欠片の軌跡⑥〜背徳の旅路

ねぎ(塩ダレ)

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第九章「海神編」

そして泡と消える

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ライオネル殿下の件がひとまず落ち着いた事、また治療に関わるメンバーが殿下の秘密を共有し終わった為、昼食も兼ねて小休止を挟む事になった。

ただし知った秘密が秘密だけに、全員、外に出る事は禁じられた。

隣の従者控室が仮眠室・休憩室に作り変えられ、殿下の寝室も治療の為に模様替えがされた。
俺達はその間、互いを監視し合うように黙って作業を見ているしかなかった。

ただ、アレックはそんな中でも早々に仮眠室で寝ていた。
ガタガタと周りで作業されてても寝ていられる所は、さすがはギルド所属の冒険者と言ったところだろう。

作業が終わり、俺とブラハムさんとで念入りに音消しの術をかけて回る。
作業をしていた者達が去ると、王子の寝室と臨時仮眠室の2部屋は完全な密室になった。

治療を話し合う為のテーブルにカトラリーとグラスがセッティングされメンバーが座ると、パスカルさんとメイド長が昼食のワゴンを持って部屋に入ってきた。
給仕され慣れてない俺は、座ったままそれらの配膳を待つ事に落ち着けずそわそわしてしまう。

「あれ~?もしかして、飯??」

そんな中、アレックがあくびをしながら隣の部屋から起きてきた。
空いている俺の隣に座ろうと向かってきたが、メイド長がすかさず顔と手を洗うようにさり気なく動線を塞いで導いた。
叱るでもなく注意する事もなく、相手の尊厳を保ちながら自然と導く姿は流石だなぁと思った。
きっと幼い頃の王子たちをああやって誘導していたんだろうなぁ。

顔と手を洗ったアレックが席について、昼食が始まった。

はじめは皆、微妙な雰囲気で何も言わない。
反対隣のイヴァンが「これって声出したらヤバいですか?」と言いたげに俺をチラ見してくる。
いや、俺にもわかんねぇよ。
貴族文化はお前の方が詳しいだろうが、と言いたげな顔で見返してやった。

「……これ、旨い!何て料理ですか??」

そんな変な静寂を破ったのはアレックだった。
優れた魔法師とは言え、まだ子供のアレックが緊張感も持たずに言葉を発言した事で、テーブルに少しの緩みが生まれた。

「こちらはアヒージョと言う料理ですよ、アレクセイ魔法師。」

「ふ~ん。この油に味が染みてて美味しそうだからパンに付けたいんだけど、そうやって食べてもいいの?」

「構いませんよ。それでしたらこちらのバゲットの方がよろしいかと。」

「ありがと、パスカルさん。」

微笑ましそうにパスカルさんが答えると、アレックはお礼を言ってバケットを頬張った。
周りはアレックの少し世間知らずで子供らしい行動に、仕方ないなと頬を緩める。

でも、俺は気づいていた。
アレックはわざとそう言う振る舞いをしたのだ。

見た所、アレックのテーブルマナーはきちんとしている。
考えてみればいくら王様の旧友で大魔法師ボーンの愛弟子とはいえ、貴族どころか迷い人で冒険者であるアレックが、今まで王宮にいたのに礼儀がなってない等の噂がなかったのだ。
ボーンさん自身、いつもは粗雑な感じだが、宮廷晩餐会等の席にいても、特にマナーについて何か言われていたりはしなかった。
おそらく、場に従ったマナーをきちんと持っていて、それを弟子であるアレックにも叩き込んであるのだろう。

そしてきちんとしたマナーを身に着けながらも、アレックはわざと無知なふりをして場の雰囲気を和ませたのだ。

こいつはただ小生意気なだけじゃない。
度胸もとっさの決断力もある、頭の回る賢い冒険者であり魔法師だ。

今更ながら、何でボーンさんが子供のアレックを自分の代わりに平気で置いていったのかよくわかった。

「……師匠がつまんない事でナメられる奴にはなるなってさ。」

俺が気づいている事がわかったのか、小声でそう言ってアレックはニヤッと笑った。
確かにどんなに能力が優れていても、貴族と言う身分がない事や会食のマナーを知らないと言うだけで、無駄に蔑まれてしまう人は少なくない。

