欠片の軌跡⑥〜背徳の旅路

ねぎ(塩ダレ)

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第九章「海神編」

愛の奇跡〜羞恥心を添えて

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できた空間から見ると、かなり上の方にある小窓から俺はそのホラー空間を覗き込んでいた。

いや……そりゃピアの情報がどんなものかはわかってたけどさ……。
いくら何でも怖すぎるだろ……。
書かれているのが幼い子がクレヨンで殴り書いたような拙さがもう……半端ないほど怖い……。

ウニが言うには情報を全て使って、支える簡素な骨組みだけを作り、できる限り大きなスペースを確保したらしい。
フーボーさんの図書館の様に情報を残す為のものではないから、他のものは一切ない。
ただ、だだっ広い空間の壁面に、拙い文字と絵が書かれているだけだ。

「これ……フーボーさんみたいに図書館にしたら、痛い記憶が本になってずらって並んだのかなぁ……。」

考えただけで恐ろしい……。
俺はブルっと身を震わせた。

ウニはというと、図書館の扉を閉めてピアの安全を確保すると言って一度戻っていった。
ピアは大丈夫だろうか??
情報を抜き出すところとかは見ていなかったのでよくわからない。

何となく呆然と眼下に広がる空間を眺める。
すると視界の端に何か変化があった。
そこを注意してみると、壁にあのファーガスさんが持ってきたヘンテコな人形の絵が浮かび上がっていた。

あれ??
さっきまであの人形の絵はなかったと思ったんだけど??

そしてそれを囲むように線が入ったかと思うと、扉のように開いた。
そこからキョロキョロしながら人が入ってくる。

「あ、義父さ……。」

入ってきたのは義父さんだった。
思わず声をかけそうになり、やめた。
さっき落ちそうになった俺にウニが言った事を思い出したのだ。

『危ねぇなぁ!!お前まで入っちまったら、分けた意味、ねぇだろうが!!』

ウニは「分けた」と言っていた。
それはつまり、こちらとあちらを何らかの意図があって、別々にしたという事だ。

何しろここは精神空間。
意思や意識、情報が力を持つ場所だ。

だからこちらから向こうに声をかけるなどして良いのか俺では判断できない。
迂闊なことはせず、ウニが戻るのを待った方が良いだろう。
俺は黙って、遥か上の方から義父さんを見下ろしていた。

人形の絵のドアはパタンと閉まる。
義父さんも少し驚いて、しげしげとそのドアを見ている。
そしてまた開くのかを確認している。

『不必要に開け閉めしないで、おじさん。そこは緊急避難場所だから……。』

ふと、空間全体に囁くような声が響く。
いや囁いているというより、直接空間から脳に響いている。

ラニの声だ。

義父さんも驚いたように顔を上げ辺りを見渡す。
どうやらラニは義父さんの様に実体化した形ではここに存在しないらしい。
だが声がしたと言う事は、この空間と繋がっているのだろう。

「ごめんね、ラニ。以前、精神に降りた時とだいぶ違っていたものだから。」

義父さんはそう言って、見えないラニに笑いかけた。
いきなりこんな空間に出てきても飄々としてるって……やっぱり義父さんって只者じゃない……。

『僕もちょっとびっくりしてます……。元々、個人個人、空間は違うんだけど、ここは何て言うか……。』

ラニの声は戸惑いと少しの恐怖心が混じっていた。
たくさんの人の精神に降りていても、こんな変な空間は初めてだったのだろう。
可哀想に……。
俺はラニの気持ちを察して申し訳なくなった。
しかし義父さんは義父さんだ。

「うん。こんな可愛い場所に出るとは思わなかったよね~。」

にこにこ笑いながらそう言った。
俺は固まった。

か、可愛い?!
聞き間違いじゃないよね?!
今、義父さん、可愛いって言ったよね?!この空間の事?!

