欠片の軌跡⑥〜背徳の旅路

ねぎ(塩ダレ)

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第九章「海神編」

焼き切れる免罪符

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「……クソッ!!」

ギルはサークが寝た事を確認してから、バルコニーに出た。
そして覆って柵に突っ伏した。

頭からは離れない声……。


『俺を愛してるんだろ?ギル?』

『怖い顔しても駄目だ。知ってるよ。本当はどうしたいか……。』

『捕まえないと逃げちゃうよ?』

『今、楽しい?幸せ?どうしてそう思う?』

『ねぇ……今しかないよ?』


繰り返される誘惑。

違う。
サークはそんな事は言わない。

わかってる。

だが、ファルシュと呼ぶと少し困りながらも素直に自分に身を預けてくるその姿に勘違いしそうになる。
実際にはその時はファルシュではなくサークなのだけれども。

けれどお互い、その嘘に依存している。

今はサークでなくて偽物ファルシュなのだと、だから触れてもいいのだと、多少は身を許してもいいのだと、自分を騙す言い訳にした。
本当はわかっていたのに、わからない振りをした。
気づかない振りをした。

はじめはそれで上手くいっていた。
だが、段々とその境がわからなくなった。

触れ合っているその人。
少し戸惑いながらも自分に身を預け微笑む。

本来ならありえない事だ。
自分はかつて彼を裏切った。
彼の同情と子供の様な純粋な好奇心につけ込んで、自分の欲望の捌け口にしてしまった。

恐ろしいほど醜く激しい感情を抱いてしまったその人。

その感情を何と表現していいのかわからない。
ドロドロしたマグマの様な、黒く煮え滾る感情。
その人を裏切り傷つけたそれ。

許される事のない罪。
許さないという彼の許し。

サークは何故かギルと距離を作らなかった。
それが彼の許しであり戒めなのだと思っていた。
だから二度とその許しを裏切らぬよう、ギルは常に自分を律していた。
時より奥底に封じ込めたその感情は不安定にもなったが、シルクが側にいて全てを共有してくれた事により暴走する事なく過ごせてきた。

「……なのに……。」

はじめは純粋に喜びが大きかった。
偽りだとしても、サークが自分に身を委ねてくる。
肩を抱き寄せても、その髪に触れても、サークは戸惑いながらも身を委ねてくれた。

叶わなかった想いが受け入れられたような嘘。
それを「嘘」としていればこうしていられるのだと。

だが「嘘」と仮定したそれは段々と曖昧になった。
サークだとわかっていながら、偽物ファルシュとして触れ合っている事で、その境が不確かになっていったのだ。

そしてその時を見越したように、本当に「ファルシュ」と呼ぶべき人格が現れ、ギルに甘く囁く。

「……しっかりしろ。惑わされるな。」

どんなに遅くとも明後日には湖につける。
それまで何とか押さえ込めばいい。

夜風に当たりながら、ギルは冷静さを取り戻す為、別の事を考え始めた。

今回の旅で南の国との国境閉鎖の影響を垣間見た。
その事は少し考えた方がいい事だ。

本来、東の国に行くには王都を出て東大街道を真っ直ぐ左に進むのが一番早いのだが、旅立った当初に別人格であるファルシュが逃げ回った(サークが言うにはふざけていたらしい)せいで進路が南にズレた。
東大街道に戻っても良かったのだが、そうなるとサークの領土であるフライハイト地域を通らねばならぬので、あまり今の状態を知り合いに見られたくなかったサークの意向も兼ね、少し遠回りになるが南寄りルートを進む事になった。
ズレた場所から南東に進み、中央王国経由で南の国が東の国との交易に使っていた東南交易道に出て進んだ。

南の国との交易に使われていただけあって、街道沿いの街はそれなりに裕福な趣だった。
ただ南の国との国境が閉ざされた今後、どうなっていくのかはわからない。
かつては交易人で溢れていたであろう街は閑散としており、サークが普段は使わないと言ったクラスのホテルなども飛び込みで簡単にとる事ができた。