そんな事でその人の価値が決まる訳ではないのに、どうしても貴族様達はそうやって上に立とうとするのだ。
ボーンさんはそれを見越して、アレックにそう言う部分でナメられないよう教育したのだろう。

アレックが場を和ませた事で、ぽつぽつと会話が始まる。
はじめは食事の話から、段々と本題のライオネル殿下の事に入っていく。

それでやっと、全体の状況が見えてきた。

やはりライオネル殿下は日々の業務で疲れが出ていて、ここのところ数日寝込む日も何度かあったようだ。
それに加え、何かをとても思い悩んでいた様だとパスカルさんが言った。

パスカルさんは子供の時からライオネル殿下に付いている執事さんなのだそうだ。
だから本来ならずっとパスカルさんが執事長であるはずなのだけれども、殿下が海神の器である事・既にグレゴリウスに目をつけられていた事から王様が警護や不測の事態への対応を考慮し、レオンハルドさんを自然な形で殿下の側に置く為に執事長にしていたのだそうだ。

100人の兵に匹敵するシルクの師匠であるレオンハルドさんなのだから、ある意味、ライオネル殿下と海神には軍隊が一部隊つけられていたと言っても過言ではない。
ただ今はレオンハルドさんが裏業務というか本来の特性を活かした間者的な業務に戻った為、パスカルさんが執事長を引き継いでいた。

ちなみにレオンハルドさんは殿下に海神がついている事は教えられていなかったそうだ。
それはレオンハルドさんが王様を主としている訳ではなく、フレデリカさんから借りている人材だったので、秘密が漏れる可能性を考え明かさずにいたようだった。

まぁ俺とシルクの関係から考えても、そんな大事を知ったらシルクは間違いなく俺に報告するだろうから、レオンハルドさんも知っていたなら主であるフレデリカさんに伝えただろう。
だから秘密を守ると言う意味合いでは正しい判断だったのかなとも思う。

でもレオンハルドさんなら何かしら殿下に秘密がある事は気づいていただろうし、その気になればすぐに答えを見つけていただろう。
そう考えるとフレデリカさんがレオンハルドさんを王様に貸していたのは、魔女ネットワークの一部として王宮内の情報を常に知っておく為でもあったのかもしれないと思った。

思い悩みながら寝込む日が増えた事で、心身共に弱ったっていたライオネル殿下は、徐々に自分と海神のバランスが崩れてしまったのだろう。

そしてそれは決定的な歪を産んだ。

昨日、立ち眩みを起こした殿下が顔を上げると、いつもとは顔つきが違っていた。
大丈夫かと心配して寄り添ったパスカルさんに、妖艶な笑みを浮かべてこう言ったそうだ。

「心配ない。それより私の可愛いあの人を今すぐここに。」

その顔を見てパスカルさんは、それがライオネル殿下ではないと直感したそうだ。
他の人から見ればわからなくても、幼い頃より仕えていたパスカルさんにはわかった。
その時が来てしまったと悟ったパスカルさんは、瞬時に対応する事ができなかった。

「あの時、私がもっと機転の効いた行動が出来ていれば、殿下をこの様な目に合わせずに済んだのかもしれません……。」

次の皿を配膳をしながら、パスカルさんは静かにそう言った。
その顔には深い後悔が刻まれている。

「あまり気に病まれるな、パスカル執事長。今回の事は誰にも予測できなかった事態なのじゃから……。」

ブラハムさんが優しく声をかける。
その言葉にパスカルさんは力なく微笑んで、小さく頭を下げた。

別人格と思われるそれが現れた次の瞬間にはライオネル殿下はまたガクッと大きくよろめかれ、すぐに正気に戻られたそうだ。

ただライオネル殿下も「それ」が今、何と言ったのかの記憶ははっきり残っていたので青ざめていたそうだ。
その日はそのまま体調が悪いと部屋に戻り、パスカルさんは国王陛下に報告をした。
その際、念の為にギルにも連絡を入れたらしい。
パスカルさんの使いから緊急事態の封書を受け取ったギルの執事さんは、そのままその知らせを早馬で領地に戻っていたギルに知らせたのだそうだ。