俺は義父さんの感覚が理解できずに目を瞬かせる。
空間にラニの戸惑ったような『可愛い……?』という小さな声が響いた。

あ、うん。
ごめんね、ラニ。
義父さんはこういう人だから……。
多分、子供の描いたっぽい絵と文字を見て可愛いって思ったんだと思うよ……。
内容とか関係なく……。

何か空間全体に困ったような感じが漂った後、気を取り直したようにラニの声が響いた。

『多分、ここがお兄ちゃんがピアの記憶を使って作ってくれた「仮想精神空間」なんだと思います。』

「なるほど~。なら、これはピアの絵かぁ~。うんうん。上手だねぇ~。」

いや、義父さん。
今、そういう事に感心してる時じゃないから。
ラニも義父さんの天然っぷりに対応に困ってるから、いい加減にしてあげて下さい……。

だが、あまりの義父さんの変な反応に、ぷっとラニが吹き出した。
そして空間全体が何だか明るくなった気がする。
どうやらラニの精神状態が空間に影響を与えるようだ。

「お?!順調そうじゃねぇか?!」

「うわっ!!びっくりした!!」

突然真横から声がした。
下の空間に集中しすぎていた。
ぎょっとして横を見ると、ウニがさっきよりも小さな小窓……いや、なんか巣穴から顔を出しているハダカデバネズミと化してそこにいた。

「何驚いていやがる?!」

「驚くだろ?!普通?!と言うか、何で真横?!ピアは?!」

にょろりと顔を出しているウニに尋ねる。
ウニは面倒そうに顔を顰めた。

「空間が縮んでんだよ!そんな事も気づかねぇのかよ?!」

「縮んでる?!」

言われて辺りを見渡すと、確かに最初に入った時のような感じではなく、トイレぐらいの小さな空間に感じられた。

「……何、この個室感……。」

「仕方ないだろ?空間を広げとく為の魔力は全部そっちに流れてんだから。」

「え?!じゃあ、今、俺がいる場所って何?!」

「だからな?風船で考えろよ。お前が現実世界で作った装置が魔力という名の空気を送り込むコンプレッサーだとするだろ?!」

「うんうん。」

「そこにゴム風船を繋ぐだろ?」

「うん。」

「それで空気を送り込むと風船の丸い部分が膨らむ。でも、風船とコンプレッサーを繋いでる部分は膨らまないだろ?!」

「ああ!!あそこ?!俺、今、あの部分にいる訳ね?!」

「わかりやすく言うとそんなところだ。ちなみにピアは、図書館でおとなしくしてるぞ。急に情報量が減ったから不安定になってるし、絶対何があってもこっちに来んなって言ってある。まぁ、あの感じだと、こっちには長くいれそうもないから、じきに勝手に現実に戻るだろうな。図書館から戻れば、何の影響もないはずだぜ?」

「そっか。なら良かった。」

とりあえずピアの無事と安全が確保されているようなので安心する。

となると問題は下の方だ。
俺はまた小窓から下を見下ろす。

「……さっき、分けたって言ったよな?やっぱりここから声をかけたりしない方がいいんだよな??」

「あぁ……それをすると境が曖昧になって混ざる。お前は精神魔術師じゃねぇ。外の常識が通用しないのは、お前が一番良くわかっているはずだ。だから下手な混乱を避ける為に、お前はここから動くな、何もするな。下手に動くとラニって子と親父さんを危険に晒すって事を忘れんな。」

「……わかった。」

「それに……勘だが、お前は海神と直接顔を合わさない方がいい。」

「……どうしてだ??」

「わからない……でも、お前の存在と海神の存在は大きさは違えど似ている。似ているけど違うものだ。俺はそういったモノ同士が精神世界で顔を合わせるのを見たことが無い……。似ていて非なるもの。鉢合わせれば不安定になる気がする。ただでさえ、この人工的に作られた空間は脆い。そして海神は世界の王の一人であり、かなりご立腹の可能性が高いんだろ??これ以上、危険要素を増やすのはやめた方が良いだろう……。」

