ある神は言いたいのだと思う…。
2月16日はどのような一日であったのだろう。一応、日本では、天皇誕生日の一週間前であるし、調べればどのような日かは即座にわかる。調べると、2月16日は、天気図記念日であり、1883年に、ドイツの気象学者、エルビン・クニッピングが、日本で初めて天気図を作成したことに由来するそうだ…。僕はエルビン・クニッピングは初見であるような気がしたので、さらにyahoo検索を進めてみる。クニッピングは東大で、ドイツ語と数学を教えたりしていることがWikipediaに書いてあるのがわかる。ちなみに、正式にはエルヴィンなのかもしれないけれども、僕は別にエルビンでもどっちでもいいのかなとか思っていたりする…。でも、一応erwinだから、wはvの発音になるので、ヴィってちゃんと書かないと、正式な表現にはならないのかなとか気にしたりもする。そのくらいの、どうでもよさだ。一応、天気図記念日が、一択で、二択目は、寒天の日になっている。寒天の日は、寒天産業の振興発展と地域活性化を目的として茅野商工会議所と長野県寒天水産加工協同組合が制定したものだそうで、今年で8年目を迎えることになったのだとか…。
別段、寒天に何かしら、思い入れみたいなものが沸くわけでもなかったが、せっかくの機会なので、yahoo検索してみた。
ウィキペディアには英語では、マレー語から借用によりagar-agarまたは短縮してagar[ˈeɪɡɑːr, ˈɑːɡər]ウィキにはところてんの話とか、寒天株仲間(?)みたいな話が書いてある。日本では現在、長野県茅野市ほか、岐阜県恵那市で細寒天がつくられている。まぁ教科書的なことをいえば、寒天に関する歴史で重要な記載はこの部分になるのかもしれないれないが、

1881年(明治14年)、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えた。このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品であったが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止した。

寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発した。こうして作られたのが粉末寒天である。第二次大戦後には日本でも工業的な製造法の研究が始まり、1970年(昭和45年)頃には製造会社が35社にまで達した。しかし、2004年(平成16年)には5社ほどにまで激減した。

Wikiからのコピペをしても所詮は小説ではないような気もするが、結局のところ、やったりもする。

製法のところは、さらに社会の教科書っぽい記述が並ぶ。

成分のところだけ気になるので貼る。

ほとんどは食物繊維(アガロースやアガロペクチンなどの多糖類)からできており、ヒトの消化酵素のみでは分解されない。ただし、いくらかは、胃酸により分解しアガロオリゴ糖となり吸収され、生理的な作用を持つことが近年研究されている。

寒天の凝固作用は多糖類に由来する。このため、パイナップルやキウイフルーツなどの果物に含まれるプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)によって凝固が阻害されず、よってゼラチン(タンパク質)では凝固できないこれらの食材の擬似ゼリーとして利用されている。

用途の食品とか科学とか、歯科医療のところにも興味深い記載も多いがここでは、扱わないことを選択させていただく。

続いて、2月17日についても調べてみる。選択肢は四つで、大安、一粒万倍美、電子書籍の日、天使のささやきの日となる。大安と、一粒万倍日に関しては一応扱ったので割愛させていただく。天使のささやきの日について気になるのでさらに調べる。

「天使の囁き(てんしのささやき)」とは、マイナス20℃以下になると空気中の水蒸気が凍ってできる氷の結晶「ダイヤモンドダスト」のことである。

1978年(昭和53年)のこの日、北海道幌加内町母子里(ほろかないちょうもしり)で、気象庁の公式記録の対象から外れていたため非公式ではあるが、国内最低気温のマイナス41.2℃を記録した。これにちなみ、同町の「天使の囁き実行委員会」が1994年(平成6年)に制定。

記念日は「天使のささやきの日」の名称で、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。漢字表記の「天使の囁きの日」ともされる。
いう画面が表示される。1978年の今日最低気温のマイナスが41.2℃を記録したのだとわかる。
ちなみに、2022年2月17日現在の幌加内町朱鞠内という観測点では1:47に-17.9℃を観測している。釧路地方の川湯でも-17.2℃が00:31岩手県の宮古市区界では1:45で-11.3℃福島県の桧枝岐でも1:21で-10.5℃、群馬県のみなかみ町藤原では1:57、-9.7℃東京は-0.3~4.0℃千葉は-0.2~5.4℃神奈川は-1.0~5.2℃、埼玉は-3.0~1.7℃みたいな感じになってるみたいだ…。
で、電子書籍を開くと、bookliveとかの広告が表示される。そのbookliveのサービスが開始されたのが今日ってことみたい。