「……国の南部側は何処も少なからず同じ様な影響を受けているだろうな……。」

そしてそれはおそらく西の国との国境が閉ざされた西部にも言えるだろう。
2国との国境閉鎖が民の生活に影響を及ぼし始めている。

南部側に領地を持っている貴族の一つは、サムの結婚・出産で明るい話題に事欠かないウォーレン家だ。
領地管理はサムの父親が行っているが、婿養子に入ったライルは現場をどう見ているだろう?
純粋無垢で生真面目な犬の様なライルだが、サムを射落とす為にコツコツと外堀から埋めてしまうなど、ああ見えて中々抜け目のない男だ。
そして領地替えで西部主要地の一部をグラント家が治める事になった。
その他の西側主要地はだいたいはラティーマー家の所有。
今回の領地替えで少し東側に映る事になったとはいえ、ライルの実家であるコーディ家は元々は北西部を治めている。

「……何かとそれぞれ忙しく、そう言った話を交わしていなかったが……帰ったら少し話した方がいいかも知れん……。」

ギルもライルもガスパーも当主を継いではいないし継ぐとも限らないが、次世代としてその辺りは無関係ではいられない。
何より、政治によって民の生活に影響が出ている事は注視すべきだ。
今は仕方のない事と受け入れられていても、政治による負荷が長く続けば人々は領主ひいては国に対して不信感を抱く。
それは当然、良いこととは言えない。

「……南部より西部に気を付けたほうがいいよ。南部は気候が良いから交易に頼らなくても平気だから。」

「?!」

突然掛かった声に、ギルはハッと振り返った。
気配がなかった。
その声は聞き慣れたものだが、ギルは警戒心を強く抱く。
そんな彼を気に求めず、その人物はふわりとギルの横の手摺に肘をかけて微笑んだ。

「かつて西国境で揉めたのだって、物凄く突き詰めれば西の国の気候が厳しく土地が痩せている事から来るものだからね。」

「……お前……。」

「ふふっ。そんなに身構えなくても良くないか?」

「……サークはどうした?ファルシュ……。」

そこに現れたのは眠ったはずのサーク。
いや、サークの中にいる別人格、サークがファルシュと呼ぶように言ってきたそれだった。
無表情にファルシュを見つめ、冷たく言い放つ。
そんなギルをファルシュは笑う。