ウニがいつものノリではなく、酷く真剣にそう言った。
どうも俺が半分人間ではない事があまりよろしくないようだ。
フーボーさんがいない今、そのハウスパートナーであり全知識を引き継いでいるウニがそう言うのだ。
おそらく俺が無闇に首を突っ込む事は、かえって俺では対処しきれない状況を生み出してしまうのだろう。
何もできないというのは酷くもどかしいが、何もしないというのが今の俺にできる最善の選択なのだ。

「……わかった。無茶しそうになったら止めてくれ、ウニ。」

「わかってる。そのつもりでここに残ってんだよ、馬鹿野郎……。」

そう言われてウニを見た。
ウニはぷいっとそっぽを向いて頬を掻いている。

そうか…ウニはもう、本来なら自分の仕事を終えているのだ。
ピアから情報を抜き出し、仮想精神空間を作る作業は終わったのだ。
だからフーボーさんの図書館に戻ってもいいはずなのだ。

「……ありがとな、ウニ。」

「仕方ねぇだろうが……お前は現実世界じゃ無敵かもしれねえけど、ここじゃ何もできねぇ赤子同然なんだからよ。最後まで付き合ってやらぁ。」

ふんっとウニは言った。
小さいハダカデバネズミの癖にいつだって偉そうにしているが、ウニは情に厚い。
そんなウニの顎の下を指で撫でながら俺は笑った。

「ありがとな。でも俺、現実で無敵じゃないぞ?!子供のリアナに口で勝てないし、シルクに体術で一度だって勝った事もない。ウィルには甘えてばっかだし、マダムには良い様に扱われてるし、魔術だって魔術本部の皆に敵う訳ないし、貴族社会の事は何にもわからないから、ガスパーに頼りっきりだし……。」

「……意外とダメダメだな、現実のお前も。」

「ほっとけ。」

だいたい、「も」ってなんだよ「も」って?!
ちょっとカチンと来て、ピンっと指で軽く頭を叩いてやった。
怒ったウニに噛みつかれそうになったから、慌てて手を引っ込めて笑う。

下に目を移すと、どうやらラニと義父さんの打ち合わせも終わったようだ。

そう、ここまではまだ前処理にすぎない。
ラニと義父さんが精神世界に入り、緊急避難用の人形と仮想精神空間が繋がっただけだ。

『……じゃ、王子様の精神の方に入ります。』

ラニの声が強ばって微かに震え、仮想精神空間内の空気が緊迫した。
それをおっとりした義父さんの声が包む。

「……大丈夫、ラニ。君は一人じゃないよ。」

『はい……。』

「何より、君はとても強い子だ。幼い頃のサクを見ているみたいだよ。」

『……お兄ちゃんを??』

唐突な義父さんの言葉に、ラニの声色が変わった。
びっくりしているみたいだ。
正直、俺も驚いたけど。
義父さんはいつものようにのほほんと続ける。

「うん。サクは幼い頃はラニみたいにのんびりしていて、人見知りも激しくて訪問者が来ると私や教会の誰かにピッタリくっついて隠れてしまってねぇ~。」

『お兄ちゃんが?!』

唐突に俺の昔話を暴露し始める義父さん。
ラニもびっくりしているが、俺だってびっくりだ。

その内容に思わず叫びそうになるが、ウニが叫ぶなと止めてくる。
止めてくれるのはありがたいが、何、ニヤニヤ笑ってやがる!!
何だその顔は?!ウニ?!
後で覚えとけよ?!
フーボーさんの可愛いウニちゃんコレクション、全巻読破してやるからな!!

それにしても!!
あ~!!もう!本当!!
義父さんてば!勝手にあちこちで小さい頃の話を暴露して回らないでよ!!

