《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから

ヴァンドール

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5話(次男は嫡男のスペア)

 食堂を出て、自室へ戻る廊下を歩きながら、イライザは無意識に足を止めていた。

『全くあの子、本当に何をやっているのかしら』

 頭の中に浮かぶのは、最後に見たアナスタシアの横顔。反論もせず、ただ黙って立っていたあの姿だ。

 あの子が働いている? それもこの家のため、弟のために。それを思い出すたび、胸の奥がじわりと重くなる。

(わたくしこそ、何を言っていたのかしら)

 自分は『弟思いの姉』でいるつもりだった。
 弟の妻が家にいないことを、不貞じゃないかと疑って、どこか彼女を軽く見ていた。

 だけど、現実はどうだ。

(この屋敷に、わたくしがいるからこそ、余計にお金がかかっている)

 わたくしの衣装。茶会。社交の付き合い。
 体面ばかり気にして……
 そういえばあの子は、結婚してから一度も社交界に出ていなかったわ。
 わたくしは頭を抱えた。

(全く……何も考えていなかったのはわたくしだわ)

 どれも、弟のお給料だけでは到底賄えない。
 それを、アナスタシアが黙って補っていた。

(わたくしは、二人にただ甘えていただけね)

 イライザは、窓辺に立ち、夜の庭を見下ろした。

 弟のアランは、不器用だ。
 頼ることを知らず、頼られることにも慣れていない。
 自分のお給料が、足りていないなんて、きっと一度も疑っていないはずだわ。

(だからこそ……)

 アナスタシアのあの言葉が、胸に刺さる。

 プライドを傷つけたくない。

(優しすぎるのよ、あの子は)

 でも、その優しさは、いつか限界になる。
 気づかぬうちに、すり減ってしまう。

(今こそ、アランに話すべき?)

 真実を。
 妻が、どれほど家を支えているのかを。

 だけど、想像するだけで眉をひそめる弟の顔が目に浮かぶ。

(あの子は、きっと怒るわね。自分が知らなかったことにも、妻に隠されていたことにも)

 そして、最悪の場合
 「もう働かなくていい」と、無茶なことを言い出しかねない。

(それもまた、あの子のプライド)

 イライザは、思わず息を吐いた。

(……難しいわね、本当に)

 言わなければ、アナスタシアは一人で背負ったまま。言えば、弟が傷つく。

 どちらを選んでも、誰かが傷つく。

(でも)

 彼女は、ふと立ち止まり、もう一度よく考えた。

(何もしないのが、一番卑怯かもしれない)

 少なくとも、自分はもう見て見ぬふりはできない。弟の妻を、このまま放っておくことは。

(まずは、アランの様子を見るわ)

 疲れ切っていないか。余裕はあるのか。
 そして妻のことを、どこまで分かっているのか。あの子のアナスタシアに対する態度も気になるわ。あまりに冷たすぎる。
 あれほど冷たい子ではなかったはず。

 イライザは、拳を握った。

(あの子ひとりに押し付けるわけにはいかない)

 それは姉としての務めであり、
 同じ女としての、プライドでもあった。

 本当に貴族社会とはなんて厄介なのかしら。嫡男以外は皆、自分の生活の術をそれぞれ見つけなくてはいけない。次男は嫡男に子ができるまでは常に嫡男のスペア。 
 身分を失っても階級は貴族か……本当はそれこそが一番厄介だわ。

 わたくしが早く結婚をして、ここを出ればいいのだけれど、今のリチャード様との仲は最悪だし、どうすべきなのか……いざとなるとまた迷ってしまう。
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