そして今朝、状況確認の為に王様に呼び出されたライオネル殿下は、王様の所に向かう途中で倒れた。

だが、ここで思わぬ事になる。

倒れてすぐ別人格が現れたそうなのだが、ライオネル殿下が抵抗したのか、本人と別人格が交互に現れて言い合いになった。
別人格出現初期にはたまに見られる事の様だが、端から見れば精神が錯乱しているように見えた為、駆けつけた事情を知らぬ魔法医が鎮静魔法をかけたそうだ。

それで眠られた所で寝室に運んだと言う訳だ。
だから警護に当たっていたイヴァン達は「倒れた後、錯乱して鎮静魔法で眠って部屋にいる」と思っていたのだ。

だが事態はそこで終わらなかった。

部屋に戻ったライオネル殿下の身にはさらなる変化があった。
一度鎮静魔法でおとなしくなったが、相手は海神だ。
その程度の魔法など当然すぐに弾いてしまう。
状況から、殿下の寝室には秘密を知っている者だけしかいなかったのだが、目を覚した殿下は明らかにいつものライオネル殿下ではなかったらしい。

目を覚まし、ゆっくりと体を起こした殿下に誰も声をかけられなかった。
姿形は変わらないのに、言葉を発する事をためらう程、その姿は神々しくそして悩ましかったそうだ。
ゆるりとした動作で「それ」は辺りを見渡し、にっこりと微笑んだ。

「私が倒れたのに、あの人はまだ来ないのですか?」

それは確かにライオネル殿下の声で、そしてライオネル殿下が言ってもおかしくはない言葉を発した。
微笑む顔もライオネル殿下のものだ。

その場にいた者は皆、混乱した。
そこにいるのはライオネル殿下だが別人格のはずだ。

声も表情もいつもと変わらない。
目を覚ましたのは別人格ではなく本人だったのだろうかと思える程だった。

だが、誰も声を出せなかった。
無意識の本能が「それ」を畏れて萎縮していたのだ。

「………なっ?!」

誰も言葉を紡げずにいた中でまた状況が変わった。
「それ」は突然、驚いた様に声を上げて額を抑えた。
そして俯いて苦しそうに唸り始める。

「ライオネル殿下?!」

流石に一番近くにいた医務官長が声をかけた。
「それ」はそのままベッドに倒れ込み、もがき始めた。

「……何故!邪魔をするのだっ?!何故っ?!」

「殿下?!ライオネル殿下?!」

「……させない……絶対に……っ!」

「殿下!大丈夫ですか?!」

「ゔゔぅぅ……うぅ…っ!!何故……っ?!」

そして次の瞬間、バンっと衝撃波が来て周囲に集まった者たちは吹き飛ばされた。
驚きながらも慌ててベッドに駆け寄るも、ライオネル殿下は意識を失い、そして昏睡状態になっていた。
命の危険を感じた医務官長が急いで応急処置を始める。

「おい!今の魔力放出は何だよ?!」

そこにアレックが無作法に入ってきた。
アレックはランスロット第二王子殿下の治療の為に王宮におり、第二王子から弟が倒れた様なので様子を見てきて欲しいと頼まれてやって来たところだったそうだ。

だが近くまで来てみれば、いきなり感じた事のない魔力放出の衝撃を感じ、ただ事ではないと悟ったようだ。
だから礼儀作法に構っている余裕はなかったと、ソルベのスプーンを舐めながらアレックは言った。

