6 / 16
6話(弟へのお説教)
あれから三日後、アランは屋敷に帰ってきた。
久しぶりに屋敷にいるというのに、朝の食堂はいつもよりずっと静かだった。
「旦那様、お仕事ご苦労様です。私はこれから教会へ奉仕活動に行ってまいりますので、旦那様は、たまにはお屋敷でゆっくり休まれてください」
そう言って、アナスタシアはいつものように軽く一礼し、食堂を出て行こうとする。するとその背中に、アランはただ一言だけ返した。
「ああ」
それだけだった。引き止めるでも、気遣うでもなく、まるでホッとしたような様子。
(相変わらずね)
わたくしはお茶の入ったカップを置き、弟の横顔をじっと見た。
冷たい、というよりまるで自分の内側を、誰にも触れさせないために守っているかのようだ。
しばらくすると「行って参ります」の小さな声と玄関の扉が閉まる音が同時に聞こえ、屋敷からアナスタシアの気配が完全に消えた。
「アラン」
「何だ」
「少し、話があるわ」
弟はわずかに眉をひそめたが、逃げはしなかった。
書斎に入ると、わたくしは弟の顔を見た。
「どうして、あの子にあんなに素っ気ないの」
「別に、ただ忙しいだけだ」
「そんなの理由にならないわ」
わたくしは呆れた顔を向けた。
「久しぶりに帰ってきた夫が、妻にあの態度。あの子、何かあなたにした?」
「……」
「あの子ったら、いつもあなたの顔色を窺い、自分がいたら夫の迷惑になると思っているわ」
アランは椅子に腰掛けたまま、視線さえ合わせようとしない。
「何故なの? 理由があるはずよ。答えなさい、アラン」
「答える必要はない」
そう言って息を吐いた。
わたくしは一度沈黙したが、今度は声の調子を変えた。
「ねえ、あなたたち、夫婦でしょう」
「形式上はな」
「そういう言い方をするところが問題なの」
アランを睨みながら、少し身を乗り出した。
「夫婦なら、いずれは子供だって欲しくなる。それを避けて通るつもり?」
その瞬間、アランの目が、ほんの一瞬だけ動いた。
「別に欲しくなんてならないし、必要もない」
「必要ない?」
「どうせ身分は平民だ。継ぐ爵位もない。家名を残す必要もない。子供なんていたって、しょうがない」
それはあまりにもぶっきらぼうで、投げやりな言葉だった。
わたくしは、思わず言葉を失った。
(……この子)
「それ、本気で言っているの?」
「勿論だ」
「違うわね」
きっぱりと言い切った。
「子供は爵位のために作るものじゃない。家名のためでも、体面のためでもない」
アランは黙ったまま、拳を握っていた。
「それに」
わたくしは、言い聞かせるように話しかけた。
「あなたが平民だと思っていても、世間はそうは見ないわ。あなたは元侯爵家の人間よ。その妻は、もっと厳しく見られる。それを全く理解してないわ」
それでも、アランは答えない。
「あの子はね」
わたくしの目には、いつの間にか雫が溜まっていた。
「あなたが思っているより、ずっと強くて、ずっと優しい。それに彼女はずっと無理をしている」
アランの肩が、わずかに震えた。
しかしそれでも彼は顔を上げなかった。
少しの沈黙の後。
「話は終わりだ。それから姉上、急にどうしたんだ? この間までは自分だってアナスタシアのことを邪険にしていたくせに」
そう言って、立ち上がった。
わたくしは、それ以上引き止めなかった。
ただ、最後に言っておかねばと口を開いた。
「わたくしなりにあの子を見ていて反省したのよ。でもあなたは、このまま態度を変えるつもりがないならいずれ、あなたが一番失いたくないものを、失うわよ」
アランは何も言わず、書斎を出て行った。
残されたわたくしは、静かな部屋で一人、盛大なため息を吐いた。
(……本当に、不器用なんだから)
弟も。そして、弟の妻も。
わたくしはふと、窓の外を見た。夜でもないのに何だか薄暗く、寂しくも感じた。
(このままじゃ、終わらせない)
あの二人を、これ以上すれ違わせるつもりはなかった。
久しぶりに屋敷にいるというのに、朝の食堂はいつもよりずっと静かだった。
「旦那様、お仕事ご苦労様です。私はこれから教会へ奉仕活動に行ってまいりますので、旦那様は、たまにはお屋敷でゆっくり休まれてください」
そう言って、アナスタシアはいつものように軽く一礼し、食堂を出て行こうとする。するとその背中に、アランはただ一言だけ返した。
「ああ」
それだけだった。引き止めるでも、気遣うでもなく、まるでホッとしたような様子。
(相変わらずね)
わたくしはお茶の入ったカップを置き、弟の横顔をじっと見た。
冷たい、というよりまるで自分の内側を、誰にも触れさせないために守っているかのようだ。
しばらくすると「行って参ります」の小さな声と玄関の扉が閉まる音が同時に聞こえ、屋敷からアナスタシアの気配が完全に消えた。