俺のそんな気持ちをよそに、義父さんはにこにこ話し続ける。

「そうなんだよ~。でも一度心を許すと甘えてばかりで、訪問者が帰るに帰れなくなる事も多かったよ。」

本当、やめて……。
俺は頭を抱えてその場に突っ伏した。

いやもう!俺が甘えん坊だってイメージ風潮しないで?!
子供の時なんか誰だって甘えん坊だろ?!
なのに小さなラニにまでそんな事を話すなんて……。
恥ずかしくて死にそうだ……。

ラニはクスクス笑っている。
空間の雰囲気も和らぎ温かい気がした。

『そこは流石お兄ちゃんだね。一度心を掴まれると、皆離れられなくなっちゃうんだ。』

「後、ラニと違うのは~。勝手にふらふらどこかに行っちゃう癖があてってねぇ~。探すのが大変だったよ~。」

『今と変わらないね。』

「そうなんだよ、大人になったから治っていると思ったのに、あれは一生直らないだろうねぇ~。」

……ちょっと待ってくれ。

本当に俺がいつ、大人になってから勝手にどこかに行ったと言うんだ?!
行ったのはウィルを探しに行った時だけで、後は仕事だったりとちゃんと事情があった事で、周りも皆、それを知っていたじゃないか?!

なのに何で皆、俺は勝手にふらふらどこかに行くイメージなんだ?!
「違う~っ!」と叫びそうな俺の耳を、身を乗り出したウニが引っ張って何とか堪えさせようとしている。

「……でも、何か、誰か、傷ついていると、いつの間にか寄り添ってくれる優しい子だった。思い詰めて教会に来られた方の側に何も言わずに引っ付いていて、知らぬ間に色々な事を思い止まられた方も多かったよ。」

『……うん。』

「虐められたり傷つけられたりしているモノを見ると、自分よりどんなに大きなものの前にも立ちはだかった。……冬眠明けの熊に襲われた旅人を庇って、その間に小さなサクが立っているのを見た時は肝が冷えたよ……。」

『ふふっ、お兄ちゃんらしいね。』

ラニが笑った。
固かった場の雰囲気が和らいでいく。

『……僕、お兄ちゃんが竜の血の呪いに立ち向かうって言った時、そんな発想すらした事がなかったから本当にびっくりした。僕が泣いて止めても、お姉ちゃんが怒って泣いても、お兄ちゃんはやめなかった。』

ラニは何故か、あの時の竜の谷の話を始めた。
不思議に思いながら俺はそれを黙って聞く。
ラニは続けた。

『その上……お兄ちゃんは、呪いに変えられて苦しんでいたあの子を、呪われたまま自分の中に受け入れたんだよ……。自分が呪われるのをわかってて、あの子を一人にできなかったんだ……。こんな人がいるんだって、僕、凄くびっくりした……。』

「……うん。」

『お兄ちゃん、本当は凄く怖かったと思う。』

「うん。」

『でもそれでもお兄ちゃんはやったんだ。怖くっても、目の前のあの子を助けようと、その時できる事をできる限り、必死に頑張ってくれたんだ……。』

「うん。」

『……僕ね、それを見て変わろうと思えたんだ。精神魔術が使えるから、他の人とは違って色んな事が怖かった。お姉ちゃんがそれをわかってくれて、いつも守ってくれるからそれに甘えてた……。でも、怖くても踏み出そうって思えた。お兄ちゃんが教えてくれたんだ……。怖くても、歯を食いしばった先に守れるものがあるんだって……。だから僕も……すぐにとはいかないけど……少しずつやれる事をやって行こうって思ったんだ。今、僕にできる精一杯をしようって……。そしたら、いつかお兄ちゃんみたいになれるかなって……。』

「うん……。」

俺はその話を黙って聞いていた。
目頭が熱くなったけど、ぐっと堪える。

そうか……。
ラニが変わったのは、そんなきっかけだったのか……。

全然知らなかった。
あの後、何かあってラニは変わったんだと思っていた。
でも、俺が七転八倒もがきながら何とかしようとしてきた姿を見てそう思ってくれたのだ。
言葉にならなかった。