飛び込んで来たアレックは医務官長一人で手に負える状況でない事にすぐに気づき、魔法を使った。
アレックは、ライオネル殿下が一時的に肉体と精神が分離してしまう様な深い昏睡状態に陥っていると判断した。
肉体と精神が分離された場合、肉体が生きているだけの植物状態になるか、最悪の場合、肉体の方も徐々に弱って死んでしまう事がある。
アレックが強力な精神回復の魔法をかけた事でそれは免れたが、ライオネル殿下は目を覚まさなかった。

「今思えば、あの時も同じような事を試みてたんだよなぁ、第三王子。」

赤ワイン煮込みの付け合せのカブを噛りながら、アレックは顔を顰めた。
多分、カブの葉が思ったより苦かったと言う訳ではないだろう。

「同じ事ってどういう事だ?アレック?」

「うん……。この人さ、多分、わざと肉体と精神を切り離そうとしてるんだよ。最初も今も。」

「……そうか……なるほどな……。」

俺は少し状況が解って口を噤んだ。
ブラハムさん、アイビス子爵、医務官長も状況が解って深くため息をつく。

「……すみません。肉体と精神が切り離されるとどうなるんですか?」

イヴァンが申し訳なさそうに聞いてきた。
俺はそちらに顔を向け説明する。

「まさかそんな方法が可能だとは俺も思ってなかったから盲点だったんだけど……。ライオネル殿下は肉体と精神を切り離し自分を植物状態の様にする事で、別人格である海神が表に出てくるのを防ごうとしてるんだよ。」

「……え?!」

「肉体と精神の違いはわかるか?」

「ええと……何となくなら……。」

「肉体ってのはまぁ見ての通り体の事だ。口から食物などを取り込み、吸収し、心臓で全身に行き渡らせる事で肉体は生命を維持させている。普通はそれだけが生命体の本質だと思っているし、理論的にはそれを生命体と定義する場合もある。生物の定義は「外界との仕切り」「代謝」「複製」だからな。あながち間違いじゃない。」

「はぁ……。」

「だがその定義だと、何かを自律的に摂取して代謝を行い存在を維持させる全てのものが生命体と言う事になってしまう。そうすると魔法や魔術を使って作り出した作業用の半精霊や魔法生物なんかも生物に入る事になる。だから魔法や魔術を扱う者の多くは、そこに意思、つまり個体としての精神が宿っていなければ生命体とは言わないと考える。」

「う~ん??なるほど??」

「わかりにくいか??う~ん??魔法や魔術絡み以外で言うなら、病気の原因の一つであるウイルスを生物と見るか見ないかの議論がその辺に近いかな??あれは代謝をしないし行動が機械的すぎるから……。」

「ちょっと待ってください……もっと理解不能です……。」

「サーク、話がそれているぞ。」

思わず生物の定義について話しだした俺に、それまで黙っていたギルがツッコミを入れてきた。
俺はちょっとムッとして口を尖らせる。

「悪かったな。例えがあった方がわかりやすいかと思ったんだよ。」

「いや、逆に専門的すぎてわかりにくいです。サークさん。」

「え?そうなのか??」

「はい。」

困ったような顔でイヴァンに言われ、俺は頭を掻いた。
ブラハムさんがふふっと笑っている。
う~ん、そうか……そっち方面の話が好きな人間以外には確かにわかりにくい例えだったかもなぁ……。
ちょっと反省。
とにかく話をもとに戻そう。

「だからな?魔力を使う者の多くは、生命体って言うのは肉体と精神のニつがあるものって考えるんだよ。精霊の多くは意志つまり精神があるけど肉体がない。だからあれは精神体であって生命体じゃない。そこはわかるか?」

「う~ん?精霊もあまり身近ではないですけど、ウイルスの例えよりは何となく感覚的にわかります。」

「悪かったな!わかりにくい例えを出して!!」

イヴァンの嫌味に俺が思わず我鳴ると、周りがおかしそうに笑った。
アイビス子爵だけが「どうしてウイルスの例えが伝わらないんだ?」と真顔で考え込んでいる。
わかってもらえるのはありがたいが、この人に構うと面倒そうだから悪いけど放っておこう。