「変な事言うね?ファルシュもサークも同じだよ。」

「ならば言い方を変えよう。……俺がサークと認識している人格はどうした?」

「そういう言い方に返すなら寝てるよ。」

「なら、貴様も眠れ、ファルシュ。」

「つれないなぁ~。」

冷淡な対応をするギルにファルシュはくすくすと笑った。
サークと同じ顔をしているのに、幼子の様な無邪気さが残忍なまでに漂う。

「眠れないみたいだから心配してるのに。」

「貴様の心配には及ばん。」

「そう?だいぶ煮詰まってるみたいに見えるけど?」

「……お前には関係のない事だ。」

「ふふっ。そうかな?」

「ああ……。」

ギルはそれ以上何も言わず、バルコニーから見える夜闇を睨んだ。
その横でファルシュは特に何も気にしていないように夜風を楽しんでいた。

「……西側は気をつけた方がいいよ。」

「わかったような事を……。」

「君は勘違いしているよ、ギル。ここにいるのはファルシュと呼ばれていてもサークと同じものだよ。」

「分ける為に名を分けたと聞いたが?」

「それを曖昧にしたのは誰だ?ギル?」

「……………………。」

その問いに答えられなかった。
ファルシュは笑う。
全てを見透かした様に、無邪気で残忍に。

「でも本当ならサークが知らない事も知ってたりするから、確かに完全に同じとも言えないけとね。」

「本当なら知らない事?」

「そう。無意識に知っている事でもなく、完全に本当なら知らない事。」

「……それはなんだ?」

「色々。」

ギルはファルシュを見た。
夜明かりの中に浮かぶその姿はサークと同じだ。
けれどどこか謎めいて好奇心を刺激してくる。
ファルシュは笑った。

「……鉱脈が見つかった話、わかるか?」

「鉱脈?北西鉱山で見つかったというヤツか?」

「そう。国の境なんて人間が決めた事だからね。山には関係ない事だよ。」

「……なるほどな。」

ギルはファルシュの言いたい事を理解した。
山も土地も当たり前だが地続きだ。
パンゲアという大陸に境をつけているのは人間が勝手にしている事。
鉱脈がどう伸びているのかなど、人の作った境には関係のないものなのだ。

「……何故、俺にそんな話をする?」

「ギルに必要かなと思って。……それに、こうやって話せば、思い出すだろ?」

ファルシュは笑った。
その存在をギルは困惑しながら見つめる。
ファルシュがこの話をしたのはギルの為でもあるが、おそらくサークにその記憶を与える為だと気づいたからだ。

「……お前はいったい……。」

ファルシュ。
海神を宿した事によってサークに生まれた別人格。

女性的精神体である海の精霊王が宿る事により器となった人間に影響して生まれると言われる別人格は、器となった人間が想いを寄せていたり深く信頼していたりする男性に対し、子を成す行為を迫り誘惑すると聞いていた。
確かにファルシュはギルを誘惑する。
それは想像以上にギルを苦しめ始めていた。

だが今ファルシュがした事は、サークを思っての事の様に感じられた。
ギルの為でもあるだろうが、ファルシュの中にどこかサークを慈しむ想いがある。
少なくともこの行動は、別人格が器となった人物を苦しめる「肉体関係を迫る」という行動とはかけ離れていた。