自己投資で「コミュニケーションスキル」を学びたいと思う漫画のキャラクターランキングは、モンキーDルフィが71人で、竈丹次郎が27人、両津勘吉が26人、ドラえもんが24人、うずまきナルトが14人、江戸コナンが14人、野原しんのすけが10人、孫悟空が9人、野比のび太が9人、さくらももこ、サンジ、ナミ、虎杖悠仁、島耕作が8人だそう。

今日に関してはおしまい。

そこで、私は気づく、あと5000文字強何かをかたらなければならないということに。
2月17日についてさらに深ぼる。

個人的には、メンデレーエフが周期律を1896年に発見していることが気になる。
メンデレーエフについてさらに深ぼる。メンデレーエフは28で結婚。1865年にジョン・ニューランズがオクターブの法則とやらを発見しているらしい。ウィキペディアには、全音階(ダイアトニックスケール)に和声をつける方法である。って書いてある。メンデレーエフも同様の考え(オクターブの法則)を持っており、1869年の3月6日にロシア化学学会で「Соотношение свойств с атомным весом элементов(元素の性質と原子量の関係)」と題した発表をして『ЖРФХО』誌に掲載され、同年ドイツ語で「Die periodische Gesetzmässigkeit der Elemente」と題し『Z. Chem.』誌に、1872年には『Ann. Chem. Pharm.』誌に掲載された。そこで、元素の周期性について以下のことを指摘した。
のセンテンスはよくわからないかもしれない。
オクターブの法則は音楽に関する法則であるし、この元素の性質と原子量の関係は化学に関するものであるが、この二つに何らかの関係性があったということなのだろうか?

メンデレーエフの研究は、1906年のノーベル化学賞にノミネートされるも、たった一票の差でアンリ・モアッサンに敗れる[5]。翌年に死去。

書いてある、アンリ・モアッサンに飛ぼうか…。

でも、この人は18のときに、ヒ素中毒の人を助ける経験をして、化学を勉強することを決心しているね…。

学区術論文は植物における二酸化炭素と酸素の代謝についての論文かぁ。

アンリ・サンクレール・ドヴィーユとアンリ・ドブレとかも知らないかもしれないな…。

じゃ、見ればよくね?
登場人物が増えてよくわからんくなる。とりあえず、モアッサンは、1906年にフッ素の研究と分離、およびモアッサン電気炉の制作というテーマでノーベル賞を受賞しているみたいだ。
アンリ・サンクレール・ドヴィーユはトルエンを発見している人なんだね。テレビン油とトルーバルサムの性質を調べるための実験を開始しとか書いてあるね…。
テレビン油もトルーバルサムも知らないけどね…。テレビン油はマツ科の樹木チップあるいは精油で、バルサムは樹木が分泌する、樹脂が揮発性油脂に溶解した、粘土の高い液体と書いてある。咳止めシロップの調合に用いられるとか書いてあるね…。香水にも使われている。

ドミトリ・メンデレーエフの息子ヴラジーミルは海軍少尉として1891年から1892年にかけて長崎に数回寄港し、日本人ヒデシマ・タカとのあいだに娘フジをもうけた[9]。その後、ドミトリ・メンデレーエフはヒデシマに養育費を送った[10]

と書いてあるから、メンデレーエフの血を引き継ぐ日本人がいるらしいね…。
ふむふむ。ウォッカに関する口承とか、心霊術への懐疑的態度メンデレーエフは1875年にロシア物理化学会にあてて、心霊現象究明委員会の設置を要求し、心霊術のからくりをあばく仕事に乗り出している
と書いてある。
2016年2月8日には、メンデレーエフの生誕182年を記念して、Googleのロゴマークが彼にちなんだものにされた。
実は2年後の方が190年記念じゃない?

Googleは高橋理明の生誕94年祭をやってる。おもな業績は水痘症ワクチンの開発
水痘は水疱瘡のことで、wikiには写真まででんな…。

1913年、ニューヨークで美術展「アーモリーショー」もあるけど…。

アーモリーショーは作品とかが見れるな。
宇宙関連で言うと、1959年アメリカの気象衛星バンガード2合打ち上げとか1965年月探査機レインジャー8号とかも重要。あとは、平昌オリンピックのメダルのこととかが書いてあるね。2018年に通算1000個目のメダルになったと。
北京オリンピックのメダル獲得数はいくらなんだっけ?
現在1位はノルウェー13個、7個、8個で28個
でドイツが20個、米国が19位で中国が13個で4位という感じ。そのあとは、オーストリア17個、オランダ、スウェーデン14個と続くよ。