「ウイルスの話は忘れろ!……とにかく、魔力を使う人間なんかにとっては肉体に精神が宿ってこその生命体なんだよ。ニつがあって生命体。ところが、器として海神を宿しているライオネル殿下は、一つの肉体にニつの精神が宿っている。肉体と精神は当たり前だが基本一対一だ。だからライオネル殿下はとても不自然な状況なんだよ。だから当然、問題が起こる。」

「なるほど。そこは凄くよくわかりました。」

満面の笑みでそう言われ、俺はムッとすると同時に諦めてため息をついた。
悪かったな、わかりにくい例えをして……。
どうせ俺も変わり者の類だよ。
ちょっと不貞腐れて、爽やかな笑みを浮かべるイヴァンを睨んだ。

「……一つに対してニつが入ってるから存在が不安定になる。いくら器としての才能があるっていったって、人間に精霊の王を入れるなんざ無茶振りもいいところなんだよ。器に対して入れるもんがでかすぎてんだし……。でも……この人はさ……その不安定さを利用して揺さぶりをかけたんだ。自分の弱点でもあるそれを逆に利用したんだよ、この王子……。よく思いついたよなぁ……。」

そこでボソリとアレックが呟いた。

最後のデザートプレートを複雑な表情で食べずに突き回す姿は、年相応の子供に見えた。
思えばいくらアレックが優れた魔法師であっても、実際はまだ子供なのだ。
精霊の王が人間の中に入っている事、そしてそのせいで存在が不安定であると言う苦しみを、優れた魔法師故にどういう事なのか理解できる。
それと同時に、その信じがたい事実に若干打ちのめされている様だった。
俺はさり気なくミニケーキの一つをアレックの皿に移してやった。

「チーズケーキよりチェリーパイがいい。」

「……まずはありがとうだろうが!まずは!」

せっかく気を使ったのに小生意気な事を言われ、俺は符ムスッとしながらプレートごとアレックの方に押しやった。
アレックの口の中に放り込まれる2ピースのチェリーパイを横目に眺め、少し後悔する。
チェリーパイ……。
本当は美味そうだったからちょっと食べたかったんだよなぁ……。
とは言え難しい顔をしていたアレックが、心なし満足気に口元が緩むのを見て少し安心した。

「つまりアレック君の見解では、ライオネル殿下は自分の存在の不安定さを逆に利用して、肉体と精神を切り離してしまおうとしていると言う事だな?」

「そ。この人は自分の精神と肉体のつながりが脆いのを逆に利用して、それを断ち切ろうとしてる。肉体と精神を切り離して、自分を植物状態みたいにしようとしてるんだよ。」

「……何の為にリオはそんな事を?」

「精神の宿らない肉体。つまり意志のない肉体にしようとしておるのじゃろう。意思がなければ体を動かす事はない。つまり肉体と精神の繋がりを断つ事で別人格が好き勝手する事もできない様にしたと言う事じゃ。」

「海神の影響を受けた別人格を完璧に封じるには、恐らく殿下の言う通りそれしか確実な方法がなかったんだと思うよ。でも一度完全に肉体と精神のつながりが切れてしまった場合、もうその精神が肉体に戻る事はほぼ無い。ましてや海神の影響で元々繋がりが脆かったライオネル殿下の場合、その繋がりは壊しやすい分、戻す事は他の人より難しくなる……不可能と言ってもいい……。」

「この人はさ?王宮にいるから、俺達みたいのが肉体と精神が切り離されても肉体を死なさずにずっと維持してくれるってわかってたんだと思うよ。精霊は何か特殊な術を用いない限り、例え繋がりが切れていても、一度入った肉体が滅びなければ新しい肉体には宿れないから。だから精神を肉体と切り離しても海神を自分に縛っておけるって多分わかってたんだ。器としての機能は失われない。と言うか、ただの器だけの存在になろうとしたんだよ……この人は……。自分が二度と戻れないのもわかってて……。」

