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5話
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遠い東の国境では、まるで計算されたかのような、仕組まれた秘密が育まれていた。
侯爵が出征して半年が過ぎた頃、戦地近くの古びた宿の一室で、侯爵と男爵未亡人は密かに再会を果たしていた。
男爵未亡人、クリスティアナは、ルカを侯爵家に置き去りにした後、すぐにこの地に潜伏していた。そして、戦況の悪化と、それに伴う侯爵の精神的な疲弊を待ったのだ。
「ああ、ジョナサン……!」
クリスティアナは、泥と血にまみれた軍服姿の侯爵に抱きつき、涙ながらに訴えた。彼女は、若き日の愛と、引き裂かれた悲劇を思い起こさせるような、弱々しくも情熱的な未亡人を演じた。
「君は、なぜこんな場所に……。それに戦地に赴く際、告げたはずだ。私は結婚せざるを得なくなったからと……」
侯爵の声は、疲労でかすれていた。
クリスティアナは、ルカの存在については一切触れず、ただ侯爵への深い愛情だけを示した。
「わたくしは、ただ貴方様がご無事であることを確かめたかっただけ。そして、この苦しい戦場で、心の安らぎとなる居場所を提供したかったのです。わたくしは貴方をひと時も忘れたことはありませんでした。どうか貴方を愛した一人の女として受け入れてください」
戦争の重圧、そして故郷から遠く離れた孤独は、侯爵の心を蝕んでいた。クリスティアナの存在は、彼にとって過去の甘い逃避場所であり、現実を忘れさせる鎮痛剤となった。
彼女は、侯爵が最も弱っている時に寄り添い、かつて周りからは認められなかった愛の炎を静かに燃やし続けた。侯爵は、クリスティアナの情熱と献身に、次第に心を許していった。
こうして、侯爵は妻の存在と義務から逃れるように、クリスティアナとの自由な愛と過去の愛に再び溺れていった。そして彼にとって彼女はなくてはならない存在となっていった。
それら全てがクリスティアナの計算通り進んでいった。
ーーーー
そして、まもなく十年の歳月が流れようとしていた。
侯爵は未だ戦地に留まり、時折、王都へ戻っては報告と補給を行うものの、侯爵家へは一度も帰ることはなかった。
それは妻への後ろめたさがあったからだった。
侯爵領は、完全に侯爵夫人と執事ジョゼフの采配によって治められていた。侯爵夫人による公正で的確な経営は、領民に絶大な信頼をもたらし、侯爵夫人こそが真の領主であると認識されていた。
ジョゼフを通じて、侯爵からは定期的に手紙が届いた。
『領地経営と、私の妻の責務を立派に果たしてくれていると、ジョゼフから報告を受けている。本当にありがとう、妻よ。君の献身には感謝している』
その手紙は、侯爵としての義務と感謝の言葉で満たされていたが、愛の言葉はどこにもなかった。妻は、彼の領地の管理者であり、感謝すべき従者のようなものだった。
一方、ルカは二十歳の若き青年に成長していた。
彼は、侯爵夫人による厳しいが愛情に満ちた教育を受け、非の打ち所のない侯爵家の後継者として育った。彼の振る舞いは品格があり、知性は冴え、その容姿は、若き日の侯爵を彷彿とさせた。
ルカは、侯爵夫人の献身的な愛情と、その気高い美しさを最も近くで見続けてきた。
侯爵夫人は、侯爵の不在という重い責任と孤独に、一言も弱音を吐かず耐え抜いてきた。
夜遅くまで執務室のランプを灯し、決して表情を崩さない強く美しい侯爵夫人。いつしかルカの瞳には、彼女の姿が理想の女性像として焼き付いていた。
ある夜、ルカが書類の提出のために執務室を訪れたとき、夫人は珍しく窓辺で、一人、夜空を見上げていた。
「奥様。まだお仕事を?」
「ええ、ルカ。もうこんな時間なのね」
彼女は振り返り、その疲労を隠しきれないわずかな翳りを見せた。ルカは、侯爵夫人に向かって抱いていた感情が、気づけば、継子としての敬愛だけでは済まなくなっていた。
「奥様。僕は……」
ルカは言いかけた言葉を飲み込んだ。それは、母として育ててくれた女性に対するものではなく、あってはならない男としての感情だった。
ルカは、侯爵夫人宛ての戦地にいる実の父が送ってきた冷たい感謝の手紙を何度も受け取っている。
彼は知っていた。侯爵夫人こそが、真の孤独の中にいることを。そして、その孤独を埋めるべきは、自分自身であるとずっと思っていた。いいや、そうしたいといつも思っていた。
「奥様。僕が、この領地を、そして貴女をお守りいたします。父上の代わりに」
ルカの言葉は、単なる使命感ではなかった。それは、侯爵夫人への深い愛情と、不在の父への複雑な感情が入り混じった、若き青年の誓いのようだった。
彼女は、ルカの瞳に宿る激しい情熱を読み取り、一瞬、戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに侯爵夫人としての平静な微笑みに戻した。
「ありがとう、ルカ。貴方は本当に頼もしいわ。さあ、もう寝なさい」
この時彼女は、ルカの瞳の奥にある危険な情熱を見て見ぬふりをした。
侯爵の不在は、いつしか新たな愛を、血の繋がりを超えた愛を芽生えさせていた。