何故か俺の横でウニがうんうんと頷きながらボロボロ泣いている。
いや、お前、関係ないじゃん。
ウニにそうやって泣かれちゃうと、俺、泣けないじゃん……。
なんだかなぁ……。

「……ラニはとてもサクに似ているよ。」

義父さんはまた、穏やかな声でそう言った。
その言葉にラニの声が笑う。

『そうかなぁ……。僕、お兄ちゃんに近づけてるかなぁ??』

「そう思うよ。……でも、君とサクは同じではない。君は君なんだ、ラニ。ひとりひとり違うから同じになろうとする必要はない。君は君であり、そしてとても強い子だ。サクに負けないくらい強い子だよ。」

『ありがとう、おじさん……。』

ラニは何か、吹っ切れたようだ。
少しの静寂の後、はっきりとした意志が仮想精神空間に響いた。

『僕、頑張ってみる。やれるだけ、頑張ってみる……っ。』

そう言ったラニの声は、もう震えていなかった。
しっかりとした自我を持ち、確たる意思を強く持っていた。

あぁ、もう大丈夫だ。
俺はそう思った。
義父さんも穏やかに微笑んで頷いている。
きっと義父さんもそう思ったのだろう。

『……じゃ、僕、王子様に潜ります。繋がったらここに海神様が来られると思います。宜しくお願いします。』

「うん。その後は私に任せて大丈夫。お互いベストを尽くそうね。」

『はい……!!』

ラニの声が響いた。
そして仮想精神空間は静かになる。


嵐の前の静けさだ。


義父さんはラニがここにいない事を読み取り、険しい表情をした。
現実と同じく、浄衣姿で懐から数枚の紙を取り出す。
へえ?精神空間でも、紙様、使えるんだ??
ふっと生気を吹き掛け、指で文字を書く。
それをバッと上に放つと、義父さんを囲むように結界が張られる。

「……すげぇな……お前の父ちゃん……ここ、精神空間だぜ?!よくあれだけの術が使えるな?!……何者だよ……?!」

ウニが心底驚いて呟いた。
俺だって、本当の意味で神仕えとしてそこにいる義父さんを見るのは初めてだ。

「……俺の義父さんは、東の国の名を持たぬ神仕えだよ……。」

「名のない神仕えだって?!マジか?!お前?!」

「うん。名前がないのは知ってたけど、そこまで特殊な存在な事は俺も知らなかったんだ……。」

微かな声で祝詞を唱えながら、数々の準備をしていく様を俺はしっかりと目に焼き付ける。


いよいよだ……。


いよいよ、俺達はライオネル殿下、並びに気の遠くなるような長い間、王族の誰かの中に封じられてきた、この世界の精霊王が一人、海神と向かい合う事になる。

「ウニ。やっぱり図書館に戻れ。気持ちは嬉しいが、お前が消えたらフーボーさんの知識が失われてしまう。」

「……嫌だね。」

「ウニ!!」

「俺をそんじょそこらの精霊やハウスパートナーと一緒にするな。俺はウニ・プネウマ。精神世界に特化した精霊だ。」

「だが!!」

「お前、俺の名を覚えているか??」

「……覚えてるよ。」

ウニの真の名。
それがここにウニを固定し守っている。
そう教えられた。

「ならいい。いざとなったら使え。」

「……わかった。だが、危なくなったら図書館に戻れよ?!」

「わかってるって。……それよりあの子、上手くやったみたいだな……無事、海神をこちらに招いたみたいだ……!!ぼさっとすんな!サーク!!そろそろ真打ちのお出ましだぞ?!」

それは言われなくてもわかっていた。
体の中の血の色が足元から塗り替えられていくように、ゾワゾワゾワッと言葉にならない感覚が這い上がってきた。
精神世界なのに吐きそうになる。
そんな俺の頭を、ウニが蹴っ飛ばした。