ギルの問いにファルシュは笑う。
その笑みはどこか儚く、哀しげにも見えた。

「……勝手に敵視してるのはギルだよ。別に敵じゃない。」

その言葉に気が緩む。
確かに別人格の事など何も知らない。
なぜ存在するのか、どうしてそうするのか、何も知ろうともせず、敵視し否定し続けていた。

生まれた揺らぎ。

それにファルシュは微笑みかける。
スッとギルに身を寄せ、その指がスルリと頬を撫でた。

「むしろ……君にとって、都合のいい存在のはずだよ?……違う?」

サークの顔。
サークの声。

けれど惑わせるその全てはサークではない。

「……やめろ。」

ギルはギリギリのところでその手を振り払った。
自分に生まれた揺らぎを恥じる。

ファルシュには応えないとサークに言った。
彼を裏切る事は二度としないと自分に誓ったのに、なんてざまだ。
簡単にファルシュの手の中を転がされる。

「……どうして素直に認めない?そんなにも強く求めてるのに?」

「やめろ……。」

「シルクがこれを裏切りだととらないと知っているのに、どうして自分の想いに正直にならない?」

「やめろ!!」

「愛してるんだろう?」

「やめろ……。」

「今更、何でそんなに聖人ぶる?醜い欲望なんて、一番始めに見せたじゃないか??」

「やめろ!!」

「愛が綺麗なだけじゃない事ぐらい、知っているだろう??」

「やめろ!サークの姿で……その口で言うな!!」

「何故?」

「やめろ!やめろやめろ!!」

「薄暗くドス黒いドロドロとした欲望を、そんなにも滾らせているのに否定するの?」

「……やめろ。」

「どんなに否定しても、それがギルの愛だよ。」

「やめてくれ……。」

「そんなにも強くどうしようもないほど愛しているのに……そんなにも強く求めているのに……どうして否定するの?」

「やめろ!!やめてくれ!!」

「……気持ちに素直になればいいよ、ギル。美しいだけが愛じゃない。」

「……やめろ。」

「知ってるだろ?自然の摂理は常に残忍で崇高なものだ……。その愛で全て壊してしまえばいい……。」

「やめろと言っているだろう!!」

ギルはファルシュの囁きに耐え切れなくなり、その身を乱暴にドンと突き放した。
そして表情を強張らせて部屋に戻る。

早く寝室に行き、鍵を掛けねばならない。

ファルシュはサークを上回るやり手だ。
鬼の黒騎士と恐れられるギルでさえ、こんなにも簡単にその手中で踊らされる。

何より……。

これ以上、ファルシュと話していては駄目だ。
抑えなければならない何かが溢れてしまう。

「!!」

ギルが自分の寝室のドアに手を伸ばした時、それはドアノブを掴む事なく空を切った。
後ろに思い切り引っ張られ、バランスを崩したギルはそのままソファーに投げ出された。

「貴様……っ!!」

状況はともかく、反射的に直ぐ様体制をできる限り立て直し反撃仕掛けた。
が、固まる。
それを押し倒す形のファルシュが笑った。

「ふふっ。破けちゃった。」

自分で寝間着の襟元を破き、そう言った。
ギルは追い詰められたと悟った。

「どうする?」

「……サークはお前の言葉など信じない。」

「そうだね。記憶が戻って何があったか思い出す。ギルがしたんじゃない。自分がギルを押し倒して服を破いたんだってね。」

「……っ!!」

その言葉にギルは顔を歪ませた。

どのみち同じだ。
サークは深く傷つく。

ましてや自分の意志でないにしろ、無理矢理相手に何かされたのではなく、自分が行ったのだと自覚すればあの時と同じ様に我を忘れて苦しむだろう。

ファルシュは笑った。
無邪気に。
そして残忍に……。

押し倒された形でギルはファルシュを見上げていた。
明かりの消えた室内で、窓から差し込む夜明かりだけがおぼろげにその姿を闇に浮かび上がらせている。

ギルはグッと目を閉じ、腹を括った。

サークを傷つける訳にはいかない。
それが歪に歪んでいようと、愛しているのだ。

目を開き、無表情にファルシュの腕を掴んだ。
そして反転させるように立ち位置を変えた。

ファルシュが笑う。

全てこの異質な別人格の思うがままだ。
その手の中で踊らされている。

「ふふっ。本当に愛してるんだね……。そんなにも深く……。」

「……黙れ…………。」

ギルは乱暴にファルシュを抱き寄せた。
愛した人の中の別人。
けれどその身は愛した人自身だ。

破けた襟元をさらに開き、鎖骨に口付ける。

おそらくサークは、ギルに無理矢理何かされたのだと思えれば自分を保てるはずだ。
ギリギリになるかもしれないが、自分がその意志とは関係なく行為をしたとなるよりも、ギルが誘惑に勝てなかったと思える方が救われるはずだ。

自分がギルにしてしまうのでは、誰を憎んでいいのかわからなくなる。
自分を信じられず見失ってしまう。

だったら憎まれる相手がいればいい。
憎める相手がいれば、サークは自分を保てるだろう。

もう戻れないのだ。

絶望の中、ギルはサークの肌を撫でた。
それをファルシュが笑う。

「……愛してる……愛してるんだ……サーク……。」

苦痛に顔を歪ませ、懺悔のようにギルは囁いた。
けれどその言葉はきっと、記憶を取り戻してもサークには届かないだろう。

うまくやってきたはずだった。

あんな事があっても、サークはギルを拒絶しなかった。
ギクシャクしながらもお互い手探りで距離を測り、ちょうどいい距離感で共に歩んできたのだ。
それが周りから見て不思議であってもよかった。

不器用に少し歪んだ信頼関係で結ばれていた。
だがそれすらもここで終わってしまうのだ。

憎めばいい。
お前がそれで自分を保てるならそれでいい。

ギルはそう覚悟した。
あまりに残酷な愛の証だった。
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