そして、その愛は、遠い戦地から帰還しようとしている侯爵の存在から、彼女自身を解放する鍵となるのかもしれない。
侯爵が出征して半年が過ぎた頃、戦地近くの古びた宿の一室で、侯爵と男爵未亡人は密かに再会を果たしていた。
男爵未亡人、クリスティアナは、ルカを侯爵家に置き去りにした後、すぐにこの地に潜伏していた。そして、戦況の悪化と、それに伴う侯爵の精神的な疲弊を待ったのだ。
「ああ、ジョナサン……!」
クリスティアナは、泥と血にまみれた軍服姿の侯爵に抱きつき、涙ながらに訴えた。彼女は、若き日の愛と、引き裂かれた悲劇を思い起こさせるような、弱々しくも情熱的な未亡人を演じた。
「君は、なぜこんな場所に……。それに戦地に赴く際、告げたはずだ。私は結婚せざるを得なくなったからと……」
侯爵の声は、疲労でかすれていた。
クリスティアナは、ルカの存在については一切触れず、ただ侯爵への深い愛情だけを示した。
「わたくしは、ただ貴方様がご無事であることを確かめたかっただけ。そして、この苦しい戦場で、心の安らぎとなる居場所を提供したかったのです。わたくしは貴方をひと時も忘れたことはありませんでした。どうか貴方を愛した一人の女として受け入れてください」
戦争の重圧、そして故郷から遠く離れた孤独は、侯爵の心を蝕んでいた。クリスティアナの存在は、彼にとって過去の甘い逃避場所であり、現実を忘れさせる鎮痛剤となった。
彼女は、侯爵が最も弱っている時に寄り添い、かつて周りからは認められなかった愛の炎を静かに燃やし続けた。侯爵は、クリスティアナの情熱と献身に、次第に心を許していった。
こうして、侯爵は妻の存在と義務から逃れるように、クリスティアナとの自由な愛と過去の愛に再び溺れていった。そして彼にとって彼女はなくてはならない存在となっていった。
それら全てがクリスティアナの計算通り進んでいった。
ーーーー
そして、まもなく十年の歳月が流れようとしていた。
侯爵は未だ戦地に留まり、時折、王都へ戻っては報告と補給を行うものの、侯爵家へは一度も帰ることはなかった。
それは妻への後ろめたさがあったからだった。
侯爵領は、完全に侯爵夫人と執事ジョゼフの采配によって治められていた。侯爵夫人による公正で的確な経営は、領民に絶大な信頼をもたらし、侯爵夫人こそが真の領主であると認識されていた。
ジョゼフを通じて、侯爵からは定期的に手紙が届いた。
『領地経営と、私の妻の責務を立派に果たしてくれていると、ジョゼフから報告を受けている。本当にありがとう、妻よ。君の献身には感謝している』
その手紙は、侯爵としての義務と感謝の言葉で満たされていたが、愛の言葉はどこにもなかった。妻は、彼の領地の管理者であり、感謝すべき従者のようなものだった。
一方、ルカは二十歳の若き青年に成長していた。
彼は、侯爵夫人による厳しいが愛情に満ちた教育を受け、非の打ち所のない侯爵家の後継者として育った。彼の振る舞いは品格があり、知性は冴え、その容姿は、若き日の侯爵を彷彿とさせた。
ルカは、侯爵夫人の献身的な愛情と、その気高い美しさを最も近くで見続けてきた。
侯爵夫人は、侯爵の不在という重い責任と孤独に、一言も弱音を吐かず耐え抜いてきた。
夜遅くまで執務室のランプを灯し、決して表情を崩さない強く美しい侯爵夫人。いつしかルカの瞳には、彼女の姿が理想の女性像として焼き付いていた。
ある夜、ルカが書類の提出のために執務室を訪れたとき、夫人は珍しく窓辺で、一人、夜空を見上げていた。
「奥様。まだお仕事を?」
「ええ、ルカ。もうこんな時間なのね」
彼女は振り返り、その疲労を隠しきれないわずかな翳りを見せた。ルカは、侯爵夫人に向かって抱いていた感情が、気づけば、継子としての敬愛だけでは済まなくなっていた。
「奥様。僕は……」
ルカは言いかけた言葉を飲み込んだ。それは、母として育ててくれた女性に対するものではなく、あってはならない男としての感情だった。
ルカは、侯爵夫人宛ての戦地にいる実の父が送ってきた冷たい感謝の手紙を何度も受け取っている。
彼は知っていた。侯爵夫人こそが、真の孤独の中にいることを。そして、その孤独を埋めるべきは、自分自身であるとずっと思っていた。いいや、そうしたいといつも思っていた。
「奥様。僕が、この領地を、そして貴女をお守りいたします。父上の代わりに」
ルカの言葉は、単なる使命感ではなかった。それは、侯爵夫人への深い愛情と、不在の父への複雑な感情が入り混じった、若き青年の誓いのようだった。
彼女は、ルカの瞳に宿る激しい情熱を読み取り、一瞬、戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに侯爵夫人としての平静な微笑みに戻した。
「ありがとう、ルカ。貴方は本当に頼もしいわ。さあ、もう寝なさい」
この時彼女は、ルカの瞳の奥にある危険な情熱を見て見ぬふりをした。
侯爵の不在は、いつしか新たな愛を、血の繋がりを超えた愛を芽生えさせていた。
そして、その愛は、遠い戦地から帰還しようとしている侯爵の存在から、彼女自身を解放する鍵となるのかもしれない。
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