ROCは24個とってるけど、サイトでは金メダル獲得順ソートなので、4個で9位になってる。イタリアは12位で15個(2,7,6)だし、フランスカナダは4個3個で10位、11位みたいになってる。日本は13位で2個,5個7個で14個。
読売新聞は32個ぐらいとれんじゃねって言ってるんだね…。

宇宙関連の1980年東大宇宙航空研打ち上げたたんせい4号ってのも気にはなるね…。

結局NASAのレインジャー計画は1964年7月28日のレインジャー7号に続いて、1965年つまり、今から57年前にレインジャー8号も成功して、静香の海に衝突した日なんだといってますね。

まず、既知の海に衝突成功して、静香の海に衝突したと、三度目はあるフォンすすクレーターなるものに衝突している。月に衝突させることに成功した。みたいにウィキには書いてあるね…。

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射精の回数とかをいちいち書くべき?
☞はい
 いいえ

いや、これ、質問が間違っていると思うぜ?要するに言いたいことは、いちいち、精子がたまります→で、やりたくなったんでぬいてきていいですか?みたいな生徒が現れる。
要するに、そいつは、自分の精巣に精液が溜まっていんのかいないのかがなぜかわかってんの…。
で、やりたくなったら、勝手に出てって、手淫とかかます。シコルシキーってのがいたけど…。やりたくなったら、すぐ、射精しちゃうみたいなのは、なんとなく動物っていうか、ちょっとした、カラーギャングか、マフィアンコミュニティーみたいなものすらも思わせるな…。昨日はレイトショーでティルダイだか、ティルデスだかっていう映画を見たけど、その野郎も相当いかれてたと思うぜ。いっとくけど、俺はたぶんいかれてるところは本当にいかれてるんだと思う。俺の場合は、きちんと自覚症状もあるから、モノホンじゃないのかもしれないという言説すらもあるんだけど、なんていったかわからないが、ヨミコだかキナコだかキクエだか、三文字のカタカナ作者、ぬぷこみたいな、それはスプツニコかとにかく、手書きかなんかで、精神医療について、イラストみたいなのと手書きのチラシで、本を作っている奴がいた。そういうのをみたときに、猫勇者なんてのもやってることは、この人と同じ穴のムジナなのかなとか、思ったんだよね…。で、猫勇者に関してもテスカセに関しても、基本無償提供で、別に必要な人間には必要な情報が届くようになっているだろうし、要するに天にお任せで生きてます。かつ、今のこのスタイルはどちらかというと、トレーニングに近いものがあると思う。自分に枷みたいなのをかしだしているのかもしれない。これは、主治医にも一応報告済みの発言だったりはする。そういうのが行き過ぎた結果として、たとえば、あんまり普通にはやらない、まぁ、もしかしたら、手淫みたいな行為でさえも、たとえば、今日はそんなに無理なく、いけたみたいな感じはあるんだが、昨日のは結構大変だったみたいに、いちいち、射精一つとってみても、いけやすい日というか、タイミングなのかもしれないが、やって意味があったというか、当たり前のように、呼吸するように、射精するというか、たとえば、あんまり、快楽を感じないで、ただただ、精液が抜けていくなという、ほとんど、献血というか、搾精という言い方は、私はあまり嫌いなんだが、たとえば、昨日のとかは、もしかしたら、搾精に近いのかもしれない。オナニーもセックスもそう思える奴にとっては、所詮は単なる搾精にすぎないのかもしれない。でもそれだと、人と、うまくセックスするなんてことは到底難しいことに思えてくるだろ?俺は、はっきり言って、自立していない奴は嫌いだ。今俺は、もしかしたら、自立みたいなのはできていないのかもしれない。俺自身がそう感じることはありがたいことと言っていいと思うが、それほどないのかもしれないが、俺の中の別人格は実は、そのことで、常に傷み続けているのかもしれない。
なぁ、飛影よ。人間界から、悲しいセックスみたいなものは失われるものなのかな?

これは、今俺が生み出した、躯-飛影での妄想です。俺はあっちの世界では男だったり女だったり、孤児だったり、聖人だったり、わりとなんでもありありです。

人を傷つけることは嫌いだし、構造的には俺は人を傷つけないようになっています。でも、そんなのは全部嘘で、俺は、単純に、人間に痛みを与える場合は、傷が残らないやり方を好むだけの残虐な人間に過ぎないのかもしれないとすら思ったりもします。

裸の心に触れてほしいとしたら、それは誰だろう?