ぼたぼたと大量のミルクと砂糖を入れた紅茶を、アレックはグイッと飲み干した。
今はアレックのとっさの判断で、まだライオネル殿下の肉体と精神は辛うじて繋がっている。

俺はあの時、ライオネル殿下に言われた言葉を思い返していた。

『これがせめてもの罪滅ぼしであり、あなたへの愛なのです。』

俺はライオネル殿下がそんなにも思い詰めているなんて全く知らなかった。

俺が死にかけたのはいつだって俺の意思だった。
でもライオネル殿下にとっては、自分が側にいて欲しいと望んで無理に側に置こうとした我儘のせいだと感じてしまったのだ。

そして自分の側に近づければ近づけるほど、俺が危険な目や理不尽な目に合うと思ってしまった。
グレゴリウスに執着された事も、きっと責任を感じていたのだろう。
当初は知らなかった足止めの件も、裁判に出席した際には平然としていたのだからその前に詳しく聞いていたのだろう。

全てライオネル殿下のせいではない。
俺が俺の意思で選んできた道だ。

ただ、そんな事はないのだとどんなに俺が言っても、おそらくライオネル殿下は納得しなかっただろう。
何故ならそれこそが俺とライオネル殿下の一番大きな繋がりでもあったから。

だから、ライオネル殿下は責任を感じてしまった。
だからライオネル殿下は、それが最終的には俺が勝手に選んだ事だと納得する事もできなかった。

それがライオネル殿下の俺への複雑な愛と結果なのだから。

「……恋愛って訳わかんねぇ。立場も地位も違いすぎるし、とっくの昔に婚約してたじゃんかよ……こいつ……。端から叶わないってわかりきってるのに……何でここまですんだよ……。俺にはマジ理解できない……。」

ボソッとそう言って、アレックが口をへの字に曲げてテーブルに突っ伏した。

俺にもわからない。

そこまでライオネル殿下が思いつめる必要はなかったはずなのだ。
ましてや別人格が出てきても、俺がそれなりに上手く対応するだろう事もわかっていたはずだ。
それでもライオネル殿下は自分を犠牲に、俺に負担をかけない道を選んだ。

ふと、どこかに海の泡になって消えてしまうお姫様の話があった事を思い出した。

子供心に納得のいかない話だったが、何だかその話を俺は思い出してしまった。
あれも王子の立場から見れば、ただ知らなかっただけで、泡になってしまうお姫様に酷い仕打ちをしたかった訳じゃない。
でもお姫様の立場から考えれば、そうする事が愛だったのだ。
そしてただただやるせない話でしかなかった。

ぽんぽんと突っ伏したアレックの頭を撫でる。
短くて柔らかい毛に覆われた耳がぴこぴこ動いたが、アレックは顔は上げなかった。

きっとまだ恋を知らないアレックには、複雑すぎるライオネル殿下の愛の形を理解する事はできないだろう。
こんなところは年相応に純粋すぎて少し可哀相だった。

ライオネル殿下がそこまで思い詰める必要はなかった。
けれど、その思いつめる程こだわったそれこそが、俺とライオネル殿下の繋がりなのだ。

最終的には俺自身が選んできた事なのだから関係ないと考える事もできたけれど、関係ない事にしてしまったらその繋がりが失われてしまう。
だから、ライオネル殿下はそれを決して手放さなかった。
そしてその為に命をかけてしまった。

それが本人の言う通り、ライオネル殿下の俺への愛の形だったのだろう。

俺はライオネル殿下とどう向き合うべきだったのだろう?
どう受け入れ、どう接するべきだったのだろう?

わかるのはもっと早く向き合うべきだった事。

そして……。
今となっては遅すぎると言う事だけだった。
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