「アラン」
「何だ」
「少し、話があるわ」
弟はわずかに眉をひそめたが、逃げはしなかった。
書斎に入ると、わたくしは弟の顔を見た。
「どうして、あの子にあんなに素っ気ないの」
「別に、ただ忙しいだけだ」
「そんなの理由にならないわ」
わたくしは呆れた顔を向けた。
「久しぶりに帰ってきた夫が、妻にあの態度。あの子、何かあなたにした?」
「……」
「あの子ったら、いつもあなたの顔色を窺い、自分がいたら夫の迷惑になると思っているわ」
アランは椅子に腰掛けたまま、視線さえ合わせようとしない。
「何故なの? 理由があるはずよ。答えなさい、アラン」
「答える必要はない」
そう言って息を吐いた。
わたくしは一度沈黙したが、今度は声の調子を変えた。
「ねえ、あなたたち、夫婦でしょう」
「形式上はな」
「そういう言い方をするところが問題なの」
アランを睨みながら、少し身を乗り出した。
「夫婦なら、いずれは子供だって欲しくなる。それを避けて通るつもり?」
その瞬間、アランの目が、ほんの一瞬だけ動いた。
「別に欲しくなんてならないし、必要もない」
「必要ない?」
「どうせ身分は平民だ。継ぐ爵位もない。家名を残す必要もない。子供なんていたって、しょうがない」
それはあまりにもぶっきらぼうで、投げやりな言葉だった。
わたくしは、思わず言葉を失った。
(……この子)
「それ、本気で言っているの?」
「勿論だ」
「違うわね」
きっぱりと言い切った。
「子供は爵位のために作るものじゃない。家名のためでも、体面のためでもない」
アランは黙ったまま、拳を握っていた。
「それに」
わたくしは、言い聞かせるように話しかけた。
「あなたが平民だと思っていても、世間はそうは見ないわ。あなたは元侯爵家の人間よ。その妻は、もっと厳しく見られる。それを全く理解してないわ」
それでも、アランは答えない。
「あの子はね」
わたくしの目には、いつの間にか雫が溜まっていた。
「あなたが思っているより、ずっと強くて、ずっと優しい。それに彼女はずっと無理をしている」
アランの肩が、わずかに震えた。
しかしそれでも彼は顔を上げなかった。
少しの沈黙の後。
「話は終わりだ。それから姉上、急にどうしたんだ? この間までは自分だってアナスタシアのことを邪険にしていたくせに」
そう言って、立ち上がった。
わたくしは、それ以上引き止めなかった。
ただ、最後に言っておかねばと口を開いた。
「わたくしなりにあの子を見ていて反省したのよ。でもあなたは、このまま態度を変えるつもりがないならいずれ、あなたが一番失いたくないものを、失うわよ」
アランは何も言わず、書斎を出て行った。
残されたわたくしは、静かな部屋で一人、盛大なため息を吐いた。
(……本当に、不器用なんだから)
弟も。そして、弟の妻も。
わたくしはふと、窓の外を見た。夜でもないのに何だか薄暗く、寂しくも感じた。
(このままじゃ、終わらせない)
あの二人を、これ以上すれ違わせるつもりはなかった。
あなたにおすすめの小説
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
ほんの少しの仕返し
turarin
恋愛
公爵夫人のアリーは気づいてしまった。夫のイディオンが、離婚して戻ってきた従姉妹フリンと恋をしていることを。
アリーの実家クレバー侯爵家は、王国一の商会を経営している。その財力を頼られての政略結婚であった。
アリーは皇太子マークと幼なじみであり、マークには皇太子妃にと求められていたが、クレバー侯爵家の影響力が大きくなることを恐れた国王が認めなかった。
皇太子妃教育まで終えている、優秀なアリーは、陰に日向にイディオンを支えてきたが、真実を知って、怒りに震えた。侯爵家からの離縁は難しい。
ならば、周りから、離縁を勧めてもらいましょう。日々、ちょっとずつ、仕返ししていけばいいのです。
もうすぐです。
さようなら、イディオン
たくさんのお気に入りや♥ありがとうございます。感激しています。
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。
婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。
しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。
儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで——
「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」
「……そんなことにはならない」
また始まった二人の世界。