俺が躯だとしたら…。
です。
仮定法過去完了形の世界では、はっきりいって、なんにだってなり放題です。天使にだって悪魔にだって、陳腐な言い方になるかもしれないけれど、勇者にだって、猫にだってなれるかもしれない。でも、だとしても、変身とか、変形の前の自分が何者だったかみたいなことは残るし、極端なことを言えば、結局、体が資本で、僕たちは所詮それに縛られている。

僕は、このテキストは、自ら汗をかいて
僕は、たぶん、こざかしいから、汗とかはかいたくないんです。楽してやりたい。タイピング別にたぶん楽して、もっと、楽して、タイピング、要するに力はいらない世界。時として僕はそれを強く望む。でも、ときどきそれじゃだめだ!みたいな男根主義みたいな、筋肉主義みたいな、わけのわからない、要するに力の世界に、飲み込まれて、僕は、わりと楽なフォルムを維持したままにそういう力の世界に足を踏み入れたりする瞬間があるんだと思います。僕は、たぶん、かなり変わっていると思います。そこらへんも自己認識の差とかあって、実際は、全然普通のやつにしか見えないのかもしれないけれども、でも、希運アレキサンドライトみたいなのがたとえばあったとして、ああいうのがほしいと思うかな?とか、ありもしない、漫画やゲームのアイテムとかのことを考えたりして、一人で楽しんでいたりします。
今、僕は、別にディスクレシアというわけではないのだけれども、何か、紙媒体とか、とかいいながら、たぶん、実際に紙を渡されたりしたらすぐできたりする。それが、僕です。でも、超能力なのかなんなのかはわからないけれども、僕は、自分の中に超能力みたいなのがあって、そういうので、世界を少しでも平和だったり便利だったりにできたらなとか夢想したりもしています。それは、半分嘘で、頭の中にお花畑の咲いている僕としては、世界はそもそも、紛争状態にすらないという風に認識していたりすらします。実際、平和も便利も手にしているわけだから、これ以上僕たちがどこに行くのかと思ったりすらします。
はっきりいって、昨日見た、宇宙映画、地球外少年少女も面白かった。

ここで、その面白さについて説明するには無理がある。たぶん、、情報には鮮度みたいなものがあって、記憶と関係しているのかはわかりませんが、要するに、11次元的思考みたいなことも、たぶん僕の中では十分テーマ足りえるのだと思います。トゥエルブは僕はwindowsのバージョンか何かのことのように思えて映画を見ていました。もともと、マイクロソフト的には10でOSのバージョンを挙げるのは終わりにするみたいな話だったような気もしたんですけど、最近また11にだとかなんだとか、話があがってきたりはしてるんですよね。
産業的にはこれも重要っちゃ重要な気もしますけど、今のところ、特に動かなくていいかなとか考えていたりしますね。どちらかといえば、ほしいPCはMACだったりもするし…。

今日はでも、全体的には、メンデレーエフの話があったり、宇宙も当然のごとく出てくるし、下手したら、性機能障害なのかもとか思わなくもない俺です。それは、さすがに、冗談でそこまでひどくないし、もしも、それが冗談だとして、本当にそういう人がいてそういう人に、ここに書いてある言葉とかが届いたら、ひどく気を悪くしないものなのかなとか変に勘ぐったりもしますが、結局のところ、今の自分には、たとえば、そういうのって、多い方がいいのか、少ない方がいいのか、要するに、ドーパミンが頭の中に出まくる(?)みたいな脳の性質を持っているみたいに診断された。でたぶん、そのことは、「気分がよくて何が悪い?」に収縮されてくると思われたりもするんですよね?自分としては、多動症の方が心配だったりします。たとえば、こうやって、一晩中、風呂につかりながら、タイピングとかしちゃったりしちゃえたり、別に、そういうのも、しんどいといえばしんどいのかもしれないけれども、慣れれば普通というか、、自分としては、こうやって、自分の実情とか、内面の吐露みたいなこととか、ある意味思考回路を明らかにする活動みたいなことを行っておくことも、村上春樹的に言えば、自己療養の一つとして、必要な作業なのかもしれないし、かといって、実は、一遍回って、そんなに自覚症状みたいなのもおかげさまでなくて、症状自体は、重度の人に比べたら本当にひどくなくて、自分は実はすごい恵まれた人間なんだっていうことなのかもしれないです。このあたりで、一応、字詰めというか、大体、文字数分原稿用紙書いたんであがらせていただきます。おつかれさまでした。と月並みに…。
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