サムライ達の手紙 人切り半次郎の手紙に思う

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サムライ達の手紙 人切り半次郎の手紙に思う

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桐野利秋の手紙を見たことがある。

長野英世氏の「桐野利秋」に掲載されていた写真である。


明治10年、今からわずか約150年前、日本最後の内戦西南戦争が終結した。

当時、明治政府に対する不満は大きく賊軍の対象西郷隆盛は国民に愛されている。人々はちょうど接近していた火星を見上げ西郷星と呼んだ。そして、そのそばの鈍く輝く小さな土星を桐野星といった。

桐野星と呼ばれた賊将の名は桐野利秋、明治維新以前の名は中村半次郎という。

ハリウッド映画「ラストサムライ」のモデルとなった西郷隆盛に最期まで付き従ったと言われる人物である。


利秋はテロ行為の横行した幕末の京都を鍛え上げた必殺の剣と天性の感で生き延びた。

生前から女性関係などが取りざたされ、妻子もなく無学文盲で、剣の腕と西郷隆盛の庇護だけで陸軍少将に上り詰めをやがて内戦を引き起こした人物とされていく。

幕末の4大人切りと言われるが、会津若松城受け渡しに際しては藩主容保に礼を尽くした。これでは、どちらが勝者か分からないと批判する者さえいたと言われている。さらに容保の心情を思い人目もはばからず男泣きに泣いたという。一方で戊辰戦争の際には一度に35名もの敵を切り伏せたという。


西南戦争の最期も満身創痍になりながら、多くの官軍を倒している。

人切りと言われる一方で勝海舟、福沢諭吉、市来四郎らは高く評価しているから、その人物像は判然としない。


明治10年6月13日宮崎陣中で利秋は家族にあてて手紙を書いていた。

雨の続く6月、利秋は雪の降る鹿児島を後にした時や田原坂の戦いで篠原冬次郎を失った時を思い出し思わずふうと息を吐いた。

2月22日に始まった戦いは物量に勝る政府軍に有利で薩軍は次第に追い詰められていた。熊本人吉もわずか1週間で陥落し、今、日向宮崎に逃れている。

「こんなに早く人吉を追われるとは。」

利秋は楽観的に物事を受けとめる気質だが、ここまで戦ってきてさすがに疲れていた。

「あの時川村どんと会っていれば。」

気弱くなってそんな過去を思っている自分が情けなかった。

2月9日西郷の縁戚である陸軍中将川村純義が西郷との面会しに来たのだった。県令大山の仲介も取り付けてあったが、私学校党の者に妨害されたのだった。

「いや、会っていた所で、状況は変らなかった。」

明治政府内での権力闘争は非情なものだった。佐賀の江藤の首の写真は海外にも伝わって見せしめになっていた。思えば上野を望む屋敷にいた頃から、自分は今の状況を予感していたのだ。利秋は今度は自分たちがかつての幕臣たちのように滅ぼされていく悪夢で毎夜うなされていたあの頃を思った。

あれから5年、薩摩に戻っても落ち着くことはなかった。明治6年家族と暮らす家に壮士たちが出入りするのを避けるため宇戸谷で開墾することを決めたのは正しかった。反乱のわなを仕掛けに来る政府の刺の来訪も途絶えることはなかった。そして今、佐賀の江藤から預かった2人をかくまった事を西郷どんにとがめられたことを思い出していた。2人は今度の戦で薩軍と共に戦っている。結局2人を死なせることになるのかと思うと狭い洞窟で窮屈な思いをさせ2人をかくまったことが悔やまれた。

「いや、楽しいこともあったな。」

利秋は宇戸谷での農作業を思い出していた。

鍬をふるい汗をかいて土を耕していくのが楽しかった。耕された土地が広がって行くのを見るのがうれしかった。汚職にまみれた同僚との駆け引き、同胞の裏切りを知る日々、あの鬱々としたの日常がばかばかしく、思わず笑みが浮かぶことさえあった。