「何度も言わせんなっ!!ボケっ!!ここは精神世界!!自己意識が負けたら、こっちにいたって飲まれるぞ!!」

「……悪い、一瞬の事で対応できなかった……。」

「言っただろ?!お前、中身が海神と似てるって。似てるもので満たされてるから、波長が重なりやすくて影響も受けやすいんだ!!気を抜くな!!お前が落ちたら!!空間に魔力が送れなくなるぞ?!何もしなくていいから、耐える事に集中しろ!!サーク!!」

俺は頷き、呪いの影響から自分を守った時の事を思い出し、それに集中した。
大きな気配はどんどん近づいてくる。
それに押しつぶされないように、丹田に魔力を込めて練り、全身に送る事を意識する。

仮想精神空間が、まるで停電前のようにチカチカと光を弱めて瞬き、そして真っ暗になった。

その中に義父さんの祝詞だけが変わる事なく静かに響いている。

もう、小窓から中を覗くことも出来ず、俺は窓枠みたいのに両腕をついて顔を埋めた。
ウニが気遣って額をペタペタ撫でてくれる。

体って、本当に精神体を……魂を守る鎧なんだな……。

現実世界では海神と向かい合っても、こんなに影響を受けなかった。
だが今は違う。
怒り狂う鼓動のようなものがドクンドクンと跳ねるたびに、心臓、いや魂が影響を受けて同調振動で押しつぶされそうになる。
ウニが先を読んで空間を分けてくれていたというのにこれなのだ。
何の心構えもなく同じ空間に入ってしまっていたら、俺は確実に押しつぶされていたと思う。
状況がわかっても反応が遅れた分をなかなか取り戻す事ができない。

「サーク!!しっかりしろ!!嫁さんと結婚式、まだ上げてねぇんだろ?!」

「……上げてない……上げてないよ!!ウニ!!こんな事なら!先にやっとけば良かった~!!」

なんかこれ……この前も思った気がするんだけど?!
俺のバカ~!!まだ結婚式してないよ~!!
ウィルに白無垢、着せてないのに~っ!!

俺は意識が飛ばないよう必死に声を出す。
しかし口から出る声は蚊の鳴くようにか細い。

「……死ねない……ウィルの白無垢姿、見ないで死ねないっ!!」

「その意気だ!!エロサーク!!」

「エロって言うな!!ここんところ会えてもいないんだから!!エッチだってしてないんだからなぁ~!!」

何でウニにこんな事、言われないといけないんだろう……。
そうは思っても、精神世界では人の欲求に訴えかける事が蘇生法になるとフーボーさんの本に書いてあった。
だからウニはそうしているだけだ。

……でもさ?!

人の3大欲求って、「睡眠欲」「食欲」「性欲」ってのがメジャーだけど、その中から何であえて「性欲」で攻めてくる?!ウニ?!
俺の中で一番弱いぞ?!それ?!

「嫁さんの得意料理は何だ?!早く手料理が食いたくないのか?!」

「……食べたいに……決まってんだろぉ~っ!!むしろ!!ウィル!!早く帰ってきてよ~っ!!俺!ウィルに会いたいよ~っ!!こんなに会えないなんて!耐えらんないよ~!!色々凹む事多いのに~!!うわ~ん!!ウィル~!!早く帰ってきてよぉ~!!」

そう絞り出すように掠れる声で叫んだ瞬間、パンっと呪縛が解けたようにかなり楽になった。
ゼイゼイ息をしながらウニを見る。

「……愛の勝利だな……。」

「……そう思うなら、その冷めた目で俺を見んの、やめて??ウニ……。」

「いや……何か…マジで嫁さんにべったり甘えてんだなぁってわかって………正直、ひいた……。」

くそう……悔しいが言い返す言葉もない……。
ウニにガッツリひかれながら、俺は何とか、自分を立て直す事に成功したのだった。

仮想精神空間はまだ、暗いままだ。
だがその空気がピシピシと音でもしそうなくらい、張り詰めていた。


そこに……いる……。


誰も何も言わなかったが、それだけはむき出しの魂がビリビリ痺れるように感じ取っていた。
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