妹は奴婢のようだと嘆いていたが、思えば18才から4年間土を相手に働いていた日々が一番幸せだった気がする。

そして明治9年収穫を迎えた秋の日の宴を思い出していた。

孫兵衛どん、太郎、一緒に働いた仲間たちに囲まれて2間しかない狭い小屋はいっぱいだった。気心の知れた仲間たちと味わう新米や自家製の麦みそを使った味噌汁の味は格別だった。額に汗して働くことで一家が食べていける田畑を手に入れることができたことがうれしかった。

「こんな秋がずっと迎えられたら。」

これから農夫として毎年収穫の秋を迎えたい。そんなささやかな願いは結局かなわなかった。気になるのは残された母や妻そして子供たちの事だった。

特に年老いた母の事は気がかりだった。気丈な妻はなんとかみんなの面倒を見てくれるだろう。いや、妻の弟竹下九郎も一緒に戦いに来ている。母方の別府家も薩軍として戦っているのだ。

頼るべき人は相楽様しか思いつかない。

子として夫として、そして父として家族を守れないことを伝えるのは辛かった。

それでも母を頼むと最期の手紙を今、書いている。

「この手紙が届くころ、もう俺はこの世にいないだろう。」

幕末から今まで多くの同胞が死んでいった。吉野の家で坂本龍馬と過ごしたひと時を思いだして彼も又この世にいないことを思った。人は皆何時かは死ぬのだ。歓迎されない今の明治政府の事を思えば、むしろ自分は長生きすぎたのかもしれない。生きることに未練はなかった。江藤の時のように西郷どんの首を晒すわけにはいかない。それだけはどうしても避けなければならなかった。

ただ、残していく老いた母と妻、子供たちのことは自分ではどうすることもできない。それだけが気がかりだった。


軍資金も尽きて死を覚悟した利秋が最期にと家族にあてた草書の手紙には老母様と大きく濃い墨で書かれた文字が目立っている。

敗戦が確定した時、家族にあてた手紙に利秋の苦悩が現れているのではないだろうか。

草書を読み取れる人は今では少ない。ただ、母上と大きく濃い墨で書かれた文字や踊るような筆致に心の乱れを感じるのは私だけだろうか。

豪傑と言われた人物の実は母の事を思う1人の幼子の様な一面を見た気がする。

当時の人々は文章の内容や表現だけでなく、墨の濃淡や文字の大きさで伝えたいことを表現していたのではないだろうか。

幼い頃、明治生まれの祖母の書いた草書の手紙を見たことがある。読めないと思った記憶だけがある。そして今は手書きの手紙さえ消えつつある。

手紙という手段ではなくメールやラインで思いを伝えるのが当たり前になっている。ただ、

メールやラインで絵文字などを使うのは草書で自由に心情を表現した名残だろうか。

日本人はなかなか感情を表に出さない民族で、日本語は最期まで聞かないと結論が出ない文体になっている。そんな日本人は墨の濃淡や大胆な文字の配列で感情を表現してきた気がする。長年使ってきた墨で書かれた手書きの手紙が失われたことが、これからの私達の文化にどのように影響していくのかはわからない。

技術の進歩は止められない。手で字を書く行為事態も極端に減っていくことだけは確定された事実のようだ。

手紙を書く習慣は確実に少なくなっていくだろう。

そのことで失っていくものより、こうして誰でも気軽に文章が書け、広く読んでもらえる機会ができたことに感謝したい。



あとがき

桐野利秋の子孫については明治18年北海道に入植した桐野一族が子孫であると言い伝えられたいるというブログで見た記事などを参考にしました。また、久夫人が孫に言い伝えた事などの口伝も参考にさせていただきました。坂本龍馬や品川弥次郎が吉野の生家を訪ねたことは晩年夫人が語ったとされています。

本文はいくつかの本を読んで、私なりの想像で桐野利秋が手紙を書いた時の心情を想像して書かせていただきました。

参考

桐野利秋のすべて  新人物往来社
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